第4章
激戦地・大阪





激戦地・大阪。昔から大阪はよくこう言われる。参加チームが多く、強豪校が数多く存在しているのが、恐らく激戦地たる由縁だろう。

もちろんのことだが、ここから数多くのプロ選手も生まれている。

ドカベンと称され、甲子園史上初の3試合連続ホームランを記録した香川伸行(浪商→南海)。

現在、横浜ベイスターズで指揮を取っている牛島和彦(浪商→中日他)。不滅の甲子園通算20勝。

清原に続く甲子園通算6本塁打と、投打に渡って活躍した桑田真澄(PL学園→巨人)。前人未到の甲子園通算13本塁打。

1大会5本塁打。1試合3本塁打と右に左にとスタンドに叩き込んだ清原和博(PL学園→西武他)。

この二人は、現在も現役で頑張っている。また同じPL学園でモンスターと称された福留孝介。

大阪大会では、清原の持つ5本塁打を塗り替え、甲子園では満塁弾を含む、2打席連続ホームランを記録している。

少し前に戻り、現在オリックス・バッファローズで活躍中の中村紀洋(渋谷→近鉄他)。

2年生ながら4番に居座り、大阪大会で4本塁打を放ち、チームを甲子園へ導いたのだ。甲子園ではノーヒットで、チームも1回戦で負けてしまったが。

そして一番新しいのは、辻内崇伸(大阪桐蔭→巨人)と平田良介(大阪桐蔭→中日)。

MAX156k/mを武器に、5試合で65個の三振を奪った。また平田は、清原以来の1試合3本塁打を放ち、合計4本塁打と大暴れした。

「ぶひょひょ」

「そろそろ試合だから、おにぎり食べるの止めなよ」

「わかったぶひょ」

貫禄だけなら充分な少年が、言われた通りに、食べかけのおにぎりを鞄の中にしまった。

ご飯粒のついた手を舐め取り、ゆっくりと立ち上がる。背中に縫いつけられた背番号は2。キャッチャーのポジションを意味する。

「今日も暑いぶふー。アイス食べたいぶふー」

文句をぶつくさ垂れつつ、貫禄充分な少年は、肩にかけてあったタオルで吹き出す汗を拭った。

だが、汗の量が異常すぎるためか、タオルがまるで絞る前の雑巾みたいになってしまった。その光景を近くで見ていた細身の少年が、苦笑していた。

「凄い汗だね……」

「デブの天然水として、売り出せかるぶふー」

貫禄充分な少年の言葉に対して、細身の少年は、すぐさま首と手を振った。

「誰も飲まないというより、飲めないよ……」

「やっぱりダメぶふー」

貫禄充分な少年はベンチから出て、異常なまでに汗を含んだタオルを絞った。

見た目通りに力はあるらしく、本人としては軽く絞ったつもりであろうが、タオルの水分は少年によって、一気に絞り出された。

絞り出された水分は、甲子園の土に染み込んでいく。数々の球児達が流した汗や涙が染み込んでいるこの甲子園に、また新たにデブの汗が染み込んだのだ。

その汗を流した貫禄充分な少年は、細身の少年、山田宮一郎に整列するように促された。

「さあ、今日も頑張るぶふー」

タオルをベンチに一旦置き、派手な足音を立て、貫禄充分な少年、伊集院光生はチームメイトが整列している場所へと向かった。









灼熱の太陽に照らされ、異常なまでに熱気が漂うグラウンド。スタンドの人々が、ホームベース前に並ぶ18人の選手達に注目する。

汗かきの者。細身の者。そして、それらを鋭く睨み返す者。過去の因縁にケリをつけるその試合が今始まる。

おねがいしまーす!!


