「ちっ、やっぱりかよ」


4番片桐。そこであかつきバッテリーが選択したのはもちろん敬遠だった。

ここまで当たっている片桐と勝負を避けるのは当然。だが、それでも納得できないものがあった。

片桐は歯噛みをしながら1塁へと歩いていく。できることなら自分で決めたかった。

だがこうなったからには次の金澤を信じるしかない。そう思いながら。


「5番 ファースト 金澤君」


ベンチからの大声援を受けて金澤がバッターボックスへと入る。

この金澤には先ほどセンター前へのタイムリーヒットを打たれている。バッテリーの入り方も慎重だった。

まずは低めに変化球が外れ、次はきわどいストライクゾーンにストレートを投げてきた。

あかつき側からすればもうここで打たれるわけにはいかない。

しかもさっき打たれている金澤が相手なら攻め方が厳しくなるのも当然だった。

続く3球目、低目へのカーブだった。金澤はそれをうまく掬い上げた。

センター方向に打球が伸びていくものの勢いがない。センターがゆっくりとバックしていき、

落ちてきたところを冷静に捕球する。スリーアウト、チェンジだった。


「くそっ!」


金澤は悔しさのあまりバットを叩きつけた。結果的に片桐を敬遠したことを成功させてしまった。

それがたまらなく悔しい。結局この回、恋恋は同点どまりに終わった。



















PHASE-12 やってきた男



















7回裏、あかつき大付属の攻撃。追いついたは良いが、ここで打たれたら何の意味もない。

しかもあおいは先ほどの打席で左肩を負傷している上にあかつきはこの回1番からの好打順だ。


「早川・・・大丈夫か?肩・・・」

「片桐君、もう大丈夫とかじゃないよ。僕は投げなきゃいけない・・・だから投げる」


その目があまりにも真剣で、片桐は何も返すことができなかった。

先ほどの回までのあおいとは違う、確固たる何かが今のあおいにはある気がした。

1番バッターがバッターボックスへと入る。絶対ここで何か仕掛けてくるはずだ。

またセーフティバントか何かをやってくるかもしれない。

片桐は警戒しながらまず1球目のサインを出した。低目へのシンカーだった。

あおいが振りかぶり、1球目を投げる。それと同時に1番バッターはバントの構えへと入った。

やはり、思ったとおり。またセーフティバントを仕掛けてくるつもりらしい。

だがボールはそこから急激に沈み、相手のバットをかすらせない。


(よし、うまくいった!)


片桐は頭の中でガッツポーズをする。相手はこちらの守備の隙をついて得点を重ねてきた。

それを思えば初球セーフティバントは十分に予知できた事象だ。

次の1球、相手はまたバントの構えをする。しかしボールだということが分かるとバットを引き、様子を見てきた。

・・・まだセーフティバントを諦めてないのか?

さらに次もバントの構えをしてきた。今度は内角のストレートにうまくバットをあわせてくる。

しかし、ボールはファールゾーンへと転がっていき、結果的にバントは失敗に終わった。


(追い込んだ・・・)


あおいは片桐からの返球を受け取り、ふぅと一息をつく。あと1球・・・

そしてその最後の1球、片桐からサインが出たのは・・・


「ストライク!バッターアウト!!」


低めのシンカーに相手バッターのバットは完全に空を切った。やった、とあおいは思った。

今のボールは完全に狙ったところにボールを投げることができた。

言うなれば完璧な球だ。相手バッターはバットを地面に叩きつけて悔しがっている。


(あと2人だ・・・)


この勢いを止めてはいけない。あおいは感じていた。これが表の攻撃から流れてきている

良い流れだということを。身体を大きく沈めて1球目、高めにストレートがびしっと決まる。


(すごい、早川・・・さっきまでとはボールが全然違う)


片桐は正直あおいはもうバテてしまったのかとばかり思っていた。それはそうだ。

こんな試合で女の子がここまで1人で投げてきているのだ。普通はそう思うだろう。

だが、そうではなかった。この回のあおいの球のキレは完全に前の回までのそれとは違っていた。


(これなら、いける!)


また高めに浮かぶようなストレートがいく。相手バッターのバットはまたもその球にかすりもせず空を切った。

2者連続の空振り三振。あおいはマウンド上で小さくガッツポーズをした。


(どうなってるんだ、あのピッチャー・・・まだこんな力が!?)


3番バッターがバッターボックスへと立つ。まずい、このままでは。

完全に流れが恋恋側へといってしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。

彼は初球から果敢に攻めてきた。初球、低めのカーブに手を出すがバックネットへのファールボール。

さすがにクリーンアップ、それも4巡目だけあって確実にバットにボールを当ててくる。


(負けない・・・僕は、負けない!)


