祖父が経営していたグループ会社が倒産した。


そう聞かされたのは私が中学2年のときの事だった。

今までお嬢様として順風満帆に人生を過ごしてきた私にとってそれは予想外の大きな出来事となった。

当然我が家は多額の借金を抱え、祖父はそのことが心労となったのか突然の病により病死。

父と母は私を残して自殺した。幼い頃から両親にかわいがってもらった思い出などまったく無く、

私の中の両親はいつも仕事の話をしていた。本当に最後の最後まで勝手な親だった。

私に残されたのは借金をようやく完済できるだけの保険金と大きな屋敷、

それに幼い頃から私の面倒を見てくれていたメイドがたった1人。




それだけだった。




















あの空の、向こう側










PHASE-01 フタツノハジマリ




















「・・・木村・・・倉橋・・・・・・・・・・南條」


教師が朝の出欠を取っていたときのこと。今まで誰1人欠けることなく返事をしていたがそこでぴたりと返事が止まった。


「南條、南條は居ないのか?」


まさか登校初日から遅刻や欠席は無いだろうというような表情で教師が教室を見渡す。

すると、後ろの方の席で机に這いつくばって寝ている生徒が1人。

紫がかった長髪に少し・・・というかかなり歳より幼く見える顔。高校生といわず中学生といった感じの女の子だった。


「・・・ちょっと、かなえ。あなた呼ばれてますわよ」


寝ている生徒の隣に座っていた金髪長髪の女の子がそういって彼女を小突く。

かなえと呼ばれた彼女は「んあ?」と間が抜けた声を出して顔を上げた。


「南條、初日の朝っぱらから居眠りか?」

「眠かったんだ、許せ」


教師とかなえのやりとりに周りから失笑が沸く。教師はあきれた表情でしかし気にすることなく次の生徒の名前を呼び始めた。

そしてかなえも再び机に突っ伏し眠り始める。金髪の少女はため息を付いてそれを見ていた。



















「何なんですの今朝のあれは!?入学初日から居眠りなんて聞いたことがありませんわ!」


昼休みの学食でそう怒号がこだました。

周りの生徒がこちらを注目しているのが分かったのか、彼女はこほんと咳払いをして声を潜める。


「・・・もうちょっと自分の学園生活を考えてもらいたいものですわ」


彼女はツンと突っぱねると手元のカレーライスを一口食べる。 辛いですわ・・・と文句を言いながら水を飲んで。


「かなえがアルバイトで大変なのは分かってるつもりですけど・・・

 あなたの人生は高校で終わりじゃないんですのよ?その辺をもっと考えて・・・」

「考えてるよ。綾乃は生徒会1年生代表だって?凄いじゃないか」

「ま、理事長の孫ですから。当然ですわ」


透かした顔で言う。この女の子の名前は倉橋綾乃。この恋恋高校の理事長の孫だ。

根っからのお嬢様で同じくお嬢様だったかなえとは小学校からの付き合い。

一見口は悪いように見えるがかなえが大変なときもそれからもずっと友達で居てくれた。


「しかし今日はいつにも増して機嫌が悪いな?」


そこで彼女は食べていたカレーライスのスプーンをぴたりと止める。

そしてぷるぷると震え始めるとどすの利いた低い声で話し始めた。


「いつにも増してというのは聞かなかったことにしてさしあげますわ・・・

 かなえ、あなた入学時の実力テストの結果どうでした?」

「えー・・・っと」


何か今回はマジっぽい。実のところを言うとあんなのめんどくさかったので

仮病を使って保健室で寝てたんだがそんな事を言ったらただじゃすまない様子だ。


「まあまあだった。綾乃はどうだったんだ?」

「2位ですわ2位!このわたくしが2位だなんて・・・!信じられませんわ!

