この大きなグランドが野球部2軍専用のグランドであるということ、1軍は別に専用の球場を

持っているということを聞いたときはさすがに驚いた。

あかつきの設備の豪華さはもちろんだが、我が野球愛好会との違いに。

どおりでさっきは人っ子一人いなかったはずだ・・・そんな事を考えながらかなえはメンバー表にスタメンを記入していった。

と言ってもスタメンは既に打順まで決めてある。

それぞれがそれぞれの役割をきっちりこなすこと。素人集団の恋恋にはそれが1番必要だった。

だからあらかじめ打順とポジションを決め、この5日間そこのみに絞った練習をしてきた。

ちなみにこれがその恋恋高校野球愛好会のスタメン表である。




1番 中 矢部
2番 投 早川
3番 遊 藤村
4番 捕 片桐
5番 一 金澤
6番 二 大村
7番 三 山本
8番 右 吉野
9番 左 加藤



















PHASE-08 油断と打算と



















「よーし、お前たち全員集まれ!」


守備練習を終えた選手たちがかなえの一言で集まる。その表情はほとんどのメンバーが緊張した面持ちだった。

無理もない、ここで負けたらすべてが終わりなのだから。かなえはその様子を見抜くとはあ、とため息をついた。


「お前らそんな緊張しててどうするんだ?」

「でも、この状況で緊張するなって言う方が無理でやんす!」


矢部がみんなの声を代弁するかのように言う。メンバーもその矢部の声にうんうんと頷いた。


「良いか、ここまで全部上手く進んでる。あとはお前たちがここ数日の練習どおりに

 試合をやれば良いだけだ」

「で、でも!相手は2軍とはいえあのあかつき大付属・・・」


かなえが返すがメンバーの1人がそう言う。

確かに不安なのも分かるが不安がってばかりでは勝てるものも勝てなくなってしまう。かなえはまたため息をついた。


「これ、向こうのメンバー表だ。見てみろ」


そう言ってかなえは手に持っていた1枚の紙を矢部に手渡した。

矢部は怪訝そうな表情をしてそれを受け取るが、それを見て驚きの声をあげた。実に間抜けだ。


「な、なんでやんすかこれ!?全員1年生でやんす!」

「えっ!?嘘だろ!?」


他のメンバーも矢部の持っている紙に群がる。何度見てもそうだ。

あかつき側のスタメンは全員"2軍の""1年生で"構成されていた。


「うちは完全にナメられてるってことか」


1人ぽつんと隅の方で立っていた片桐はぽつりと言う。他のメンバーはその声を聞いてしん、となった。

ナメられている。しかも普通のナメられ方ではない。段々と彼らの中にある感情が芽生えてきた。


「なんかオイラ、腹が立ってきたでやんす・・・!」

「俺も・・・」


そしてその感情は他のメンバーへと伝染する。そしていつの間にか彼らは緊張を完全に忘れていた。

このままナメられっぱなしでは帰られない。その気持ちが彼らを支配するようになったのだ。


「ここまでやられて負けたらただじゃすまさないからな!良いか!」

「おー!!」


愛好会一同がそう叫び声を挙げる。片桐は思った。この女の子に監督を依頼して正解だったと。

さっきまでバラバラだった部員の心をあっという間に1つにまとめてしまった。

自分だったらここまではできないだろう。自分にリーダー能力がないことは重々承知している。


「片桐君、片桐君もこっちへ来るでやんす!」

「あ、ああ・・・」


矢部に呼ばれ、メンバーの輪の中へと入る。メンバーは燃えていた。

こういうときになんと言ったら良いのか分からないが、そう例えるしかない。今の状況は。


