「あらまあ・・・さすがにもうこれで終わりですわね」


グランドのはずれの木陰で戦況を見守っていた綾乃はそう呟いた。6回裏を終わって3−5、あかつき大付属の2点リード。

客観的に見てここから恋恋が巻き返せる可能性は限りなく0に近い。

そうなれば野球愛好会は廃部、綾乃の目的は達成される。・・・でも。


「あの野球愛好会・・・素人集団の割になかなかやりますわね」



















PHASE-11 "責任"



















1点を取られたもののあおいは続く2人を何とか打ち取りチェンジとなった。

だが、打ち取ったといってもよれよれの投球。彼女の本来のピッチングとは程遠い投球だった。


「早川・・・大丈夫か?」

「大丈夫・・・じゃないよ。僕のせいで・・・」


片桐が声をかけるがあおいは相当落ち込んでいるようだった。自分の思うようなピッチングができない。

だがその半分は片桐の・・・自分のせいであるということを彼は知っていた。

自分がランナーを指せないから。ほぼフリーパス状態で走られているあの状況で

本来のピッチングをしろと言われても無理な話だろう。だからそれはあおいだけのせいじゃない。


「そんな事言うなよ。まだ終わってないんだ。早川のせいなんて事は絶対にない」

「でも・・・負けちゃうよ、このままじゃ」


その言葉に片桐は何も返せなかった。確かに負ける。このままじゃ・・・

この回は7番からの攻撃。しかしあっという間にツーアウトまで追い込まれてしまった。

まずい・・・負ける、何とかしないと。本当にこのまま野球部はなくなってしまう。


「・・・終わり、か・・・」


かなえがぼそりと呟いた。万策尽きた。ここまで来ていったい何ができるというんだろう?

ここ数日全力で野球部は練習してきたし、彼女自身も入念に作戦を考えてきたつもりだった。

だが、それはこうも簡単に崩され、その結果がこれだ。もう、方法は残されていない。

こうなったのは誰の責任でもない。そもそもが無謀だったのだ、こんな賭けをすること自体。

これで野球部は負けて解散、みんなそれぞれの生活に戻ることになる。

野球愛好会を立ち上げたあおいや矢部、片桐には悪いがもう・・・


「お嬢様・・・お嬢様」


しまった。また考え事してしまっていたのか。かなえはぶんぶんと首を横に振る。

見えたのは愛梨の顔。心なしか視界がぼうっとしているのはこの暑さのせいだろうか。それとも・・・


「ああ、愛梨か・・・なんだ?」

「もう。良いのですか?」

「え・・・?」

「試合、です」


ネクストバターズサークルで加藤がちらちらとこちらを見ていた。サインを待っているのだろうか?

・・・そういえば、この試合の監督は自分だった。そんなことすら忘れていたのだろうか。


(こんな時にサインも何もあるか・・・)


適当にサインを出そうとしたそのとき。愛梨がぎゅっとかなえの手を握った。

最初何なのか訳が分からなかったが、彼女の目を見たとき、何が言いたいのか大体理解できた。


「お嬢様、失礼を承知で言わせていただきます」


愛梨は握った手を離さない。なんなんだろう・・・

こんな真剣な、いや怖いと言った方が正確だろうか。こんな表情の彼女を久しぶりに見た。


「先ほど片桐さんは自分は諦めないからみんなも諦めないでくれ、と申しました。

 彼は今も、こんな状況でもきっと諦めていません。・・・お嬢様は」

「・・・私はもう諦めたと言いたいのか?」


かなえも愛梨の方を見る。彼女はまっすぐにこちらを見つめていた。

何もかも見透かしているかのような目・・・実際、今言われたことは間違っていなかった。

確かに自分はもう諦めている、この試合を。投げ出していたのだ。


「お嬢様、彼はまだ諦めていません。お嬢様が今諦めてはいけません」

「・・・そうは言っても、もうどうしようもないだろう?この状況でどうしろというんだ」


吐き捨てるように言った。我ながら情けない光景だ。

自分のメイドに問い詰められて何も言えなくなっているんだから。愛梨は尚もこちらをじっと見ている。


「・・・では、片桐さんに野球をやるように言ったのは誰ですか?

