「1回の裏、神城高校の攻撃です。1番 センター 川上さん。背番号8」
ヘルメットを深く被り、打席の外で理奈は、バットを極端なアッパースイングで軽く振っている。
桜ヶ丘バッテリーの長い作戦会議が終わるのを待っているのだ。やはり決勝戦ということだけあって、かなり慎重に来ているとわかる。
うちにもこれくらいの慎重さがあればな、と理奈はしみじみ思った。
「そいじゃあ、行きますか」
「いきなりぶつけんなよ」
「同い年の女にぶつけれませんって」
「それもそうだな」
マスクを片手に、レガースの音を派手に立てながら、笹田はキャッチャーポジションへと戻っていった。
大槻は大きく息を吸い、やや灰色に染まり始めた空に向かって大きく吐いた。審判の手が上がり、試合が始まる。
「プレイ!」
ボールを持った手を後ろに回し、やや前屈みに笹田のサインを見る。
理奈は左手で右袖を引っ張り、バットのヘッドを城のようにそびえ立つ、バックスクリーンに向けていた。
「(本塁打こそ0だが、打率6割の今大会首位打者。そして足もある。下手につまらすと厄介だ。ここは内角攻めでいく)」
「(内角を引っ張れば、間を抜かれない限りファーストに近いゴロになりやすいからですね)」
「(その通り。もちろん、投げる球は)」
「(ストレート)」
「(その通りだ)」
サイン交換の終わった大槻がゆっくりと振りかぶる。理奈がバットを1回転させ、僅かに足を開き、肩に担ぐようにして構える。
笹田が内角に寄り、ミットを構えた。大槻の腕から投じられたストレートが、笹田のミットに勢いよく飛び込む。乾いた音をたて、審判の腕が上がった。
「ストライク!」
「(立ち上がりにしては速い。140k/m出てる。とにかく粘らないと)」
左手で右袖を引っ張り、すぐにいつものように構える。足を大きく振り、第2球目を迎え撃つ。
「(また内角・・・)」
これも際どいコース。審判はストライクをコール。早くもカウント2-0。
「(次は流石に変化球が来るでしょ)」
足場を固め、再び肩に担ぐように構える。第3球目。
「(またストレート!)」
今度は内角高め。しかもボール1個分外れている。変化球と読んでいた理奈は、思わずバットを出してしまう。
(カン!)
「キャッチャー!」
「(普通なら三振だったが、上手くバットをコントロールして、当てたな。まあ、術中にハマったのは変わりない)」
キャッチャー左横に転がったゴロを素手で掴み、笹田はファーストに送球する。大柄なファーストの高浜がしっかりと受け取り、審判が宣告する。
「セーフ!」
「え!?」
予想外の宣告に、思わず高浜は驚きの声を上げる。この内野安打で、球場はいきなり興奮の嵐に包まれていた。
「(詰まったのがラッキーだった。あそこ以外だったら、確実にアウトだったわ)」
「2番 セカンド 高橋君。背番号4」
高橋が理奈と似たようにバットを担ぐようにして構えた。理奈は軽く屈伸運動をし、リードを大きめに取った。
大槻は首を動かさず、目だけで理奈を追っている。笹田はやや冷たい表情を浮かべ、マスク越しに高橋に話しかけた。
「久しぶりだな、キャプテン」
高橋は大槻の方へ首を向けたまま、笹田に短く返事を返した。
「そうだね」
「まさか神城がここまで来るなんて思ってなかった」
「僕は来れると思ってたよ」
「昔より強気になってるな。だけど、いつまで強気でいられるかな」
高橋に返事はない。笹田はど真ん中にミットを構えた。サインはストレート。頷いた大槻が足を上げる。理奈がその瞬間、スタートを切った。
「(いきなり来たか!)」
大槻は外角高めに大きく外し、笹田が立ち上がってそれを捕球する。
「(充分刺せる。俺の肩をナメるなよ!)」
素早い動作から、笹田がセカンドベース目掛けて、ボールを投じた。
それはしゃがみ込んだ大槻の頭の上をライナーで通過し、あっという間にセカンドのグローブに納まった。
後はセカンドがタッチするだけ。だが、それをすることは出来なかった。
「セーフ!」
理奈はユニフォームについた土や埃を掃い、大きく息を吐いた。そしてまた、大きくリードを取る。笹田はまたもや、理奈の足の速さに驚かされる。
「(まさかあれをセーフにするとは。恐るべき足だな)」
今度は、高橋は初めからバントの構えを見せている。理奈を3塁に送って、あおいの外野フライかスクイズで1点と考えるのが普通だろう。
だが、笹田は違う。あの足なら三盗もあると考えたのだ。その考えなら、次もストレートとなる。
笹田は大槻に高めにストレートを投げるようにサインを出した。