「絶対勝つぞー!」

「おおーーー!!」


あおいの掛け声に続き、メンバーが大声を上げる。かなえはその様子を少しはなれたところから見ていた。

・・・すべて計画通り。ここまで何一つ狂っていることなどなかった。

そう、ここまでは。



















「1番 センター 矢部君」


グランドに設置されたスピーカーからそんな声が聞こえてくる。

向こうがウグイス嬢を用意してくれたのだろうか?さすが名門校といったところか。


「メガネ、良いな!さっきの事を忘れるな!」

「やんす!」


矢部はあのあと、かなえからメンバーへ聞かされた作戦の事を思い出していた。

あれは円陣を組んで声を上げた数分後。かなえからメンバーに作戦があるということでもう1度召集がかかったのだ。


「今から話す作戦は難しいことじゃない。むしろ普通にやればできる作戦だ」


かなえは今までの出来事を思い出す。そう、ここまではすべて一連の流れで来ていたのだ。

あおいを挨拶に行かせたのもその1つ。あれで相手にこちらを完全にナメきらせることができた。

それによって相手はメンバーを全員1年生にするというミスを犯した。

もちろんこちらにとっては願ってもないことだ。かなえは確信した。この試合は勝てると。


「今、相手は完全にこちらをナメきっている。よって、こちらの力量を見切られる前に試合を決める」

「試合を決めるって・・・そんな事できるの?」


返したのはあおいだ。試合を決める、というのは言い過ぎかも知れないが、確実に点を取る。

それができるのは相手がこちらをナメている間だけと考えて良いだろう。


「幸いこちらの攻撃は表だ。完全に奇襲を仕掛けることができる。そこで」


かなえはすうっと一呼吸置く。矢部はそこまで思い出したところでバッターボックスへと入った。

相手ピッチャーは右ピッチャー、同じく1年生だが体格は向こうの方が良い。


「1回表で最低、2点取る・・・!」


矢部は打席でかなえが最後に言った言葉を思い出していた。1回表で最低2点。

かなえの考えた作戦は先制逃げ切りの作戦だった。相手がこちらの力量を見切る前に点を取り

完全に見切る前に試合を終了させる。一見逃げとも思われる作戦だが現状ではこれがもっとも有効だ。


「しかしなあ・・・」


かなえはベンチでポツリとつぶやく。このあかつき大付属高校野球部の設備のよさに感心していたのだ。

2軍専用のグランドがあり、そのグランドには屋根までついているちゃんとしたベンチがある。

こんなに恵まれた施設で野球をやれる選手たちはさぞ幸せなことだろう。

ただ、さっきこのベンチに屋根があることで愛梨が「持ってきたパラソルが無駄になった」と

ぼやいていたことは聞かなかったことにしよう。あの鞄の中にはそんなものが入っていたのか。


「お嬢様、お暑くございませんか?」

「大丈夫に決まってるだろ。今日は暑いとはいえまだ4月だぞ」


だから私は久々に太陽の下に出た引きこもりの若者じゃないっていうのに・・・

愛梨が心配してくれるのはうれしいがこれくらいなんてことない・・・たぶん。

その瞬間、綺麗な金属音が響いた。矢部の放った打球はピッチャーのわずかに左を抜け、

センター前へと転がっていっていた。まるでバッティングのお手本のようなピッチャー返し。


「よし、まずは先頭打者が出た」


これは絶対条件だった。ビッグイニングを作るには先頭打者の出塁が必要不可欠。

野球の基本中の基本だ。それを考えるとミートもうまく足も速い矢部は天性の1番打者といえよう。


(次のあおいは・・・)


