第2章
緊張という魔物





春の選抜高校野球。選抜とは、多くの中から良いものを選び抜くこと。

則ち、県予選を勝ち抜き、他県の強豪と戦い、勝利を勝ち取って来た高校のみが選ばれる。

近年では21世紀枠といったものが作られ、県予選で8強に入り、恵まれておらず、地域や他の学校に良い影響を与えているなどの理由から認められた高校は、

選抜甲子園大会に出場することが出来る制度である。ちなみに裏では反対している者もいるらしい。

合計32校ものチームが揃い、今年も熱い戦いを繰り広げる。栄光の優勝旗を目指して・・・・・。

「・・・・・終わりです。福岡実業高校、ノックを始めてください」

青い帽子に、縦縞ラインのユニフォーム姿の選手達が一斉に飛び出した。全員背が高く、ガタイもいい。

さらに監督も顔の皴こそはやや目立つものの、捲くり上げた袖から丸太みたいな腕が露出されており、選手以上に気合が入っていた。

この監督の名は、木相 大二(きあい だいじ)。

気合と根性を信条にし、春3回、夏5回とこの高校を甲子園に導き、強豪に変えた今年で50歳になる名監督である。

去年の夏の大会ではベスト4まで勝ち進んだ。木合監督によると、今年は最高のメンバーらしく、今選抜では優勝候補にまで取り上げられていた。

そしてその高校と不幸にも1回戦であたってしまった高校。それは・・・・・。

「尊おとなしくしてるかねぇ・・・・・」

Kと書かれた黒い帽子に濃い目の青い鍔。ユニフォームはズボンも合わせて白で、真ん中に黒いライン入っている。

アンダーシャツは鍔と同じ色で、高校野球には珍しい色のユニフォームであった。

その中でベンチに深く腰掛け、相手チームの激しいノックを欠伸しながら見ている少年が呟いた。

そんな様子を髪を束ねた少女が見ていた。その表情はかなり呆れ気味だった。

「いいわね、君は呑気で。相手が夏の大会のベスト4に入ったとこなのに」

やや皮肉混じりなことを言いつつ、少女はベンチに置いてあるグローブを手に取った。

そしてそれを手に嵌め、ボールを軽く上下にトスさせた。少年はまた欠伸をし、少女に言う。

「いや、去年の4強ならもうそのうち1校と戦ったし。しかも4回」

尚史の言っている1校。そう、かつて高校野球界の天皇とまで言われた榊がいた白零大付属である。

榊はエースナンバーになったのが2年の秋ながら、甲子園通算15勝1敗。それに加えて、高校通算での自責点は僅かに3。

5期連続ベスト4以上に導いたのは彼無しの活躍では語れない。そんな高校相手に神城高校は、大接戦を何度もくり広げている。

尚史が呑気にいられるのも無理もないといえば無理もない。ただ尚史が忘れているのは、ここが球児達の聖地、甲子園であること。

他の部員達はあまりの観客の多さにガチガチに固まっていた。固まっていないのは、尚史とあおい、それと監督の今井俊彦であった。

「監督はいいにしても、何で君は緊張してないわけ?」

首を後ろへ回し、あおいの目を見ながら尚史は尋ねた。あおいは目を輝かせながら答える。

「だって、憧れの甲子園で投げられるんだよ。緊張どころか、ワクワクしてるよ」

「流石だな」

簡単に相槌を打ち、隣に立ててあるバットケースに手を延ばした。ケースの蓋を開け、中のバットを取り出した。そこであることに気付く。

「これ・・・・・軟式用だ」









「1回の表、神城高校の攻撃です。1番 センター 川上さん。背番号8」

理奈が左打席に入った。バットを1回転させ、バットの先が投手に向けられる。左手で右袖を引っ張る。

視線は相手投手の目、それとも綺麗な青一色に染まった空か。いつも見せている笑顔はなく、代わりに非常に冷静な表情があった。

当然内心も冷静である。いつもならそうなのだが、今回は違った。

「袖を引っ張り過ぎている。あいつ相当緊張してるな」

そう。尚史の言った通り、理奈は甲子園の雰囲気に緊張しているのだ。試合中は割とポーカーフェイスだが、流石に緊張までは隠しきれなかった。

「(落ち着け、落ち着け、落ち着け・・・・・)」

心の中で何度も念じる理奈。だがそれとは逆に、体はどんどん固まっていき、汗も止まらない。

「(落ち着け、落ち、って言ってる間に来た!)」

緊張を和らげることに必死になりすぎ、試合が始まっていることにまったく気がつかなかった。

当然、理奈は踏込みすら出来ずに見送った。判定は当然ストライク。

「(速いな。140は確実に出てる。流石全国レベルだな)」

理奈がまたぎこちなくバットの先を相手に向けた。緊張はまだ解けていない。

「(今度こそ落ち着け、落ち着け、落ち着け・・・・・)」

第2球目、またもやストレート。

インサイドの球。理奈はこれを打ちに行ったが、緊張のせいか、いつものスイングが出来ず、バットの根本に当たり、詰まってしまった。

打球はフラフラと上がり、ピッチャー頭上に上がった。黒坂が落下点に入り、それを捕球する。グローブの渇いた音が歓声に掻き消された。

「(強豪との対決というより、緊張との戦いだな)」

見た感じ打線で頼りになるのは自分とあおいの二人とみていい。これは誰が見ても明らかだ。全員が緊張しきっている。

もしこれであおいまでもが緊張していたならば、もっと危なかったに違いない。そんなことを言ってる間に、高橋が三振で終わった。

「3番 ピッチャー 一条さん。背番号1」

さあ来なさい!

