第3章
パートナー





尚史「今宵は満月也。いと風流也。・・・・・なんてな」

星ふる夜空にぽっかりと浮かぶ満月を見ながら、自分に似合わない冗談を呟いた。

現在の時刻は6時55分。あおいとの約束の時刻は7時。あと5分ほどある。

時間潰しに、浜辺を散歩するという手もあるが、後々面倒なことになりそうなので止めておくことにしておく。

尚史「(しかし・・・・・一体どこへ連れて行くつもりだ。暇つぶしに付き合うって言っても、俺が行きたいとこなんかないぞ)」

せめてどこへ行くか言ってくれればよかった。・・・・・向こうは行ってからのお楽しみって考えかもしれんが。

あおい「お待たせ。それじゃあ行こうか」

考えているうちに彼女が来たみたいだ。まずどこへ行くか聞きたい。

だが、後ろへ振り返っただけでどこへ行くか、大体予想がついてしまった。何故なら、彼女の恰好が・・・・・。

尚史「・・・・・浴衣?」

青色の、堅そうな赤い帯でしっかり着付けられている。だが、髪はいつものように束ねているが。

この反応にあおいは、いつものムッとした表情で、尚史に怒りをあらわにした。

あおい「何よ!似合わないぐらいわかってるわよ!私だって着たくなかったんだから!

尚史「・・・・・」

誰も似合わないなんて言ってない。むしろ、似合っている方だ。だが、今は言わない方がいい。

言ったところで、さらに怒られるのは目に見えている。ここは話題を変えるのが、得策かと思われる。

尚史「で・・・・・どこに行くわけ?」

ムッとしていた表情は、いつものまだ少し幼さが漂う表情に戻り、口調も元に戻っていた。

あおい「とにかく着いて来たらわかるから。襲わないでよ」

尚史「俺なら夜道で襲わず、今襲うな。どうせ誰もいないし」

あおい「はいはい、冗談に乗らない。行くよ」

彼女は半ば強引に、俺の手を引いた。やはり野球をしているせいか、力が結構強い。

だが、手は暖かく、とても柔らかかった。これで150k/mの球を投げるなんて、何か信じれない。

尚史「(まあ見た目は、どこにでもいる普通の女の子だしな)」

ただ、性格は少しキツい。だから、暴力女と呼ばれている。野球部で被害に遭ったのは、ほぼ全員。当然、評判もあまり良くない。

しかし、俺は叩かれたり殴られたりしても、それが不快とは思わなかった。理由は大体わかっている。全ては・・・・・あいつの面影だ。

あおい「これからこんな美女とデートできるんだから、嬉しく思いなさいよ」

尚史「美女?貧乳少女の間違いじゃないのか?」

あおい「今、何か言った?」

声は笑ってるが、目が上弦の月になっている。それ以上言わないのが普通だが、普通じゃないのが俺だ。

尚史「貧乳少女って言ったんだけど・・・・・貧乳美少女が良かったか?」

あおい「そういう問題じゃない!貧乳美少女って何よ!」

尚史「その言葉通りだけど。童顔だし、理奈の話によればAカ」

あおい「それ以上言うなーー!!

