「ただいまぁ〜」


気の抜けた声で告げる。今日も私はアルバイトを頑張った、うん。かなえは自分に言い聞かせるように言う。

学校が終わった5時から夜の10時までの5時間、これをほとんど毎日続けている。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


ぺこりと頭を下げながら愛梨が言う。彼女は家に帰ると制服からメイド服に着替える。

別にそんな事しなくても良いと前に言ったんだがこの服を着ないと何か締まらないらしい。

まったく私には理解できないがメイドにはメイドなりのぽりしー?があるんだろう。


「先に風呂入ってくるよ。食事は出来てるんだろ?」

「はい。お着替えもご用意してあります」


言って、またぺこりと頭を下げる。学校に居るときは極力私に気を遣わなくても良いと言ってあるが

家に居るときの愛梨は本当に礼儀正しい。それがメイドの務めなんだろうが

同い年の私にここまで頭をぺこぺこ下げる事については何とも思わないんだろうか。

・・・というか私の身長だと彼女が多少低姿勢にならないと同じ目線にならない、というのも

あるのかもしれない。うるさい、私だって身長のことは気にしてるんだ。



















PHASE-03 野球愛好会



















「あ゛〜〜〜極楽極楽・・・」


おっさんか!という突っ込みは無しで。湯船に浸かると本当に頭の中が

空っぽになってしまうくらい気持ちがいい。このまま昇天してしまいそうな勢いだ。

我が家のお風呂場はデカい。尋常じゃなくデカい。これはお祖母様の趣味で

こんな豪華な風呂を作ったと生前母様が言っていたのを思い出した。

ひょっとするとその辺のリゾートホテルの大浴場よりデカいんじゃないかと思う。

しかし今日もバイトは大変だったがそれよりバイトに行く途中の道で名前も知らない男を

説教したのを覚えている。結局あいつはやる気になったんだろうか?

