第1章
新たなる始まり





絵に描いたような青く広がる空。黄金色に輝き、地上を照らす太陽。さらに蝉の鳴き声が、どこにいても聞こえてくる。季節は夏の真っ盛り。

晴れるのはいいが、自然は加減というものを知らない。たまには雨ぐらい降らして、水不足で騒いでいる人たちを黙らせてほしい。

あんまり柄に合わないことを思っている少年が、めんどくさそうに木陰で寝返りをうった。

尚史「・・・・・こう暑くちゃ、やってられないな。人前でカツラがズレたぐらいやってられない」

まったく意味不明なことを思いつつ、また寝返りをうった。

尚史「つーか、暇だ」

正直な話、やることがないから近くの河川敷きに昼寝をしに来てるだけである。正確に言えば、やることがなくなってしまったからだが。

尚史「まさか、こうも暇になるとは思わなかったな」

やることがなくなったのは、今から大体1週間前。あの試合の日からだ。あの試合の後、担架で病院に運ばれて行った。

左肘と右肘、さらに右足の酷使により、入院を余儀なくされた。主治医から聞いた話によると、あの状態で立っているのは奇跡だと言われた。

普通なら痛みでとても立っていられないらしい。実際のとこ、2日間眠り続けていたし、あの9回のマウンドのことも、一切記憶にない。

また右足は、マウンドに倒れた方が悪かったのではないかと言われた。まあ右足は軽い捻挫だったらしいが。

ここまで主治医は、何故か笑いながら診断結果を言っていた。もしかしたら、あれは苦笑いだった気もするが。

しかし、流石に左肘と右肘の話になると、真剣な顔付きになった。診断結果じゃない言葉も、その場の雰囲気も重苦しいものとなる。

とにかく主治医の発する言葉には、何事にも耐え難い重苦しさがあった。その雰囲気から、大体何を言うのかわかった。

元々、主治医が部屋に来た時点で覚悟していた。案の定、主治医の言葉は、予想通り的中した。どういった怪我名かは覚えていない。

覚えているのは、主治医の真剣な顔付きと隣にいた理奈の目一杯に涙を溜めていた、あの悲しそうな表情ぐらいだ。

尚史「右肘と左肘の酷使で野球は2度と出来ない・・・・・か」

考えてみれば、俺から野球を取ったら、何が残るだろうか。時間を潰すことだけで、無駄な人生を送るのだろうか。

または、平凡な大学行って、平凡なサラリーマンになって、平凡な人生を送るのだろうか。

どのみち、野球というものが無くなった時点で、俺に日が当たることはない。

尚史「しかし暑いな」

尚史は、木漏れ日に目を細めて、上半身だけ軽く起こした。樹木の葉緑が風に揺られ、静かに音を立てる。

軽く欠伸をした後、尚史は、目の前に静かに流れる河を眺めていた。









真奈「なあ、兄さん」

バットを肩に担いだ真奈が、兄の守に話し掛けた。素振りをしていた守は、真奈の言葉に反応し、バットを止めた。

佐々木「何や、真奈」

流れてくる汗を、首に巻いてあったタオルで拭き取る。しかし、拭いても拭いても、汗は止まらなかった。

真奈「あの試合以来、皆気合入っとるよなぁ。何でやろ」

166cmの真奈が、170cmの守を軽く見上げるようにして、疑問を話した。守は1分ほど悩み、そしてそれに答え始めた。

佐々木「合宿っていうのもあるんやろうけど、やっぱりあの試合が悔しかったんちゃうで。

結局ヒット打てたんは、ワイと真奈と結城はんの3人だけやったからな」

流れてくる汗を気にせず、守は真奈を見ていた。真奈は、なるほどと言ったような顔で、相槌を打った。

真奈「そうやろな〜。じゃあ、私らも気合を入れて頑張ろうや」

佐々木「そやな」

話が終わった後、真奈の顔には笑顔、守には微笑みが浮かんでいた。

佐々木「(確かに、気合入っとるわ。よっぽどショックやったんやろうな)」

夏の大会が終わって5日後、神城野球部は去年と同じ、客がいないのにまだ営業している旅館に来ていた。

目的は2人の会話の中にあったように、強化合宿である。部員も1年のときと比べると多くなっているので、遥かに賑やかである。

尚史がここにいれば、もう少し賑やかになっていたかもしれない。去年、あおいの着替えを覗き事件を起こしたぐらいだからだ。

実際のところ、尚史は合宿には参加していない。だからと言って、野球部は辞めていない。

本人は退部届けを出すつもりだったらしいが、理奈に籍だけでも残してくれと必死で説得されたのが理由らしい。

