第9章
血で塗られた過去





綺麗な藍色に染まった春の空。そこに夕日の色が合わさって尚良い風景が出来上がっている。少年の今いる場所はそれが良く見える場所である。

そして、そこはたった大切な人とのい想い出の場所・・・・・。少年はその場に座ってそこから見える街の景色、空の景色を虚な目で見つめていた。

尚史「唯・・・・・」

榊「・・・・・」

後ろには背が高く大変顔立ちの整った男が立っていた。名を榊 柊という。

榊「唯が亡くなって、はや4年か。月日が流れるのも早いものだ・・・・・」

ため息が交じったような声で呟く榊。無理もない。その唯という少女の本名は榊 唯。つまり柊のたった1人の妹なのだ。元気がないのも無理はない。

尚史「・・・・・榊さん」

榊「ん、何だい?」

街の景色を見たまま榊に尋ねる尚史。そして、その言葉は今までの尚史とは思えないほどの弱気だ。

尚史「俺と榊さんが初めて対戦した日を覚えていますか?」

榊「・・・・・ああ。僕が小学5年のときだったね」

尚史「他の投手が打てて天狗になっていた俺の鼻を見事へし折られましてね。あれはショックだったな・・・・・」

無理矢理、笑顔を作る尚史。だが、その言葉に元気はない。気がつけば日は沈み、空には1番星が見え始めていた。

榊「でも僕の鼻を折ったのも君だ」

そう言って鼻を摩る榊。やや苦笑気味だ。

榊「1本足・・・・・君はあの打法で僕のストレートを打った。そこから君を強く意識するようになったんだよ」

風で近くの竹薮が騒がしい音をたてて揺れる。同時に2人の髪もなびいていた。

尚史「懐かしい話ですね・・・・・」

榊「そうだね・・・・・」

2人の会話はそこで終わりを告げた。今あるのは、静寂のムードと街の景色だけ。周りに民家はおろか、人一人いない。

尚史「(唯・・・・・)」

唯との想い出。思い出せば思い出すほど、唯に会いたい気持ちは強くなっていく。過去の鎖は完全には解けていなかったのだ。

後悔しても意味がない。それぐらいとうにわかっている。わかっているが、今は頭の中には唯の思い出しか浮かんでこない。

楽しかった思い出からあの事件のことまでの全てを・・・・・。

両方の手首に付けていた水色のリストバンドと白色のリストバンドを外し、右手でギュット握り締める。

これは・・・・・唯がくれた最初で最後の贈り物。水色のリストバンドには、大部分が赤いシミで汚れていた。

これは、ペンキやケチャップといったものではない。そしてこれは尚史がつけたものではない。これはある事件によってついたものだ。そう、4年前の今日だ。









唯「尚史さんの馬鹿!

雲一つ見当たらない日曜日の空。昨日の雨が嘘のように晴れ渡る日の光り。だがここは日の当たらない路地。

そのせいか、水がバケツをひっくり返したように溜まっている。そこから怒鳴り声が大きく響き渡った。

馬鹿と言われた少年は必死な表情を浮かべながら、少年をなだめている。

尚史「違う!俺はそんなこと言ってない!

少女の両肩に手を置く少年。しかし、少女はその手を無理矢理ふりほどく。

唯「信じていたのに・・・・・もう顔も見たくないです!

肩まで髪を伸ばした少女が少年がいる方向とは逆に泣きながら走り始めた。少年も水たまりを蹴って、少女を追い掛ける。

尚史「(足が・・・・・重い)」

どんどん差が開いていく・・・・・。何でだ。毎日、ダッシュ50本やランニング5Kmとかやってる俺が、何で運動の苦手な唯に追いつけないんだ?

何で、こんなに息が上がってんだ?胸が苦しいんだ?おかしいだろ、そんなの。

唯「(信じてたのに・・・・・)」

涙をこぼしながら、狭い路地を走る少女。汗を流しながら少女を追い掛ける少年。だがその差は開く一方。少年は、ただ焦るばかり。

唯「尚史さんの・・・・・馬鹿ーーーーーーーー!!!

その言葉が俺の胸の苦しみを倍増させた。いや、俺の体力の減少や足の重みなどもだ。だがここで立ち止まるわけにいかない。

何故なら、もうすぐこの1本道の路地を抜けれる。抜けさえすれば、先回りして捕まえることができる。とにかく今は追い掛けるのだ。

少年は苦しさを堪え、少女を必死で追い掛ける。すると、その先に光が見え始めた。この狭い路地の出口だ。

尚史「(よし・・・・・!?)」

だが、ここで予想だにしないことが起きた。

唯「

少女の体が、軽く宙に浮いた。どうやらぬかるんでいた土に足を取られたらしい。少女の体はそのまま路地の外に投げ出された。

唯「痛・・・・・」

俯せで倒れている少女。腕に力を入れ上半身を起き上がらせる。膝からは真っ赤な血が滲んでいた。その膝を気にする少女。そのときだった。

唯「!?

