第13章
怒りのまな板





どうしてこうなってしまったのだろう。何故自分でなければならなかったのだろう。

頭の中で考えれば、一瞬にして答えが出てしまうのが酷く空しく、目の前に広がる現実に、ため息すら出ない。

「このオーダーはないでしょ……あの爺」

今回の試合は先行。本来なら、自分はまだベンチでヘルメットを被って、ゆっくり座っていられるはずだった。

しかし、今日は違った。おすぎとピーコぐらい違った。

「僕はピッチャーなんだよ……。なのにあの爺……」

それは今から数時間前に遡る。ちょうど、球場入り前の練習のことだった。









「話は結城から聞いた。本当に……ようそんな下らんことで喧嘩出来るもんじゃ」

ため息混じりに俊彦が言った。だが二人は黙ってはいるが、互いに睨み合っている。俊彦の言葉は、あまり届いていないようだ。

「喧嘩の続きなら、甲子園でせい。ワシがそうできるように、打順を変えておくから」

「え?」









「確かにありがたいけど……」

審判の腕が上がる。サイレンが響き、甲子園が熱狂に包まれる。

「何も、私を1番にしなくてもいいでしょうが!」

あおいの怒声は空しくも、2つの音によってかき消されたのだった……。

「(まあ確かに、このオーダーはどうかと思うな。……両方に言えることだけど)」

ヘルメットをかぶり、ネクストバッターサークルにどっかりと座り込んでいる尚史。

普段なら、あおいと同じようにベンチでいれるはずなのだが、俊彦の変更されたオーダーの被害を彼もまた、受けていたのだ。

これがそのスターティングメンバーである。


先攻:神城高校(徳島)

1番:一条 あおい(投)
2番:結城 尚史 (三)
3番:川上 理奈 (中)
4番:佐々木 真奈(捕)
5番:佐々木 守 (一)
6番:高橋 京介 (二)
7番:和木 光夜 (左)
8番:篠原 義弘 (遊)
9番:黒崎 柊二 (右)


後攻:横浜南第一高校(横浜)

1番:夏目 凪 (投)
2番:札付 要 (右)
3番:花村 伸郎(捕)
4番:金沢 亮一(中)
5番:赤松 輝 (一)
6番:白井 浩治(左)
7番:斉藤 努 (三)
8番:本越 光男(二)
9番:社 志紀 (遊)


「(まさか、向こうのチームも1番に置くとはな)」

1つ違うと言えば、3番の社が9番に入っていることぐらいか。俺たちはそのままでいけるが、向こうは4番が1番に入っている。

つまり、3番と4番のコンビを崩したくなかったのだろう。

「(しかしまあ……姉貴とはえらい違いだな)」

姉貴。夏目という名字を聞けば、あの人物の名が必ず出てくる。

現在、セ・リーグダントツ最下位のローカルズで、唯一の防御率2点台&高卒ルーキー9勝。

女性ながら、ローカルズのエースといっても、もはや過言ではないあの選手が。

「(子供っぽいとこもあったけど、かなり温厚な人だった……)」

何よりも美人だった。……関係ないこと思い出して悪かったから、俺を重圧するような殺気を放たないで、あおいちゃん。

てか、何で考えてることが判る……。

「(いや確かに、私達が悪いけどさ……)」

私を4番に置くのでが普通ではないのか。ピッチャーなので、1番では色々と負担が大きそうなのだが……。

「(なんだかなぁ……)」

ぶつくさ文句を言っても、今更どうにもならない。自分のやったことに後悔感を覚えながら、あおいはやる気なさそうに構えた。

「やっと来たわね……」

……マウンドの女の子が勝手に語り始めたよ。ちなみに、僕は待ちわびてないから。

「去年は辛かったわ。ライバルであるあなたと対決出来なくて。まさか、大会前に牛乳でお腹を壊すなんて思わなかったから」

知らないよ、そんなの。単に、自分が間抜けなだけじゃないか。

こう一方的にライバル視されると、燃え上がるものも燃え上がらなくなる。今なら何言われても、軽く流せる気が……

いくわよ!まな板ピッチャー!」

なっ!

