第11章
イルカの復活





いったー!レフトスタンド中段へサヨナラツーランだー!

4試合目で清原(PL学園→西武他)の記録に並びました!スタンドはお祭り騒ぎだー!!

2回戦を大逆転勝利を納めた神城高校は、その勢いに乗って、夏の甲子園準々決勝まで勝ち進んだ。

そしてこの準々決勝。11回まで0行進だったが、1人の少年が、たった一振りで試合に終止符を打った。

詳しい説明は必要としなくていいだろう。その少年の名は、神城高校主砲、結城尚史である。

「(カーブがあまり曲がらなかったからな。もうちょっと曲がっていたら、確実に詰まってた)」

しかし、すっぽ抜けの球でも、ど真ん中の失投でも、ホームランの価値は変わらない。

失投や甘い球を確実に打ち返すのが、打者というもの。

そう自分に言い聞かせ、バットを放り投げ、狂喜じみたスタンドに向かって、右手を突き上げた。

「先輩って、あんなに嬉しそうにしてたっけ?」

「普段はホームラン打っても、表情には出ないんだけど……」

真奈と理奈が顔を一旦見合わせる。そして、

「何があったんだろう?」

と頭上に大きなクエスチョンマークを浮かばせていた。その光景を後ろで見ていた一条あいが、小さく微笑む。

「(良い笑顔ですよ、尚史さん)」

3塁を蹴り、ホームに尚史が帰ってくる。もちろんチーム全員での派手なお出迎え。

その中で揉まれ、叩かれ、尚史は勝利に酔いしれた。









「まあ、流石というところね」

バックネットの裏側。ちょうど入口近くに、1人の少女が立っていた。

盛り上がった雰囲気の中、ただ1人不敵な笑みを浮かべている。はたから見れば、とにかく妖しい。

「でも……」

不敵な笑みを浮かべた少女の眼がクワッと開き、

「私の敵ではない!……でしょ」

私の台詞を取るな!

と、氷の入った袋を頭に乗せている少年の頬を力強く引っ張ったいた。

「ああもう……私の出番は次の話までないかもしれないのに……」

「言ったもん勝ちですよ……」


パーン!


少女の本日3回目(1回目は、朝叩き起こされたとき)の張り手をもろに食らい、

灰色で塗られたコンクリートの床に盛大にひっくり返り、氷入りの袋も地面に叩きつけられた。

しかし、少女の怒りは納まらない。

この馬鹿!

とどめに少女は、ひっくり返った少年の横腹に強烈な蹴りを1つ入れた。

ぐええ、と少年が呻いたが、少女はそれを無視し、1人出口へと向かった。

「ううう……」

少年が倒れているこのコンクリート。太陽の熱を吸収したそれは、恐ろしい温度になっていることぐらい、

誰にでも容易に判る。もしここで人が倒れ、さらに顔面から突っ伏した場合どうなるか。

あちゃあ!顔が焼けるー!

