第11章
昨日の味方は今日の敵





「1回の裏、神城高校の攻撃です。1番 センター 川上さん。背番号8」

ヘルメットを深く被り、打席の外で理奈は、バットを極端なアッパースイングで軽く振っている。

桜ヶ丘バッテリーの長い作戦会議が終わるのを待っているのだ。やはり決勝戦ということだけあって、かなり慎重に来ているとわかる。

うちにもこれくらいの慎重さがあればな、と理奈はしみじみ思った。

「そいじゃあ、行きますか」

「いきなりぶつけんなよ」

「同い年の女にぶつけれませんって」

「それもそうだな」

マスクを片手に、レガースの音を派手に立てながら、笹田はキャッチャーポジションへと戻っていった。

大槻は大きく息を吸い、やや灰色に染まり始めた空に向かって大きく吐いた。審判の手が上がり、試合が始まる。

「プレイ!」

ボールを持った手を後ろに回し、やや前屈みに笹田のサインを見る。

理奈は左手で右袖を引っ張り、バットのヘッドを城のようにそびえ立つ、バックスクリーンに向けていた。

「(本塁打こそ0だが、打率6割の今大会首位打者。そして足もある。下手につまらすと厄介だ。ここは内角攻めでいく)」

「(内角を引っ張れば、間を抜かれない限りファーストに近いゴロになりやすいからですね)」

「(その通り。もちろん、投げる球は)」

「(ストレート)」

「(その通りだ)」

サイン交換の終わった大槻がゆっくりと振りかぶる。理奈がバットを1回転させ、僅かに足を開き、肩に担ぐようにして構える。

笹田が内角に寄り、ミットを構えた。大槻の腕から投じられたストレートが、笹田のミットに勢いよく飛び込む。乾いた音をたて、審判の腕が上がった。

「ストライク!」

「(立ち上がりにしては速い。140k/m出てる。とにかく粘らないと)」

左手で右袖を引っ張り、すぐにいつものように構える。足を大きく振り、第2球目を迎え撃つ。

「(また内角・・・)」

これも際どいコース。審判はストライクをコール。早くもカウント2-0。

「(次は流石に変化球が来るでしょ)」

足場を固め、再び肩に担ぐように構える。第3球目。

「(またストレート!)」

今度は内角高め。しかもボール1個分外れている。変化球と読んでいた理奈は、思わずバットを出してしまう。


(カン!)


キャッチャー!

「(普通なら三振だったが、上手くバットをコントロールして、当てたな。まあ、術中にハマったのは変わりない)」

キャッチャー左横に転がったゴロを素手で掴み、笹田はファーストに送球する。大柄なファーストの高浜がしっかりと受け取り、審判が宣告する。

セーフ!

え!?

