第10章
3番ピッチャー





11月、四国大会3日目の朝。雲一つなく、明け方の月が地上を照らす。最近は夜が明けるのが遅く、6時30分程度では空は半分ほど闇に染まっている。

気温も当然ながら低く、建物の中にいてもその冷たさが肌に刺さってくる。その寒い中、一人の少年が誰もいない道を走り抜けっていった。

暗い面持ちで、前髪で目が隠れかけているが、調った顔をしている。少年は一旦走ることをやめ、近くの公園のベンチに座った。

尚史「寒い・・・・・。結構走ったのに、もう汗が冷えて来てやがる。このままじゃ、風邪引きそうだ」

しかし体は疲れている。寒いが、ひとまず5分ほど休憩を取ることにする。どうせ旅館まで20分ぐらいだ。その時にはまだ寝てる奴もいる。7時に間に合えばいい。

尚史「甲子園まであと少しか。・・・・・まさか出来て1年半ぐらいしか経ってないのに、ここまで来るとはな」

尚史自身、入った当初は甲子園というのは半ば諦めていた。榊さんと勝負して勝ちたい。ただそれだけだった。

しかしその夢も終わり、いつの間にか甲子園という夢に変わっている。やはり俺も普通の高校球児なんだなと、尚史はつくづく思う。

尚史「さてと・・・・・そろそろ行くか」

ゆっくりと立ち上がり、軽い屈伸運動を行い、尚史は朝の公園をあとにした。









ざわざわと賑わう坊ちゃん球場。流石に3回戦ということだけあって、観客の入りは上々、天気も上々である。

夏の大会みたいな暑さによる不快感もなく、球場全体に涼しい風が吹き抜けている。

やはり季節は秋が1番だなと思う男がバックネットの後ろの席に座っていた。

束ねた後ろ髪はかなり長く、サングラス越しでも目付きの悪さがどれほどのものか分かる。

隣には、やはり同じようにサングラスをかけていた。こちらはキリッとした目をしていた。そう、この2人の名は結城 武久と結城 孝道である。

武久「さて・・・・・小川ちゃんはどこまで成長したかな〜と」

孝道「そんなに心配しなくとも大丈夫だって」

孝道は苦笑しながら、隣に置いてあった飲物を手に取り、それを口に流した。武久の目付きの悪い目は、気持ち悪いぐらい輝いていた。









「1回の表、讃岐高校の攻撃です。1番 サード 高岡君 背番号5」

尚史「何でまた俺が・・・・・」

尚史は自分がどうしてここに立っているのかわからなかった。

確かに、夏の大会でも勤めたが、あれで怪我をして選手生命を断ちかけたのに、何でまたあの監督はやらすかな、と尚史は長々と思った。

もう一度今いる場所を確認してみる。少し高くなっており、白い板が敷かれている。今度はバックスクリーンを見てみる。

ちょうど名前の下に最初の数字が刻まれている。そして前を向いてみる。佐々木真奈が右手にマスクを、左手にミットをつけている。

以上のことから、最後に結論づけてみる。・・・・・ああ、やっぱり俺が投げるんだなと実感。

尚史「(打順を3番にしてくれてるのはよしとするか)」

これで4番だったら、さらに余計な神経を使い、ピッチングに集中できないと思う。それならまだ3番の方がマシだ。

真奈「しまっていきましょー!

真奈が両腕を大きく広げ、観客の雑音に負けないぐらいの大声を張り上げた。

試合開始である。忘れていたが、この試合のスターティングメンバーを表記しておく。


神城高校(後攻)

1番 サード 黒崎
2番 セカンド 高橋
3番 ピッチャー 結城
4番 センター 川上
5番 ファースト 佐々木守
6番 キャッチャー 佐々木真奈
7番 ショート 篠原
8番 ライト 和木
9番 レフト 川相三郎


讃岐高校(先攻)

1番 サード 高岡
2番 ファースト 新田
3番 レフト 三井
4番 キャッチャー 香川
5番 ピッチャー 小川
6番 センター 入江
7番 セカンド 田神
8番 ショート 遠藤
9番 ライト 紀伊


先攻の讃岐学園は堅実な守備のチームのせいか、チーム打率.260台とあまりよくない。

しかしその中で、打線の要である4番の香川が打率.350、本塁打4 打点10。それとエースの小川が、打率.320 本塁打2 打点5。

この二人で打ち勝ってきたと言っても過言ではない。今大会も二人合わせて、打率.400 本塁打3 打点6である。

ピッチャー尚史にとって、一番要注意の選手らである。

尚史「(さっさと5回を投げ切ってしまおう)」

白い粉が風に舞って、空へと上っていく。ロージンバックを投げ捨て、尚史は大きく振りかぶった。









ベンチへと繋がる長い静寂の空間。壁にもたれかかる少女がただ一人。背中には10と書かれた背番号。肩にかかるまで伸ばした真っ直ぐな髪。

髪を束ねていたゴムは床に落ちている。しかし、それはぼろぼろになって引きちぎれていた。

あおい「何で僕がベンチウォーマーなんだよ・・・・・。なんでだよ・・・・・」

両手でドアを叩くようにしてない怒りを壁にぶつける。10回ぐらい叩いて、あおいの目に透き通った雫が頬に流れた。

20回叩いてから、鳴咽を漏らしながらその場に崩れ落ちた。その悔しさに誰も気付く者はいない。鳴咽だけが、空間に響いていった。









讃岐高校の1番、2番、3番はバットを短く持って打席に立ったが、尚史のカットボールに見事に引っ掛かり、全員初球を打たされ、僅か3球でチェンジとなった。

そして神城高校の攻撃である。先頭バッターの黒崎が左打席にたった。マウンド上の小川は不敵な笑みを浮かべ、ロージンバックを手の上で踊らせる。

白い粉が舞い、風に乗って消えていく。小川がロージンバックを放り捨て、キャッチャーの香川のサインを見た。

小川「(讃岐さんよ。初球は何でいきますかいよ)」

讃岐、つまり昔の香川県の呼び名が由来であろう。巨漢の香川は少し迷ってサインを出した。お前に任せると。

小川「(そんじゃあ遠慮なくいきますかね)」

野茂のトルネード投法みたいに大きく振りかぶった。

そのあとのリリースポイントまでは、元阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)の大エース、山田久志であった。

