第13章
始まりのベル





尚史「・・・・・」

何かを振っているような音が暗闇に響き、そしてそれは暗闇に飲まれて消えていく。じっと腕を見つめ、そしてまた何かを振り始める。

その何かとは、白く、特にこれといった模様は入っていない布地の物。早い話、白いタオルだ。

尚史「一旦ここまでだな・・・・・」

ぽつりと呟き、今度は月を見る。丸い形をしており、神秘的な光を放ち、地上を淡く照らす。腕を軽く抑え、縁側に座った。

尚史が座った隣には、湿布と麦茶が置かれていた。尚史はまず、湿布を箱から取り出した。そして、透明なセロファンを剥がし、肘に張り付けた。

湿布の冷たさが電気が走るように、一瞬だったが、体全体に行き渡った。

正直、湿布はあまり好きじゃない。だが、冷たさがどうこう言っている場合じゃない。少しでも痛みを柔げたいのなら、ある程度の我慢も必要だ。

尚史「(たぶん・・・・・30球、いや、それ以下か。1人相手にそれだけ投げられば充分だ)」

そう言いながら、麦茶をゆっくりと口に含む。汗をかいているこの体に、今の麦茶はかなり冷たく、そして旨い。

尚史「(・・・・・もし痛み出したら、気合と根性でカバーするしかないな)」

麦茶を一気に流し込み、それが入っていたコップを縁側に置いて、またタオルを左腕で振り始めた。決戦の時は近いのだ。休んでなどいられない。

尚史「(首を洗って待ってろよ、榊さん)」

暗闇にタオルを降る音が生まれ、そしてそれは飲まれて消えていく。7月の夜。決戦前夜の事だった。









監督「部ができてからまだ1年しかたっていないというのに、よくここまで来れたもんじゃ」

白色の短い髪をしている老人がやや呆れながら呟いた。今日は、夏の大会決勝。それのせいか気温もいつもより高く、スタンドは完全に埋まっていた。

監督「まったく・・・・・頭が下がるわい」

今年の神城に、もはや敵はいなかった。軟投派の西条、速球派の一条あおいで相手打線を封じ込め、

打線の方でも、3番の一条あおい、4番の結城尚史の中軸は揺るがず、前後の打者達も生き生きと打ちまくる。

神城はわずか1年で、強豪に変貌を遂げていた。その変貌っぷりに白零大付属監督 沢垣は、やや驚いていた。

沢垣「一昨年まで女子高で、野球部もなかったところがこんなに強くなるなんて、誰が予想出来るかい。なぁ、キャプテン」

キャプテンと呼ばれた男がそうですね、と1つだけ返事を返した。キャプテンと呼ばれたこの男。

顔立ちが調っており、やや長い髪を持つ。彼の背番号は1。名は榊という。

沢垣「お前もすごいが、結城もすごい。この試合を打てば新記録達成なんだからな」

尚史は、ここまでの4試合で7本の本塁打を放っている。それも4試合連続。この4試合連続本塁打は、尚史の父親である武久が、3年の夏に作ったものだ。

もし今日、本塁打を放ったのなら、自分の親父の記録を塗り替える事となる。

さらに、尚史は2回戦で3打席連続本塁打を放っており、これは、平成13年 7月15日に阿南工業高校の日下陽が作った記録とタイである。

沢垣「・・・・・怪童君を止められる自信はどうだ?」

グラウンドをじっと見つめたまま、榊は、

榊「自信がなければ、鈴山にマウンドを譲ってます」

と言い、

沢垣「だな」

沢垣はフッと1つ息を吐いて、安堵の表情を浮かべた。









あい「よく寝てる・・・・・寝顔が凄く可愛い・・・・・」

あいの膝の上に、誰かの頭があった。前髪が長く、目にかかっており、そして目を閉じて静かに眠っていた。

理奈「はたから見たら、カップルにしか見えないね、真奈ちゃん」

真奈「そやな。公園辺りで、いそうな感じや」

あい「もう。理奈ちゃんと真奈ちゃん。私を冷やかさないでよ〜」

真奈と理奈の会話を聞いて、恥ずかしがりながらも、いつもの笑顔を浮かべている、あい。そこへ、割り込むようにして入ってくる妹のあおい。

あおい「うちのお姉ちゃんとこんな不良をカップルにしない!わかった!?

ビシッと2人を指差す。だが、2人はヒソヒソ話をしており、まったくあおいの話に耳を傾けようとしない。

あおい「聞いてるの!?

