あおい「う、う〜ん・・・・・」
すごく怠そうに言葉を唸らせ、暑さでやられた体を起き上がらせた。だが自分の体の異変にふと気がついた。
あおい「怠く・・・・・ない」
先程まで、あれだけ怠かった体はなく、何の病気も害もない健康な体そのものだった。さらに回りの景色の変化にも気がつく。
あおい「ここは・・・・・どこ?」
僕はたしか、医務室のベッドで寝ていたはず。しかも熱中症になりかけだったはず。
なのにジャンプしても、軽く肩を回しても、欽ちゃん走りしても、特に異常がない。
しいて言えば、服装がユニフォームではなく、なぜか制服であるぐらいだ。
あおい「夢なのかな?」
頬抓れば、これが夢か現実か1発でわかる。でも、もう少しこの世界でいたい気がする。
あおい「それにしても・・・・・何もないね」
花、木、川や動物といったものが存在しない世界。あるのは、空に浮かぶ真っ白な雲、髪を優しく撫でるような風、世界を照らす太陽。
そして短く生え揃った、緑色の高原。そんな所に自分はいるのだ。
あおい「あっちへ行ってみよう。何かあるかも・・・・・」
せめて川ぐらいあったらなあ、と思いつつあおいは北の方角へと歩き出した。だが10分後・・・・・。
あおい「何もない・・・・・」
景色は何も変わらなかった。髪を撫でる優しい風や、無限に広がる高原や、世界を照らす太陽など、それらは形も変えずに同じ場所に存在している。
きっと、このまま歩き続けても同じ景色が続くだけだと容易に想像がつく。
あおい「はぁ・・・・・疲れちゃったよ」
ペタンとその場に座込み、ため息に近い息を吐いた。そして、その場に大の字で寝転がる。
あおい「あ・・・・・」
あおいは言葉に詰まった。自分の目に映ったもの、空に広がる青い海、白い大地が飛んでいる景色が、爽やかで美しかったからだ。
あおい「空って・・・・・こんなに青いんだね・・・・・。なんか・・・・・ちっちゃいときに戻った感じ」
自分からこんな台詞が出てくると思うと、何か笑ってしまう。
あおい「・・・・・青いね」
?「いや白ね」
あおい「へ?」
なんか今、人の声がしたような気がする。同時に、自分の心臓の鼓動が早くなったのがわかる。
聞いたことない声なのに、どうしてこんなに心臓がドキドキしてるのだろう。
例えるなら、なんか・・・・・感動の対面をする前みたいな感じ。とにかく見てみよう。見ない限り何も始まらない。
あおい「(・・・・・よし!)」
心の準備を終えたあおいは、声のする方へ恐る恐る向けてみた。そこに映った人物は・・・・・。
南山「(流石、決勝まで残るチームだ。1人1人が4番まで回そうと、捨て身で来てやがる)」
このまま榊がスイスイと投げ切る。ここにいる誰もがそう思っていた。
だがこの回先頭バッターの和木が、初球の内角をえぐるようなストレートをわざと大きく踏込み、当たりに行った。
その結果、見事デッドボール。しかしその代償は大きく、和木の左肘は真っ赤に晴れ上がり、和木も苦痛の表情を浮かべていた。
榊のストレートに当たりにいけば、こうなることぐらい予測できるはず。
和木「(これで何とかなりゃいいが・・・・・)」
和木はここまで3三振で、まったく役に立っていなかった。だからこの回は、和木なりに賭けていたのだ。
暑さで倒れたあおいのために、情けなく三振するわけにはいかなかったのだ。
しかし痛い。あの速球を食らったから、ヒビが入っているかもしれない。そんな苦痛の表情を見兼ねた、控えの小太りの太田が話し掛けて来た。
太田「和木・・・・・大丈夫か?代走いるか?」
代走。そんな手がまだあった。これなら、ここでしばらく痛い思いをしなくてもすむ。ベンチで、いや医務室で治療することができる。だが・・・・・。
和木「大丈夫。一条先輩に比べたら、全然大丈夫だから」
一条先輩が、熱射病(?)にかかり、意識が朦朧としてベンチに戻らないとやばいのに、エースの意地でまだ投げようとした。
それなのに、デッドボールごときで医務室なんて行けるわけがない。弱音を吐かない。そうすれば流れを引き寄せることができる。そんな気がする。
*「1番 キャッチャー 佐々木真奈さん」
真奈「ドカンと1発いくでー!」
真奈はバットを1度スタンドに向け、それから肩にそれを置いた。南山がその様子をマスク越しに見ていた。