バットを下から突き上げ、その先を相手に向けた。そして突き上げたものをゆっくりと戻し、肩を軽く揺らしながら構えた。

その構えは、ミスタージャイアンツの枠を越え、ミスタープロ野球とまで呼ばれた男、長嶋茂雄のフォームとそっくりであった。

「(大会第1号は僕が打つ!)」

とにかく意気込んでいるあおいだが、それが裏目に出た。いわゆる気合の空回りというやつだ。

「ストライクバッターアウト!チェンジ!」

1、2球目はボール球を振らされ、3球目にはボールではなく、ヘルメットを豪快に飛ばし、空振った。それは尻餅をつくほどの凄まじいものだった。

「ミスターか、君は」

「力入り過ぎちゃった」

頭を軽く叩き、舌を出してアハハと笑った。尚史は、少し笑い混じりの息を一つついた。









「1回の裏、福岡実業高校の攻撃です。1番 ライト 三輪君。背番号9」

マウンド上で入念な作戦会議が行われていた。真奈がミットで、あおいがグローブで口を隠している。三輪は右打席に入って、軽く素振りをしていた。

「ホンマにそれでええんやね」

真奈が真剣な目であおいを見る。あおいの目はあいが笑ったときみたいに、穏やかなものであった。

「いいよ。打たれたら止めればいいしね」

「わかった。じゃあそれでいきましょ」

作戦会議が終わった今、ここに用はない。真奈はキャッチャーポジションに戻り、マスクを被った。

審判の高らかな声が響く。あおいは大きく振り被り、上体を大きく捻った。









「結城だけかと思っていたが、あの女ピッチャーも大した奴だな。流石に白零大付属と投げあって来ただけのことはあるってか」

3塁側スタンド入口前。学生服姿に黒い帽子被った若い男が、前の手摺りにもたれかかるようにして立っていた。

帽子からはみ出ている髪は、黒色にやや金が混じっている。高校生にしては、奇抜ではある。だが、それが地毛だから仕方がない。

「女にしてはかなり速い。速いが、140k/m程度なら福実は普通に打ってくる。白零大付属と対等に戦えたのだから、何かはあるだろうけどな」

男は手に持っていた残り少ない飲物を一気に口へ流した。その瞬間、甲子園は歓声に満ち溢れた。

マウンドからあの女投手が降りていく。男の表情から不敵な笑みが思わず漏れる。

「(早く戦いたいもんだ。そしたら、俺がねじふせてやるからよ)」









「2回の表、神城高校の攻撃です。4番 サード 結城君。背番号5」

「・・・・・」

真剣な眼差しでバットを見つめたまま、右打席に入った。

先ほど真奈・あおいバッテリーがやっていたように、福実のバッテリーもマウンドで作戦の確認をしていた。

「大丈夫だな」

ミット越しにしゃべる福実のキャッチャー、住田。福実のピッチャー、黒坂もグローブ越しに返事を返す。

「ああ、大丈夫だ」

「あの榊投手から2ホーマーらしいからな。用心に越したことはない。じゃあ頼んだぞ」

真奈・あおいバッテリーより多少短い作戦会議を終え、住田は元のポジションへと帰っていった。

黒坂はロージンバックを手に取り、尚史の様子を窺う。そのときだった。

「あ〜・・・・・まさかそのバットで打つつもりじゃないだろうね」

その言葉を言ったのはもちろん尚史でも住田でもない。黒いマスクをつけた審判であった。

「駄目?」

尚史が真顔で当たり前のことを聞く。

「駄目」

審判も真顔で尚史に返事を返す。尚史は、やっぱりかというような表情を浮かべながら、ベンチに駆け足で帰った。そんなやり取りを見ていた住田は思う。

「(軟式バットで打とうとするか、普通。度胸があるというか、馬鹿というか、なんというか・・・・・)」

呆れるしかない。住田はそう結論付けた。

「プレイ!」

軽いトラブルがあったが、試合が再開された。尚史が軽くバットを振って構えを取る。スタンスは狭く、上半身がややベースに寄り掛かっている。

ピッチャーからすれば、それは邪魔にもなる。デッドボールの心配があるからだ。だが、住田はあえてそこに投げ込むことを要求した。

「(お前の145k/mストレートでのけ反らせてやれ。当たったって関係ない。おもいっきり投げろ)」

黒坂が2回ほど頷き、大きく振り被る。尚史も足を大きく引き上げ、片足一本の体勢をとった。

普通なら多少はぐらつくはずなのだが、尚史は微動だにしない。まさに王貞治如くの足腰の強さだ。

「(そんな不格好な打ち方で俺の球が打てるかよ!)」

迫力のあるフォームから黒坂が内角にえぐり込むようなストレートを投げ込む。145k/mは軽く出ている。

流石今大会屈指の剛腕投手である。尚史は振らず見送った。のけ反るようにして。

「ストライク!」

「(のけ反ったな。次は外角か?)」

住田は素早い手の動きでサインを出す。

「(いや、内角だ。お前のスライダーなら球速はストレートとさほど変わらない。絶対に空振るはずだ)」

「(OK)」

黒坂が頷く。尚史がグッと構える。第2球目。またもや内角。尚史が軽く外側へ踏込み、これを打ちに行く。

何!?




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