予想外の宣告に、思わず高浜は驚きの声を上げる。この内野安打で、球場はいきなり興奮の嵐に包まれていた。

「(詰まったのがラッキーだった。あそこ以外だったら、確実にアウトだったわ)」

「2番 セカンド 高橋君。背番号4」









高橋が理奈と似たようにバットを担ぐようにして構えた。理奈は軽く屈伸運動をし、リードを大きめに取った。

大槻は首を動かさず、目だけで理奈を追っている。笹田はやや冷たい表情を浮かべ、マスク越しに高橋に話しかけた。

「久しぶりだな、キャプテン」

高橋は大槻の方へ首を向けたまま、笹田に短く返事を返した。

「そうだね」

「まさか神城がここまで来るなんて思ってなかった」

「僕は来れると思ってたよ」

「昔より強気になってるな。だけど、いつまで強気でいられるかな」

高橋に返事はない。笹田はど真ん中にミットを構えた。サインはストレート。頷いた大槻が足を上げる。理奈がその瞬間、スタートを切った。

「(いきなり来たか!)」

大槻は外角高めに大きく外し、笹田が立ち上がってそれを捕球する。

「(充分刺せる。俺の肩をナメるなよ!)」

素早い動作から、笹田がセカンドベース目掛けて、ボールを投じた。

それはしゃがみ込んだ大槻の頭の上をライナーで通過し、あっという間にセカンドのグローブに納まった。

後はセカンドがタッチするだけ。だが、それをすることは出来なかった。

「セーフ!」

理奈はユニフォームについた土や埃を掃い、大きく息を吐いた。そしてまた、大きくリードを取る。笹田はまたもや、理奈の足の速さに驚かされる。

「(まさかあれをセーフにするとは。恐るべき足だな)」

今度は、高橋は初めからバントの構えを見せている。理奈を3塁に送って、あおいの外野フライかスクイズで1点と考えるのが普通だろう。

だが、笹田は違う。あの足なら三盗もあると考えたのだ。その考えなら、次もストレートとなる。

笹田は大槻に高めにストレートを投げるようにサインを出した。

「(いかに駿足でも、外した140k/mストレートと100mの強肩じゃあ、流石に成功しまい)」

大槻の足が上がる。笹田のサイン通りに大きく高めに外したストレートを投げる。笹田はそれを捕球し、素早くスローイングの体勢に入った。

「(よし。予想通り走って来た)」

笹田が、サードの井町のグローブ目掛けて送球する。強烈な速さで、井町のグローブに納まった。

タイミング的にはアウト。笹田と大槻は確信した。だが、理奈はそれらの予想をさらに上回った。

「(何!?)」

理奈は足ではなく、頭から滑り込んだ。

さらに上手いことに、サードの井町が追いタッチになるように、回り込みながら滑り込んだのだ。審判の両腕が水平に上がり、セーフの声が響く。

「(上手い)」

「(あれをセーフにされちゃあ、成功した方を褒めるしかないな)」

マスク越しの笹田、そしてマウンド上の大槻は苦笑するしかなかった。

「(まあなんにせよ、逆に攻めやすくなりましたね)」

「(この球がある限り、向こうはバントすら出来まい)」

笹田が素早くサインを出し、ミットをど真ん中に構えた。大槻がニヤリと怪しげに微笑み、足を上げる。大きくリードを取っていた理奈が、スタートは切る。

「(うわ!?)」

大槻の投じた球は、急激に内角方向へ変化した。高橋は、バットを動かす暇もなく、根本に直撃した。

打球が小さく上がり、笹田のミットに納まる。そして、サードに送球した。

スタートを完全に切っていた理奈は、当然戻り切れずにアウトとなった。最悪のダブルプレーにより、一瞬にしてツーアウトランナー無しに。

「佐々木妹・・・今の見たか」

「ええ・・・スライダーですよね。しかも、かなり強烈な」

俊彦が組んでいた足を組直し、手の甲に自分の顎を乗せた。

「うむ。しかも、球速はストレートとあまり変わらん。こいつを捉らえるのは、ちと骨が折れそうじゃぞ」

そう言っている間に、3番のあおいがサードライナーに倒れ、チェンジとなった。









2回の表、あおいは先頭バッターの八幡を簡単に三振に打ち取った。そして、元同じチームとの1回目の対決となった。

「6番 キャッチャー 笹田君。背番号2」

笹田が、バットでホームベースをトントンと叩き、そしてバットを立てて構えた。

「(嫌なのが来たわね・・・)」

「(こちらの手の内がバレとるしな)」

「(いや、あのスクリューだけは大丈夫。バレてても、簡単に打てるものじゃないし)」

だが、そればかりを多用するわけにはいかない。スクリューを見せ過ぎて、軌道に慣れたりしたら、後々厄介である。

となると、追い込むまで投げるものが、自動的に決まった。

「(力で押すしかないわね。佐々木君、頼むわよ)」

あおいが帽子の鍔を2回触り、佐々木にストレートのサインを出した。佐々木はミットを突き出すように構え、あおいが振りかぶる。

「(一条。お前いつか言ったよな)」

1年生の夏、地区予選の浅瀬川商業戦のことだ。

恐らく四球を出したくなかった一条は、味方にすら教えていなかった、クロススクリューを投げ、見事クリーンアップを三振に打ち取った。

だが、どうしてそれを教えなかったのかやはり気になり、試合後、直接本人から聞き出してみた。その答えは、とても簡単なものだった。

「私、美味しい物は最後に食べる派だから」

立てていたバットを踏み込むと同時に引いた。

「(つまりお前は・・・)」

地面を舐めるようなストレートが笹田の足元をえぐる。

「(とっておきを隠すタイプだ!)」

その150k/mを越えるストレートを笹田のバットが捉らえる。すくい上げられた打球は、金属音とともに、空高く舞い上がった。