 この試合をやるように仕向けたのは?皆さんのやる気を出させたのは?」

「っ!」


今までかなえが逃げていたことを全部言われた。・・・そうだ。全部、全部自分だ。

かなえが全部やったことだった。だが、それを言われたくなかった。逃げていたかったから。


「お嬢様はそれをすべて承知の上で監督という立場を引き受けたのでしょう?

 監督というのは野球の現場において最高責任者、将です。すべての責任を負う義務があるんです」

「責任・・・」

「今お嬢様がしている事は逃げです。その責任から逃げないでください」


それだけ言うと彼女は握っていた手をすっと離した。責任から逃げるな・・・か。

かなえは感じた。今まで自分がしていたことの責任と、いかに自分が無責任であったかを。

ここで負けても私は何も困らない。ただ何の縁もない愛好会が潰れるだけだ。

心のどこかで今までそう思っていた。・・・だが、それではダメなんだ。

それは自分の逃げ道を作っていること以外の何物でもない。

かなえはふぅ、と一息ついた。そして目を瞑る。頭の中がどんどんクリアになっていくようだった。

私は逃げない、この責任から、使命から。そして・・・最後まで諦めない!

咄嗟に立ち上がるかなえ。何かしなければならない、その時そう思った。

この回0で終わるわけにはいかない。かなえはバッターボックスへ向かう加藤を捕まえた。


「加藤、バットを短く持って行け。フォアボールでも何でも良い、塁に出ろ!」


それだけ言うとベンチへと引き返していった。今、自分にできることは諦めないで

選手たちを信じること。それがかなえの監督という役への責任の取り方だった。

加藤がおぼつかない足でバッターボックスへ入る。それもそうだ。

彼はここ数日で野球を始めたばかりのまったくの素人、もちろん実戦もこれが初めてだ。


(何が何でも、塁に出る・・・!)


加藤は1球目、外角へのストレートを見送る。判定はボール。

わずか、わずかだが相手ピッチャーの球威が衰え始めている。かなえはそう踏んでいた。

次も加藤は見送る。判定はボール。次も、その次も・・・なんと、ストレートのフォアボールだった。

マウンド上で相手ピッチャーは首を捻る。どうやら、思ったところにボールが来なくなっているらしい。

付け込むならもうここしかない。かなえは最後の賭けに出た。


「メガネ、絶対に繋げ!終わるなよ!」


ベンチで大声で叫ぶ。こんなに大きな声を出したのはいったいいつぶりだろう。

まわりもかなえの様子が変わったのに気づいたのかそれに続けといわんばかりに声を出す。


「矢部ー!頼むぞー!!」

「矢部君、僕まで繋いで!」


矢部はそれにぐっと親指を立てて答える。メガネがきらん、と光ったような気がしたのは

おそらく気のせいではないだろう。バットをぎゅっと握ってバッターボックスへと入る。


「任せるでやんす!男矢部明雄、絶対に打つでやんす!」


初球は外角へのスライダーだった。矢部はそれを思い切り振るがバットには当たらずストライク。

思いが空回りしているようだった。すかさずかなえがベンチから指示を送る。


「力を抜け!そんなんじゃバットに当たらないだろ!」


またも大声。愛梨は内心驚いていた。彼女がこんな風に大きな声を出すのもそうだが、

自分の言葉に真剣に耳を傾け、聞いてくれたことを。


(お嬢様も、成長している・・・)


不意にそんなことを思った。かなえも野球愛好会の面々と出会って成長している。

そして野球愛好会もかなえと出会って、そして成長していた。

矢部は2−1のカウントまで追い込まれていた。そして続く4球目、低めのスライダーに判定はボール。

相手ピッチャーはまたも首を捻る。やはり、やはり疲れてきている。それは間違いなかった。

5球目、今度は高目へストレートが来る。矢部はこれを懇親の力で振りに言った。

バットにボールが当たり、打球がグランドへ跳ねる。

それはサードの真横を越えていき、レフト前へ綺麗な弧を描いて転がっていった。


「やったでやんす!繋いだでやんすよ!」


思い切り1塁上でガッツポーズをする矢部。それに呼応されるかのようにベンチの選手たちも

声を出して盛り上げていっていた。今、チームは1つになっている。かなえはそう感じた。


「2番 ピッチャー 早川さん」


コールと共にあおいがバッターボックスへと立つ。この押せ押せのムードを消してはいけない。

それは自分が1番よく分かっていた。こうなったのは自分の責任なのだから。


(繋ぐ、繋ぐ・・・絶対に!)