だが、2人は返事を返そうとしない。もっと近づいて言うべき。そう思ったあおいが、1歩前に出かけた瞬間。

理奈「あおいちゃんはあれだよね。あいちゃんのことを妬いてんだよね。典型的な嫉妬パターンだし」

あおい「な・・・・・」

1歩前にでたのではなく、1歩後ろへ後ずさるあおい。

真奈「雰囲気もええ感じやし、取られるとでも思ったんちゃうで?」

理奈「きっとそうだね〜」

理奈と真奈は2人して意地悪な笑みを浮かべている。意地悪をしていることぐらい、誰だって分かる。

分かるが、何故だか顔が暑くなり、体がほってってくる。理奈も真奈もそれに気付き、さらに意地悪を仕掛ける。

理奈「顔赤くなってる〜」

真奈「当たりみたいやね〜」

人にわかるほど顔が赤くなってるのか、恥ずかしいとしか言いようがない。

あおい「な、なんで私がお姉ちゃんに嫉妬なんかしないといけないの!私は、ただ・・・・・」

理奈・真奈「ただ?」

2人が、あおいの顔を覗き込む。

あおい「ただ・・・・・」

ただ。その先の言葉が出てこない。出てこないのは、たぶんまだ自分の気持ちに答えが出てないから。

ならば、嘘でも言えばいい。だが、自分は嘘をつくのは苦手だ。ならば、一旦逃げよう。それしかない。

あおい「・・・・・ちょっとトイレに行ってくる」

そう言って、あおいは奥の扉を開けた。その先には、緑色の床と古さを感じさせる薄汚れた白いコンクリートの壁で、包まれた空間が広がっていた。

あおいは、その空間へと消えていった。

理奈「・・・・・言い過ぎたかな?」

真奈「さぁ・・・・・」

あい「(あおい・・・・・?)」

ベンチには、ほろ苦い雰囲気が漂っていた。









鏡に向かって、自分を見つめる少女。真っ赤な顔で、何やらぶつぶつ呟いている。

あおい「僕、じゃなかった私は・・・・・彼が・・・・・絶対違うーー!

少女の叫びは、誰もいない廊下にむなしく響いていった。









沢垣「なんか・・・・・余裕ありまくりだよな、向こうのベンチ。膝枕してもらってる奴もいるし」

榊「・・・・・」

沢垣「盛り上がるのは勝手だが、今日が決勝戦ということをあいつら忘れてないか」

榊「・・・・・」

榊はただ黙っていた。









高橋「そろそろ並ぶよ」

真奈「キャプテンなのに、出番がほとんどなく、もはや忘れた人もいるのではないぐらい、

存在の薄いキャプテンが言ってることやし、そろそろ並ぶか」

長々と高橋のピュアなハートに、傷をつける説明ご苦労様。こちらが説明しなくてすんだ。

高橋「所詮僕は・・・・・」

もはや、高橋のお決まり文句と言えよう、1m以上あるロープを片手に取って、首に巻きつけ始めた。

佐々木「あほ!忘れた人もいるのはともかく、存在の薄いは言い過ぎや!せめて、影の薄いキャプテンあたりにしとけ!

篠原・西条「あほはお前だ!高橋をさらに傷つけて、どうする!

高橋の回りに、いつのまにか大きな水たまりが出来始めていた。相当ショックだったみたいだ。

篠原「・・・・・先に行くか」

西条「・・・・・そうだな」

高橋のどんどん広がっていく水たまりを後にして、審判が集まるグラウンドへと向かった。









尚史「あと5分・・・・・」

あい「起きてくれないよぉ〜。理奈ちゃんどうしよう?」

気持ちよさそうに眠る尚史を尻目に、泣きそうになるあい。いくらやっても、起きないらしい。だが理奈の顔は、余裕に満ちていた。

理奈「あいちゃん。こいつの起こし方はね・・・・・」

そう言って、鞄の中から1冊の小さなノートを取り出した。表紙には、尚史の秘密帳と書かれていた。

理奈「尚史の秘密その1!尚史の携帯のminiSDカードには、たくさんのも」

も、その言葉の先を理奈が口走る前に、尚史は飛び起きた。そして、理奈に歩み寄る。その間、わずか0.3秒。

尚史「お前、いつ人の携帯覗いた・・・・・」

尚史が、半分怒り口調で聞いて、

理奈「さあね〜」

理奈がとぼけた返事を返した。

理奈「そんなことより、さっさと並ばないとまずいんじゃない〜?」

尚史「クッ!仕方がない。行くぞ」

理奈「アイアイサ〜」

2人は帽子を被り、ベンチを飛び出すようにして、審判、白零、他の神城部員が待つグラウンドへ向かった。




審判「両校整列!




これから始まるのだ。




審判「これより、神城高校と白零大付属の決勝戦を始めます!」




この夏で最も熱く、最大のドラマが待ち受け、そして、




審判「互いに礼!




人々の記憶に刻まれる試合のベルが、




おねがいします!




今、音を立てて、始まりを告げた。




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