かなえはあおいに向けてサインを出す。ここは定石通り送りバントだ。

ただ、ここ数日を見る限り決してバッティングが得意ではないあおいがちゃんとそれを決められるか。

相手ピッチャーはセットポジションを取る。1球一塁にけん制を入れた後の1球目。

その瞬間、矢部が一塁からスタートを切った。タイミング的にはドンピシャの完璧なタイミング。

あおいはバントの構えをしていたバットを引く。判定はストライクだが今はそんな事はどうでもいい。

キャッチャーがセカンドへ送球する。

ボールはわずかに高めに逸れ、セカンドがタッチにいくものの判定は楽々のセーフだった。


「よっしゃーナイス盗塁!」


ベンチから選手たちの声が木霊する。よし、完璧だ。さすが経験者だけあって盗塁の技術も基礎ができている。

相手が油断しているこのとき、かなりの高確率で盗塁が決まることは容易に想像ができた。

かなえはベンチでふぅ、と一息をつく。

だがここからがまた問題だ。一塁から二塁への送りバントより二塁から三塁への送りバントの方が格段に難しい。

しっかり打球の勢いを殺してピッチャーまたは三塁の前にバントしなければならないからだ。

あかつきは予想通り前進守備をしいている。ここでバントを決められるか決められないかは重要だ。

2球目、今度は内角にボール球がくる。バントするなら次だ。

あおいに今一度サインを送る。あおいはそれをチラッと見て確認した。


「頼む、決めてくれよ・・・」


そして次の1球、ストライクゾーンにボールが来た。金属バットの音がしてボールがバットへと当たる。

転がっていったのはピッチャーの前だった。だが、打球の勢いがない。

ピッチャーが前進してボールを捕球する。三塁の方を見るがもう矢部は三塁の手前まで駆けてきている。

無理だと判断したピッチャーは一塁へと送球、確実にワンアウトを取った。


「よし!」


決まった。完璧に決まった。ここまでうまく行くと逆に怖くなってくるくらいだ。

あおいにはここ数日バントの練習をさせてきたがそれがうまく作用したようだった。

経験者であるあおいには最初から2番を打たせるつもりだった。なぜならブランクのある者や

素人に上位打線を打たせるわけにはいかない。女でもバントは男並みにできるだろうという考えからの作戦だ。


「続けよ幽霊部員!」

「俺は幽霊でも部員でもない!!」


ベンチから入るちゃちゃに藤村は声を上げて怒った。・・・案外単純な性格なのかも知れない。

藤村に出したサインは「自由に打て」だった。もちろん最高はホームランだがそこまでは望まない。

タイムリーか犠牲フライか・・・最低1点、それが藤村に課せられた使命だった。


(1アウトランナー3塁か。引っ張ってライト方向だな)


藤村はちらりとライト方向を見る。先ほどからのピッチングを見ている限り相手ピッチャーは

決して球の速いピッチャーではない。自分の実力なら十分できるはずだ。

1球目、ボール球を見送る。相手もこちらをナメているとはいえ先制点は取られたくないはず。

前の2人に比べると多少攻め方が厳しくなってきた。

その後も臭いところをつかれ1−2とバッティングカウントになる。

そして4球目、内角に来たストレートを藤村は思い切り引っ張った。

打球はライトへとあがる。間違いなくライトフライだが犠牲フライには十分な距離だ。

ボールが落ち、ライトのグラブへと収まる。それと同時に矢部がサードベースからスタートを切った。

ライトからボールがセカンドへと戻るがそこでおしまい。矢部がホームへと滑り込んだ。


「やった!1点先制でやんす!」


矢部がはしゃぎながらベンチへと戻ってくる。他のメンバーも大喜びで矢部を迎えた。

1点。1点だが、この1点は恋恋高校野球部が初めて取った記念すべき1点だ。


「やるじゃないか、メガネ」

「かなえちゃんもオイラの事見直したでやんすか!?」

「調子に乗るな、馬鹿」


一気に落ち込む矢部を戻ってきた藤村が励ましていた。まったく、ここの連中は馬鹿なんだが

どうなんだかさっぱり分からない。それはあの片桐も一緒だ・・・その瞬間。

心地いい金属音が響き、打球が大きくセンターへと舞い上がった。

その打球はセンターの頭上を遥かに越えていき、グランドの外へと飛んでいった。文句なしのホームランだった。


「おおお片桐ぃぃぃ!!」

「片桐君すごいでやんす!」


片桐は無言でバットを置くとゆっくりとベースをまわり始めた。それとは対照的に大喜びのベンチ。

かなえはあっけに取られていた。彼・・・いや、このチームの実力に。


1回表に最低2点。あっという間にそのノルマは達成されていた。



















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恋恋高校野球愛好会2 2
あかつき大付属2軍





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