第36章
対決の合宿





太陽に照らされる夕暮れのグラウンド。木々が風と踊っているように揺れている。

それらは今からあることを早く始めろと急かしているのかもしれない。今、バッターボックスに髪を束ねている少女が立っている。

彼女の名は一条あおい。男に負けない力を持つ女性選手である。そしてキャッチャーをしているのが笹田・・・・・ではなく結城。

そしてマウンドに立っているのは小さな女の子。片側の髪を髪止めで束ねており無地の白いワンピースを着ている。名は不明。

あおい「(私がチキンですって。ふざけないで!)」

怒っているせいかあおいはいつも以上には肩に力が入っていた。何故あおいか怒っているか、それは・・・・・今から5分ほど前のことだ。









監督「これで今日の練習は終わりじゃ。明日に備えて早めに寝るようにな。では帰るぞ」

監督は何事もなく出口の扉を開けようとした。だが監督は1人いないことに気付いていなかった。

点呼ぐらいしろよ。そんな中キャプテンの高橋が気付いたのか大きな声で言う。

高橋「監督!結城君いませんよ!

開けようとした手が止まり後ろへ振り返る。少し口元が引きつっているようにも見える。やはり忘れていたようだ。

監督「そういえばそうじゃのう。あやつ帰って来ておらんのか。仕方がないのう、待って」

待ってやるか、監督がそう言い切る前にあおいが割り込むようにして話に入って来た。笑っているが怒りをかなり感じとれる。

あおい「大丈夫です。彼なら富士の樹海からでも帰ってこれますから旅館に帰りましょう」

誰も言い返さずあおいを見ている。いやどちらかと言えばその後ろを見ていると言った感じだ。

あおいも不自然に思い後ろを振り返ってみた。そこには身長170cm以上ある男が立っている。

そしてその体に隠れるように顔だけ出している麦藁帽子を被った少女がいる。

2人共夕日に照らされて恰好よく感じられることもなくはない。男はあおいの頭にポンッと手を置いた。

あおい「さ、触らないでよ!覗き魔!

あおいは殴りかかろうとするものの男に頭を抑えられているため手が届かない。それによっぽど腹が立ったのかさらに殴りかかろうとする。

当然のごとく手が届かず空しく空ぶるばかり。それを見ている全員がクスクス笑い始めた。

さらに後ろに隠れている麦藁帽子を被った娘も笑いだした。あおいはふと我に返り周りを見回した。

あおい「笑うなー!

顔を真っ赤にし目を上弦の月にしながらあおいは怒鳴った。だがさっきのを見て笑うなというほうが無理な話である。あおいは唸りながら男の方を見た。

あおい「覗き魔のせいで笑われたじゃないの!」

覗き魔といわれた男は頭をポリポリ掻きながら「俺のせいかよ・・・・・」と一言呟いた。

結城「まあそんな話は置いといて・・・・・悪いけどこの娘と対戦してくれないか?」

結城は後ろにいた麦藁帽子の娘の背中を押しあおいの前に差し出した。

麦藁帽子の娘は顔を真っ赤にして固まっている。突然のことだったので心の準備ができてなかったみたいだ。

あおい「この娘・・・・・誰?」

結城「さっき知り合った娘」

あおい「・・・・・ロリコン?」

結城「違う」

あおいは帽子をやや前にずらしハァとため息をついた。どうやら呆れている感じだ。

あおい「やだ。覗き魔の言うことなんか聞けない」

あおいは振り返りそのまま帰ろうとした。だがいつも冷静な結城だ。こういったことぐらい予想済みで策は練ってある。

結城「・・・・・負けるのが恐いんだな」

あおいは結城の方へ振り返った。

結城「君って案外チキンだったなんだな」

この言葉はあおいを奮起させるのには充分すぎた。だが充分すぎたせいか予想外のことが起きた。あおいは目を上弦の月にしながら結城に怒鳴る。

あおい「私がチキンですって!?言ってくれるじゃない!

ここまでは結城の予想通りだった。だが問題なのはその先だ。

あおい「そこまで言えるのだから負けたときの覚悟はあるわよね!?」

そこまでは考えていなかった。彼女を奮起させるためにわざとチキンと言ったのだがまさかここまでキレるとは予想外だった。

だが言ったものは仕方がない。俺はため息をハァと一つついてから「わかった」と言った。そして麦藁帽子の娘はまだ固まっていた。









結城「(H・HR=死だからな。なんとしても抑えなければ・・・・・)」

麦藁帽子の娘は顔を真っ赤にしておどおどしている。緊張しているのかあおいに怯えているのかはわからないが。

彼女は心を落ち着かせるために深呼吸をし始めた。当然ラジオ体操のだ。

結城は突っ込もうとしたが2回同じ突っ込みはなんだか嫌なので止めることにした。

?「だ、大丈夫です・・・・・は、始めてください・・・・・」

・・・・・声が震えている。明らかに大丈夫じゃない。心配だ。頼む・・・・・俺の命が懸かっているから頑張ってくれ。

監督「一応確認するが・・・・・3打席勝負でそのうち一本でもH(ヒット)が出れば一条妹の勝ち。全て凡打に抑えればあの娘の勝ちじゃ。いいな」

あおいは「上等!」と大声で答え、結城は「意義なし」と呟き、麦藁帽子の娘は「は、はひ!」ともの凄い高い声で返事をした。

監督「じゃあ・・・・・プレイ!