先攻:神城高校(徳島)

1番 センター 川上
2番 セカンド 高橋
3番 ライト 一条
4番 サード 結城
5番 ファースト 佐々木守
6番 キャッチャー 佐々木真奈
7番 ショート 篠原
8番 レフト 黒崎
9番 ピッチャー 西条


後攻:出部山保手治高校(大阪)

1番 ファースト 名備素粉
2番 ライト 軽日
3番 センター 明治
4番 キャッチャー 伊集院
5番 ショート 部留盆
6番 レフト 大塚
7番 ピッチャー 山田
8番 セカンド 湖可甲良
9番 サード 森永









「今回はどっちがサインを出すぶふー?」

ユニフォームの袖で何度も汗を拭いながら、伊集院光生が山田宮一郎に尋ねた。山田は、その問に迷うことなく答えた。

「俺が出すよ。だから、光生は捕ることとバッティングに集中してくれ」

「おーけーぶふー」

話が決まり、マウンド上から降りて行く伊集院。ボックスの外で軽い素振りをしていた理奈が、左打席に入る。

左手で右袖を軽く引っ張り、バットの先をセンターバックスクリーンに向けた。

天気は快晴。空に青い海が広がっている。審判の腕が上がり、甲子園のサイレンが響き渡る。

プレイボール!

山田が帽子の鍔を軽く動かし、伊集院にサインを出した。伊集院が僅かに外角へ寄り、ミットを構える。

理奈がバットを約1回転させ、足を軽目に開き、バットを担ぐように構えた。

「(前の試合を見れば、絶対に出したくない相手だ。とにかく打ち取るしかない)」

左足を下げ、胸の前にグローブを持ってくる。大きく振りかぶらない、俗に言うノーワインドアップというやつである。

山田は下げた左足を上げ、右腕を大きく後ろへ引っ張った。

「(サイドスローか……)」

理奈が足を大きく振り上げ、タイミングを計る。山田は引っ張った右腕を横から投じた。白球は外角から理奈の内角を極端にえぐりこんでくる。

伊集院が構えていたミットだけを動かし、白球を受け止めた。理奈はバットを出さず、そのまま見送った。判定はストライク。

「(何て角度……。でも打てないことはないわね)」

理奈は気付かれぬよう、僅かに外側へ寄った。普段の立ち位置が常に内角寄りの理奈が、先ほどのような球を打つのはやや厳しい。

だが、あまり外側に寄りすぎると、外角攻めに遭うのは目に見えている。

「(大振りせず、ライト前に落とす気持ちで……)」

理奈は右足で軽いリズムを取り、山田が投げるのを待った。山田自身、サインは決まっているが、まだ投げようとしない。

「(さて、いきなり本気でいくかな)」

山田が不敵な笑みを浮かべ、大きく振りかぶった。体を小さくし、足をゆっくり上げる。

腕を後ろへ引っ張り、軸となる右足と腰で力を限界まで溜め、そして投じた。外角から急角度で理奈の足元をえぐった。

「ストライクツー!」

急角度から決まるストレート。球速は1球目に比べて、5k/m速い136k/m。

立ち上がり、サイドスローと考えれば速い部類に入る。しかし、理奈にとってもっと厄介なのは、その投げ方にあった。

「(凄くタイミングが取りづらい……。打てない速さじゃないのに)」

山田の投げ方には、特徴があった。それは、腕の振りである。球自体は136k/mと速いが、山田の腕の振りは極端に遅い。

もし、腕の振りと球のスピードが同じというのは、バッターとしてはタイミングを取りやすい。

理由はギクシャク感がないからだ。 山田みたいに腕の振りが遅いが、球は速いとなると、バッターはタイミングを取りにくくなる。

もちろん、球は遅いが、腕の振りが速いというのもタイミングが取りにくい。

「(ピッチングなんて、要はタイミングを外すかどうかよ)」

山田が振りかぶる。今度は腕の振りを早くし、内角高めにボール1個分外した速球を投げ込む。

完全にタイミングを崩された理奈は、この釣り球に見事に引っ掛かかった。審判の声が高らかに響く。

「ストライク!バッターアウト!」

ナイスぶふー!