 2年間守り続けてきたテスト1位の座を高校に入ってあっさり破られるだなんて!!」


ちなみに2年前、つまりかなえの家庭が崩壊するまでは彼女が1位だったのだが

そのことについては今触れないほうが良いだろう、うん。

それから昼休みが終わるまでガミガミと彼女の愚痴を聞かされるハメになった。

良いじゃないか2位だぞ2位。下に何百人居ると思ってるんだ。銀メダルなら十分じゃないか。

かなえはどうしてこんな奴の親友をやってるんだろうと何度思ったことか。

性格に問題はいろいろとあるが根は良い奴・・・なんだ、たぶん。



















誰かの声が聞こえる。声を潜めて、まるで俺に聞こえないようにそう呟いている。

だが、俺の耳には嫌でもそれが聞こえてきてしまう。誰かの声・・・




『知ってるか?片桐って肩ぶっ壊したらしいぜ』


『えっ、マジ?あいつ有名校から推薦来てたって言ってたのに・・・』


『片桐君かわいそう』


『あいつなら甲子園も夢じゃなかったのにな』









・・・何か凄く嫌な夢を見ていたような気がする。彼はその夢から解放されたくて頭をがりがりとかいた。

今は・・・そうか、6時間目の授業中だ。授業の内容なんかまるで頭に入りゃしない。

彼は自分がこの学校に入学した理由をフラッシュバックのように思い出して嫌になっていた。

自分が一から創り上げた野球部で強豪を倒して甲子園に出たい・・・そんなおめでたい理由だったらどんなによかったことか。

俺はこの学校に逃げてきたんだ。今年から女子校から共学になり、野球部なんてあるわけないこの学校に。




放課後になると俺は逃げるように教室から出て行った。

もうじき運動部の練習が始まる・・・そんなの見たくない。また思い出してしまうから。


「ふー、疲れた。矢部君、付いてきてくれてありがと」

「オイラ横で立ってただけでやんす。それにまだ野球をするとは一言も言ってないでやんす」


何か書類のようなものを持った緑色の髪を三つ網に縛った女の子といかにもオタクっぽいメガネをかけた中背くらいの男。

まったくミスマッチな2人が廊下を歩いていた。そう、「彼」が歩いてきた方と同じ方向へ。


「矢部君、いい加減覚悟決めたら・・・きゃっ」


そこまで言いかけた時だった。廊下の角で丁度誰かにぶつかってしまった。

相手は体格が良いらしく女の子の方はあわや吹っ飛ばされそうになる。

しかし、ぶつかった相手は瞬時に女の子を支えて元の体制に戻した。


「いった〜い、もう何なのよ!」

「悪い、急いでたから」


大声で文句を言う女の子に対しぶつかった方の相手はそう一言呟く。


「あ、びっくりしたでやんすか?そりゃそうでやんす。こんなキョーボーな子が

 名門女子校だったこの恋恋に居るわけないでやん・・・」


その瞬間、メガネは女の子の凄まじい蹴りを食らって5m近くぶっ飛んだ。

メガネは床に叩きつけられるとそのままぴくりとも動かなくなった。


「まったく、あんのメガネは・・・」


そこまで来たところで俺はようやく重要なことに気が付いた。

女の子が書類と一緒に抱えているモノ。それがいったいなんだったのか。


(野球・・・道具?)


それは俺が今この世で1番見たくないものだった。どうしてこれがこんなところにあるんだ?

そんな訳ない。だってこの学校に野球部なんてあるわけがないんだから・・・!


「ああ、これ?僕たちね、野球愛好会を作るんだ」

「野球愛好会・・・?君、野球やるのか?女の子で?」

「うん、そうだけど・・・変?」


女の子はその言葉に少し眉を動かすとわずかに不機嫌そうにそう言った。

何をやってるんだろう。さっさと立ち去ればいいのに話なんかして。

誰がこの恋恋に自分以外の野球経験者が来るだなんて思うだろう。

しかも女の子と来た。こんなの・・・おかしい。おかしいに決まってる。


「別に変じゃない。野球愛好会、頑張れよ」


そう言って立ち去ろうとしたその時。今まで廊下で死んでいたメガネがぱっと顔を上げた。

そしてこちらにずかずかと歩いてくると、俺の方をびしっと指差して。


「ああ!通りでどこかで見たことあると思ったでやんす!」


大声で叫んだ。なんだ?このメガネ・・・まさか・・・!


