「くそっ、なんて事だ・・・!」


まだ4回だぞ。4回だというのにもう1回に取った2点を追いつかれてしまった。

恋恋が勝つにはロースコアのゲームにしなければならなかったというのに。

これでまた1からやり直しだ。かなえはあせっていた。初めて自分の計算が狂った。

いや、こんなにも早く相手にこちらの作戦を見抜かれるなんて。完全な誤算だった。


「お嬢様・・・」


愛梨は心配そうにかなえを見守る。彼女は非常に物事に集中するタイプの人間だ。

それは自分が1番よく知っていた。だが、それは同時に周りが見えなくなってしまうということ。

今の彼女はまさにそれだった。周りが見えていない、視野が狭くなってしまっている。


「レフト!」


その時、片桐の大きな声がした。今度は当たりこそ大きいが決して難しい打球ではない。

レフトの加藤はゆっくりと落下地点へと入り、捕球した。

彼もここ数日で格段に成長した選手の1人だった。こういう初歩的なプレーは無難にこなせるようになった。


「これでツーアウトか・・・」


かなえがぽつりと呟く。だがツーアウトになったとはいえまだランナーが2塁に残っている事に違いはない。

これで油断しなければ良いが・・・じっとマウンド上のあおいを見つめる。

さっきから連続して痛打を打たれている。まさかたった4回でバテたなんてことはないだろうが、

確実に彼女は動揺しているのだ。追いつかれた事もそう、簡単に盗塁を許した事も、信頼できないバックの事も。


(どうして・・・思ったところにボールがいかない・・・!)


さっきまでこんなことなかったのに。あおいはもがき苦しんでいた。

カウントは2−2。だがようやく追い込んだ。あと1球で終わらせる、絶対に。

あおいは自信を持って最後のボール・・・シンカーを低めに投げ込んだ。

6番バッターは何とかそれをバットに当てるもそれはボテボテのサードゴロ。

サード山本が駆け込んで捕球して、一塁へと送球する。・・・しかし。


「なっ・・・!」


送球は大きく逸れ、金澤のグラブにかすることもなく後ろへと飛んでいった。

それを見たセカンドランナーはサードベースをも蹴る。ボールはライト方向を転々とする。

カバーに入っていたライト吉野がそれ捕球するが時既に遅し・・・セカンドランナーは生還していた。

2−3・・・とうとう逆転されてしまった。もっとも恐れていた、こちらのミスによって。



















PHASE-10 諦めるな



















それからも悪い状況は続いた。続く5回の攻撃はあっけなく終わってしまい、

裏の守備ではエラー2つで1点、また追加されてしまった。2点差・・・その思い数字がのしかかる。


(なんだ・・・このチームはこんなに脆かったのか・・・?)


かなえは愕然とした。たった5日で作った急造チームなんて所詮こんなもの。

そう言ってしまえばそのとおりだが、ここまでとは・・・

相手が少し揺さぶりをかけてきた程度であっという間に崩れてしまった理想。

敵は経験者、しかも名門校。その前には私たちはこんなにも無力だったのか。




勝てない、私たちではあかつきには。あのチームには勝てない・・・




6回表、恋恋高校の攻撃。2番、あおいからの攻撃だった。

だが、あおいも藤村も簡単に相手ピッチャーの前に倒れてしまいあっという間にツーアウト。

もはや反撃できるという機運すらなくなってしまったかのように思えた。


「やんす・・・もうダメでやんす・・・」


ベンチのムードも一様に暗い。だがかなえはここでどうしたら良いのか分からなかった。

自分が何とかしなければならない、でもこんな時になんと声をかけたら良いのだろう?

何とかなる?まだまだこれから?分からない。この時のかなえには・・・


「なあみんな、聞いてくれ」


その時。声をあげたのは・・・今ネクストバッターズサークルにいなければならいはずの片桐だった。

下を向いていたメンバーは片桐の顔を見る。


「今こんな状況になってるのは半分は俺のせいだ。俺が満足にキャッチャーとしての

 役割を果たせないばかりに・・・だけど」


片桐はそこで一呼吸置いた。そして自分に言い聞かせるように言う。


「まだ終わってない。だからみんな諦めないでくれ。・・・俺も諦めない」


それだけ言うと急いでバッターボックスの方へと走っていった。

メンバーはあっけに取られていた。いまさら何を言っているんだというような表情で。

諦めるなといわれてもこの状況をどうしろというんだ?一様にそんな顔をしていた。


(俺は諦めない、絶対に・・・!)


初球、内角のスライダーを見逃す。片桐は感じていた。ここでどうにかしないと

このままずるずるといってしまうと。そうなったらおしまいだ。何もかも。


(俺はまたここで野球をするチャンスを掴んだ。俺はもう・・・)


今度は内角のストレート、これはボールだった。

相手も片桐には特に警戒して投げてきているのがよく分かる。片桐はバットを強く握り締めた。


(俺はもう野球をやめたくない!!)


