住田は思わず驚きの声を上げた。
(ゴッ!)
「デッドボール!テイクワンベース!」
外側へ踏込んだまではいいが、ヒットにするには厳しいと、咄嗟に判断しスイングを途中で止めた。
そしてコントロールミスのスライダーがそのまま尚史の太股に直撃したのだった。
「ちと痛い・・・・・」
小さく呟きながら、1塁へと向かう。向かう途中、太田が心配して来たが、大丈夫の一言だけ言って、コーチャーズボックスへ帰した。
「(黒坂・・・・・お前、しょっぱなから失投すんなよ)」
黒坂が帽子を取り、軽く頭を下げている。坊主頭が汗で眩しく光っている。
このあと黒坂は5番の佐々木守、6番の佐々木真奈を三振、7番の篠原をセカンドゴロに仕留めた。
尚、佐々木兄妹が三振の際にバットをぶん投げたことを付け加えておく。
「2回の表、福岡実業高校の攻撃です。4番 レフト 松沢君」
松沢が木のバットを持って、左打席に入る。今大会唯一の木のバット者らしく、その打撃はそれに担うものを持っていた。真奈が松沢を見て、配球を考える。
「(打率0.435 本塁打4 打点8。これを全部木のバットでやっとるから驚きや)」
ちなみに尚史の地方大会の成績は、打率.263 本塁打2 打点8。本塁打と打点はいいが、クリーンアップを打つには打率が物足りない気はする。
しかし怪我から復帰したてと考えれば、充分かもしれない。
「(となると低めやね。あおいちゃんの球ならヒットはあっても、ホームランはないしな)」
真奈がミットを外角低めに構える。しかしサインは出さない。あくまで考えるのはコースまでだ。
何を投げるかは1回のときに決めている。その証拠にあおいは振りかぶっている。
上体を大きく捻り、第1球目。インコース寄りの低め。やや甘いかもしれないが、140k/mストレートなのでまずホームランはない。真奈はそう信じていた。
(カーーーン!!)
「!」
飛ばされるはずのない球が、ライトスタンドへと伸びていく。あおいは振り返らず、真奈はマスクを取って打球の行方を見送っていた。
「ファール!」
甲子園独特の浜風のおかげか、ライトポール際で大きくキレていった。
松沢は今の打球に小さく舌打ちをした。真奈は胸を撫で降ろし、あおいはやや焦り気味の笑みを浮かべていた。
「(あと少し速かったらやばかったわ。これがベスト4の4番か・・・・・)」
「(それでもストレートよ。それ以外の球を投げる気は毛頭にないわ)」
真奈がまたもや内角にミットを構える。第2球目。さっきよりやや厳しい内角低め。
しかし、これを松沢は苦もなく捕らえる。派手な音と共に打球が高々と上がった。
「(今度こそ入れ!)」
しかし松沢の願いも空しく、またもやライトポール際で大きくキレていった。
「(今のはプロでも入らんわな。打ってもファールになるだけや)」
あおいが肩や帽子を触ってしきりにサインを出す。
「(さて追い込んだとこで行きますか、真奈ちゃん)」
「(いつでもどうぞ)」
ゆっくりと振りかぶり、あおいが上体を大きく捻る。松沢の手に自然と力が入り、バットが微かに動いている。
捻った上体を一気に解き、腕を目一杯振った。松沢が大きく踏込みそれを迎え撃つ。
「(!?)」
目一杯振られた腕から140k/mのストレートはなかった。115k/mのストレート。抜いた球である。
松沢は140k/mストレートのタイミングで踏込んだため、体が泳いだ形となった。何とか当てようと、松沢はバットを出す。
(コツ)
「ご苦労さん」
打球はあおいの前に力無く転がった。あおいがゆっくりとグローブで捕球し、1塁へ投げる。
ファーストの佐々木のミットから渇いた音が響き、審判がアウトを宣告した。
「(ストレートとほとんど同じフォームだった。凄いピッチャーだ・・・・・)」
木のバットを肩に担ぎ、松沢はベンチへと帰っていった。
「5番 ファースト 田沼君。背番号3」
「(チェンジアップがあるらしいな。なら、それを狙ってやるまでだ)」
田沼がバットを立たせて構える。あおいが振りかぶる。初めから何を投げるのかを決めているので、すぐに投球に入れる。
上体を大きく捻り、第1球目を投じた。ど真ん中のストレート。チェンジアップ狙いの田沼は動けなかった。
