「4番 キャッチャー 香川君」
四国大会3回戦。神城高校対讃岐高校。神城の先発は結城尚史、讃岐の先発はエースの小川から始まった。
サブマリンの小川は、奇妙な変化球を武器に好投。また尚史も真奈の好リードと打たせて取るピッチングで1塁を踏ませなかった。
投手戦となったこの試合だが、4回に尚史のホームランが飛び出し、神城が先制に成功する。
さらにこの回に川上理奈のスリーベースと佐々木守のライトフライでさらに1点追加。
尚史の打たせて取るピッチングも冴え、6回表までノーヒットノーランであった。
だが6回裏、ツーアウトランナー無しで尚史のときに、小川が尚史の頭部へビーンボール。尚史が倒れ、出番がなくなったかと思われた西条が急遽登板。
しかし、肩が出来上がっていなかったためか、7回に香川のホームラン含む4失点、8回にも1点を失い、あっという間に逆転されてしまう。
敗色濃厚の中、あおいが香川の言葉に奮起し、ライトスタンドに同点スリーランを叩き込み、試合をふりだしに戻した。
そしてそのままマウンドに上がり、讃岐高校打線を完全に封じ込める。そして回は進み11回の表、香川に打順が回ってきた。
真奈「ツーアウト、ツーアウト!」
あおい「(でかいわね。僕より30cmは大きいんじゃないかな)」
香川の身長を気にしつつ、あおいはロージンバックを軽く数回ほど上にトスさせた。
香川がバットをあおいの方へ向けて、軽く威嚇する。あおいはそれに気付き、眉を潜めた。
香川「言っておくが、ストレートだけで抑えれる俺じゃないぜ。ストレートだったら、俺は160k/mでも打てる」
あおい「・・・」
あおいは黙ったまま、ロージンバックをその辺に放り投げた。香川がバットを肩に担ぐように構え、真奈がミットを構えた。
あおい「僕のストレートは・・・・・」
右足が上がり、上体が勢いよく捻られる。
あおい「例え結城君でも打てはしない!」
捻られた上体が一気に前へと解放され、指先から伝わるボールのキレを増幅させる。白球は弾丸のようにど真ん中を突き進んでいった。
真奈「(やばい!いくら球がはようても、コースが甘すぎる!やられる!)」
香川「(貰った!)」
香川のバットが白球を捉らえ、高々と上がった。真奈がマスクを取り、白球の行方を追った。
「アウト!スリーアウトチェンジ!」
白球はあおいのグローブに納まっていた。打球は上がっただけで、伸び自体はまったく無かった。香川が込み上げる怒りをバットにぶつけ、地面に叩きつけた。
香川「(何故だ!?確かに真芯で捉らえたはずなのに!)」
真奈には、香川が悔しがる理由がわかっていた。ど真ん中の速いストレート。それがどうして捉らえれなかったのか。その理由も何となくわかっていた。
真奈「(タイミングはぴったりやった。ただ、それ以上にあおいちゃんの球の伸びが凄かった。たぶんそれだけやな)」
あおいがボールをマウンドに放り投げ、束ねた髪を揺らしながら笑顔でベンチへと帰っていく。真奈は悔しがる香川を気にしながら、ベンチへと戻っていった。
尚史「ここは・・・・・」
前にも、この謎の深淵なる空間に立っていた記憶がある。やはり、山も家も水も足音もないただの暗い空間。そんな謎めいた空間に、さらに謎が出てくた。
目の前に何故か扉がある。それも両開きの。しかも中から人のような声が聞こえる。尚史は、それに耳をつけて、中の会話を聞き取ろうとした。
尚史「・・・・・」
30秒ほどして、一人の怒鳴り声が聞こえてきた。しかし、もう一人は至って冷静といった感じである。その会話から、尚史はあることを思い出した。
尚史「まさか・・・」
つけていた耳を扉から離し、中にいる誰かを確認するためドアノブに触ろうとしたそのとき。暗闇の空間が、だんだん光に包まれていくではないか。
尚史は眩しさのあまりに、右腕で目を隠した。しかし、光は隠した目をすり抜けて、容赦なく刺激してくる。どうすることも出来ず、尚史はその場に倒れた。
「11回の裏、神城高校の攻撃です。2番 セカンド 高橋君」
高橋「(僕が出れば一条さんと川上さんでサヨナラ出来るはず。何とかして出ないと)」
打席の一番前に立ち、足をやや開き、肩に担ぐようにバットを構えた。
香川「(こいつは当てるのは上手いが、些かパワーがない。内角で詰まらせるんだ)」
額から流れ出てくる汗を拭い、小川は香川のサインに頷いた。
高橋のグリップを握っている指に自然と力が入る。高橋が小川のモーションに合わせて軽く足を振った。
高橋「(うわ!当たる!)」
小川「(しまった!すっぽ抜けた!)」
高橋の頭目掛けて白球が迫ってくる。高橋は倒れてそれを避けようとした。
(キン!)