「(ちと振り出しが早かったな。これはキレる)」

笹田の思った通り、打球はレフトポールを僅かに外側を通って行った。

あおいは溜めていた息を大きく吐き、すぐに笑顔を見せた。笹田は一旦バットを肩に乗せ、そしてまたバットを立てて構えた。

「(隠すタイプなら、次もストレートだ)」

第2球目。予想した通り、ストレート。コースは外角高め。笹田はバットを出し、これも捉らえる。打球は真後ろへ飛び、ファール。

「(打球が真後ろへ飛ぶっていうことは、タイミングが合っているということや。このままストレートじゃ危ないで)」

もし自分がサインを出すとしたら、何を出すか。守の答えは決まっていた。

「(スクリューや。スクリューなら三振でいけるで)」

あおいからサインが出る。そのサインとは。

「(さあ来い。お前の新スクリューとやらを打ち砕いてやるよ)」

あおいが振りかぶり、上体を大きく捻る。捻られた上体を前足を踏み出すことにより、溜めた力を一気に解放させる。

あおいの腕が軽く捻られ、ボールにより強い回転を与えた。投じられた球は、ど真ん中を力強く突き進む。笹田が大きく踏込み、これを迎え撃つ。

「(捉らえた!)」

あおいが拳を突き上げる。佐々木守のど真ん中に構えたミットにボールが突き刺さり、笹田のバットが空を切った。

「ストライク!バッターアウト!」

「(やっぱりね)」

あおいは、笹田の狙い球を読んでいた。この打席はストレートを2回通打され、スクリューを投げざる負えなくなった。

だが、ここまで自分はスクリューを投げていない。ならば、笹田はここでスクリューが来ると思っているはず。

そこでボールになってもいいので、全力ストレートを投げ込めば、間違いなく振ってくる。

その予想が当たったので、あおいはたまらず拳を突き上げたのだ。

「(まさか、私の性格を読んで、スクリュー狙ってたってないわよね)」

そんなことが頭に過ぎったが、あおいは気にせず次の打者をセカンドフライに仕留め、この回を終えた。









2回の裏、神城高校の攻撃。今回初めて、4番を任された佐々木守が右打席に入る。

この大会の佐々木の成績は、打率0.333 本塁打1 打点5。チーム内では、あおい(尚史と真奈は除く)に継ぐ成績である。

普通ならあおいが4番を打つべきだが、この試合に関しては、ピッチングに集中させたいという俊彦の計らいだろう。

「(4番ちゅうても、やることは変わらん。ランナーがおるなら返すことに専念すりゃあええし、おらんかったら自分が出ることや)」

佐々木がバットを軽く寝かせて構えた。自然体のまま打つこの打法。俗に言う神主打法である。

「(お前が4番打者を打つなんて、よっぽど出世したんだな)」

笹田が変化球のサインを出し、ミットを外角に構える。大槻が大きく振りかぶり、縫い目に乗せていた人差し指に力を入れた。

「(だが、お前じゃ打てないよ。この天才は)」

大槻の投じた球が外角いっぱいに決まる。佐々木は積極的にバットを出し、これを打ちに行く。

だが、その球は軌道を変え、ど真ん中に曲がりこんできた。守のバットは空しく空を切った。

「(シュートや。しかもかなり凄い。でもあいちゃんが言うには、スライダーが決め球らしいなあ)」

第2球目。またもや外角への球。守が体を開いて、さっきのシュートに焦点を合わせてバットを振り出した。

「(何やと!?)」

球は外角へさらに強く変化し、守のバットは強い風切り音だけが響いた。先ほど高橋が当てそこねた、スライダーである。

「(スライダー。ほんまによう曲がっとる。かなり厄介やな)」

佐々木がバットを肩に乗せ、そしてバットを軽く寝かせた。カウントは2-0。打者不利である。

「(遊び球はいらない。これで終わりだ)」

大槻が軽く頷き、大きく振りかぶった。第3球目。ど真ん中への球。

「(これは・・・シュートか?)」

シュートととなると、右打者の守に食い込んでくる。守は小さく外側へ踏み込み、その球を打ちに行った。

結果は空しくも空振り。スイングアウトの三振となった。

「(やはり変化球に絞っていたな。ストレートを投げさせて正解だった)」

大槻のキレの良い球、そして相手に狙い球を絞らせない、笹田の絶妙なリードによりこの後、5番 和木、6番 篠原を凡退に抑える。

しかし、あおいも負けじと三振の山を築き、相手に点を与えない。勝負は投手戦に縺れ込んでいった。









「9番 川相一郎君に代わりまして、結城君。背番号5」

グラウンドに響き渡る、アナウンス。俊彦は審判に伝えた後、ベンチの後ろへ行き、気絶している尚史を自ら起こしに行った。

「・・・結城」

「俺はロリ犯罪者じゃないですよ。だから、捕まえないで・・・」

「何を寝ぼけておるか。はよう起きんか」

俊彦は尚史の頬を軽くひっぱたき、無理矢理ヘルメットを被せた。尚史の虚気に開いていた目が一気に開かれ、ゆっくりと立ち上がった。

「気絶させられて、んで起きたらすぐ代打ってのも大変だな」

お前が悪いんじゃろうが。その言葉をなんとか飲み込みつつ、俊彦はバット尚史にバットを渡した。

尚史が一言御礼を言い、バットを担ぐ。これからグラウンドに向かう尚史とすれ違い様に、俊彦が意味深なことを言った。

「稲尾和久」

「稲尾・・・和久?」

尚史は後ろに振り返るが、俊彦は早く行けと言わんばかりに、目で訴えている。

尚史は仕方がなく、自分の向かうべきところへ足を進ませた。場面は6回の裏。ノーアウトランナー無し。右打席に尚史が立つ。




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