「(初球はストレート・・・・・)」
第2球目。外角高めのストレート。また田沼は動けない。そして、第3球目。
「(ストレート!)」
頑固にチェンジアップを待っていた田沼は、ど真ん中ストレートを見逃すしかなかった。結果、見送り三振。田沼は悔しさのあまり、バットを叩きつけた。
「6番 セカンド 石見君。背番号4」
「(よし、ストレートだけに狙いを絞る。チェンジアップは捨てる)」
だが、石見に対しての配球にストレートはなかった。1球目からチェンジアップ来たのだ。石見は完全に泳いでしまい、ショートゴロに終わった。
黒坂、あおいの両投手の好投により、試合は投手戦になった。
驚くべきことに、双方ともノーヒットに抑えているのだ(黒坂 奪三振8 四死球3。あおい 奪三振5 四死球2)。
現在5回の裏。あおいが8番 忠岡を三振に打ち取り、ちょうど終了したところだった。
「6回の表、神城高校の攻撃です。1番 センター 川上さん。背番号8」
まだガチガチ固まった理奈がバッターボックスへと向かう。足取りはかなり重い。これだけ固まった状態で、今までエラーしなかったのは奇跡と言えよう。
「待て理奈。このバットを使え」
まだベンチからさほど離れていない理奈を捕まえ、銀色の金属バットを手渡した。
「あ、ありがと」
今持っている金色のバットを尚史に渡し、銀色のバットを持ち替え、理奈は再びバッターボックスへと向かった。
「(1番の私が何とか出ないと・・・・・)」
左手で右袖を軽く引っ張り、相手投手にバットの先を向けた。そのときだった。
「バットを取り替えてきなさい・・・・・軟式バットで打つ気かい?」
理奈は何を言われているか初めわからなかった。とにかくバットを指摘されてるので、それの根本を見てみる。
そこにははっきり書かれていた。『軟式用』と。理奈は頬を一気に紅潮させ、慌ててベンチへと走った。
「なんて物を渡してんのよ!しかもこれ私のだし!」
頬を紅潮させ、怒りによってさらに目を吊り上げている。しかし、尚史は特に臆することなく返事を返した。
「まあなんとなくおもしろ」
(メシャ!)
面白そうだったから、その言葉を言い切る前に尚史は軟式バットで殴られた。
血が吹きだし、あっという間に水たまりを作っている。その光景は、よく公園などで見かける噴水のようであった。
そんな光景を作った張本人は、まだ納まらない怒りを表に出しつつ、バッターボックスへと向かった。
「あームカつく!試合が終わったら、おもいっきりタコ焼きおごってもらうんだから!」
再び左打席に入り、また左手で右袖を引っ張った。住田がサインを出し、黒坂が軽く頷く。
理奈が足を軽く開き、バットを半回転させ、肩に担ぐように構えた。それに堅さはない。先ほどの尚史の件が理奈の緊張を和らげたようだ。
こうなると本来の理奈の力を発揮できる。内角高めの145k/mストレートなんて関係なかった。
(キィン!)
「!」
右中間に低いライナーが芝生の上を突き進む。ワンバウンドしてもその威力は衰えず、あっという間にフェンスに到達した。理奈は1塁を蹴り、2塁へ。
3塁へ行きかけたが、間に合わないと判断し、そこで止めた。これが両軍通じての初ヒットであり、初の得点チャンス。
「2番 セカンド 高橋君。背番号4」
「高橋君」
ネクストバッターサークルから、バッターボックスへと向かう高橋を、次の打者のあおいが呼び止めた。
高橋の表情は緊張のせいか、かなり強張っている。あおいは、あいみたいな笑顔で高橋にあることを伝える。
「実はね、咲輝先生がここで打ってくれたら、後でハグしてあげるって」
「ハグ?・・・・・・ハグ、ハグ」
高橋がその言葉を小さく何度も繰り返す。そして強張っていた表情が、一気に紅潮する。瞬間湯沸器顔負けである。
「ハグ、ハグ、ハグ・・・・・」
気が弱いが、いつも真面目で他人に優しい高橋が、壊れる寸前のロボットみたいになっている。
あおいは緊張をほぐすために言ったつもりだが、逆に心配になってしまった。しかし、もう壊れたまま打席に入ったので、止めることはできない。
あおいはネクストバッターサークルで静かに見守ることにした。審判の手が上がり、試合が再開される。まさにその刹那だった。
(キン!)
