第6章
先輩と後輩





春の選抜甲子園が始まってから6日が経った。この6日の間に1回戦が終わり、既に2回戦が始まっていた。

観客は2回戦ながら球場をほぼ埋め尽くしている。それはある少年のホームランを見に来たといっても過言ではない。

「神城高校の先発オーダーを発表します」

天候は1回戦と同じ、澄み切った青空が広がっている。気温もほどよく、春らしい天気と言えよう。風はライト方向から1塁側へと吹く向かい風。

甲子園独特の浜風が吹き抜ける。3塁ベンチ前に立つ長めの髪を持つ少年は、その風を涼しそうに受けていた。

彼の名は結城尚史。1回戦で早くも2本塁打を放ってしまった、神城高校の主砲である。

「(ライト方向からの風のせいで、レフトポール際は多分全部キレるな。ホームランはまず出ないと考えていい)」

それよりもまずヒットが出るかどうかが心配だった。何故なら相手が・・・・・。

「(春日・・・・・)」

腰に片手を当てて、1塁ベンチを見てみる。多少見えづらいが、確かにベンチにはショートカットの少女がちょこんと座っていた。

見た目は可愛い女の子だが、そのピッチングは凄い、いや上手かった。

「(まだ一本足打法じゃなかったとはいえ、中学のときのあの4三振は忘れない。だから今日こそ打ってやる)」

尚史はバットを1本取り出し、ベンチ前で軽く振り始める。決戦の時はもうすぐそこに迫っていた。









「1回の表、神城高校の攻撃です。1番 センター 川上さん。背番号8」

左打席に身長157cmの理奈が入る。Kと書かれた全体が黒、鍔の部分が濃い青のヘルメットから、やや長めの髪が食み出していた。

「(眠い・・・。昨日寝てないからな)」

理奈が眠たそうに足場を軽く固め、いつものように、ユニフォームの右袖を軽く左手で引っ張り、バットの先を投手へと威嚇するように向ける。

広島聖鈴のエース、春日桜はそれを気にせず、キャッチャーのサインを見る。しかし、春日はいきなりキャッチャーのサインに首を振った。

それが2回ぐらい続き、そしてやっと頷いた。春日が振りかぶる。オーソドックスなオーバースローからの第1球目。コースはど真ん中。

「(ど真ん中?頂きね)」

時計の振り子のごとく、大きく振られていた足が前へと一気に振り出される。ライトスタンド。向かい風でも充分いけると理奈は思った。


(キン)


