第5章
それぞれの夜





淡い色に染まり切った山々。その稜線に沈み行く夕日は、名残惜しそうに美しい光を放ち、地上をオレンジ一色に照らす。

東の方は徐々に暗黒に染まり始め、小さな星が見え始めていた。

「・・・」

街道の電灯が淋しげに点滅し、公園のブランコが春の優しい風で自然に揺れている。その隣に制服姿の少女が立っていた。

制服の胸ポケットのところに「高」と書かれた校章がつけられている。

だがその容姿を見る限り、高校生とは少し言い難い。髪型は多少短めで、片側だけをゴムで無理矢理縛っていた。

「・・・」

少女はやや虚ろな目で公園の木を見上げていた。地面には無数の花びらが散っており、それらはどれも淡い色であった。

「・・・」

少女が見上げている間に、公園の木から淡い色の花びらが風に舞い、また散ってゆく。少女はそれを目で追った。

花びらは地面に静かに落ちた。少女はその場に座り込み、その花びらを拾い上げる。そして座り込んだまま、少女は木をまた見上げた。

「ああ、またここにいたか」

少女は男の声がまったく届いていないのか、まだ公園の木を見上げていた。

男は頭を軽く掻き、少女の背中を軽く突いた。すると少女の体は、一瞬電気が走ったかのようにビクッと揺れる。そして少女は後ろへ振り向いた。

「お前は本当にこれが好きなんだな。そんなにいいか?」

男は少しオーバーに口を大きく動かし、言葉を発した。少女は特に気にせずに、軽く頷く。男は少し苦笑しつつ、少女に言う。

「まあ別に見てるのは構わんけど、あんまり人を心配さすなよ。もう暗いんだし」

少女は黙っていた。特に怒りや悲しみの篭ってない虚ろ気な目をただ黙って、男に向けていた。

「・・・なした?」

男が短く尋ねると、少女は木を指差し、今まで閉じていた口がゆっくりと開かれる。

「夜桜を・・・見たかったんです」

凄く小さな声量。ちょっとした騒音で掻き消されてしまうぐらい。だが、透き通るような声だった。男はキョトンとした表情で、少女に尋ねる。

「夜桜?」

先ほどまで山の稜線に映えていた夕日は、完全に沈んでおり、ほとんど闇に染まった空には、無数の星とぽっかりと半分の月が浮かんでいた。

少女は完全に後ろへ振返り、話を続けた。

「夜歩くことが家では許されてないから・・・見るなら今しかないと思ってたんです」

先ほど拾った花びらを手に乗せ、それを優しい目で、時折指でなぞりながら、少女は見ていた。

「なら仕方がないか。お前も色々大変みたい・・・・・じゃなくて、大変だしな」

少女は手に乗せていた花びらを摘み、そして小さな風が吹いたときにそれを手放した。

花びらは風に舞い、地面へとゆっくりと落ちて行った。少女は静かに微笑み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「でも、あの球を投げられるようになったのは、これになったおかげでもあるんですから。とにかく明日が楽しみです」

