第21章
ガラスの怪童





沢垣「やれやれ。怪童は何をやらせても怪童ってか?たまらないな」

ベンチで足を組んでいる短い髭が目立つ男が、小さく呟き、そして苦笑した。無理もない。

自慢の重量打線が下位打線とはいえ、2者連続3球三振、それもストレートだけで完全に抑えられてしまったのだから。

沢垣「この回、2点入ったのが幸いしたな。まずあいつから点を取ることは不可能だろう」

7回で1点差はまだ心配だが、7回で2点なら安心できる。それに、榊がいる。結城にホームランは打たれたものの、神城打線には、まだ2安打しか許してない。

さらに相手は、5番打者が交代したため、打線に穴が出来ている。勝てる確率は、かなり高い。ただ流れさえ向こうに行ってなければの話だが。

沢垣「(流れ・・・・・些細なプレーで、おかしくしてしまうことがある。それが起きなければいいが)」

白零は打撃だけではない。守備にも定評があるチームで、決勝も合わせて5試合、チームのエラー数は0。

ファインプレーも断トツに多い。だから大丈夫、安心できる。そうわかっているのに、何故か胸騒ぎが止まらない。


(キィン)


南山「センター!

考え事をしているうちに、8回の攻撃が始まっていたようだ。センターの真野が落下点で構えている。どこをどう見てもセンターフライ。

真野「あ・・・・・」

になるはずだった。だが、真野はそれを落球してしまい、余計なランナーを出してしまった。

沢垣「(イヤな予感・・・・・)」

まさにその通りであった。次の打者の高橋は送りバントを誤ってキャッチャー前に落としてしまう。

しかし南山が握り損ない、大暴投にはならなかったものの、送球が逸れてしまい、ノーアウト1、2塁となった。

この回だけで、エラー2つ。これだけでもピンチだが、それははまだ続いた。

武光「な!

篠原が打った打球は、ショート 武光の真っ正面。

しかし手前で跳ねたとき、妙な回転がかかったせいで、打球が武光のグローブの横をわずかに掠めて、センター前へと抜けていった。

武光「(あんなイレギュラーバウンド、誰が予測できるんだよ)」

地面を勢いよく蹴り上げた。ザッと音を立てて、砂ぼこりが弱い風に吹かれ、武光の視界から消えた。

しかしよく考えれば、予測できないバウンドだからイレギュラーバウンドか、と妙に納得し、さっきまでの怒りを静めてしまった。

沢垣「(まさか全てアウトになるはずの打球が、セーフになるとはな)」

沢垣は苦し紛れに笑っていた。いや、沢垣だけではない。今1番苦しいはずの榊も笑っていた。

苦し紛れというのを感じさせない。まるでこの状況を楽しんでいるようだ。まあ実際そうなのだが。

榊「(これだから野球は面白い。ますます僕を燃えさせてくれる)」

榊は堂々と振りかぶった。あのいつもの変則フォームは、この暑さでも、100球を越えようとも変わらない。

そして当然ながら、握力もまったく落ちていない。その証拠に、今投じたストレートは153k/mを記録した。

バッターから見れば、158k/mぐらいに見えているかもしれない。それぐらいよく球が伸びているのだ。

南山「(セーフティスクイズ!)」

しかし、榊の球にそんな小細工が通用するはずかなかった。金属バットの上っ面に当たり、妙な音ともに打ち上がった。

黒崎「(やばい!上げちまった!)」

このチャンスを生かして、少しでも点差を縮めたい。しかし下位打線で、あの榊からヒットを狙うのは難しい。

事実、佐々木の2塁打と尚史の本塁打の2安打だけである。ならばスクイズで勝負を賭けるしかないなかった。

だが、俊彦が予想外だったのは、この場面の榊の球威がさらに上がっていることだった。

監督「(やばいのぅ。2つ、いや3つ取られるか)」

予想通りだった。榊は、フワッと上がった打球を体で受け止めて、わざと落とした。

慌てて戻ったランナーは、また慌ててスタートを切った。しかし時既に遅しであった。

榊「南山!