バットから小さな金属音が響き、理奈がホームランと思って打った球が、ピッチャー前に弱々しく転がった。

春日が丁寧に打球をグローブに納め、ファーストへと送球する。

ミットの渇いた音が小さく響き、審判が高らかな声でアウトを宣告した。理奈はバットを持ったまま、打席で立ち尽くしていた。

「(何で?確かに捕らえたはずなのに・・・・・)」

理奈は審判にベンチに戻るよう促されるまで、打席にボー然と突っ立っていた。

「2番 セカンド 高橋君。背番号4」

足を軽く開き、バットを肩に担ぐようにして、高橋は構えた。1回甲子園で試合をしたせいか、今日の高橋からは、緊張というものを感じさせない。

だが、今日はやたらとフラフラしていた。原因は昨日の酒の匂いである。

「(頭が痛い・・・)」

キャッチャーとのサイン交換が終わり、春日が振りかぶる。丁寧なフォームから、第1球目。ど真ん中のスローボール。

普通ならライトスタンドだが、頭の痛さに振ることが出来ず、高橋はこの球を見送った。判定は当然ストライク。

「(痛くて死にそう・・・)」

しかし、痛くても打席に立てば誰がどうであろうと関係ない。第2球目。またしてもど真ん中スローボール。

やはり高橋は頭が痛くて、手が出ない。カウント2-0。あっという間に追い込まれた。

高橋は足場を固めながら、頭の痛みを堪えつつ、次の球を考える。

「(2球ともスローボール・・・。本当ならストレートと考えるべきなんだけど、ここはあえてスローボールを狙う)」

考えがまとまり、肩に乗せていたバットを軽く浮かし構える。春日が振りかぶり、足を上げ、第3球目を投じた。

「(勘が当たった!)」

球種は、高橋が予想していたスローボール。さらに甘い内角球。非力な高橋でも、これだけ甘い球ならライトスタンドへ運ぶことぐらいできる。

高橋が、バットでこの球を巻き込む。しかし、バットから聞こえてきたのは快音ではなく、理奈と同じ小さな金属音で、弱々しい打球がピッチャー前に転がる。

「(嘘!?)」

高橋は自分の打った球を見て驚いた。ライトスタンドと思った球が、ピッチャーゴロなのだ。

バットを放り投げ、高橋は慌てて1塁へと走り出す。春日はさっきと変わらず、丁寧に捕球し、ファーストへ送った。

ファーストがこれを受け取り、ツーアウト。高橋は首を傾げながら、ベンチへと戻って行った。

「3番 ライト 一条さん。背番号1」

「(僕も眠い・・・。結局、名前決まらなかったし)」

あおいもまだ目が開け切っていない。理由は理奈と同じく、自分の変化球に名前を考えていたからである。

そんなあおいが打てるわけもなく、初球のスローボールを打たされ、ファーストゴロに終わった。









「2回の表、聖鈴高校の攻撃です。1番 セカンド 石原君。背番号4」

身長182cm、体重76kg。高校生にしては大柄な石原が、右打席に入った。

「(えらい大きい人やな。パワーもありそうなんやけど・・・)」

ホームランがない。あまり地方予選の記録を当てするのはよくないが、今回はそれを信用していいだろう。

何故なら、これだけ大柄な体格をしておきながら、バットを短く持っている。やはり短打中心のチームと見ていい。

正直な話、こういうチームの方が恐い。ホームランなら確実に1点入るが、ランナーが残らない。

だが、短打中心のチームは確実にランナーを出すバッティングをする。投手としてはこっちの方が精神的に嫌である。

これが足が速い選手なら尚更だ。盗塁があるかもしれないと、余計な精神を使うからである。

「(とにかくランナーを出さんようにせんと。でも今日の先輩から考えると、それも難しいかも)」

マウンド上の西条は、ロージンバックを片手に、大きな欠伸をしていた。理由は昨日のエロ会議である。それも朝方まで続いたらしい。

「(3、4点は覚悟がいるかも。だとするとかなり厳しいな。相手の女の子、かなりええピッチャーみたいやし)」

真奈はマスクを片手に大きなため息を吐いた。何故、ほとんどの者が今日のことを考えず、夜更かしをしたのか。

やはり兄の守が言っていたように、阿呆としか言いようがない。考えているうちに、真奈は何だか頭が痛くなってきた。

とにかく本番の西条を信じるしかない。真奈はマスクを被り、その場に腰を降ろした。

「プレイ!」

初めに表記し忘れていたが、これが両チームのスターティングオーダーである。


神城高校(先攻)

1番 センター 川上
2番 セカンド 高橋
3番 ライト 一条
4番 サード 結城
5番 ファースト 佐々木守
6番 キャッチャー 佐々木真奈
7番 ショート 篠原
8番 レフト 黒崎
9番 ピッチャー 西条


聖鈴高校(後攻)

1番 セカンド 石原
2番 ファースト 多田
3番 ピッチャー 春日
4番 キャッチャー 河崎
5番 ライト 赤津
6番 サード 光山
7番 レフト 西田
8番 ショート 山岸
9番 センター 桐岡


「(際どいコースを攻めていくしないなあ。低めに集めて、打たせていく配球でいこうか)」

真奈はストレートのサインを出し、外角低めにミットを構える。西条がそれに頷き、振りかぶる。第1球目。真奈の構えた位置とはまったく逆の内角低め。

当然キレもない単なる棒球。長身の石原がこれを苦もなく捉らえ、短く持ったバットでコンパクトに振り抜いた。


(キィィン!!)


石原の打った球はレフトポール際に吸い込まれるように飛び込んだ。レフトの黒崎は1歩も動けなかった。

いきなり入ったーー!!地方大会ではホームラン0本の石原が、なんと初球先頭打者ホームラン!聖鈴高校先制!1-0!

