*「現在グラウンドの整備を行っております。あと3分ほどお待ち下さい」
徳島県、夏の地区予選決勝。創立1年目の神城高校対強豪の白零大付属高校。現在5回裏を終了して、1-0の神城高校が1点リード。
この試合、両軍合わせて僅か2本のヒット。そのうちわけが、神城2本、白零0本。そのうち1本がホームランである。
果たして、この1点に泣くのか、あるいは逆転して笑うのか。それは運命の神だけが知る。
尚史「やばいな・・・・・」
ある個室で上半身裸の少年が呟いた。その少年の両肩と肘には、湿布が何枚も貼られている。少年は右肘を抑え、それを優しく揉んだ。
しかし、それでも痛いのか、少年の表情が歪む。回りには、スチール製の大きな箱が、いくつも並んでおり、その中には、ハンガーがいくつもかかっていた。
それ以外は、特に何も置かれておらず、あるとすれば、小さな窓がついているぐらいだった。少年が、鞄から何やら四角い紙らしきものを取り出した。
裏が少し汚れてはいるものの、表は綺麗で、汚れ1つなかった。そしてそれには、2人の男女が写っていた。
1人は、無愛想な表情だが、頬がやや赤くなっている少年と、もう1人は、トマトみたいな真っ赤な頬をしているが、
とても楽しそうな笑顔で、少年の腕に抱き付いている少女が1人。この少年の名は、結城尚史。今、この写真を見ている少年だ。
そして、抱き付いている少女の名は、榊唯。尚史の好きな娘であり、今戦っている、白零大付属のエースの榊柊の妹でもあった。
唯は、尚史より1歳年下で、高校1年生である。尚史と同じ学校にも通っている。ただ、それは生きていればの話。
僅か12・13歳という短い生涯を、ある残酷な事故で終えている。その瞬間を尚史は見ている。本人は2度と思い出したくないそうだ。
尚史「唯・・・・・頼む。この試合だけでも、もたせてくれ・・・・・」
尚史は、揉んでいた肘を、ギュッと握り締めた。 痛みが走り、尚史の表情はさらに歪む。それでも尚史は、さらに強く握り締める。
自分でも何がしたいかわからない。でも今は、こうすることしか思い浮かばない。馬鹿なのだろうか。そんな考えが頭に過ぎる。
尚史「俺は・・・・・一体何をしたんだろうか。なあ・・・・・神さんよ」
尚史がぽつりと呟いた後に、球場がいきなり騒がしくなった。尚史は、小さな窓から覗いている太陽を5秒ほど見つめ、そして着替え始めた。
*「7回の裏、白零大付属の攻撃です。1番 ライト 大神君」
6回の表。神城高校は、8番、9番、1番と、下位打線から上位打線に繋がる打順だったが、榊の前に呆気なく3者三振に打ち取られて、攻撃を終えてしまった。
だが、尚史が取った1点の影響は、あおいの調子に大きく影響していた。この6回になんと、7番、8番、9番を3者連続3球三振で抑えたのだ。
これであおいの取った奪三振は、6回を終えて12個に達した。しかもまだ、白零打線にヒットはおろか、四死球、エラーすらない。
つまりノーヒットノーランを越える、パーフェクトピッチング。この試合のあおいの調子なら、このままパーフェクトを達成できるのではないか。
だが、そう白零打線はそう甘くはなかった。
(キィィィン!!)
実況「入ったー!一条のパーフェクトを打ち砕く1発!白零大付属。大神の1発で同点!1-1!」
大神は、あおいが投じた内角低めのストレートをうまく捕らえ、レフトポール際に、ギリギリ運んだ。
この1発により、ノーヒットノーランも完封もなくなってしまった。
真奈「(パーフェクトが・・・・・。いやそれよりも、あおいちゃんの方が心配や。ショック受けてないやろか)」
真奈がマスクを取ってマウンドへ向かおうとした。すると、下を向いていたあおいが、顔を上げた。
その表情はどこか清々しかった。あおいは特に気にしなかった。むしろ自分を褒めていた。
あおい「(あの白零大付属相手に、ここまで完全に抑えれたんだから、上出来よね。むしろ、打たれてよかった気がする。
・・・・・1点あげちゃったけど)」
あおいは、ロージンバックを手に取り、動揺していない自分の気持ちを落ち着かせた。そして、次の打者に集中する。
*「2番 セカンド 柳田君」
あおい「(これ以上、点はやらないよ。いくよ!真奈ちゃん!)」
しかしこの後、あおいはこの打者にカウントツースリーからファアボールを与えてしまう。原因は、点をやらないという力みからであろう。
*「3番 キャッチャー 南山君」
バットを片手に担いで、南山がバッターボックスに入った。真奈がマスク越しに、南山をチラリと見る。
真奈「(笑っとる・・・・・?)」
南山の表情から、暗さというのは感じ取れないが、真面目にやっているというのも感じ取れない。これでは、何を狙っているかはわからない。
真奈は、表情から読み取るのを諦めることにした。しかし何故、南山はこんなにまで笑っているのか。
その答えは、相手に何を狙っているか悟られないため。そんなことが分かるキャッチャーなんてあまりいない。
だが、このキャッチャーは、何か分かられそうな気がした。
南山「(俺は、あの球だけを狙ってる。そう・・・・・)」
投球モーションに入ったあおいの投じた第1球目。145k/mのストレート。だがそれにしては、勢いがない。それが南山の狙い球。
南山「(そのスクリューをな!)」
内角をえぐるようなコースから、ボールは斜めに落ちた。それを南山は、大きく内側に踏み込み、打ちに行った。
(キィン!)