一瞬、何が起きたかわからなかった。気がついたときには、自分の頬が強烈な痛みに襲われていることに気がつく。

ガードには自信があったが、彼女のビンタはそれ以上のものだったらしい。

尚史「痛い・・・・・」

あおい「また言ったら、今度はただじゃ置かないんだから!」

これでも充分ただでは置かれていない。たぶん、自分の頬が猿のケツのように、真っ赤に腫れ上がっていることぐらい、容易に思いつく。

彼女のビンタはそれほどの威力だったのだ。

尚史「何もビンタしなくてもな・・・・・」

あおい「ピッチャーが手なんか使ったら、怪我するじゃないの。髪よ、髪」

髪。つまりそのおさげで殴られたわけだ。しかし、腫れるほどの威力ってどんなだよ。

あおい「お馬鹿なことやってる間に、着いたわよ」

尚史は腫れあがった頬を摩りながら、顔を上げた。ぼんやりとした光を放つ提灯。ソースの香ばしい匂いを発する屋台。

赤色の小さな魚と黒色で目玉が飛び出ている魚を薄い紙で掬おうとしている子どもが集まる屋台。

彼女と似たような服装の女性。ここまで言えばわかるだろう。

尚史「祭か・・・・・」

あおい「暇つぶしにはいいでしょ?」

尚史「暇つぶしと言いながら、実は単にデートしたかっただけだったりして」

その瞬間、またあの凶器が襲い掛かってきた。しかし今度は真っ正面すぎる。来る場所さえわかれば、簡単に避けられる。

尚史「2度目は食らわない」

迷わず頭と膝を軽く下げ、凶器を避けた。だが、避けたはずなのに、何故か後頭部から激痛が走った。

すぐにわかるはずが、あまりにも突然のことだったので、その理由がわかるのにそれなりに時間がかかった。

あおい「ば〜か。何が2回目は食らわないよ。当たってんじゃないのよ」

尚史は当たった箇所を抑え、小さく唸った。

尚史「(確かに避けたんだが、戻してきたみたいだな。ムチか、あの髪は)」

唸っている尚史の襟を無理矢理掴んで、あおいは人混みの中を歩き始めた。

その人混みといっても、手でも繋いでいないとはぐれてしまうほどでもないが。しかし、その中で、2人の光景は異様だった。

普通カップルなら、手を繋いだり、彼氏の腕に彼女が引っ付いて一緒に歩くものだが、尚史とあおいの場合、

無理矢理犬を引きずって、散歩している飼い主みたいなのだ。これでは異様と思われても仕方がない。

尚史「(頭も痛いが、回りの視線も痛い・・・・・。だけど、彼女が襟掴んで引きずってるから、立てない・・・・・)」

情けない気持ちになりながら、犬はただ飼い主に引きずられるしかなかった。









尚史「尻と首と頭が痛い・・・・・。貧乳のどこが嫌なんだよ」

あおい「何か言いましたか?」

あおいは不気味なぐらいの特上の笑顔を尚史に見せた。これを見た尚史は、直感で生命の危険を感じ、今言った言葉をすぐさま撤回することにした。

尚史「何でもありません・・・・・」

あおい「今度言ったら、命はないと思いなさいよ」

さっきまで見せていた特上の笑顔から一変し、特上の凄みのある表情へ変わっていた。

もし、あのまま言い続けていると思うと、流石の尚史ですら背筋が凍りつくような感覚に襲われた。

あおい「今、7時30分・・・・・。あと30分ね」

尚史「何が30分なんだ?」

ズボンについた砂を手で払いながら、石に座っているあおいに近づいた。

あおいは意地悪そうな笑顔で「教えない」、と返した。それを聞いた尚史は、それ以上は聞かなかった。

さっきの件とは関係なく、何か自分に見せたいものでもあるのだろうと思ったからだ。

あおい「ああ、そうそう。監督から手紙預かって来たの」

尚史「俺にか?」

帯の中から手際よく取り出し、白い手紙を尚史に手渡した。尚史はその手紙を躊躇せずに、すぐに開いた。

尚史「コンヤ ジュウジ ウミニテマツ・・・・・。昔の電報かよ」

しかもコンヤのンの部分がソに見える。もう少し綺麗に書けと突っ込みたい。まあ、どうだっていいが。

尚史「ていうか、さっきから思ってたんだけど・・・・・俺なんかと祭来て楽しいか?