「(いかに駿足でも、外した140k/mストレートと100mの強肩じゃあ、流石に成功しまい)」
大槻の足が上がる。笹田のサイン通りに大きく高めに外したストレートを投げる。笹田はそれを捕球し、素早くスローイングの体勢に入った。
「(よし。予想通り走って来た)」
笹田が、サードの井町のグローブ目掛けて送球する。強烈な速さで、井町のグローブに納まった。
タイミング的にはアウト。笹田と大槻は確信した。だが、理奈はそれらの予想をさらに上回った。
「(何!?)」
理奈は足ではなく、頭から滑り込んだ。
さらに上手いことに、サードの井町が追いタッチになるように、回り込みながら滑り込んだのだ。審判の両腕が水平に上がり、セーフの声が響く。
「(上手い)」
「(あれをセーフにされちゃあ、成功した方を褒めるしかないな)」
マスク越しの笹田、そしてマウンド上の大槻は苦笑するしかなかった。
「(まあなんにせよ、逆に攻めやすくなりましたね)」
「(この球がある限り、向こうはバントすら出来まい)」
笹田が素早くサインを出し、ミットをど真ん中に構えた。大槻がニヤリと怪しげに微笑み、足を上げる。大きくリードを取っていた理奈が、スタートは切る。
「(うわ!?)」
大槻の投じた球は、急激に内角方向へ変化した。高橋は、バットを動かす暇もなく、根本に直撃した。
打球が小さく上がり、笹田のミットに納まる。そして、サードに送球した。
スタートを完全に切っていた理奈は、当然戻り切れずにアウトとなった。最悪のダブルプレーにより、一瞬にしてツーアウトランナー無しに。
「佐々木妹・・・今の見たか」
「ええ・・・スライダーですよね。しかも、かなり強烈な」
俊彦が組んでいた足を組直し、手の甲に自分の顎を乗せた。
「うむ。しかも、球速はストレートとあまり変わらん。こいつを捉らえるのは、ちと骨が折れそうじゃぞ」
そう言っている間に、3番のあおいがサードライナーに倒れ、チェンジとなった。
2回の表、あおいは先頭バッターの八幡を簡単に三振に打ち取った。そして、元同じチームとの1回目の対決となった。
「6番 キャッチャー 笹田君。背番号2」
笹田が、バットでホームベースをトントンと叩き、そしてバットを立てて構えた。
「(嫌なのが来たわね・・・)」
「(こちらの手の内がバレとるしな)」
「(いや、あのスクリューだけは大丈夫。バレてても、簡単に打てるものじゃないし)」
だが、そればかりを多用するわけにはいかない。スクリューを見せ過ぎて、軌道に慣れたりしたら、後々厄介である。
となると、追い込むまで投げるものが、自動的に決まった。
「(力で押すしかないわね。佐々木君、頼むわよ)」
あおいが帽子の鍔を2回触り、佐々木にストレートのサインを出した。佐々木はミットを突き出すように構え、あおいが振りかぶる。
「(一条。お前いつか言ったよな)」
1年生の夏、地区予選の浅瀬川商業戦のことだ。
恐らく四球を出したくなかった一条は、味方にすら教えていなかった、クロススクリューを投げ、見事クリーンアップを三振に打ち取った。
だが、どうしてそれを教えなかったのかやはり気になり、試合後、直接本人から聞き出してみた。その答えは、とても簡単なものだった。
「私、美味しい物は最後に食べる派だから」
立てていたバットを踏み込むと同時に引いた。
「(つまりお前は・・・)」
地面を舐めるようなストレートが笹田の足元をえぐる。
「(とっておきを隠すタイプだ!)」
その150k/mを越えるストレートを笹田のバットが捉らえる。すくい上げられた打球は、金属音とともに、空高く舞い上がった。
「(ちと振り出しが早かったな。これはキレる)」
笹田の思った通り、打球はレフトポールを僅かに外側を通って行った。
あおいは溜めていた息を大きく吐き、すぐに笑顔を見せた。笹田は一旦バットを肩に乗せ、そしてまたバットを立てて構えた。
「(隠すタイプなら、次もストレートだ)」
第2球目。予想した通り、ストレート。コースは外角高め。笹田はバットを出し、これも捉らえる。打球は真後ろへ飛び、ファール。
「(打球が真後ろへ飛ぶっていうことは、タイミングが合っているということや。このままストレートじゃ危ないで)」
もし自分がサインを出すとしたら、何を出すか。守の答えは決まっていた。
「(スクリューや。スクリューなら三振でいけるで)」
あおいからサインが出る。そのサインとは。
「(さあ来い。お前の新スクリューとやらを打ち砕いてやるよ)」
