第12章
花の左腕





廊下の壁にもたれかかる少女が一人。契れた髪留めのゴムを持ち、虚ろな目で天井を見上げていた。

あおい「試合・・・どうなってるんだろう・・・」

どうせ僕がいなくても、結城君がいれば勝てるよ。だって、結城君はバッティングもピッチングも凄いもん。僕が勝てるのは、肩だけだし。

だから・・・女の僕なんかいらないよね。あれ、何でだろう。また涙が出てくる。あれだけ泣いたのに、何で?

あおい「(とりあえず・・・試合でも見に行ってみよう・・・)」

床に手をついて、ゆっくりと立ち上がり、ベンチの方へとゆっくり歩き出した。少しずつ光が見えてくる。

同時に観客の騒がしさも増してくる。下に俯けていた顔を上げ、スコアを見た。あおいは目を疑った。

あおい「2対5?結城君が5点も取られたの?」

しかし、もう一度スコアを見て、そうではないことに気付いた。3番に入っているはずの尚史の名がないのだ。代わりに西条の名が入っていた。

5点取られても、尚史はバッティング面では欠かせないもの。それを代えているのは、何かアクシデントがあったに違いない。

あおいはそう思った。そのとき、ふと誰かが自分の肩を叩いたような気がした。あおいは後ろへ振り向いた。姉の一条あいだった。

あい「あおい。ちょっと・・・・・」

あおい「お姉ちゃん?」

あいは半分涙目になっていた。一体何があったかは知らないが。

あい「さっき、理奈ちゃんから聞いたんだけどね」

あおい「?」

あい「結城さんが言ってたことってね。あれ、あおいを奮起させるつもりで言ったらしいの。

調子が悪いことがわかっていたから、あえて怒らせて、練習をよりさせようと・・・・・」

あおい「じゃあ・・・・・」

結城君は結城君なりに気を使っていたのだ(口は悪かったし、手を出しちゃったけど)。自分を悪者にしてまで、僕を助けようとした。そう思っていいと思う。

監督「一条、次行くぞ。仕返しに一発ブチ込んでやれ」

いきなり、俊彦がこちらを見ずに話し掛けて来たのでやや驚いたが、あおいは黙って頷き、ヘルメットを被った。









「3番 西条君に代わりまして、一条さん。背番号10」

啓一「やっと出てきたね」

祖父「ああ。もし桜井だったら、この場面では確実にランナーを返すんだが。この娘はどうするか」

祖父は机のうえに置いてある灰皿を取り、それに煙草の長い灰を落とした。啓一は煙を吸い込み、軽く咳込んだ。









あおい「(ワンアウト、ランナー2・3塁・・・・・)」

あおいはバットを肩に担ぎ、今の状況を確認した。現在8回の裏、2-5の3点ビハインド。

一発同点が理想的であるが、代打で、しかもベンチにいなかったため、相手の持ち球をよく知らない。

ここは大振りして三振よりも、外野手の間、又は内野手の間を抜く打球が好ましい。あまりバットを短く持つのは好きではないが、四の五の言ってられなかった。

香川「地方大会での成績、打率2割2分2厘、ホームラン0本、打点1。打てないからって、仮にも元4番打者だろ。

バットを短く持つなんてよ。所詮は女ってことだったってわけか」

香川はわざとあおいに聞こえるように言った。というよりあおいに話し掛けたといった方が正しい。

当然、あおいが短気であるということを知ってである。案の定、あおいの表情が叙情に怒りの色へと変わっていった。

あおい「へ〜。言ってくれるじゃないの」

あおいは短く持っていたバットを長く持ち替え、打席の一番前に立った。当の香川に返事はない。ただ黙って、小川にサインを出していた。

香川「(噂通りだ。見事にキレて、バットを長く持ち替えたぜ。あとは内角スライダーで詰まるはずだ)」

小川が頷き、モーションに入った。あおいに対して第1球目。

あおい「私はね・・・・・」

噂はあくまで噂であり、真実は最後まで調べる必要がある。香川はそれが抜けていた。

あおい「女だから馬鹿にされるのが嫌いなのよ!!


(ゴワキィーーン!!!)


香川「!!

ライトは一歩も動けなかった。強烈なライナーがあっという間にスタンドに突き刺さった。

起死回生の同点スリーランホームラン。あおいは女性らしかぬ声で、「しゃー!」と吠えた。

小川「(馬鹿な。今のコースなら指に直撃か、内野フライだぜ。なのに何であそこまで飛ばせるんだ!?)」

小川は下を向いたまま、顔を上げようとしない。香川も小川の元へ寄って行かなかった。









「9回の表、讃岐高校の攻撃です。5番 ピッチャー 小川君」

右打席に小川が立った。いつものように足場を固め、ヘルメットを弄り、バットを1回転させて構えた。

真奈はマスクを被りどっしりと構え、あおいは久々のマウンドの感触を堪能しているところであった。

あおい「(やっぱり気持ちいいな。秋の大会以来だもんね)」

ロージンバックを手に取り、空を見上げた。今にも吸い込まれそうな秋空が無人に広がっている。あおいは軽く深呼吸をし、ロージンバックを放り投げた。

あい「(あおい。頑張って・・・・・)」

ベンチに座って、あいは妹のために必死に祈った。それが通じたのか、マウンドを堪能していたときの笑顔が消え、真剣な表情に変わった。

あおい「(僕はもう・・・・・打たれはしない!)」

あおいが振りかぶる。足を上げ、そのまま上体を大きく捻った。

真奈「(いつもより大きく捻ってる・・・・・。完璧なトルネードや・・・・・)」

第1球目、ど真ん中ストレート。小川は手が出ない。

小川「(速い!何で今まで出てこなかったんだ!?)」

真奈「(凄いわ。前よりもはようなってる・・・・・)」

第2球目、またど真ん中ストレート。しかし、これにも小川は手が出ない。そして、第3球目。

小川「(低い・・・・・)」

あおいのストレートが真奈のミットに納まった。審判が腕を勢いよく振り下ろし、高らかな声を上げた。

ストライク!バッターアウト!

小川「な・・・・・

小川は自分の目を疑った。自分は低いと思って見逃したはずだった。しかし、それは低めではなく高めだったのだ。

一体どれだけ伸びてくるのだろうか。小川はベンチへ帰った後でも、ずっとそれについて考えていた。




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