高橋「あ・・・・・」
倒れながら避けた拍子に、バットに当たってしまったようだ。しかし、それが幸いした。打球はフラフラと上がり、セカンドとライトの間に落ちた。
小川「(ツイてねぇ・・・・・)」
小川はマウンドを何度か蹴り上げ、その苛立ちを残したまま次の打者に目を向けた。
「3番 ピッチャー 一条さん」
香川「(さっきはホームランを打たれたが、今度はそうはいかねぇ。この香川がねじ伏せてやるよ)」
香川が何かのサインを出し、外角に寄った。あおいがそれを見て、香川のリードを読もうとする。
あおい「(外角に寄ったけど・・・・・裏を掻いて、内角じゃないのかな。いや内角、内角に決まってる)」
肩を時々松井みたいに揺らしながら、あおいは小川の球を待った。そして予想は的中した。顔面に向けて投げたストレート。威嚇球だった。
香川「(避けてくれりゃあ、俺の勝ちだ)」
しかし、内角に絞り切っていたあおいはバットを斜めから勢いよく振り下ろした。
大きな金属音と共に、白球が小川の手前で大きく跳ね上がり、滞空時間の長いフライとなった。
セカンドが捕球したときには、あおいは1塁、高橋は2塁へ到達していた。
香川「(威嚇球でびびらすつもりが、まさか大根切りで打ち返してくるとは・・・。本当に女のバッティングなのか)」
あおいの予想外の攻撃に頭を多少悩ませたが、すぐに切り替え、次のバッターに集中した。香川自身、これが最大の山場と考えていた。
「4番 センター 川上さん」
ここまで理奈は4打数2安打。そのうち1本がスリーベース。また四国大会での打率も5割を越えている。だからといって敬遠もできない。
次の5番の佐々木はノーヒットだが、全部外野へのフライ。そのうち一つが打点に結び付いている。つまり、自らサヨナラを献上することとなる。
香川「(とにかく引っ掛けさせれば、ゲッツーで終われる。小川の低めの変化球なら、ヒットにするのは難しいはずだ)」
香川はある変化球のサインを出し、外角に寄って、ミットを構えた。小川が多少肩で呼吸しながら、軽く頷いた。
理奈「(いよいよ使うときね)」
理奈は足を開き、バットを立てて構えた。オリックス時代のイチローのフォームに似てないこともない。
小川「(イチローの真似してりゃあ打てるってもんじゃねーぞ!)」
足を上げ、腕を後ろへ引っ張り、テイクバックのトップに達した。いつもの振り子なら、大体ここで足を振り始めるが、理奈はまだ足を振っていない。
理奈「(尚史の仇・・・・・)」
小川の腕が地面に向かって大きくしなる。しかし、理奈はまだ足を振らない。小川の指先から白球が放たれた。ここで理奈は足を上げた。
あおい「(あれは結城君の・・・・・)」
理奈は片足を大きく上げ、ほとんど一瞬だが、溜めを作った。そして足を降ろし、外角低めからさらに外へ逃げる変化球を、バットの先で捉らえた。
理奈「秘打!踊り子!」
白球が三遊間をライナーで破った。しかし当たりが良すぎるせいか、レフトに取られる可能性が出てきた。
当然、高橋とあおいは一旦止まり、打球の判定を待つ。理奈は1塁ベース前で待っていた。
理奈「(落ちろ!)」
レフトの三井は間に合わないと判断し、全力疾走をやめた。止まっていたあおいと高橋は、また走り始めた。