光生がサードの森永に向かって送球し、森永はセカンドの湖可甲良に送球した。理奈はヘルメットをバットの先に掛けて、ベンチへ戻っていった。

この後、高橋はインサイドのストレートに空振り三振。あおいは初球を芯で捉らえるものの、ファーストライナーに倒れた。









「しかし……ふざけた高校だよな」

「確かにそうですな。でぶやまぽてち……でしたっけ?」

「名前もふざけてるけど、選手もふざけてる。あのピッチャー以外は全員体型が同じだし……ベンチにおにぎり持ち込んでるし」

マウンド上の真奈と西条が、出部山保手治のベンチに目を向けた。

1人を除き、似たような体型の選手達が各々、巨大ななおにぎりを美味しそうに食していた。その光景を見ていて、二人は開いた口が塞がらない。

「ま、まあとにかく……気を抜かんように頑張ってください。今日の先輩の球なら、充分パーフェクト狙えますんで」

真奈が西条の肩をポンッと叩き、キャッチャーポジションへと戻っていった。

絶対に勝つ!

西条は空に向かって、大きな一声を叫んだ。それが他の選手にも聞こえたのか、同じように気合の満ち溢れた返事が返ってきた。

審判の腕が上がり、試合が再開される。

「プレイ!」

太い体を揺らし、右打席に名備素粉が入った。眼鏡が太陽に反射し、額から流れる汗が光っている。

さらに、まだ動いていないというのに、息も荒い。やはり太り過ぎは良くないな。真奈はしみじみそう思った。

「(とにかく……柔は剛を制す。やから、変化球中心でいきしょう。ただし、初球はストレートで。格下に見られたくないでしょ)」

西条が真奈の出すサインを見る。出しているサインはストレート。それを内角低めに投げろということ。

内角低めは球の威力が一番出るところだが、それはバッターも同じこと。ただし、それがボール球なら関係ない。

ファールでカウントを稼いで、変化球で打ちとろうという魂胆だろう。そう思った西条は、ゆっくりと頷いた。

「(それにあの脂肪なら、内角を打つのは苦労するだろうよ)」

西条が大きく振りかぶる。足を上げ、体を沈み込ませ、地面スレスレから第1球目を投じた。

「(お……ええ感じの球。これは打ってもゴロかファールにしかならんなあ。脂肪も邪魔になるし)」

名備素粉が達磨みたいな体を大きく外側に開き、これを打ちにいく。派手な金属音が響き、打球はレフトにフラフラと上がった。

レフト!

「(あの体でレフトフライにしたのは凄いけど、やっぱあの球じゃ、せいぜいそこまでやな)」

レフトの黒崎が構える。だが目測を謝ったのか、1歩1歩後ろへ下がっていく。

しかし、打球は一向に落ちてくる気配を見せない。西条と真奈は焦りを隠せないでいた。

「ボール球を打ち損じたはずだぞ……」

「風も吹いてへんのに……」

だが、打球はまだまだ落ちてこない。黒崎は、いよいよ下がれるところまで下がり、フェンスを登り始めた。ポールに捕まり、腕を必死に延ばす。

「まさか……」

そのまさかだった。打球は僅かに黒崎のグローブの上を抜けてゆき、ギリギリポールを巻いた。審判の腕も回っている。力技の先頭打者ホームランだった。

やったんだなー!ホームランなんだなー!