答えは顔が真っ赤になり、お決まりのような悲鳴を上げて、人間の跳躍力の限界越えて飛び上がる、だ。

「ぬおお……俺はお馬鹿なキャラクターの設定じゃないはずなのに……」

必死で顔面を抑え、痛みを堪える少年。太陽は容赦なく球場を照り付ける。

コンクリートに叩きつけられた氷入りの袋は、透明な水入り袋に変わっていた。









「極楽だ……」

熱戦を終え、体力を使い切った本日のヒーローは、綿や羽毛よりも心地の良い枕で、今日の疲れを癒していた。

「お疲れ様です。でも寝ちゃダメですよ。寝たら……」

その柔かな枕もとい膝を持つ一条あいが、優しく、しかしどこか威圧するような笑顔で言った。

「おしおきですからね」

尚史はその言葉にひどく恐怖を感じた。いや、その笑顔に恐怖を感じたかもしれない。

どっちにしろ、あいを恐いと思ったのは違いない。睡魔に負けないように、自分の太股あたりをギュッと抓っていた。

「いやですよ。冗談ですよ〜」

尚史が自分の太股を抓っている姿を見て、あいが可笑しそうに笑う。

尚史も釣られるように笑っているが、さっきの言葉が冗談に思えず、内心は焦りと恐怖でいっぱいだった。

「(俺は、そうとも気付かずに襲おうとしていたのか……)」

ひょっとしたら、力で圧倒する妹よりも、頭とその威圧感のある笑みの姉の方が強いのかもしれない。

妹がラスボスなら、姉はそのラスボスより強い、隠しボスってところか。まあ一言で述べると……。

「(恐ろしや、一条姉)」

と太股を抓っている指に、何故か力を入れながら、そう思った。

「お姉ちゃん〜」

とか何か言っているうちにラスボスが帰ってきましたよ。今、この状態を見られたら、激しくやばい気が……。

「……このエロ狼がー!

やっぱ怒りましたよ。そりゃもう烈火の如く。疲れている状態で、痛い思いをするのは勘弁。

あおいちゃんの攻撃を全部ガードする。とりあえず起き上がらないと。

「ふん」

地面に片手をついて、上半身を素早く起こし、左腕を顔の前に持ってきた。

すると、あおいの右ストレートが、ちょうどガードしたところに襲い掛かってきた。

「な……」

2年間、伊達に殴られっぱなしではない。あおいの攻撃パターンは、全てお見通しであった。

このー!

次は左足で蹴りかかってくる。間違いなく米噛み直撃コース。

だが尚史は、これを右腕であっさり掴んだ。片足立ちとなったあおいは、

キャッ!