イクラ、いや根暗で無気力な俺と暇つぶしに付き合ったって、何も得することはないぞ」

この言葉に偽りはない。本当のことを言った。向こうは、これから野球部のエースで4番を担う娘。

たぶん、これからはスポットライトの当たるアイドルとなる。その点俺は、未来も希望ない男。

例えるなら、アイドルの助けとなる黒子ぐらいか。そう考えると、何か空しい気分になる。

あおい「そうね・・・・・しいて言えば、男の子と一緒に遊びたかったことかな」

その言葉を聞いた途端、笑顔の彼女から淋しさを感じてしまった。それを感じさせるさせるまま、彼女は話を続ける。

あおい「私って、小学生のときからいつも男の子を叩いたりしてたから、男の子から嫌われちゃってね。だからよく言われた。

お前とあいちゃんは、本当は姉妹じゃないのかってね。それを言われる度に男の子を叩いたけど、そのあと何回も泣いた。あれは辛かったなぁ」

独り言を呟くように言葉を並べ、膝を抱え、背筋を丸くした。顔は笑っているが、声が震えていた。

あおい「でも、言われるのも仕方がないよね。だってお姉ちゃんは、家事も出来るし、頭もいいし、何より男の子にモテるし。

それに比べて私なんか・・・・・」

震えていた声が、段々涙声になってきた。正直、こんな話は聞きたくなかった。何故なら、俺も似たような体験をしていたからだ。

俺の場合、根暗や表情がないとかで、物隠しにあったり、机に落書きされていた。

親戚のおばさんやおじさんには、啓一兄さんや孝道兄さんと比較され、色々と言われた。

そういったことを思い出したくなかったから、聞きたくなかった。だが逆に言えば、気持ちはわかる。

よく女の子が、これだけ耐えたものだ。それは褒めてやりたいと思う。

尚史「しかしまあ・・・・・弱気になるなんて、あおいちゃんらしくないけどな」

尚史は頭をボリボリと掻いて、スックと立ち上がった。

あおい「え?」

尚史「まあ、これも隠れたあおいちゃんらしさかもな」

尚史はかけ布団みたいに、あおいに覆いかぶさり、顎をあおいに頭に軽く浮かせて置いた。それと同時に、あおいの顔が一気に赤くなった。

尚史「そういや、男の子から嫌われてるって言ってたな。・・・・・嘘言うなよ」

あおい「う、嘘じゃないよ!私に男の子の友達なんか・・・・・」

右手で頭を押さえ、ため息を一つついた。そして、やや呆れ気味に尚史は言う。

尚史「俺がいるじゃないか、俺が。そう思って、祭に誘ったんじゃないのか」

あおい「あ・・・・・」

真っ赤だった顔がさらに赤みを増し、体温が急激に上がっていることが尚史には感じ取れた。

暖かい。そして、花のような良い香りがする。尚史は一瞬、何を言うか忘れそうになった。

尚史「・・・・・今から言うことに、絶対勘違いするなよ。いいな」

あおいは無言のまま頷き、さらに顔を赤くした。

尚史「回りくどいの嫌いだから、はっきり言うな。君は俺にとって、数少ない仲間、いやパートナーなんだよ」

あおい「・・・・・パートナー?」

尚史「そう、パートナー。例えるなら・・・・・ON(王・長嶋)コンビみたいな感じ」

今、自分の言った例えが上手いと感じてしまった。何か半分満足で、半分情けなかったのは気のせいでいたい。

あおい「パートナーか・・・・・いい響きね」

尚史「そう・・・・・パートナー」

影の。パートナーの前につく、その言葉は黙っておいた。せっかく明るくなってきたのに、また暗くなられたら堪らない。

気分を悪くするのは、俺一人でいい。尚史はまた、あおいを抱き寄せた。あおいの体温がまた上昇した。

尚史「お・・・・・」

あおい「あ・・・・・」

ほぼ同じタイミングで顔を上げ、同じ方向を向いた。

尚史「花火が始まったな」

あおい「うん・・・・・」

大砲の弾を発射したときみたいな煩い音。天に向かって伸びる光の種。爆発音と共に、パッと地上を照らす光の花。

消えるときは、桜の花が散るようにどこか切なくなる。そしてまた、ついついあおいを抱き寄せる。

あおいも特に気にしていない様子。いや、むしろ嬉しそうに見えないこともない。

あおい「(このまま・・・・・永遠に続けばいいのに)」

決して届くはずのない願い。あおいも充分わかっている。だが、願わずにはいられなかった。

これが終われば、これからは・・・・・。あおいもわかっていた。だから願った。願うしかなかった。

あおい「(もっと一緒にいたい・・・・・)」

大きな音を立て、光の花が闇に咲き、そしてはかなく散って行く。

あおいは、そんなはかない願いを心の中で想いながら、いずれ消え行く温もりを感じ、涙目で花火を静かに見ていた。




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