結城はマスクを被りサインを考える。そしてまずグーのサイン=ストレートのサインを出した。俺の中では遊び球を投げさすなど考えていない。

全て3球勝負。彼女も即席のキャッチャーがまさか3球勝負をしてくるなどは思わないだろう。

マウンド上にいる麦藁帽子の娘は投球モーションに入った。綺麗なフォームから下から浮き上がってくるストレートが繰り出される。

あおいは球道に合わせてフルスイングするものの空振り。今のコースは普通の打者なら見送る。

それはまさにインハイのストライクかボールの境目であったからだ。彼女は制球力もある。中学生クラスではない。

この制球力があるからこそ急造キャッチャーの俺でも配球を考えやすいのだ。俺はまたストレートのサインを出した。

この打席はストレートでカウントを稼いで変化球で三振と考えている。ただし外角低めを少し外してボール球にする。

下手すれば3球勝負にならなくなるが積極打法の彼女なら間違いなく振るはずだ。

投じた第2球目、結城の予想通りあおいは外角低めのストレートを当て、ファールとなりカウント2-0。

結城が考えて通りのパターン。当然変化球のサインを出す。彼女のカーブはストレートよりまだ遅い。

だからタイミングを必ず失うはずだ。第3球目、地面スレスレから投じられたカーブ。

あおい「(スローボール!?)」

ストレートが80k/mぐらいとすればこの球は60k/mでてるかでてないか。その遅さにあおいはタイミングを失った。

ただバットの軌道と球の軌道は合っている。諦めの悪いあおいは大きく踏み込んだ右足で踏ん張りとにかく当てようとする。

だがそれも無駄だった。球はゆっくりとそして大きく斜めにあおいの右膝に食い込んでくるように落ちていった。

監督「ストライクアウト!あと2打席!

勝負を見学している神城野球部員。さっきのカーブでなにやら騒がしい。それもそうだろう。

あんな小さな娘があんなカーブを投げるなんて・・・・・誰が予想しただろうか。

あおいはバットを構え直した。表情に変化はとくにないが心の中では激しく燃えていた。

あおい「(・・・・・チキンって言っただけあって凄い娘連れてくるじゃないの。でも絶対打ってやるんだから!)」

燃えるあおいの第2打席。だが初球のインハイのストレートに手を出してしまいキャッチャーフライに終わる。

そして第3打席。さっきの第1打席と同じような感じで追い込まれた。結城は第1打席とは逆にカーブを主体に配球を考えた。

まずど真ん中からのカーブ、インサイドからのカーブであおいはいずれも空振り。そしてインハイのストレートで締めて勝利と考えた。

さあ、来なといった感じでミットをインサイドに構える。だが麦藁帽子の娘は投球モーションに入ろうとしない。

結城は2回ほどミットを前へ突き出す。麦藁帽子の娘は理解したのか、やっと投球モーションに入る。

麦藁帽子の娘の様子を見て結城はふと思った。最後だから緊張してるのか?と。だがすぐにそれを否定する。

いや信じたくなかったといったほうが正しいかもしれない。考えているうちに彼女が第5球目を投じた。

コースは構えた通りのところ。だが球速がカーブと同じぐらいだった。はっきり言ってかなりやばい。結城は打たれることを覚悟した。

あおい「(え!嘘!?スローボール!?)」

実はあおいはずっとストレートを待っていた。

落差のあるカーブを打つよりは隅をついてくる変化しないストレートを狙ったほうが打てる確率が高いといった考えだ。

だが来た球はスローボール。第1打席とまったく同じ。あおいはさっきと同じように大きく踏み込んだ右足で踏ん張りそれを打ちにいった。

それはまるであのMr.ジャイアンツ 長嶋茂雄の打った後みたいな形であった。

打球は詰まりながらもライトに落ちた。結城は立ち上がりマスクを取って監督を見る。

監督「ライト前ヒットじゃ!この勝負、一条妹の勝ちじゃ!

その瞬間に結城は膝から崩れ落ちた。負けた・・・・・つまり俺の人生がもうすぐ終わる。

彼女つまりあおいちゃんはゆっくりと振り返り俺を見下ろす。

あおい「さ・て・と、どうしようかな〜」

煮るなり焼くなり好きにしてくれ。ただ殺るなら一思いにやってほしい。

あおい「よし!じゃあ・・・・・」

あおいは麦藁帽子の娘がいるマウンドまで歩いていきその娘の頭をポンッと手を置いた。

あおい「この娘を貸しなさい」

結城「・・・・・何で」

よくわからないが・・・・・死だけは回避できた気がする。とにかく!さすがの俺でも命は惜しい。

あの娘を貸して助かるのならいくらでも貸してやる。だが人生そうはいかないものだ。

?「わ、私・・・・・も、もう遅いので帰ります!ゆ、結城さんありがとうございました!」

彼女は慌ただしく麦藁帽子を取るとグラウンドから出ていった。

結城「・・・・・」

どうやら死は免れないらしい。あおいちゃんがこっちを見てるよ。誰か・・・・・助けてくれ。

あおい「君をどうするかは旅館に帰ってから考えるとして・・・・・咲輝先生、あの娘の名前・・・・・知りませんよね?」

後ろから監督に肩を叩かれた。その表情は同情しているって感じだ。・・・・・そういう表情されるとなんだか余計に辛い。

咲輝「知ってるわよ。確か旅館近くに住んでいる速水みずきちゃん。さっきの麦藁帽子に名前が書かれてたから間違いないわ」

あおい「みずきちゃん・・・・・また勝負したいね」

あおいは空を見上げた。夕暮れの空が大変綺麗に赤色に染まっている。今晩結城君をどうしようかなと考えていた。




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