「お前の言っていた先輩か。しかし凄い奴を先輩に持っていたな・・・」

そう言って、男は腕につけていた時計を何気なく見る。針は6時15分を指していた。

「もう6時過ぎてんのかよ。まだいるのか?」

少女はゆっくりと闇の方へ目を向け、その中に輝くぼっかりと浮かぶ半月を見た。そしてしばらく見てから、少女は答える。

「綺麗な半月・・・。夜桜にぴったりと思いませんか」

少女の答えは、遠回しに「はい、います」、ということを言っているのだ。男は微笑を浮かべつつ、少女に言った。

「しょうがない奴だな。仕方がないから、ボディーガードとして、一緒にいてやるよ。エースに何かあったら困るしな」

頬を軽く指で掻き、少女とは逆の方を向いて男は言った。少女は意地悪そうな笑顔を浮かべ、男にからかうの言葉をかける。

「先輩といる方が危ないと思いますよ」

男は笑みを浮かべつつ、多少怒りの篭った声で、少女に言い返す。

「こら。キャプテンを信じろ。その辺のオッサンよりはましだろうが」

「比べるものが低いですよ」

「確かに」

男が小さく微笑み、少女も幸せそうに笑った。春のまだ肌寒い風が吹き、公園の木々が軽く音を立てて揺れる。

そして淡い色の花が、眩い光の半月に照らされ、風に舞い、また散って行く。少女は額に手の甲を当て、その光景を物寂し気に見ていた。









甲子園付近のある旅館。甲子園から歩けば、約10分ぐらいでたどり着くことができる。

この旅館は、このあたりでも長い歴史があり、大きいわりにはサービスがよく、値段も手頃らしく、人気の高いそうだ。

その旅館の庭に広い和風の個室がある。所謂、離れの間というやつで、扉には立入禁止という貼紙がされていた。

そこから少し離れた縁側に少女が腰をかけている。膝の上には丸まった黒猫が眠っていた。少女は黒猫の背中を時折軽く撫でて、空を見上げていた。

「月と星が出てて、綺麗やわ〜」

夜空には半分の月と無数の星が出ていた。この日は雲というものが存在しておらず、月は遠慮なく光を放出していた。

少女がその夜景にうっとりしていたとき、誰かが声をかけてきた。それは少女の兄、佐々木守であった。

「何しよんや、真奈」

真奈と呼ばれた少女は、守の方へ振り返らず、視線を変えることなく返事を返す。その声はいつもより間が抜けていた。

「月見てるんや〜。兄さんも見てみ。めっちゃ綺麗やで〜」

守は妹に言われて、空を見上げた。しかし、自分にはあまり風流に親しもうとする心がないため、どうでもいいという感想だけが、頭の中で渦巻いていた。

「そういや、皆は?」

まだ肌寒い風が吹き、庭に植えてある木が揺れる。真奈はやはりのんびりした口調で答える。

「キャプテンと咲輝先生と監督は飲み会。あいちゃんとあおいちゃんと理奈ちゃんは変化球の名付け会議。結城先輩除く男共は怪談&エロ話」

「・・・・・阿呆共は置いといて、じゃあ結城はんは?」

やや呆れ気味の守の問いに、真奈は右手の指で何かを指した。それは立入禁止である離れの間だった。

「みこちゃんを私に預けて、あそこの部屋に入ってたよ」

「あそこって立入禁止のところやな。何しよんやろ」

「さあ・・・変なことはしてないやろうけど」

「気になるな・・・」









「568回振って、まだ切れない・・・」

暗闇に朧気に燃える2本の蝋燭。何かが擦り切れ、風切り音が響く。その音が響くたびに蝋燭の灯火が消えそうになる。

天井からは紐が垂れ下がっており、その先には小さな紙が括りつけられていた。その紙を切ろうと、少年が必死にあるものを振っている。

握りの部分は黒く、何やらバツ印みたいな模様が彫られている。銀色に輝き、鍔の部分より上は鋭く研ぎ澄まされている。

人に向かって使用するならば、まず無事では済まされない。そう。少年が振っているのは刀である。

「これを切れないと、春日の球はまず打てない。とにかく明日の朝までに、何とか切らないと」

少年は大きな息を吐き、また刀を握った。片足を上げ、そのままの姿勢で紙を切れる点を待つ。紙が静かに揺れる。そしてそのままゆっくりと回転する。

ある点に差し掛かったとき、少年、尚史の刀が動いた。畳が擦り切れ、足から血が吹き出す。尚史の刀が横に向いたそれを一閃する。

しかし紙が僅かに動き、平たいところに刃が当たった。ペシャという音と共に、蝋燭の灯火が揺れる。尚史はまた大きな深呼吸をし、そして構えた。









「私はこれがいいと思うけど・・・」

髪の毛を降ろし、ほかほかの湯気を立て、理奈が一条姉妹に意見を出していた。その姉妹の姉、一条あいがそれに反論する。

「いや、やっぱり私のがいいと思う」

やはりこちらもほかほかの湯気を立て、頭をタオルで海賊みたいに巻いていた。しかし今度は、妹のあおいが姉であるあいと理奈に反論する。

「ダメだね。やっぱり私のが1番ね」

そしてまた理奈が2人に反論する。こんなやり取りが実は、50回以上も繰り返されていた。

そして、それも10倍の500回目に達したとき、会議は単なる喧嘩に発展していた。

私の流星1号が絶対いい!(理奈案)」

いや、シャイニングボール!(一条あい案)」

絶対私の無双変化!(一条あおい案)」

会議もとい喧嘩は、鶏が鳴き始めるまで続いた。その間に、隣の人から苦情が何度も来たのは言うまでもない。









「なんで倒れるんじゃろうな・・・」

「わかんない・・・」

神城高校監督今井俊彦の前に、5本ほど酒缶(200ml)が転がっていた。その内訳は、俊彦3本、娘の咲輝が2本。

そして、2人の前に青冷めて倒れているキャプテン高橋。言うまでもないが、高橋は酒を飲んでいない。

「まさか酒の匂いもダメじゃったんじゃ・・・」

「かもね・・・」









「おお・・・」

「すごい・・・」

「先輩・・・俺、感動したっす」

「や、やばい・・・・・俺の(自主規制)」

暗い部屋に男達が、黒い箱型テレビに釘付けになっている。画面には、みだ(自主規制)が映っていた。

持ってきたと思われる少年、篠原が妖しい息を吐きつつ、満面の笑みを浮かべていた。

「苦労した甲斐があったぜ。お前ら俺に感謝しろよ」

篠原を中心に、いつの間にか円が出来ていた。そして、全員一斉に篠原に平伏した。篠原はやっぱり満面の笑みを浮かべていた。









それぞれの夜は更けていき、明日の試合を迎えた。ある少女と尚史。過去の想いを胸に、2人は甲子園の舞台に立つ。




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