三井「!」
香川「何だと!」
白球が左方向へ勢いよく跳ねた。真っ直ぐ跳ねると思って、落下点の正面にいた三井は当然捕れるはずがない。
三井は慌てて思わぬ方向へ跳ねた白球を取りに行った。しかし白球はさらにレフトの最奥へと跳ねていく。
三井が取りに行ってる間に、高橋は3塁を蹴りホームへと滑り込んだ。
「セーフ!ゲームセット!」
尚史「・・・・・」
尚史は目を擦り、首を回して周囲を見渡した。棚には薬品や何かの本が、机の上には包帯やハサミ等が置かれている。
すぐにここが医務室だと理解出来る。尚史はベッドから上半身を起こし、しばらくボーとしていた。
そして何かを思い出したかのように、ボールが当たった場所に触れてみた。全然痛みはなかった。
尚史「(軽い検査受ければ、明日は大丈夫か)」
自分の状態が思った以上に良好であったことに胸を撫で降ろした。
一先ずここの医師に許可を得て、ベンチに向かうか、医務室で白い布を自分の顔に乗せて、全員が来るのを待つか、二つの選択肢が思い浮かんだ。
本来なら前者の無理してでも行くべきなんだろうが、後者もそれはそれで面白いかもしれない。
正直な話、かなり迷う。尚史は腕を組んで、デッドボールを受けた頭で悩み始めた。その時だった。
尚史「?」
廊下から何やら話し声が聞こえてくる。感じ的には中年の男の声に近い。もしかしたらここの医師が帰って来たのかもしれない。
尚史はとりあえず悩むのを止め、腕組みを解いた。足音が医務室の前の扉でやんだ。しかし、何故か二人組である。
この部屋の前で何やら言い争っている感じだ。落ち着いた声は中年の男、怒っているのは若い男。
それから間もなくして、医務室の扉がゆっくりと開いた。入って来た人物二人を見て、尚史の表情が突如強張った。
武久「お目覚めのようだな」
孝道「しかしまあ、あんな球で倒れるなんて情けないな」
尚史「親父と孝道兄さんが何故・・・・・」
予想外の出来事に、尚史はかなり困惑していた。ちなみに最後に会ったのは去年の合宿、つまりあの対決以来である。
武久「何故も何も、可愛い息子の試合を観戦しに来ただけだが」
孝道「そんでビーンボールを受けた可哀相な弟の容体を心配しに来たわけ」
気持ち悪い。この二人に可愛い息子や可哀相な弟など言われたら、吐き気がする。
何より目を見れば、何か他に違う目的であることがあるぐらい即座に分かる。今すぐ蹴り飛ばしてでも、ここから追い出してやりたい。
だがここは医務室。騒ぐのはまずい。ここは感情を押し殺して冷静に対処するしかない。尚史は頭を軽く掻き、ため息を一つついた。
尚史「で・・・・・目的は何だ」
武久「やっぱり察しがいいな。昔、お前に話したことを覚えているよな」
昔話したこと。それを思い出すのに、5秒もいらなかった。尚史は武久の目を見ず、黙って頷く。武久は話を続けた。
武久「覚えてるなら話が早い。尚史よ、今一度俺達と一緒に」
尚史「断る」
即答だった。孝道は少々驚き気味だったが、武久は特に動じず、むしろ不気味な笑みを浮かべていた。
武久「可愛い妹との約束を果たしたいんじゃないのか。プロには行けるかもしれんが、ローカルズにからの指名はないかもしれんぞ」