南山「(9回の表、2点差でノーアウト1塁。送りバントがないとは否定できないが、この1番はパワーヒッターだ。
さっき吠えてたように、自分で同点にしようとするに決まっている)」
じゃあどうするか。当然あれしかない。パワーヒッターで、短気な相手に通用する球。それは・・・。
南山「(たぶん初球から狙ってくるでしょう。だから高めに抜いたボールを下さい)」
榊「(泳がせて、ゲッツー狙いか。ただ、嫌な予感もするが・・・・・)」
この回、先頭バッターの和木がわざと当たって、デッドボールで出塁している。
またどんな手を使ってくるかという不安もないとは言い切れない。しかし、ここはキャッチャーの勘を信じたいと思う。
榊「(とにかく僕は、思い切り腕を振るだけさ)」
そう思った榊は、笑顔のまま首を縦に振った。榊は、スローボールと悟られないよう、ストレートと同じ腕の振りで第1球目を投じた。
内角高めのボール球。わずかに外れているため、これを芯で捕らえられてもファールになる。
南山「(よし、完全に泳いだ!)」
南山の考えた通り、真奈の体がぐらついている。必死で堪えているのだろうが、無駄なあがきでしかない。それが本当に泳いだのであれば。
(コン!)
南山「(バントだと!)」
打球は3塁線に転がった。送りバントはないと思っていたサードの柏木が慌てて前へ出てくる。
しかし、1歩後ろへ下がっていた分、捕球が遅れた。当然どこにも投げられず、ノーアウト1・2塁となった。
真奈「(ホンマはヒッティッングのサインやったんやけどな〜)」
やけど、どの道私は、後ろに繋げてかなあかんしな。ここでゲッツーになって流れ切ってもうたらら洒落にならんし。あとは兄さんに任せますか。
*「2番 ファースト 佐々木守君」
佐々木「ええ場面でワイに回ってきたな。まさに雲泥の巡り会わせってやつやな」
お約束の軽いボケをかましながら、佐々木がバットを担いで、打席に入った。そしてすぐに監督 俊彦を見る。
佐々木「(監督。ここはどないしますか?)」
監督「(むぅ・・・・・)」
ここでは普通送りバント・・・・・と行きたいところだが、チーム2安打のうちで、その1本を放っているのは佐々木だ。打たせてもいいという手もある。
監督「(仕方がない。ここは追い込まれるまでヒッティングで、追い込まれたらバントじゃ。
失敗しても構わん。とにかく川上、結城に回る前に、1点は最低返したい)」
俊彦は、帽子の鍔や肩を触って、サインを出す。佐々木はそれに黙って頷いた。
南山「(こいつは・・・・・際どいところやクソボールは確実に当ててくる。でも何故か甘い球は見逃したり、空振ったりしていた。もしかしたら・・・・・)」
南山はど真ん中にミットを構え、ストレートのサインを出した。この状況で、ど真ん中ストレートというサインを出され、流石の榊も戸惑った。
榊「(ど真ん中のホリィボールならまだしも、ど真ん中ストレートは、流石に危ないぞ)」
榊はこのサインに首を振った。自分のストレートに自信があるといっても、今の神城打線なら、内野手の間を抜くぐらいの技術はある。
それでタイムリーとなれば、それこそまずい。しかし、南山はサインを変えようとしなかった。いくら榊が首を振っても、変えなかった。
榊「(南山・・・・・)」
南山のマスクの奥に強く光る眼。普段は見えないが、何故か榊は、今それが見えていた。あれを見れば、言葉でなくとも何を言いたいかわかる。
榊「(わかった・・・・・お前の勘を信じよう。その目を見ては、これ以上首を振れない)」
榊が首を縦に振る。肩に置いていたバットを、体の前で軽く寝かせて構える。南山がミットを突き出すように構える。
榊が投球モーションに入る。長い腕を目一杯しならせ、ボールに強烈な回転をかけて投げた。
風を切るようなストレートは、寸分狂わずにど真ん中のコースを突き進む。
佐々木は薄笑いを浮かべ、そのストレートに対して、バットを長く持って、フルスイングで打ちにいった。
佐々木「(結城はんみたいにライバルやない奴でも、こないして物凄い球を投げてくれるその心意気買ったで!)」
金属バットと白球が触れ合う。球の重みが、バットを通じて浸透してくる。
佐々木「(いけやー!)」
(キィィィン!)