榊から南山へ。これでワンアウト。

南山「ファースト!」

南山からファーストの谷守へ。ツーアウト。

谷守「セカン!」

谷守からセカンドの柳田へ。タイミング的には厳しかったが、先にグローブの中に白球が納まりアウト。

審判「アウトー!スリーアウトチェンジ!

南山「助かった・・・・・」

榊「流石に僕もハラハラしたよ」

嘘をつけ。その言葉が出かかったが、何とか飲み込めた。

尚史「(榊さんはこの状況を楽しんでいた。あの人は凄いピンチになればなるほど楽しむようになって、潜在能力を引き出すようになる)」

どんなピンチも楽しむ余裕のある心。それが高校界最強投手たる由縁だ。

尚史「(かなりやばいな・・・・・)」

最終回は9、1、2番と上位打線に繋がる打順。尚史に回るには、最低2人は出なければならない。

これがピンチ以外何があるだろうか。そのとき、ある言葉が浮かんだ。

尚史「(メーク・ミラクル・・・・・)」

それは、ミスターが巨人監督時代に使った言葉。その言葉通り、巨人は首位と11.5ゲーム差を跳ね返し、優勝したのだ。

その言葉通り、まだ諦めてはいけないのだ。諦めなければ、どんな闇の中でも光が見えてくる。諦めなければ闇はさらに濃くなるのだ。

尚史「(Make miracle)」

その言葉を胸に、グローブを持って、マウンドへと向かった。太陽はまだ地上を暑くしていた。









尚史「(ガラスの左腕起動っとこか)」

まあ、右もガラスなんだが。そんなことを思いつつ、右にグローブを嵌めた。

ふざけんな!

右で抑えたからって、左で抑えれるとでも思ってんのか!

相手を誰だと思ってやがる!ナメるな!

左で投げるということに対して、白零ベンチからうるさい野次が飛んできた。だが、ここはあえて無視することにする。

どうせ嫌でも、押し黙ることとなるだろう。・・・・・ただどれくらい球速が出るか、知らないが。

真奈「(やっぱ右で投げるように言うべきやろか)」

ああでも、もう遅いわ。振りかぶってるもん。今やったら、ボークになるわ。ランナーおらんけどな。しかも、ノーサインやし。せっかちやわぁ、もう。

尚史「(・・・・・そういやノーサインだったな)」

実はこの2人、ノーサインどころか、サインすら決めてなかった。当然ながら、7回もサインを決めていなかった。

なのに真奈は、尚史のストレートやカットボールを、何事もなく捕っていたのだ。あらためて、凄いキャッチャーである。

赤谷「(打って、左で投げたことを後悔させてやる)」

打って後悔させる。その言葉が、現実になることはなかった。いや、逆に後悔したかもしれない。こんな恐ろしいピッチャーを野次っていたなんて・・・・・と。

尚史「うし・・・・・絶好調」

赤谷「は・・・・・」

真奈「大丈夫ですか?立てます?」

真奈が心配そうに声をかけた。そして、やっと腰を抜かしている情けない自分に気がついた。

赤谷「え?・・・・・ああ、大丈夫・・・・・」

赤谷は、素早くバットを拾い、打席に立った。しかし、明らかに覇気は無くなっていた。こうなると、赤谷ができることはただ1つ。

審判「ストライクアウト!」

打席にただ立つことだけだ。

武光「・・・・・」

次の打者、武光もそうすることしか出来ず、呆気なく三振。1番に返り、大神はなんとか3球ほど粘るものの、結局ど真ん中ストレートを空振り、3者連続三振。

前へ飛ばさすことなく、そしてあおい、榊も出したことがない155k/mの記録を残し、尚史はマウンドを降りていった。









和木「(死んでも塁に出る!)」

9回の表。MakeMiracleの旗を掲げ、神城の最後の攻撃が始まった。




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