あおいが振りかぶり、上体を大きく捻る。捻られた上体を前足を踏み出すことにより、溜めた力を一気に解放させる。
あおいの腕が軽く捻られ、ボールにより強い回転を与えた。投じられた球は、ど真ん中を力強く突き進む。笹田が大きく踏込み、これを迎え撃つ。
「(捉らえた!)」
あおいが拳を突き上げる。佐々木守のど真ん中に構えたミットにボールが突き刺さり、笹田のバットが空を切った。
「ストライク!バッターアウト!」
「(やっぱりね)」
あおいは、笹田の狙い球を読んでいた。この打席はストレートを2回通打され、スクリューを投げざる負えなくなった。
だが、ここまで自分はスクリューを投げていない。ならば、笹田はここでスクリューが来ると思っているはず。
そこでボールになってもいいので、全力ストレートを投げ込めば、間違いなく振ってくる。
その予想が当たったので、あおいはたまらず拳を突き上げたのだ。
「(まさか、私の性格を読んで、スクリュー狙ってたってないわよね)」
そんなことが頭に過ぎったが、あおいは気にせず次の打者をセカンドフライに仕留め、この回を終えた。
2回の裏、神城高校の攻撃。今回初めて、4番を任された佐々木守が右打席に入る。
この大会の佐々木の成績は、打率0.333 本塁打1 打点5。チーム内では、あおい(尚史と真奈は除く)に継ぐ成績である。
普通ならあおいが4番を打つべきだが、この試合に関しては、ピッチングに集中させたいという俊彦の計らいだろう。
「(4番ちゅうても、やることは変わらん。ランナーがおるなら返すことに専念すりゃあええし、おらんかったら自分が出ることや)」
佐々木がバットを軽く寝かせて構えた。自然体のまま打つこの打法。俗に言う神主打法である。
「(お前が4番打者を打つなんて、よっぽど出世したんだな)」
笹田が変化球のサインを出し、ミットを外角に構える。大槻が大きく振りかぶり、縫い目に乗せていた人差し指に力を入れた。
「(だが、お前じゃ打てないよ。この天才は)」
大槻の投じた球が外角いっぱいに決まる。佐々木は積極的にバットを出し、これを打ちに行く。
だが、その球は軌道を変え、ど真ん中に曲がりこんできた。守のバットは空しく空を切った。
「(シュートや。しかもかなり凄い。でもあいちゃんが言うには、スライダーが決め球らしいなあ)」
第2球目。またもや外角への球。守が体を開いて、さっきのシュートに焦点を合わせてバットを振り出した。
「(何やと!?)」
球は外角へさらに強く変化し、守のバットは強い風切り音だけが響いた。先ほど高橋が当てそこねた、スライダーである。
「(スライダー。ほんまによう曲がっとる。かなり厄介やな)」
佐々木がバットを肩に乗せ、そしてバットを軽く寝かせた。カウントは2-0。打者不利である。
「(遊び球はいらない。これで終わりだ)」
大槻が軽く頷き、大きく振りかぶった。第3球目。ど真ん中への球。
「(これは・・・シュートか?)」
シュートととなると、右打者の守に食い込んでくる。守は小さく外側へ踏み込み、その球を打ちに行った。
結果は空しくも空振り。スイングアウトの三振となった。
「(やはり変化球に絞っていたな。ストレートを投げさせて正解だった)」
大槻のキレの良い球、そして相手に狙い球を絞らせない、笹田の絶妙なリードによりこの後、5番 和木、6番 篠原を凡退に抑える。
しかし、あおいも負けじと三振の山を築き、相手に点を与えない。勝負は投手戦に縺れ込んでいった。
「9番 川相一郎君に代わりまして、結城君。背番号5」
グラウンドに響き渡る、アナウンス。俊彦は審判に伝えた後、ベンチの後ろへ行き、気絶している尚史を自ら起こしに行った。
「・・・結城」
「俺はロリ犯罪者じゃないですよ。だから、捕まえないで・・・」
「何を寝ぼけておるか。はよう起きんか」
俊彦は尚史の頬を軽くひっぱたき、無理矢理ヘルメットを被せた。尚史の虚気に開いていた目が一気に開かれ、ゆっくりと立ち上がった。
「気絶させられて、んで起きたらすぐ代打ってのも大変だな」
お前が悪いんじゃろうが。その言葉をなんとか飲み込みつつ、俊彦はバット尚史にバットを渡した。
尚史が一言御礼を言い、バットを担ぐ。これからグラウンドに向かう尚史とすれ違い様に、俊彦が意味深なことを言った。
「稲尾和久」
「稲尾・・・和久?」
尚史は後ろに振り返るが、俊彦は早く行けと言わんばかりに、目で訴えている。
尚史は仕方がなく、自分の向かうべきところへ足を進ませた。場面は6回の裏。ノーアウトランナー無し。右打席に尚史が立つ。