ドスンッという音と共に、盛大にひっくり返った。しかし尚史は、それでも足を離さない。

「何時までもやられっぱなしの俺じゃないよ。本気にさせたら、絶対に敵うわけないんだから」

そう言って、ようやく掴んでいた足を離した。あおいの右足が力無く畳の上に落下し、小さな音を立てた。

「こんなスケベ野郎に負けるなんて……」

「男はスケベでなんぼよ。まあ、見せびらかしている君よりはマシだが」

尚史の冷ややかな視線が、めくり上がっているスカートに集まる。

禁断の白い三角地帯があらわになっている。あおいは顔を蛸のように真っ赤にして、慌ててスカートを抑えた。

「君ら姉妹は、白が好きなのか?」

「私はたまにですけど、あおいは白です。しかも、必ず熊や兎がプリントされている物ばかり」

尚史の質問に、あいがさらりと答える。あおいは顔を真っ赤にしたまま、黙っていた。

『この指止まれ。私の指に。その指ごと……』

突如、部屋に鳴り響く謎の歌声。ガタガタと机が震えている。

尚史が、音の原因となるものに手を延ばし、それを開いた。画面には、番号と名前が表示されている。携帯電話だった。

「(着うたがひぐらしのなく頃にって……暗い、いや痛いですね)」

あいがそれに複雑な感想を抱きながら、尚史は通話ボタンを押した。歌が止み、部屋に再び静寂が訪れる。

「もしもし。何か用か、──?今すぐ出て来い?仕方がないな」

判ったと一言だけ言い、尚史は電話を切った。ちなみに通話時間は、約10秒。

「というわけで、ちょっと出てって来る。監督に宜しく頼む」

「というわけって、どこへ……」

「ん〜……秘密だな」

たははと笑う尚史。そして2人は、

「いや、言ってけよ」

と同時にそう突っ込んだ。









熱を帯びた風が吹き、小さな砂塵が、夕方の物寂しいグラウンドに巻き起こる。

その端の方に設置されている、赤いベンチ。それに座っている男が、メモ帳を開いて軽く驚嘆していた。

「13打数5安打 死四球4 打率0.384 打点7 本塁打5……我が弟ながら、恐ろしい。何度見ても驚くな」

男が次のページを開く。先程と似たような内容。ただ違うのは、打者の記録だけでなく、投手の記録もそこには書かれていた。

男がまたしても、感嘆の声を上げる。

「投球……防御率0.00 奪三振54 投球回34 1/3。打撃……16打数5安打 打率0.313 打点6 本塁打1 死四球3。

これが女の子の成績か……有り得ないな」

「童顔で幼児体型なのにな」

男がそのまま真っ直ぐ、顔を上げた。どこか自分の顔と似ている少年が目の前に立っていた。

持っていたバットケースをベンチに立て掛け、少年もとい、尚史は男の隣に座った。男がノートを閉じ、尚史に話し掛ける。

「早かったな。もう少しかかると思ってたぞ」

「愛する兄さんのために、走ってきたのさ」

男の額から渇いた汗が流れた。別に暑いという理由からではない。やや呆れながら、男が言葉を紡ぐ。

「……キモいこと言うなよ。昔のお前だったら、そんなことを絶対言わないのにな」

「昔は昔で今は今よ。まあそれはともかく……」

「何の用事か、だろ?」

尚史が静かに頷く。男はノートをベンチに置き、ゆっくりと立ち上がった。

「ドルフィンが完成した。お前で試したい。超高校生級のお前とな」

本当は、お前と勝負したかっただけなんだがな。

その言葉は口には出さず、男はグローブを手に嵌め、ゆっくりとマウンドに向かう。

尚史は無言で、しかしどこか嬉しそうにケースからバットを取り出した。









「3打席といきたいが、1打席勝負だ。外野に打ったら、お前の勝ち。変な遠慮するなよ。全力で来い」

何故、3打席といきたかったのだろうか。たかだか試すだけなのに。まあ聞いたところで自分には関係ないことだが。

「それじゃあやりますか」

熱を含み、そして穏やかな風が2人の髪を揺らす。西へ沈み行く夕日を背に、尚史が右打席に立った。

「(久々だな。やっぱマウンドはいい)」

啓一がマウンドの感触を確かめるように、足で掻き鳴らした。ザッザッという音が立ち、砂埃が風で舞っていく。

茜色に染まり始めた空を見上げ、啓一が大きく体を前に倒した。

「(初球は何で来るか)」

昔の啓一の持ち球なら、 変化の小さいシンカーと手元で僅かに落ちるチェンジアップ。

これらはあまり厄介ではない。だが、尚史にとって1番厄介なのは……。

「(ストレート!)」

アンダースローならではの、超低空のリリースポイント。そこから放たれる球は、半端なく伸びてくる。

多投は禁物だが、要所で使えば、オーバー、サイドに比べて速い球を投げにくい、アンダースローの最大の武器となるのだ。

ではそれが、内角高めに、140k/mを越え、ジャイロボーラーならどうだろうか。

クッ!