片桐の振ったバットにボールがジャストミートした。打球は右中間を深々と割っている。

片桐は走った、力の限り。そしてあらん限りの力でセカンドへヘッドスライディングした。

ライトからボールが返ってくるがセカンドまでは戻ってこない。ツーベースヒットだった。


「よっしゃああああ!!」


自分がさっき、何の球種のどこのコースの球を打ったかなんて覚えてない。

ただ必死だった。打つ事、それしか自分にできる事はない。こんな出来損ないのキャッチャーには。


「5番 ファースト 金澤君」

「金澤!絶対に打て!俺をホームに返せ!」


普段片桐があんなに声を上げたところを金澤は見た事がなかった。

片桐は必死だ。あんなに必死になってやっている。だったら、自分もそれに応えるしかない。

・・・だが、打てるだろうか。金澤は今日まだ2打数ノーヒットだった。


(ちくしょう、俺だって!)


あいつにばかりかっこいいところを持ってかれてたまるか!

2球目のスライダーを見送りあっという間に追い詰められてしまう。だが金澤は諦めていなかった。

あいつは諦めてない、だから俺も諦めない。今はそれしかなかったのだ。

そして3球目、外角へのストレート。見送ればボールだが微妙なところだ。

金澤は賭けに出た。そのストレートにあわせるようにバットを出す。

見事にボールはバットへと当たった。ジャストミートとまではいかないが強い当たりの打球がピッチャーの右を抜ける。

セカンドが飛びつくも追いつかず、打球はセンター前へと転がっていった。


「よっし!!」


金澤は1塁をまわったところでガッツポーズをする。これでランナーを3塁に・・・

誰もがそう思っていた。だが、1人だけ。そう思っていない人物が居た。

片桐だった。片桐はサードベースを蹴り、一気にホームへと突っ込んできた。


「馬鹿!暴走だ!!」


咄嗟にかなえが叫ぶ。あのセンター前ヒットじゃ二塁ランナーはホームへは戻ってこられない。

センターが思い切りホームへとダイレクトで返球してくる。だが片桐は走るスピードを落とさない。

ヘッドスライディングでホームへ、相手キャッチャーへと突っ込んだ。

相手キャッチャーも返球を受け取り、片桐へタッチする。

完全に間に合わないと思われていたタイミングが、微妙なタイミングになっていた。




砂埃が舞い、一瞬の静寂が訪れる。そして・・・



















「セーフ!ホームイン!!」


審判が高らかにそう宣言した。片桐は大声を上げると起き上がり、ベンチへと帰ってきた。

恋恋ベンチの誰もが圧倒されていた。片桐大介という男の、その圧倒的な存在感に。

これがあの、中学全国制覇を成し遂げた男なのだろうか。それが彼の全身からにじみ出ていた。


「片桐君すごいでやんす!まず1点でやんす!」

「さすが先輩ッスね。まだ分かりませんよ、この試合!」


ベンチも一様に盛り上がっている。この試合まだまだこれからだ。さっきまで諦めていた

ベンチが一気にそういう雰囲気になったかのようだった。


「・・・・・・」


かなえはそれを黙ってみていることしかできなかった。すごい、と単純にそう思った。

片桐は1人でこのチームの雰囲気を変えてしまった。自分のプレーによって。

それはかなえには絶対にできないことであり、本当ならかなえがやらなければならなかったこと。

監督だったはずだったのに、このチームを任されたはずだったのに、自分が1番最初に諦めてしまっていた。

彼は、彼だけは最後まで諦めなかったというのに。

かなえが下を俯いている様子をただ1人、愛梨だけはじっと見ていた。

彼女は知っていた、かなえは普段気を張っているほど強い人間ではないということを。

だから今のこの状況も少しだけ、かなえが何を考えているのか理解できた。

それは長年彼女に仕えてきた自分にしか分からない、些細な兆候。本当に、些細な・・・



















6回裏、あかつき大付属高校の攻撃。1点差に詰めたのだからここは絶対に点は与えられない。

点を取った次の回に点を取られるというのはもっとも拙い試合展開だと野球では言われている。

だがしかし、そんな中、あおいは先頭バッターにレフト前ヒットを許してしまった。


「くっ、どうして・・・」


4回・・・あの回から自分の思ったようなピッチングができない。

ベンチで片桐に何度か話をされたが何を言われても変わりはしなかった。

そして次のバッターの1球目。ランナーは問答無用で走ってきた。

片桐は送球の体制まで入るが送球することができない。怖いのだ。逸らして、ランナーに3塁まで進まれることが。


「やはり。どういうわけか分からないがあのキャッチャー投げられないみたいだな」


高島はすでにその事を見抜いていた。そして今度は三盗の指示をランナーに出す。

次もランナーは絶妙のタイミングで三塁を盗んできた。片桐はまたも投げられない。


「くそっ!!」


悔しい。こんな時に何もできない自分がたまらなく悔しかった。

さっきせっかく1点を返したのに、このままじゃすべて無駄になってしまう。

あおいが投げた3球目、バッターは低めのカーブをうまくすくい上げた。

打球はレフト方向へと伸びていくものの勢いがない。加藤がおぼつかない足で落下地点へと入る。

落ちてきた打球を加藤が捕球すると同時に三塁ランナーがスタートを切った。

ボールがショートへと戻ってくるもののホームへは投げられない。また2点差にされてしまった。


「ああ・・・」


どこからともなくそんな声が漏れる。この2点差は恋恋にとって決定的な2点差。

せっかくの1点返して追い上げムードに一気に水を差されてしまった。

今度こそもうダメだ・・・かなえはそう思った。また1番最初に自分が諦めていた事も知らずに。



















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恋恋高校野球愛好会200001 3
あかつき大付属2軍000311 5





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