小川「(どーぞ、打ってくださいな)」

低いポイントから投じられたボールは、糸を引くようなど真ん中。初球とはいえ、これを逃さないわけがない。黒崎はこれを打ちにいった。当然、強振で。


(キン!)


香川「ピッチャー」

小川「はいよ」

打球はピッチャー頭上。記録はピッチャーフライ。小川が落下点に入り、それを捕球した。審判の手が上がり、小川はマウンドにゆっくり戻った。

「2番 セカンド 高橋君。背番号4」

バットを片手にベンチへと黒崎は戻ってきた。その顔には、何か信じられないような表情が浮かんでいた。堪りかねた西条が、黒崎に尋ねる。

西条「どうした?」

黒崎「いや、さっき確かに真芯で捉らえたはずだったのに・・・・・」

西条「はずなのに?」

グラウンドから鈍い金属音が響く。今度はキャッチャーフライのようだ。西条と黒崎は1度グラウンドに目をやり、また話に戻った。

黒崎「消えたんだ。気付いたときには、ピッチャーフライになってた・・・・・」

西条「消えただと?」

黒崎「俺も信じられねぇ・・・・・でも消えたんだ」

審判の高らかな声が聞こえる。どうやら高橋がアウトになったようだ。

香川「ツーアウト、ツーアウト」

あまり締まらない声を発する香川。相変わらず不敵な笑みを浮かべている小川。そして首を傾げている高橋。理由は黒崎と同じだろう。球が消えたと。

「3番 ピッチャー 結城君。背番号5」

尚史が静かに右打席に立った。そのとき、不敵な笑みを浮かべていた小川の表情に初めて変化が見えた。

涼しい風が吹いているのに、小川の額から一筋の汗が流れている。まるで何かに怯えているように。

小川「(直感でわかる。こいつは本気でやらないと、確実にやられる)」

小川は黙って香川がサインを出すのを待った。香川も尚史のオーラか何かを感じ取ったのか、顔が強張っていた。

香川「(前の試合で2打席連続のホームラン打ってるからな。甘いとやられるのは、誰でもわかる)」

そう思った香川は、ある球のサインを出し、内角の方へミットを構えた。小川が真面目な顔をして頷く。その間、尚史は軽く何度もバットを振っていた。

尚史「(やはりここは少しでも粘りたいとこだな。前の2人が1球ずつで終わっていることだし)」

とにかく追い込まれるまではバットを振らないことにする。理想は5球ぐらい粘っての出塁。考えが決まった尚史は、バットを構えた。

小川の大きなモーションからの第1球目。黒崎と高橋に投げていたおちゃらけた球とは違い、打たれてはいけないという気迫が篭っていた。

尚史「(ストレート・・・・・いや)」

「ボール!」

尚史はさっき決めたことを守り、小川の第1球目を見送った。香川と小川はこの見送りにやや戸惑う。

小川「(見送った?)」

香川「(いや、恐らく手がでなかったか、初球を打つ気がなかったかだ。次も同じコースで、今度はストレートを投げてみろ)」

小川が小さく息を吐く。第2球目。先ほどよりやや高めの球。しかし、ぎりぎり入っており、ストライク。

これでカウント1-1。しかし、尚史はバットを振るどころか、タイミングを取ろうともしない。二人はさらに悩んだ。

香川「(タイミングを取らないって、どういうことだ。まさか、球数を少しでも投げさそうとでもいうのか)」

だからといって、決めつけてはいけない。もしそれが外れて、先制弾となってはたまらない。得点力の乏しい讃岐高校では、たかが1点、されど1点である。

香川は深く悩んだあげく、高めにミットを構えた。第4球目、高めに外れたストレート。やはり尚史は振らない、というより足を上げようともしない。

香川「(やはりタイミングを取ってこない・・・。何故だ?)」

小川「(よくわからん奴だ)」

謎はますます深まるばかりであった。しかし第5球目、ど真ん中に投げた球で初めて足を上げてきた。

尚史「(ちょうと5球目だ。コースも甘い。貰った)」

しかし、尚史はこの球の何かに気付き、バットを落とした。判定は当然ストライク。しかし、あのまま打ちに行って、アウトになるより遥かにマシである。

尚史「(この球、どこかで見たような・・・・・)」

何かを思い出しながらバットを拾い、また軽く振って構える。第6球目、アウトローのストレート。しかし僅かに外れて結局、ファアボールとなった。

そして4番 川上。同じようにフルカウントまで粘るが、8球目を打ち上げてしまい、ファーストフライに終わった。









不気味に笑うベーブルースの記録を越えた男。彼の手には、何かをコピーした何枚かの紙を持っていた。そこにはある言葉が書かれていた。それは―――。




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