達磨みたいな体を派手に揺らし、一塁ベースを回る、名備素粉 鷹光。

歩くたびに汗が飛び散り、甲子園の土に吸い込まれていく。その光景を苦笑しながら、西条は見ていた。

「(まあ俺は、変化球投手だ。ストレートを打たれたとこで、どうってことはない。むしろ目が覚めた)」









冷静にロージンバックを手に取り、軽く数回手のひらの上でトスした。このあと2番 軽日を空振り三振。

3番 明治をファーストフライに打ち取った。そして、4番を迎える。

「4番 キャッチャー 伊集院君。背番号2」

名備素粉よりも、軽日よりも、どの部員よりもある意味逞しい体格を持つ伊集院が右打席に入った。

身長こそは174cmの西条と変わらないが、体重は明らかに20〜30kgは上と見ていい。まるで、相撲取りが打席に入っているようである。

「(ほんま……凄い脂肪やな)」

もし、この脂肪だらけの体で体当たりをされたらどうなるのか。……恐らく骨折は免れないだろう。

「(スローカーブでカウントを取りましょう。まさか、こんな緩い球でくるとは思っていないでしょうし)」

西条が真奈のサインを見て、即座に首を縦に振った。真奈がミットを構える。コースは、まさかのど真ん中。

「(予想外の球に、予想外のコースや。まずワンストライクは頂きや)」

西条が大きく振りかぶり、第1球目を投じた。コースは寸分狂わずのど真ん中。球にも力が無い。

これを逃す打者はいない。伊集院は大きく踏み込み、高校生とは思えないほどのアッパースイングで、これを捉らえにいった。

球は緩やかに軌道を変え、伊集院のバットをすり抜けていった。判定はストライク。だが、西条はこのスイングに激しく戦慄を覚えた。

「(もし芯で捉らえたら、どこまで飛ぶんだ?)」

先ほどの1番打者といい、パワーだけであれば、恐らく全チームナンバーワンだろう。

アベレージが低いのでまだ助かるが、当たればホームランというのは、やはりピッチャーからすれば嫌なものである。

西条は軽く息を吐き、真奈の出すサインを見た。

「(スローボールを内角へか。僅かに外して、カウント稼ぎだな)」

西条が頷き、真奈が外角へ寄る。第2球目を投じるときに、真奈は内角へ素早く寄り、ミットを構えた。

伊集院はこの球を軽々とすくい上げ、レフトスタンドに吸い込まれていく。

だが、外された球のせいか、スイング始動が早くなり、打球は僅かにポールをキレていった。

「(追いこんだな。次はどうする?)」

西条がロージンバックを片手に、真奈のサインを見た。

股の下でじゃんけんのグーを作り、そしてそれを持ち上げるような仕草を見せている。それは内角高めのストレートのサインだった。

「(釣り球に引っ掛かってくれたら、儲けもんやし、まだ3球余裕があるんや。有効に使わんとな〜)」

大きく上体を後ろへ反らし、バットを肩と平行になるように構える伊集院。

外角へ僅かに寄り、ミットを突き出すように構える真奈。カウント2-0。西条が第3球目を投じる。

「(球に力はあるけど、外しすぎや。これじゃあ、振ってくれん)」

伊集院も踏み込んですらいない。真奈は内角高めにミットを持って行き、球を受け止めにいく。その間に、次に何を投げさすか考えていた。

「(ぶひょ〜!絶好球!)」

伊集院は体を外側に開き、ストライクゾーンからボール2個分外れた球を打ちに行った。派手な金属音を残し、高々と左中間のど真ん中に上がる。

だが、風も無ければ、勢いも無い。さらに、ここは日本一広い甲子園。まず、完全な悪球を打って入るはずがない。西条はそう信じていた。

「(ちょっと待って……どこまで伸びるのよ、この打球)」

センターの理奈が、レフトの黒崎を制して、この打球の落下点に入ったのだが、まったく落ちてくる気配を見せない。

まるで、先ほどの1番打者の打球をもう一度ビデオで見せられているかのようである。

「(やっと落ちて来た。まったくもう)」

この打球を捕球しようと、理奈はもう1歩後ろへ後退した。そのとき、背中に強い衝撃が襲い掛かって来た。

理奈は下がれるところまで下がってしまっていたのだ。諦められず、理奈は手をちぎれそうなぐらい伸ばした。

だが、それも無駄だった。打球はフェンスを越えて、スタンドに突き刺さった。

入ったーー!!伊集院の第3号が左中間スタンドに飛び込んだーー!!2試合で3本!恐るべき高校生です!

伊集院がバットを豪快に放り投げ、一塁に向かって軽快に歩き出した。

体の脂肪がリズムに乗って揺れ、足元から土が跳ね上がっている。西条と真奈は、その光景をア然として、見ていた。




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