「片桐大介、中学時代2回全国制覇したことのある横浜中央シニアのエースだった男でやんすよ!」


しまった。自分のことを知ってる奴が居た。見るとこいつも野球経験者か。

もしかしたら中学時代どこかで対戦していたのかもしれない。覚えてはいないが。


「えっ、嘘・・・どうしてそんな凄い人が恋恋に・・・!?」


女の子の方は完全にあっけに取られている様子だった。まあ無理も無いか。

しかし面倒なことになってしまった。このままだと俺は・・・


「悪いけど、俺はもう野球やるつもりないから。じゃあ」


片桐は相手の次の一手を待つ前にそう言うとさっさとその場を立ち去った。

冗談じゃない。あの流れならあいつらは間違いなく俺に入部しろと言っただろう。

・・・俺はもう野球はやめたんだ。野球なんて出来るわけないだろ・・・!




利き腕の肩がぶっ壊れて、ロクに球も投げられないのに!!



















「お嬢様、お待ちしておりました」


放課後の廊下。クラスの前に1人の女の子がぽつんと立っていた。彼女は何かを見つけるとぺこりと頭を下げる。

礼儀正しくお辞儀をする女の子。茶髪のロングヘアーで、いかにも清楚で可憐な女の子だった。

お辞儀をした相手はかなえ。かなえもその女の子も、同じ恋恋の制服を着ていた。


「やはりクラスが違うと顔を合わせる機会が少なくなるな。昼休みも会えなかったし・・・」


理由について深く訊かなかったがなにやら生徒会の仕事があったらしい。

・・・綾乃は私に愚痴言ってたくせに。理事長の孫というのは良いご身分だ。


「お寂しい、ですか?」

「ん・・・、ちょっとな」


言うと無言で2人は歩き始める。かなえが唯一心を許せる相手がこの南條愛梨だった。

苗字は同じだが姉妹というわけではない。彼女は元々南條家の分家の娘だ。

かなえと同い年なのに私の世話役。そんな構図をおかしいと思ったことは何度かあったが

愛梨もあまり気にしていないようなので今まで深くは考えないようにしてきた。

愛梨の家系は代々南條本家に仕えてきた。だから彼女もやっているんだ・・・と。


「でもそうは言ってられないだろう。これからまだバイトだ」

「お嬢様、お嬢様が無理なさらなくても私が・・・」

「愛梨には家の事を全部やってもらってる。外で働くことくらい私にやらせてくれ」


その時だった。私たち2人の横を走って追い抜いていく1人の男が居た。

しかも恋恋の制服を着ている。男子生徒に会うなんて珍しい。


「コアラのマーチの珍しい絵のコアラ見つけるのとどっちが難しいと思う?」

「ふふ、コアラさんじゃないでしょうか?」


愛梨は少し笑いながら答える。私はああ彼女が私のメイドで本当によかったと改めて思った。

かわいいし性格もいいし家事も出来る。嫁に欲しいくらいだ。


「それじゃ、私はこっちだから」

「はい。お仕事頑張ってくださいね」


・・・ってこれじゃあ本物の夫婦みたいじゃないか!

何考えてるんだと自分でも思いながら愛梨とは違う方向の道を歩き始めた。


「そういえば・・・」


さっきの男子生徒。妙にガタイがよかったな。

ああいうのは体育会系の学校に行くもんだとばかり思っていたんだが・・・これは偏見か?

まあどうでもいいか、そんなことは。それより働かないといけない。

親戚から多少の援助を受けているとはいえあれだけの額じゃ暮らしてはいけない。

私が働いて、愛梨が食べていけるように頑張らなきゃならないんだ。


「って、やっぱこれじゃあ夫婦じゃないか!」


自問自答して頭を抱える。アホな図だった。




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