だが、色々ノートに記録をしていると、その名前が目に入って来て、仕方がない。

あの人は、もう帰ってこない。それがわかっているのに、どうしてため息が出てしまうのだろうと、一条あいが呟いた。

あい「はぁ〜・・・・・」

あおい「お姉ちゃん」

一条あいと瓜二つの顔を持つ少女が、落ち込み気分のあいに話し掛けた。彼女の名は、一条あおい。一条あいの双子の妹だ。

あい「はぁ〜・・・・・」

話し掛けても、あいはあおいの存在に気付いていないようだ。あおいは、さっきより声のトーンを大きくしてみた。

あおい「お姉ちゃん」

しかし、反応がない。完全に自分の世界へ入っているようだ。

あおい「・・・・・よし」

あおいは、とっておきの秘策を持っていた。いくら自分の世界に入っていても、これを聞いたら間違いなく気付いてくれるはず。

自信はある。さらにわざと声を大きくしてみる。面白い反応が見れそうだ。

あおい「バストアップブラをつけているナイペタの姉ちゃん!」

あい「

あおいの予想通り、物凄い早さで反応した。ただこのあと、どうなるかは考えてなかったみたいだが。

あい「誰がナイペタですって〜!あんただって、ナイペタじゃないの!」

双子だから、体型が同じなのは当たり前だ。しかし、そう言われてあおいも黙ってはいなかった。

あおい「ごまかしてるお姉ちゃんよりマシだよ!ぼ・・・・・私の方がまだ大きい!」

あい「いいや、私よ!」

あおい「私だ!」

あい「私!」

ない胸を張りながら、遠泳と口喧嘩を続ける一条姉妹。そこへ、その喧嘩を止めるベくして現れた咲輝が近づいてきた。

咲輝「まあまあ、落ち着きなさいって。双子なんだから、胸の差なんてないわよ。ナイぺ」

あい・あおい「先生は黙っててください!これは姉妹の問題です!

喧嘩を止めに入ったはずが、逆に火に油を注いだ状態になったようだ。2人から怒られた咲輝は近くにいた理奈に泣き付いた。

咲輝「恐かったよ〜」

理奈「先生・・・・・生徒に負けてどうするんですか」

泣き付いた、というより抱き付かれた状態になった理奈は、ただ呆れるしかなかった。









尚史「は?今、兄さんなんて?」

珈琲が入っているカップを持ち上げたまま、尚史は啓一に聞き直した。啓一は自分の分の珈琲を入れながら、さっき言ったことをもう一度繰り返した言った。

啓一「だから、一緒に行くはずの人が、急用で行けなくなったから、代わりに一緒に行かないかって言ってるんだよ」

まだ半分ぐらい入っている珈琲を受け皿に置き、やや呆れながら、啓一に言った。

尚史「兄さん・・・・・流石に男2人で海の近くに泊まるのは・・・・・。誰か1人ぐらい女友達はいないのか?」

最もな意見を出す尚史。だが、次の啓一の言葉を聞いて、自らで取り消した。

啓一「そうなると、恵理さんを連れていくことになるぞ。それでもいいのか」

尚史「たまには兄弟で行くのもいいな、うん」

何事もなかったかのように、始めの啓一の提案に頷く尚史。何故、一緒に行ける女性がいたのに、男2人で行くことにしたのか。

実は、尚史は恵理という女性が苦手だった。本人いわく、唯一この世で1番苦手な人らしい。

尚史「で・・・・・どこの旅館に泊まる行くんだ、兄さん」

そう言いながら、カップを手に取り、珈琲をすする。少し熱かったのか、尚史の表情が曇った。

啓一「なんせ、一週間前ぐらいに予約したからな。場所は知ってるけど、旅館の名前までは覚えてないな」

尚史「ふーん」

尚史は、あまり興味なさそうに返事を返した。

啓一は特に気にすることなく、静かに珈琲の入ったカップを受け皿に置き、尚史の前にカウンター越しに座った。

軽く珈琲をすすった後、啓一がいきなり口を開く。

啓一「言っとくが、明日出発な。さっさと用意しとけよ」

尚史「・・・・・マジかよ」

せめて、2日前に言ってほしかったと思う。あと6時間で1日が終わる。これでは、大した用意が出来ない。とにかく早く家に帰って用意せねば。

尚史「兄さん悪い。俺、帰るわ」

啓一「はいよ。明日の8時、ここの前に来てくれよ」

返事を返す間もなく、尚史は喫茶店のドアを開けた。呼び鈴の音が、店内に響き渡る。

慌ただしく帰っていく尚史を見送った後、啓一はゆっくりと珈琲の入ったカップに口をつけた。




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