石原が拳を突き上げて、1塁を回る。ライトスタンドと1塁側スタンドは、いきなり歓喜に満ち溢れていた。

一方、レフトスタンドと3塁側スタンド、そして西条はア然としていた。いきなり初球先頭打者ホームランでは、そうなるのも無理はない。ただ1人を除いては。

「(なんやねんな。今のやる気のない球は。ふざけんとんのかい)」

真奈はマスクを外さず、西条を睨んだ。マウンドに行って、文句を言ってやろうかと真奈は思っていた。当の西条はへらへら笑っていた。

睨まれていることに気付いているのだろうが、いつもの真奈の調子に捉らえたのだろう。だが、この日の真奈は違った。

「(阿呆やわ。甲子園を完全にナメきっとる)」

いつのまにか、マウンドに向かっている足を止め、踵を返した。この先、打たれて慌ててしまえばいい。真奈の怒りはいきなり頂点に達しかけていた。

「(あと2、3点は入れられる。私がどんなにリードしてもな)」

真奈の予想は当たった。石原からホームランを打たれた後、聖鈴打線はいきなり西条に襲い掛かった。2〜4番まで連続ヒット。

そして6番 光山に左中間を破る走者一掃のツーベースが飛び出し3点。この回だけで一気に4点も奪われた。それでも真奈はマウンドに向かうことはなかった。









「2回の表、神城高校の攻撃です。4番 サード 結城君。背番号5」

尚史がバットを下げて、右打席に立った。ヘルメットを鍔を持って軽く弄るような仕草を見せ、バットを担いだ。

「(中3以来だな。まさかお前がエースナンバーをつけて、俺と戦うこととなるとはな)」

そのとき、春日が帽子を取り、軽く頭を下げた。尚史もヘルメットを取り、軽く頭を下げ返す。これには場内が沸いた。

「(変わらないな。礼儀正しさは)」

春日の相変わらずさに、思わず尚史から笑みがこぼれる。春日は帽子を深く被り、ロージンバックを手にした。

白い粉が舞い、浜風に乗って晴天へと消えて行く。審判の声が高らかに響き、試合が再び開始された。

「(この勝負はお前に任せる。俺がリードしてお前を後悔させるのは嫌だからな)」

春日が右肩を2回叩き、帽子の鍔に触れた。河崎は外角に寄り、ミットを構える。春日が振りかぶる。第1球目。

「(ストレートだ)」

130k/mに満たないストレートが、内角をえぐる。河崎の構えた位置とはまったくの逆球。尚史は僅かに体を開き、これを捉らえた。


(キィィン!!)


打球は高々と上がり、あっという間にスタンドに飛び込んだ。しかし審判は両手を大きく広げている。打球は僅かにポールの外側を通過したのだ。

「(ボール半個分ずらした内角球だ。あれは打ってもファールになる)」

第2球目。またもや内角をえぐるストレート。しかし、尚史は足を開き、外側にステップしたが、打つことはしなかった。

判定はボール。春日は小首を僅かに傾げる。

「(違うな。あれもわざと外している。カウントを稼ぐつもりだったんだろうな)」

尚史は前で軽くバットを振る。その間に春日が河崎にサインを出していた。

「(昔と変わってなければ、あいつの球種はストレートと変化なしのチェンジアップ。ストレートが2球続いたから、チェンジアップが1番匂う)」

サインが決まったのか、河崎がミットを構えた。今度は内角に寄る。ミットの位置は内角低め。

尚史もバットを耳の近くに持って行き、ややベースに屈むようにして構える。

「(ここは、素直にチェンジアップと読む。外れなら空振ればいい)」

春日が振りかぶり、足を小さく上げる。コンパクトに畳まれたフォームから、素早く第3球目が投じられる。

投球モーションに合わせて片足を大きく上げ、タイミングを取る1本足打方の尚史だが、これに狂わされず、足を真っ直ぐ降ろした。

コースは甘い高め。ホームランは確実。だが、尚史は何かを感じ取り、バットを落とした。

判定はストライク。だが、打たされて、アウトになるよりはマシである。

「(危なかった。手前で僅かに落ちた。このまま打っていたら、間違いなくピーゴロだった)」

春日はまたしても小首を傾げた。今のは間違いなく打ち取れたという自信があったのだろう。確かに普通の打者なら、確実にアウトになっている。

ただ、それが結城尚史だったということ。春日は腕を組んで、また新たに尚史に対する配球を考える。その間に河崎はさっきの尚史について、考えていた。

「(あれをバットを落として見送るとはな。やっぱ凄い。福実の黒坂から打った実力は伊達じゃないな)」

しかし、今その結城尚史を可愛い後輩が追い込んでいる。自分は何もやっていないのに、河崎から笑みがこぼれた。

「(悩んでいるけど、決め球はあれだな。ていうかあれで来い。他は打たれるぞ)」

春日は組んでいた腕を解き、サインを出した。河崎から再度笑みがこぼれる。

「(次は、流石にストレートだろ)」

尚史は軽く振っていたバットを止め、耳の近くで構えた。春日が振りかぶる。今度は教科書に載っているようなオーソドックスなフォームから第4球目を投じた。

「(何!?)」

春日が投じた球は、緩やかな孤を描き、河崎のミットに納まった。尚史のバットは、当然空を切った。

三振!三振!春日の変化球の前に怪童結城尚史空振り三振!

春日は遠慮がちに小さくガッツポーズを取った。尚史はヘルメットを取り、ベンチへと戻って行った。

「(今のはスローカーブだな。まさかあんなの覚えているとはな)」

ベンチに静かに座り、マウンド上の春日を見る。帽子から食み出しているやや短めに切られた髪が、風に揺れる。

尚史は目を閉じて、誰にも聞こえないように小さく呟く。




「もしかしたら負けるかもな」




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