榊「!」
南山「(ど真ん中を打っただと!?)」
打球はファーストの谷守の頭上。榊の速球と佐々木の全身全霊の力でフルスイングしたため、弾道こそ低いものの、打球の速度は尋常ではなかった。
佐々木「抜けろー!」
ファーストの谷守が、素早い反応で、弾丸ライナーに飛び付いた。
(バシッ!)
グローブの渇いた音が、球場内に響き渡った。先程の打球はライト線には落ちず、代わりに谷守のグローブに納まっていた。
審判「アウト!」
まだこれだけでは終わらない。運の悪いことに、谷守が飛んだ場所は、ファーストベースの上。このまま着地さえすれば、一気にツーアウトなのだ。
真奈「(あかんて!踏まんといてや!)」
軽目にリードを取っていた真奈だが、守の打球速度が早すぎて、一瞬反応できなかった。そのため、塁への帰還が遅れたのだ。
谷守「(これでツーアウトだ!)」
ヘッドスライディングで慌てて帰還する真奈。しかし、谷守の着地が僅かに早かった。
審判「アウトー!」
真奈「(さ、)」
佐々木「(最悪や・・・・・)」
神城高校にとって、最悪の展開となった。ノーアウト1・2塁が、一気にツーアウト2塁。
尚史に回るには、理奈が出ないといけない。しかし、その理奈も流石にこの場面では、緊張の色がはっきりと出ていた。
理奈「(体が震えてる・・・・・。止まらないよ。どうしよう・・・・・)」
打席に向かおうと、バットを握ろうとするが、手が震えているうえに、力が入らない。
審判が早く来いと、目で合図を促しているが、理奈はそれに気がつかないでいた。
尚史「理奈」
理奈「尚史・・・・・私じゃ無理だよ。自信ないよ」
尚史「・・・・・」
無理もない。ツーアウト2塁。4番になんとしてでも繋いでくれと願うチームからのプレッシャー。
自分がアウトになった時点で、負けが決まってしまう重いプレッシャー。さらにその相手は榊さんだ。
こんな小さな少女(高校1年だが)1人で、こんな多大なプレッシャーを背負うのは酷過ぎるかもしれない。
ならば、俺が少しでもそのプレッシャーを和らげてやろう。
尚史「悔いを残さないようなフルスイングしてこい。三振したって誰も責めやしない」
理奈「尚史・・・・・」
尚史「誰かが文句を言ってきても、俺が守ってやる。だから、気にせず行ってこい」
理奈は黙って頷き、バットを力強く握った。その手に震えはもうない。あとはあいつ次第だ。
尚史「(理奈・・・・・頑張れ・・・・・)」
さっき言わなかった言葉を、心の中で小さく応援の言葉をかけた。
南山「(嫌な場面だ・・・・・)」
榊「(ああ・・・・・)」
今回の理奈は、イチローモードだった。その証拠に、右袖を軽く左腕で引き、バットを投手に向ける仕草を見せている。
殿馬モードよりもこちらの方が厄介と思われる。
理奈「(ここはもう野手の間じゃなくて、上を越えるしかない。でもホームランはダメ。ランナーがいる方が良い流れが続きやすいし)」
さらに理奈は、バッターボックスの1番後ろに立った。球筋をギリギリまで見るためである。
南山「(・・・・・今、また妙な気持ちになった。緊張感のない男なのか、俺は)」
なんか複雑な気持ちになる。こんな場面に落ち込んでどうする。・・・・・とにかくリードをしないと。
榊さんの球をより早く見せるリードでいく。だから初球は・・・・・。
榊「(より早く見せるのに、初球はあれか。・・・・・まあいいだろう)」
縦に1回頷き、投球モーションに入った。セットポジションからの第1球目。内角高めのストレート。
しかし、内角すぎてこのままではデッドボールは免れない。しかし理奈は、それに構わず足を振り上げて、打ちに行った。
理奈「(これはストレートじゃない。ストレートに見せかけたホリィボールよ!)」
理奈の思ったとおり、手前で急激にブレーキがかかり、鋭く縦に大きく割れるようにして、変化した。
理奈は振り上げた足を、大きく前へ踏み込み、ボールの軌道を予測して、バットを出した。
ボールが、叩きつけられ、派手な金属音を響かせながら鋭く舞い上がった。
南山「セカンド!」