あおい「!」
打球は二遊間。ややセカンド寄りに飛んだ。普通なら捕れる球だが、打球スピードが異常に速く、守備の得意なあの高橋も、ほとんど動けずじまいだった。
そして打球は右中間へ。打球の勢いは変わらない。、ライトの黒崎も必死で追い掛けるが、間に合いそうもない。
もしこれが捕れなかった場合、3塁打は確実となる。
黒崎「(ゴロでフェンス直撃などさせてたまるか!)」
黒崎は自分の腕を限界まで、伸ばして捕りにいった。しかし僅かながら、打球が勝り、抜けていった。
黒崎「チィ!」
誰もがフェンス直撃を確信した、まさにそのとき。
理奈「まだですよ!」
駿足をかっ飛ばして来た理奈のグローブの中に、打球がしっかりと納まっていた。
理奈「高橋君!」
素早い動作で、理奈がセカンドの高橋におもいっきり返球する。その間に南山はスタンディングで2塁、柳田は3塁へ。
あおい「(よくスクリューを捕らえれたわね。ストレートと勘違いしてもおかしくなかったのに)」
普通145k/mとなれば、ストレートと誰もが思うはず。しかし、南山には通用しなかった。それは何故か。その球の特徴を掴んでいたからだ。
南山「(あのスクリューは、球速はあっても、ノビがぜんぜんない。流し打つにはもってこいだ)」
しかし、その弱点をあおいも真奈も尚史も知らない。だが真奈は、スクリューを捕らえられたことよりも、今のあおいの球に疑問を抱いていた。
真奈「(今の球・・・・・気のせいか、キレがなかった気がする。球速はあってもキレがなかったら、変化球はあんま意味ないからなぁ)」
できれば気のせいでいたい。真奈はそう思いたかった。
*「4番 ピッチャー 榊君」
榊が左打席に立った。肩にバットを乗せたまま、あおいが投球モーションに入るのを待つ。サードを守っている尚史は、やや前に出て来た。
いくら4番打者とはいえ、やはり1点がポイントになるこの試合では、4番のスクイズも考えていい。真奈もそれを考えていた。
真奈「(ただし、外すことはせーへん。ストライクからボールになる球で、騙すんや。この方が、スクイズをやってくる可能性が高い・・・・・と思う)」
真奈は、ミットをやや内角低めに構え、スクリューのサインを出した。
ここで落ちる球を要求するのもどうかとは思うが、それは体を張ってなんとしてでも止める覚悟で真奈はいる。
それぐらいしないと、白零には勝てないと、悟ったからだ。
尚史「ここを抑えれるかで、今後の流れが決まるな」
あおいが振りかぶって、第1球目。構えた通りのやや内角低めの球。
真奈「(当たったで!やっぱスクイズやった!)」
サイン通りであれば、ここからさらに内角へと食い込む変化をする。それもその通りにいき、斜めに食い込むようにして落ちた。
だが榊は、初めから下の方にバットを水平に構えていた。斜めに落ちた球が、コツと音を立てて転がった。
白零にとっては最悪で、神城にとっては最高の位置に打球は転がった。そう、キャッチャー前に転がったのだ。
真奈はすぐさま打球を素手で捕り、突っ込んでくるランナーにタッチをしに行く。
真奈「いただきやで!」
勢いよくボールを持った手を、南山の背中に当てた。すぐさま審判の腕が動く。
審判「アウト!」
その間に榊は1塁へ到達しており、セーフ。セカンドランナーの柳田は、そのまま2塁に残留。
結果、場面は無死2・3塁から、1死1・2塁に変わった。そして次の打者を迎える。
*「5番 センター 真野君」
真野「さあ、来い!」
真奈「(えらい声も、腕にも力が入ってるな〜。こういう打者にはこれでどーや?)」
あおい「(ホンマかいな?・・・・・言葉が移っちゃった)」
そんな感じで第1球目。低めの力を抜いて投げたスローボール。力んでいる選手には、かなりの効果を発揮するだろう。力んでいればの話だが。
真奈「(セーフティやと!?)」
真野はこれを狙っていた。つまり真野は、力んでいるフリをしていただけなのだ。
それも予定通り打球も1塁線に転がっている。これでは3塁へ投げることはできない。
尚史「あおいちゃん!ファーストだ!」
尚史に言われた通り、あおいは1塁の佐々木へと軽く投げた。
あおい「あ・・・・・」
自分の目に、今とんでもない光景が映っている。信じたくない。同点ホームランを打たれても、珍しく冷静になれていたはずだった。
何故こういうことになったのか。自分の頭に問い掛けても、答えはいつまでたっても出なかった。いや、出るはずがないのだ。
*「白零大付属!一条の痛恨のエラーの間に2点勝ち越し!3-1」