高橋は初球外角に逃げるカーブを快音と共に流し打った。打球は3遊間のど真ん中を見事に破り、レフト前に落ちた。
2塁ランナーの理奈は3塁で足を止めた。浅いレフト前では、エンドラン以外帰ってこれるはずがない。
これでノーアウト1、3塁。この好機に3番 あおい。だが・・・・・。
「ストライク!バッターアウト!」
「力入り過ぎ・・・・・」
ネクストバッターサークルで軽く素振りをしていた尚史が、あおいのバッティングに小さなため息を漏らした。
これであおいは3打席連続三振。それでもあおいは笑っていて、特に気にしていない様子だった。・・・・・我慢しているようにも見えるが。
「4番 サード 結城君。背番号5」
尚史が打席に向かう。それだけで甲子園が、ワアアアア!という歓声に包まれる。
そしてブラスバンドや熱い太鼓が鳴り響く。思わず尚史の顔から笑みが漏れる。
「プレイ!」
尚史が前でバットを軽く振って、構えをとる。スタンスは狭く、肩幅と同じくらいか、あるいはそれより狭いか。
「(さっきはストレートから入った。だから、今度はスライダーから入る。盗塁してきても、俺の肩で刺してやる)」
住田が内角に寄って、ミットを構える。黒坂が頷き、足を上げる。
黒坂から投じられた球は、ど真ん中から鋭く内角に移動し、ベースを通過する。判定はストライク。尚史はぴくりとも動かない。
「(1球目は変化球・・・・・)」
2球目。外角から中へ入るカーブ。しかし、ややボール気味だが、尚史はこれに手を出して、ファール。
「(2球目も変化球。もし3球勝負で来るなら・・・・・)」
考えをまとめるために、尚史が手袋を付け直す。そしてバットを軽く振って、肩に乗せた。黒坂はロージンバックに触れ、気持ちを落ち着かせる。
その間に住田が配球を考え、サインを出す。黒坂がロージンバックを投げ捨て、振りかぶる。
尚史も肩に乗せていたバットを降ろし、構える。第3球目。内角低めのストレート。今日最速の球速147k/m。それが尚史の膝元をえぐる。
「(やはりストレート!)」
引き上げていた片足を降ろし、溜められていたものを前足に乗せて、一気に解放させる。その力がバットに伝わり、難しいコースの速球を捕らえた。
(キィィィン!!)
「レフトー!」
派手な金属音と共に、左中間の青い空へ舞い上がる。
しかし、尚史の打球にしては珍しく、真っ直ぐ伸びていくライナーではなく、綺麗な放物線を描いている。地上から空へと虹が伸びているように。
「(芯から少し外れた分際どい。入れ!)」
福実のレフトが追い掛ける。フェンスに到達する前にレフトが打球を追い抜いた。しかし、打球はそれ以上に伸びていく。レフトがフェンスに登る。
そこから落ちてくる打球に飛び付いた。レフトがグラウンドに落下する。左中間スタンドから歓声が沸く。審判の腕が大きく回った。
「入ったーー!均衡を破る、値千金の勝ち越しスリーランホームラーーン!神城高校先制!3-0!」
「(遊び球ならロージンはいらない。あとロージンを取ったということはこの球で確実に決めたい球ということ。つまり奴の場合、必然的にストレートになる)」
尚史が1塁ベースを回ったところで、小さくガッツポーズを取った。黒坂はマウンドに膝をついて、うなだれていた。
「7回の裏、福岡実業高校の攻撃です。3番 キャッチャー 住田君」
尚史のホームランの後、さらに1点を追加し、黒坂から4点を奪い取った。ちなみに、7回の表にあおいがまたもや三振。
4打席連続三振を記録したことを伝えておく。そして回はさらに進み7回。黒坂のノーヒットノーランは途切れても、あおいはまだ続いていた。
「(そろそろ140k/mのストレートは無理かも)」
これは向こうのタイミングが合っているからという理由ではない。単にあおい自身が制球したストレートを投げることに限界を覚えたのだ。
「(真奈ちゃん。そろそろいくよ。ちゃんと取ってね)」
あおいは帽子の鍔に触れ、そこから何度か弄るような仕草を見せた。真奈はわかったと返事代わりに、ミットを何度も激しく叩き、大きな声で叫んだ。
「しまっていきまっしょい!」
真奈が右手に持っていたマスクを被る。審判の手が上がり、真奈よりやや小さな声がグラウンドに響く。
「プレイ!」
あおいの足が上がり、上体が大きく捻られる。打者に対して、背中を見せており、顔はあまり見えない。
捻られた上体によって力が溜まり、それを解くことによって、より力強い球が投げることが可能になる。
今、あおいの上体が解かれた。まるで綺麗に結ばれたリボンを解くように。
「(こ、これは!?)」