尚史のバットは、大きな風切り音を残して空を切った。

球は真後ろのバックネットに突き刺さり、力無く落下した。あまりにも凄まじ過ぎるこの球に、尚史は苦笑した。

「(やっぱ天才だわ。球のノビとキレなら、あおいちゃんと榊さんの比にならない)」

野球の要である腰の使い方。肘の使い方。手首のしなやかさ。一連の動作にどれも無駄がない。

それにジャイロボールと低いリリースポイントが組合わさって、あれだけの凄まじいノビとキレが生み出されるのだろう。

「(しかしまあ、俺がボール球を振らさられるとはな)」

しかし次はない。次も同じなら、流石に次は当てる。軽くバットを振り、尚史は肩にそれを乗せた。

「(恐らく、次もストレートなら当ててくる。最悪の場合、スタンドインだろうな)」

だが決め球を生かすには、出来る限り内角を攻めておきたいところ。啓一は敢えて、その球で罠を張ることにした。

「(今度はストライクゾーンに入れる)」

第2球目。さっきより僅かにコースを下へずらし、測ったようにそこへ投げ込む。

尚史はこれを予想していたのか、体を大きく外へ開き、完璧に捉らえた。

打球はライナーで高々と上がり、2面フェンスの遥か上を越えていった。だが、判定はファール。啓一の予想通りの判定だった。

「(今のような抜いた球をホームランにしたきゃ、あと少し待って打たないとな)」

啓一がニヤっと笑った。その不敵な笑みに、尚史も僅かにスピードを抜かれたことを確信した。

「(やられた。1球目と同じ内角高めだったから、つい同じタイミングで打っちまった)」

1球目を速く感じたというのもある。

僅かにスピードを落とされても、前の速く感じた残像が残っているため、錯覚を引き起こしたのだ。

「(3球目は流石に外してくる……と読むのが常識だが)」

尚史がバットを軽く前に倒し、耳元で構える。

「(ここは3球勝負と読む!)」

体を前に倒し、啓一が大きく振りかぶる。上半身を沈ませ、白球を持った右腕が弓矢の弦のようにピンッと張られた。

高々と張られたその右腕が一気に潜行し、地面との高低差10cmを走る。

「(お前にこの球は打てまいよ。例え……)」

腕が最も低い位置に差し掛かったそのとき、啓一は手首を上へ返し、白球を投じた。

「(1000回やったってな!)」

18.44mの空間を白球が、真っ直ぐ突き進む。その様子は、海の中を泳ぎ回るイルカのよう。

「(低い……いや!)」

ベースが近づけにつれ、イルカは浮上し始めた。尚史が三度足を外側へ開き、バットを上から叩きつけるように打ちに行った。

「(裏を掻いたつもりだろうけど、俺にとって、3球とも同じコースで同じ球種は、単なる無謀にしか過ぎない)」

軌道、タイミングともに寸分のズレがない。尚史は勝利を確信した。だがその刹那。

「(消えた!?)」

さっきまでこちらへ向かってきていた白球の姿はどこにもなく、行き場を無くしたバットは、


ブン!


怒りを空気に八つ当たりするかのように豪快に風を切った。

啓一がニッと笑い、マウンドを降りてくる。尚史は神妙な面もちのまま、ただ打席に立ち尽くしていた。

「どうだ、見たか。これが完成したドルフィンだ。やっぱ天才だわ、俺」

胸を張って自慢げに喋る啓一。彼にしては、珍しく子供みたいに興奮気味である。

「あり得ないね……」

一方尚史は、啓一のその態度と魔球ともいえる変化球に半ば呆れ返っていた。

「まああれだ」

興奮が冷めたのか、いつもの穏やかな表情に戻っていた。

「最後に投げたあれを意識して、素振りでもするんだな。少なくとも、明日には役立つはずだ」

「明日に?」

「そう、明日だ」

啓一がはっきりとそう断言した。すると尚史は、足場を固め始めた。

「そんじゃあ、忘れないうちにもう1回」

明日に関わってくるなら、少しでも多く球筋を見ておきたいということだろう。

だが啓一は、マウンドには戻らず、荷物を置いてあるベンチへ向かった。

「悪い。これはあまり多投出来ないんだ」

首だけを尚史の方に向けながら、グローブを小さな鞄に入れた。

「それに……」

鞄を肩に懸け、尚史と正体する啓一。その表情はいつになく真剣だ。

「それに?」

尚史がいつものような冷めた表情で、聞き返す。何となくその先の言葉が読めていた。

「スーパーのタイムサービスが始まってしまうしな」

「え……」

訂正。なんかアニメが始まるからとかそんな理由と思ってた。まさか、主婦みたいな理由とは……。これは予想できなかった。

「スタンドから応援はするが、次に会うときはプロでな。ではさらばだ、我が弟よ」

そう言うと啓一は、一目散にグラウンドを飛び出ていった。

そのスピードは、某会社のマスコットキャラである、音速のハリネズミに匹敵、いやそれすら越えていた。

「プロって……兄さん、テストを受ける気か」

そう考えると、なるほど合点がいく。

俺は明日の試合に役立つし、自分はドルフィンの完成度を知ることが出来る。まさに一石二鳥というところだ。

「まあ……兄さんらしいけどな。さてと、俺も帰るかな」

バットをケースの中に収納し、一度だけ後ろへ振り返った。

ただ無人に広がっているグラウンドが、光を受けて、薄く輝いている。そこには、少しだけ涼しい風が吹き抜けていた。




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