終止を見ないうちにさっさとあの場を立ち去ってしまったのであの後どうなったのか分からない。

明日野球部でも覗いてみれば分かるだろうが。ああ、部じゃなくて愛好会か。



















風呂から上がるとお待ちかねの夕食タイムだ。・・・もう夕食って言う時間でもないが。

料理はすべて愛梨のお手製、手料理だ。しかもすごく美味い。

大きな扉を開いて大きな部屋へ入る。がらんとしていて中央に大きな大きな

長方形の長細いテーブルがある以外は何も無い部屋だ。

テーブルには白いテーブルクロスがかけられており、その周りには十数の椅子が

並べられている。・・・が、実際ここ数年ほとんどの椅子は使われていない。

その中の1つの前に食事が並べられ、椅子の隣には愛梨が立っていた。

いつもの光景だ。私がそこまで歩いていくと、彼女が椅子を引き、そこに私が座る。

愛梨の方はもう食事は済ませてある。彼女はあくまでメイドなので私と一緒に

食事を取ることもない。私1人の食事だ。愛梨はそれを立って見守っているだけ。


「うん、相変わらずおいしいな」

「ありがとうございます」


また頭を下げる。これも毎日毎日繰り返されてきた光景だった。

こんな日々が怠惰でもあり、私はこれでも良いかと思っている。

変わらないことの何が悪い?こうして2人で幸せに暮らせたらそれでいいじゃないか。

そんな事を考えている自分が少し嫌になり、私は手元の水を一気に飲み込んだ。



















ボールが綺麗な軌道を描いて落ちる。彼はそれを難なく追って捕球して見せた。


「すごいでやんす!」


まずそう声を上げたのはメガネ・・・矢部だった。ボールを投げたあおいも

驚いた表情をしている。片桐はじっとそのボールの入ったミットを見つめた。


「利き腕で捕球なんて・・・と思ってたけど案外出来るもんだな」


既に2人には自分が中学3年生の秋に肩を壊してもう投げられないことを告げてある。

最初は驚いていた2人だが、それでもすぐに片桐の入部を暖かく迎えた。


「今は1人でも多くの人が必要、誰でも大歓迎だよ」


1度断ったのに快くそう言ってくれたあおいに本当に感謝している。・・・もちろん矢部にも。

それで聞くところによると矢部はキャッチャーは出来ないらしく。片桐がやる流れになったわけだ。

しかし、問題が1つある。片桐には捕球は出来ても送球が出来ないのだ。


「そこが問題でやんす・・・」

「まあ練習するしかない、か」


こんな時にあいつが居てくれたら・・・そんな考えが一瞬浮かんだがすぐに掻き消した。

本当はあいつの事は顔も思い出したくない。中学時代の嫌な思い出がフラッシュバックしてくるように感じられるから。


「どうしたの?」

「あ、いや別になんでもない。俺は右手でボールを投げる練習を重点的にやった方が良いみたいだな」


心配そうにするあおいを遮る。

あおいは煮え切らない様子だったがそれ以上の詮索は無用と考えたのかそっか、と言って俺からボールを受け取った。


「それじゃあ僕がボールを投げて片桐君が取る。そして右手で投げる。これの繰り返しね」

「ちょ、ちょっと待つでやんす!じゃあオイラは何をやれば良いんでやんすか!?」

「ええー、矢部君はその辺で素振りでもしててよ」

「そんな!あんまりでやんす!」


泣き叫ぶようにして言う矢部。しかしあおいはそれを無視して投球フォームに入っていた。

・・・ひょっとしてこの子ってかなり強引なんじゃないだろうか。

片桐はそれを左手のミットで捕球する。そして右手で投げる・・・がボールはあさっての方向にぴゅーんと飛んでいった。


「・・・矢部君、拾ってきて」

「そう来ると思ったでやんすよ!」


矢部はぶつぶつと文句を言いながらボールを拾いに行った。

思えばボールはあの1球しか無いんじゃないか?いったいどんな野球部だよ・・・


「うーん、でも遅いなあ。今日から大丈夫だって言ってたのに・・・」

「えー?何か言ったか?」


片桐があおいにそう聞き返したその時。

あおいは何かを見つけたように猛ダッシュしてグランドの端へと行ってしまった。なんなんだ、おい。


「拾ってきたでやんすよぉ〜・・・ってあれ?あおいちゃんはどこでやんす?」

「さあ・・・何か走って向こう行ったみたいだけど」


ちょいちょいと彼女が走っていった方を指差す。そこにはあおいが誰か知らない女の子と話している姿があった。

誰だ、あの子?数秒後、あおいはその子を連れてこちらへずんずんと歩いてきた。


「拉致って来たのか?」

「違うわよ!失礼なこと言わないでよね!」

「あ、あの・・・」


軽いジョークだったのに。その女の子は茶髪のロングヘアーで、見た目からしてずいぶんと大人しそうな女の子だった。

俺の隣で矢部君が目をキラキラさせているが放っておこう。


「紹介するね、この子ははるか。ボクの中学からの大親友。

 今日からうちのマネージャーをやってくれるって!」


あおいはニコニコとした顔でその女の子を紹介する。

はるかと呼ばれた女の子はおどおどしながらも俺たちに向かってぺこりと頭を下げた。


「は、初めまして。こ、この度マネージャーをやることになりました七瀬はるかです。

 体が弱いので迷惑をかけることもあるかも知れませんが、よ、よろしくお願いします・・・」


見た目と同じで礼儀正しく、大人しい女の子だった。この子がマネージャーに?

まあ圧倒的に人手が足りないし良いかもしれない。本当を言えばマネージャーより選手がほしいところなんだが・・・


「ん、こちらこそよろしく。俺は片桐だいす・・・」

「オイラ矢部明雄でやんす!こんなかわいい子がマネージャーなんて夢みたいでやんす!

 オイラにも春の予感でやんすー!」


言ってはるかの方にダッシュで駆け寄ろうとしたその瞬間、矢部君は豪快にぶっ飛ばされた。

・・・あおいの強烈なパンチによって。


「コラメガネ!はるかに少しでもチョッカイ出したらグーで殴るからね!」

「・・・もう殴ってるでやんす・・・」


ノックアウト、ご愁傷様。矢部君はそのまま動かなくなってしまった。


「あ、あの・・・ケンカは・・・」

「ケンカじゃないケンカじゃない。矢部君はああいう仕事の人だから」


どんな仕事の人だ。と突っ込みを入れようかと思ったが今のを見てしまうと少し躊躇う。

まあ何にしろたった3人の愛好会に1人のマネージャーが出来たわけだ。


「ほら矢部君いつまで伸びてんの、練習するよ練習」

「・・・オイラもう動けないでやんす・・・」


あおいが矢部君をつんつんと突くもグロッキー状態の矢部君はその場を動こうとしない。

片桐は再びキャッチャーミットを付けながらその様子を見守る。


(厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだ)

「素振り、はるかに練習見ててもらおうと思ったんだけどなー」

「うおおお、やるでやんすー!!」


はやっ!1秒もしないうちに矢部君は立ち上がり、背中から炎を燃やしていた。

矢部君は今猛烈に燃えている、というか萌えている。


「良いのか?あれで」

「いいのいいの。さっ、練習はじめよっか」


あおいちゃんは適当に流すとボールを俺から受け取りマウンドへと歩いていった。

本当にこんな野球部で大丈夫なのか、片桐は今頃になって心配になってきた。



















放課後の生徒会室。今日の生徒会も終わり、愛梨は少しでも早く家に帰るべく

急いで残った仕事を片付けていた。室内には彼女以外もう誰も残っていない。


「あとは・・・」


最後の作業にかかろうと思っていたその時、バーンと生徒会室のドアが開いた。

そこに居たのは倉橋綾乃。1年生の生徒会代表にして理事長の孫だった。


「倉橋さん、何かご用件ですか?」

「ええ、ちょっと野暮用でして」


綾乃は生徒会の資料のようなものを棚から勝手に持ち出すと、バンと机の上に広げて

何やらページをめくり始めた。何か探し物でもしているんだろうか。


「・・・この野球愛好会というのは何なんですの?」

「それは先日発足したその名のとおりの愛好会です。今も活動しているのではないでしょうか?」


愛梨がそう返すと綾乃は窓の外をじっと見た。

グランドを見ると、確かに少数ではあるがそれらしき人物が数人、確認できた。


「どうかなされたのですか?」

「どうもこうもありませんわ!ソフトボール部から野球部・・・愛好会が練習の邪魔に

 なってると苦情が来ましたの!このわたくしに!」


随分と怒っている様子で綾乃はそう捲くし立てた。

常に完璧でありたい彼女としてはそんな苦情はもってのほかで許せなかったんだろう。


「そうですか。ではその件に関しては次の生徒会議会で・・・」

「いいえ!その必要はありませんわ。あんな愛好会・・・明日わたくしが"話を付けに"行きます」


ぎりっと歯を噛むと綾乃は少しだけ笑みを浮かべた。この時、愛梨には大体予想がついたいた。

理事長の孫である彼女を怒らせたらどうなるのか、そんな事は簡単だ。









綾乃は、野球愛好会を潰すつもりだった。




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