しない。今の一言で、冷めきっていた闘志が、一気に燃え上がってきた。腕にも力が入る。

「(怒ってる怒ってる。今のカッカした状態なら、ボール球だけで十分よ)」

コースは外角低め。左投手が左打者に投じる球は、外から外へ逃げていくため、打ちづらい。

ましてや、140k/mを越える球なら捉えても、せいぜいヒットで済む。

「(これが岩鬼だったら、軽くスタンドなんだろうけど)」

夏目が大きくゆっくり振りかぶる。しかしそこから、足を素早く上げ、大きく前へ踏み出した。

天に向かって伸ばされた腕が太陽によって、美しく輝く。

「(あんたに勝って……)」

その腕を鉞のように振り下ろし、白球を投じた。18.44mの空間内の風を破り、グラウンドの土を巻き上げる。

「(私達は再び栄光に輝く!)」

白球は寸分の狂いもなく、ボール1個分外れた外角低めを突き進む。

積極的なバッターでも、流石にこれは見逃すだろう。これが一条あおいでなければだが。

まな板を馬鹿にするなー!

あおいの得意なコースは外角低め。

まな板と馬鹿にされ、ストライク・ボールの判断がつかなくなったキレたあおいが、このコースに手を出さないわけがない。

いけぇぇぇ!!


(ガキィ!)


打球はレフトへ高々と上がった。ストライクゾーンの判断能力は失っても、体は自然と反応し、

無理に逆らわず、流れるように打ち返していた。その証拠に、体はレフトへ向いている。腰も大きく回っていない。

「うっ……」

レフトは定位置に突っ立っていた。打球はポール掠め、スタンドの奥に消えていった。

バットを乱暴に放り投げ、鼻息荒く、ゆっくりと歩き始める。

技あり(?)の一打は、そのままスタンドだーー!!

先頭打者ホームランが飛び出しました!神城高校、1点先制!