あおいはバットを思い切り短く持った。何が何でも塁に出る、そのために。

その1球目、思わぬことが起きた。

ピッチャーの投げたボールはキャッチャーのミットとは程遠い・・・あおいの身体めがけて飛んでいったのだ。

ドン、という鈍い音がする。あおいの左肩辺りにボールは辺り、バックネット付近を転々とした。


「あおい!」


真っ先に声を上げたのははるかだった。今までベンチでひたすらスコアをつけていた彼女が

初めて大声を上げた瞬間。親友のあおいがグランドへうずくまったその瞬間だった。


「おい早川、大丈夫か!?」


片桐がバッターボックスへと寄ってくる。あおいはそれを右手を挙げて制した。

大丈夫、大丈夫だと言っている様な、そんな表情で片桐の顔をじっと見る。

その目には何か底知れない、決意のようなものがあったかのように見えた。

ゆっくりと立ち上がり、左肩を抑えながら1塁へと歩いていく。

自分が降りたらもう恋恋にピッチャーは誰も居なくなる。その事をあおいは重々承知していた。

だから、降りられない。絶対に。この試合、負けるわけにはいかないのだから。

あおいと入れ替わるかのように3番、藤村がバッターボックスへと立つ。

愛好会の成立のための試合・・・最初はこんな試合、適当にやれば良いと思っていた。

だが、この回の愛好会のメンバーの様子を見てそんな考えは藤村の中から吹き飛んでいた。

絶対に勝たなくてはならない。藤村はそう思いバッターボックスでバットを握り締める。


(俺は部外者だけど・・・それを理由にしたくない)


ツーアウトランナー満塁、一打同点、逆転のチャンスだ。ここで打たなきゃ何のためにここまで来たのか分からない。

藤村は1球目のスライダーを悠々と見送る。

明らかに相手ピッチャーの球に力がなくなってきている。藤村は天性の勘でそう感じ取っていた。

そして2球目。藤村はその1球を逃さなかった。低目からわずかに浮いたストレート、それを思い切り引っ張った。

ファーストがそれに飛びついて手を伸ばす。



















(抜けろ!!)


野球愛好会の誰もがそう思った。そして、その願いは通じた。

ファーストの横を抜けていく完璧な当たり。打球は右中間を転々としている。

その間にまずサードランナーがホームイン、セカンドランナーの矢部も滑り込んでホームインした。

だが名門あかつきにも意地がある。ここで逆転を許すわけにはいかない。

機敏な動きでセンターがボールに追いつくと、すぐに内野へと返球した。

そのお陰であおいはサードでストップせざるを得なくなった。

これが名門あかつきの洗礼されたプレーなのだろうか。・・・素人集団とはワケが違う。だがしかし。


「これで・・・」

「同点でやんす!!」


戻ってきた加藤と矢部がベンチでハイタッチを交わす。その輪の中にはしっかりかなえも入っていた。

選手たちと同じように喜び、叫ぶ。それがこんなに大切なことだったなんてかなえはそのとき初めて知った。

世の中実際にやってみないと分かることなんてない。百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。


「くっ・・・」


1人あおいがサードベース上で歯噛みをする。できることならこの回、いやこの一打で逆転しておきたかった。

ここで同点で止まるのと逆転するのとでは全然意味合いが違ってくるからだ。スコアとしても、試合全体の流れとしても。

結局、結果として恋恋はこの一打で逆転することはできなかった。

だが7回表、ツーアウトランナーなしから恋恋高校は同点へと追いついた。この試合、まだまだどうなるか分からない。



















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恋恋高校野球愛好会2000012 5
あかつき大付属2軍000311 5





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