フルフェイスのヘルメットに黒いジャンパー、そして青いジーパン。その男が自慢のエンジンを派手に鳴らし、赤いバイクでこの道路を激走してくる。

唯はちょうどそのバイクの一直線上にいた。

尚史「ゆ・・・・・」

唯。その言葉を言い切ることができなかった。そして、何が起きたかわからなかった。

ただ、わかることは赤いバイクが通ったことと、さっきまで倒れていた唯がいないこと。あまりにも突然すぎることで、ただその場で立ち尽くしていた。

尚史「・・・・・あ」

唯。唯はどこいった。何とか正気に戻れた俺は、すぐさま道路に飛び出し、まず右を見る。誰もいないし、特におかしな物はない。

次に、正面を見る。これも特に変化なし。残るは左。俺はおそるおそる、5度、10度と首を左へと向けていく。首が70度を向いたとき、靴が見えた。

80度のとき、もう一つの靴が見えた。90度と完全に左を向いたとき、電柱が赤く塗られていた。背筋が凍りつく。その下を見る。

変わり果てた唯がいた。言葉がでない。体が動かない。心臓が今までにないぐらい激しく動いている。

嘘だ。これは夢なんだと、脳が俺の心に訴えている。夢かどうか確かめるため、頬を抓ってみる。痛い。もっと抓ってみる。もっと痛い。

さらに抓ってみる。さらに痛い。これはどうやら現実・・・・・。それをやっと理解した。すると足がゆっくりと唯に向かって動き出した。

自分の意志ではなく体が勝手にだ。1歩、2歩と唯に近づいていく。近づくにつれて気のせいか、景色が暗くなっていく。あんなに天気良かったのに。

ちょうど8歩目ぐらいだ。電柱の前で足が勝手に止まった。下を見る。赤い水たまりの上に立っている。唯の作った水たまりだ。

ゆっくりと唯を起こしてみる。動かない。手を触ってみる。いつもなら恥ずかしがるのに、動かない。足を触ってみる。やはり動かない。

胸を触ってみる。キャ!と叫ぶだろうと予想するが、声も出さないし動かない。今度は俺の服を見てみる。

赤い液体がズボンに渡ってベッタリと染みついている。手を見てみる。赤ペンキで塗られたようになっている。やっと頭の中で理解できた。

理解できたのはいいが、ショックがでかすぎて体が動かない。胸がやたら苦しい。すると、いきなりぽつぽつと冷たいものが顔に当たる。

それに当たっているのは俺だけでない。唯も、電柱も、地面も・・・・・。その威力はどんどん増していく。

赤く塗られた電柱が少しずつ色が剥げ始めている。だが水たまりは、どんどん広がっていくばかり。しかし冷たい。

雨も道路も唯も・・・・・。なんで、なんでこうなったんだ。なんで・・・・・。

その疑問に答えてくれる人物なんていないことぐらいわかっている。でも、今は頭の中にそれしか浮かばない。

尚史「・・・・・」

今度は体に力が入らない。髪を伝って流れてくる雨を払う力さえもない。だが、頭は動いていた。

どうやら無意識のうちに空を見上げていたようだ。威力を増した雨が顔に当たって痛い。胸も苦しい。心も痛い。

尚史「ゅ・・・・・ぃ」

言葉を紡ぐが、震えた喉で言葉にならない。少女の体を触る行為を何度も繰り返す少年。

だが少女動かない。それでもまだやり続ける少年。もはや狂っているようにしか見えない。

尚史「ぁぁぁぁ・・・・・」

声にならない声を出す少年。彼の目から、雨以外のものが流れている。それが、ポトリポトリと少女の体に力無く落ちる。

中学1年にしては早すぎた別れ、残酷過ぎる現実を体験した結城尚史12歳のときであった。









尚史「・・・・・ん」

目を軽くこすり、意識を無理矢理覚醒させる。今までぼやけていた世界が少しずつ鮮明になっていく。

空には光の粒がいくつも輝き、月が世界を照らしている。街も色んな家からこぼれた光が集まって、地面を照らしている。

尚史のいる位置はどちらでもない。この街の景色が見える場所だ。

尚史「嫌な夢を見た・・・・・」

フゥと1つ息をついて、立ち上がる尚史。すると、肩にかかっていた何かが音をたてて落ちた。すぐそれに気付き、何が落ちたのか確かめる。

それは青色で、のりで固めたようにピシッとしており、半透明のボタンがついている。

それは白零大付属のブレザーだった。それを見れば誰がかけていってくれたか、一目瞭然である。

尚史「榊さん・・・・・ありがとうございます」

尚史は、また空を見上げた。月と星が世界を照らしている。1つ息を吸い込んで尚史はその場を後にした。









4年前、運命の歯車が動き出したことをこの少年は今も知らないでいる。




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