ホームラン率の低い外角低め。さらには140k/mを越えるストレート。何より、1個分外れていた。

どう考えても、バットの先に当たって、力のない打球になるはずである。

それをライナーでスタンドに持っていったから、夏目としては堪らない。

マウンドの土を蹴り上げ、悠々とホームに帰ってくるあおいを睨んだ。









「2番 サード 結城君。背番号5」

バットを肩に乗せ、尚史が打席に入った。

3番や5番を打ったことはあっても、リトル時代も合わせて、2番を打ったことはない。流石の尚史も戸惑っていた。

「(……まあランナーもいないことだし、強打で構わんだろうな)」

もしランナーがいたら、監督は送りバントのサインを出してくるだろうか。

……そのときは無視して構わないだろう。バントはあまり好きじゃないし。

「(まず相手の球種を探り出さないと。どこぞのせっかちな1番打者のせいで、夏目の持ち球が判らないからな)」

尚史はバットを短く持ち変え、打席の1番後ろの内角寄りに立った。

少しでも球筋を見極め、際どいところをカットしていく作戦だろう。その尚史の姿に、夏目はさらに怒りを覚えた。

「(本来は4番打者でしょ!バット長く持って、振り回してきなさいよ!5ホーマー男が聞いて呆れるわ!)」

ロージンを力任せに握りしめ、地面に叩きつけた。夏目が大きく振りかぶる。

「(うっ……こいつは)」

ネクストバッターサークルから見ていたときも確かに、妙なフォームだとは思っていた。だが、打席に立ってみると……。

「タイミングが取りづらい……」

その言葉通り、尚史は内角の速球を見逃した。判定はストライク。夏目の表情が、得意げになる。

「ふふ……やっぱあんたには、タイミングが取りづらいみたいね」

夏目の投法。それは、2代目 Mr.タイガース、村山 実(阪神)。

大卒選手としては、唯一の200勝投手であり、2000奪三振も記録している。

1959年に行われた天覧試合で、長嶋茂雄(巨人)にサヨナラ本塁打を打たれたのは、今も伝説となっている。

「(長嶋と村山は、互いに認め合うライバルだった。でも王は違った)」

長嶋と村山の対戦成績は、打率.281、本塁打21、打点41。ほぼ互角の成績を残している。

だが王と村山はの対戦成績は、打率.243と完全に抑え込まれている。

王は左バッターで、村山は右ピッチャーだ。なのに何故打てなかったのか。理由はフォームにある。

「(まずタイミングを測らないとな……)」

足場を固め、尚史が構える。怪しげな笑みを浮かべ、夏目は大きく振りかぶった。

「(無駄よ。あなたには打てない)」

ゆっくりと足を引き上げる。上体を僅かに沈ませ、腕を後ろへ巻き上げた。プレートを強く蹴り上げ、右足を大きく踏み出す。

「(うっ……)」

巻き上げた左腕を空高く伸ばし、地面に向けて思い切り振り下ろした。

顔が正面ではなく、斜め下を向いている。まさに、大地を掃くようなフォーム。

「(駄目だ。豪快なうえに、球の出どこが判りにくい)」

尚史が思ったことが、その答えである。奇しくも尚史は右打者で、夏目は左投手であり、王・村山とは逆なだけだ。

レベルにもよるが、右打者と左投手、または左打者と右投手では、打者有利である。

一般的に打ちにくいのは、外から外へ逃げる球。だが、上の例にはまずそれがない。

例え外角に投げたとしても、球筋は内から外へ……となる。

苦手な投手があまりいなかった王でもこれほど打てなかったのは、やはりその豪快なフォーム、そして村山の気迫だ。

クッ!


(バシィ!)


「ストライクツー!」

バットの上を球が通過した完全な振り遅れ。タイミングがまったく合ってない。もちろん、夏目がそれに気づかないはずがない。

「(外す必要はないわね。最後はあれで決めてあげるわ)」

夏目は帽子からはみ出た長い髪を掻き揚げた。尚史には余裕を見せつけられてるようにしか思えない。

いつも冷静な尚史でも、これには怒りを覚えた。

「(舐められたもんだ。短く持つ必要はない。スタンドにぶち込んでやるよ)」

小指一本が余るくらいに握り直し、ただ夏目だけを睨んだ。

その夏目がさらに不敵な笑み浮かべ、ボールを掌と親指、小指で支えた。

「(ノブちゃんいくわよ)」

「(あいよ、凪ちゃん)」

ノブちゃんこと、花村伸郎が、ミットをど真ん中に構えた。夏目が威風堂々と振りかぶる。

豪快なフォームから、第3球目を掌で押し出すように投じた。

「(変化球……)」

先ほどとは打って変わって、115k/mほどの緩い球。それが18.44mの空間内を放物線を描くように落ちてくる。

チェンジアップ。まさにそう確信したその刹那。

「!」

ベース手前に差し掛かったとき、ボールがいきなり不規則に揺れ始めたのだ。

こんな異常な変化をする球など、かつて見たことがない。

クッ!

まるで風に揺られる葉のように、球はストライクゾーンを通過してくる。三振を避けたい一心で、尚史がバットを出した。


(カン)


飲み物の入れ物の名前と同じ音が小さく響き、サードが顔の前で捕球した。

「(今のはナックルじゃない。まさか……)」

神妙な面もちで悩む尚史に対して、夏目は満面の笑みを浮かべ、Vサインを向けていた。もちろん尚史に。

「さぁて……どんどん来なさい!

この後、運悪く理奈に内野安打を許すものの、佐々木真奈をセカンドライナーのダブルプレーに打ち取り、この回を終えた。




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