尚史「・・・・・」
尚史は目をつぶって黙っていた。思い出しているのだ。妹のヒナが最後に書いた日記の内容を。それは・・・・・。
孝道「(啓一兄さん。どうやらあんたの唯一の味方も、落ちるみたいだぜ)」
孝道と武久は尚史を見ている。尚史はまだ目をつぶっており、考え込んでいる。
武久「尚史」
孝道「・・・・・」
僅かな静寂の後、尚史の口がゆっくりと開いた。
尚史「俺は・・・・・」
祖父「凄いヒットじゃったな。まあぐうぜ・・・・・どうした、啓一?」
顔が青ざめ、ガタガタと布団の中で体を奮わしている。
見た目からして、相当危ない状態だが、啓一は口を何やら必死にもごもご動かしていた。祖父は耳を近づけ、それを聞き取る。
啓一「・・・」
祖父「?」
啓一「アイス食い過ぎた・・・・・腹が痛い」
祖父「・・・」
5秒ほど祖父は黙った。そして一言。ど阿保と。
尚史「・・・・・」
球場近くの駐車場。ワイワイと騒ぎながら帰っていく観客達。泣きながら、バスに乗り込む讃岐高校らしき生徒達。そんな光景を尚史はボーと見ていた。
尚史「後悔する・・・・・か」
孝道兄さんが帰り際に残していった言葉だ。プロに入れる。しかも、ローカルズにだ。
俺にとってこれ以上のないことだ(どのような手段を取って入るのか聞いてみたかった気もするが)。だが、俺は断った。
楽な道なんぞ歩みたくない。俺の道はいつも茨の道だ。それにヒナなら、例えプロに行けなくても、俺が野球をしていれば喜んでくれるはずだ。そんな気がする。
あい「結城さ〜ん」
バフッという音と共に暖かさと柔らかい感触が背中から伝わってくる。・・・・・柔らかい?
尚史「あい・・・・・当たってるんだが」
そう言うと、あいの腕にさらに力が加わり、離れようとしない。
あい「あ、当ててるんです」
それを聞いて、思わず吹き出してしまった。あいがそんなことを言うような奴だったか。
きっと理奈あたりが、そう言われたらそう言うように忠告したんだろう。と勝手に理奈のせいにしておく。いや、ていうか前から何か痛い視線が・・・・・。
あおい「・・・・・」
・・・・・勘弁してくれ。あいには何も手を出してないから。寧ろあいが・・・・・。だから殴るのは・・・・・。
(バフッ)
尚史「・・・・・はい?」
な ん で す と ?
バフッって・・・・・あおいちゃんまでもが抱き付いてる。まだ夢にいるんじゃないのか。
いや、この二人の感触は紛れもなく現実のもの。・・・・・やばい、段々頭がおかしくなってきた。
咲輝「熱いわね〜。先にお父さんと篠原君達を帰しといてよかった」
理奈「とりあえず写真撮っておこう。尚史のあんなマヌケな顔、滅多に見れないし」
咲輝「そうね。私も撮っておこうと」
球場近くの駐車場。戦いの後の穏やかな秋の風。暖かい陽射しが尚史達を優しく包み込む。
尚史は今にも吸い込まれそうな空を見上げ、幸せそうな表情を浮かべていた。
朝から真っ白な雪に覆われ、雪が降りやまぬ、ある2月の日。神城高校にある電話が一本入った。それは選考委員会からであった。校長が慎重に電話を取った。
神城高校 徳島代表に決定。
神城ナインが今、全国へと羽ばたく。