尚史「この試合の本当の主役が誰か教えてやるよ」
ベンチへと帰っていく川相三郎に、サングラスを投げ渡した。川相三郎は少し慌て、そのサングラスを落としそうになかったが、なんとか受け止めた。
審判「プレイ!」
尚史はバットを軽く2、3度振って、今までと変わらない構えを取った。押井高校のバッテリーは初球を何で入るか考えていた。
敵捕手「(どんなバッターでも裏をかけば、打ち取れる・・・・・。強気に責めるべきだよな)」
色々と悩んだ末に、押井学園のキャッチャーはやっとサインを出した。
主役「(大丈夫かよ・・・・・)」
そのサインに対して主役はかなり不安だった。それは頷くにはかなり迷うボールだった。
しかし主役はキャッチャーを信じ、やや不安気な表情をうかべながらも2回ほど縦に頷き、セットポジションについた。その第1球目。
スピードを抜いたど真ん中ストレート。球速は100k/mほど。絶好球だが、尚史はこれを見送った。
審判「ストライク!」
尚史「(参ったね。まさかど真ん中に抜いた球を投げてくるとはな)」
確実にレフトスタンドに運べる球だが、それは予想内のときだ。予想外ならそれも立派な球だ。
尚史「(もうあんな美味しい球は来ないだろうな)」
しかし第2球目。ど真ん中ストレート。またも美味しい球は来たのであった。当然これを見逃す理由などない。尚史は遠慮なく打ちにいった。
しかし、空振り。球はど真ん中から内角に移動していた。この球はストレートではなくスライダーだったのだ。これでカウント2-0。早くも追い込まれた。
敵捕手「(何とか追い込んだな。ここは1球を外して様子を見たい。そしてあわよくば三振としたいところ)」
主役「(で・・・・・その球は?)」
敵捕手「(当然これだ)」
主役「(だよな)」
主役が頷き、女房がミットを構えた。尚史も耳元近くにバットを引き寄せ構える。
尚史「(狙い球は当然・・・・・)」
主役が振りかぶる。尚史がグッと手に力を入れ、足を大きく引き上げる。運命の第3球目。外角高めのボール。
ストライクゾーンよりボール1個分ほど高く、コースも外れている。
見逃せばボールになる。だが尚史は大きく踏込み、これを打ちにいった。
その直後、ボールは大きく右打者に向かってスライドした。釣り球はストレートではなく、スライダーだったのだ。
尚史「(ボール球でもこの高さなら打てないことはない)」
釣り球がくることぐらい予想済みであった。高めならよほど高くない限り、手を出すと尚史は決めていた。
ただ一つ予想外だったのが、スライダーだった。それでも尚史は強引に外角高めのボール球を打ちに行った。
(キィィン!!)
主役「(な、何!?)」
敵捕手「(あの高さを打っただと!)」
尚史が打った球は高々とレフト方向へ上がった。しかしボール球を無理矢理打ったせいか、いまいち伸びがない。
両翼が91m、フェンスも3mないこの球場でも、距離、高さともにかなり厳しい。
敵捕手「レフト追えー!追うんだー!」
打球は勢いを失くしていき、レフトポール際で落下し始めた。打球速度が遅かったせいか先にレフトがフェンスに着いたが、打球は上を越えて行った。
(ガサッ)
球場全体が一瞬にして静まり返った。主役は呆然としており、ランナーもア然としていた。そんな中、もう一人の主役が右手の拳をゆっくりと突き上げた。
実況「は、入ったーーー!!代打結城君の逆転サヨナラ満塁ホームラーーーン!!!
なんという劇的な幕ぎれなんでしょうか!神城高校、逆転サヨナラ勝ちー!」
尚史「眠い・・・・・」
啓一「とかいいながら、朝の珈琲を飲みに来るんだな」
尚史「だってタダだし」
啓一「せこい奴め」
机の上に黒い飲物が一つ置かれた。白い湯気が尚史の視界を遮るようにして立ち、尚史がやる気のない目でそれを追う。
30秒ぐらいしてカップを手に取り、ゆっくりと飲み始めた。啓一が右肩を軽く回し、はぁとため息をついた。尚史がそれに気付き、啓一に尋ねる。
尚史「兄さんどうした?元気ないな」
啓一が少し笑いながら答える。
啓一「いやな。肩と肘が治ったのに、よく考えたら野球する相手がいないんだよ」
尚史「俺がいるじゃないか」
あっさりと尚史が答える。やはり啓一は微笑を浮かべていた。
啓一「高校通算35本のお前とやったら負けるのわかってんじゃないか。こっちは高3からやってないっていうのに」
尚史は珈琲を手に取った。だが、既に飲み干していることに気付き、カップを受け皿の上に戻した。
尚史「・・・・・じゃあ兄さん。今からあそこへ行ってみるか?」
啓一「あそこ?」
尚史「神城高校」
啓一「・・・・・今からか?」
尚史「今から」
啓一「・・・・・」
相変わらずこいつの無表情を見ると、言い返す気が失せる。参った。参ったよ。行こうじゃないか。
今から神城高校へ。ああ・・・・・減給されるな。前に夏の大会を見に行ったり、肘と肩を治していてまともに働いてないし。
啓一「なんだかねぇ」
尚史みたいなため息をつき、青色のエプロンを外した。太陽は先ほどより上がり、地上に暖かい光を照らして始めていた。
啓一「練習休みなのに、ご苦労なことだな」
尚史「ああ。そうだな」
啓一「・・・・・誰もおらんのにどないせえちゅうねんな」
佐々木みたいな関西弁でもっともな意見の啓一。
尚史「今日も良い天気だ。絶好の昼寝日和だ」
尚史は自らの失敗をごまかす尚史。啓一はため息をつき、しばらくうなだれていたが、突然顔を上げて尚史に言った。
啓一「・・・・・帰るか」
尚史「意味なかったな」
啓一「誰かさんのせいでな」
尚史「何か寒くなってきたな。早く帰るか」
尚史の言葉とは裏腹に、太陽はさらに上昇し、地上の気温も上昇し始めた。誰もいない寂しいグラウンドから二人の男の姿が消えていく。
季節を感じさせる風が吹き、木が優しく踊る。空高く晴々とした秋空が広がっていた。