あおいは身体のすべての力を右腕に込めた。今度は低目へぐんぐんと伸びていくようなストレートが決まる。

片桐もこの勢いを感じているのかどんどんストライクゾーンにボールを投げさせてくる。

そして3球目。今度はほぼど真ん中にボールが来る。これを逃すかと言わんばかりに相手バッターはバットを振った。しかし。

そこからボールはぐん、と沈み始めたのだ。

その急激な落差に対応できずバッターのバットはまたもくるくるとまわってしまう。

3球三振・・・これで3者連続三振だ。最後の1球はあおいの決め球である伝家の宝刀シンカーだった。


「やった!」


今度は大きくガッツポーズをするあおい。勝てる・・・この試合、いける。

またそんな機運がチームで高まり始めていた。内野陣とハイタッチを交わしながらベンチへと

戻ってくる選手たち。かなえもその選手たちを拍手で迎えていた。


「良いぞ、この回このまま逆転だ!」

「おおー!」


試合前に戻ったかのように高揚しているベンチ。かなえは満足気な表情をしながらそれを見渡す。

チームのムードも高くなってきている、そして選手たちが勝てると思い始めている。それは小さいが大きな一歩だった。


「お嬢様、お水はいかがですか?」

「ん・・・ありがとう」


かなえは言われて愛梨から冷えたペットボトルのミネラルウォーターを受け取る。こんなものどこにあったんだろう?

やはりあの馬鹿デカいかばんの中だろうか。そんな事を思いながらミネラルウォーターを一気に飲む。

大声を出したからだろうか、喉がカラカラに乾いていた。こんなに喉が渇いたのは久しぶりだ。

このままいけば勝てる・・・恋恋野球愛好会の誰もがそう信じていた。とうとう試合は8回、終盤の攻防を迎えようとしていた。



















「な、なんなんですの・・・?あの愛好会・・・」


綾乃は正直驚いていた。まさかあの状況から追いつくなんて・・・

いやむしろ流れは恋恋の方にいっているではないか。野球素人の綾乃でもそれくらいは分かった。

このままではもしかしたら・・・あかつきは負けるかもしれない。そうなれば・・・


「それだけは絶対に許しませんわ!」


そう、そんなことはあってはならない。この勝負に負けるなんて事は自分のプライドが許さない。

だが、あの愛好会があかつき2軍と互角以上に戦っているのも事実。どうすれば・・・

その時だった。綾乃の隣に突然人影が現れたのは。人数は・・・2人。


「おいおい、まだ試合やってたのかよ」

「フッ・・・てっきりもうコールドになってると思って見に来てみたが」


綾乃はいぶかしげな表情で2人を見る。

なんだ・・・?あかつき大付属野球部のユニフォームを着ているところを見ると部外者では無さそうだが、

何かこう、怪しいというか他の選手とは雰囲気が違うような気がする、そんな2人だった。


「キャプテン、見てください!あれ猪狩と加納ですよ!」


あかつきベンチはすぐにその2人がグランドにやってきたことに気がついた。

ちょうどあかつきベンチの向こう側の位置に2人が立っている。


「あいつら・・・今日は2軍の練習には参加しないと言ってなかったか?」


どうしてここに来たのかは分からないが、とりあえずあいつらと話をしてみないと。

高島はそう思ったのか大きな身振りで2人にこちらへ来るように指示を出す。


「おい猪狩、高島さんがこっち来いって」

「フッ・・・大方僕らに助っ人でも頼もうとしてるんだろう」


そういって猪狩はスコアボードを見る。8回表、恋恋高校の攻撃で得点は5−5の同点。

まったく、こんな名前も聞いたことの無い高校相手に同点なんていったい何をやっているんだろう。


「でも先輩たちは試合出てねーみたいじゃねぇか。それなら俺たちに助っ人なんか頼む必要ないんじゃないか?」


そう、それなら自分たちが試合に出て行けば済む話だ。それじゃあ何でキャプテンは2人を呼んだのだろう?

とりあえず話を聞いてみないと分からない。

そう思い2人があかつきベンチへと歩き始めたその時。恋恋側から大きな声がした。


「加納ーーーーー!!」


耳を劈くような大きな声。それは他でもない・・・片桐のものだった。

片桐はベンチの前に立つと加納の方をじっと見つめる。・・・いや、睨むと言った方が正しいだろうか。


「な、なんなんですの!?」


いきなりの大声に思わずたじろいでしまった綾乃。今の声は確か・・・そうだ、あの片桐という男だ。

一体何なのか分かりもしないまま、綾乃は加納の方を見る。加納はあっけに取られた、そんな表情をしていた。


「・・・はは、なんだ・・・そう言うことかよ」


まるで放心状態になったようにそうぼそりと呟く。猪狩は何がなんだか分からない様子で

恋恋ベンチと加納を交互に見ていた。他の恋恋のメンバーも、誰もがこの状況を理解できていない。

加納はキッと顔を上げると、片桐の方をにらみ返す。そして、意を決したように。


「猪狩・・・この試合、俺たちも出るぞ」



















「か、片桐君、いきなりどうしたんでやんすか?」


矢部を始めとして恋恋ベンチの選手たちは状況をまったく理解できていなかった。

いきなり片桐がベンチを飛び出したと思えば大声で「加納」と叫んだ。一体なんなんだろう。


「あいつは・・・加納は・・・中学時代俺とバッテリーを組んでた奴だ」

「えっ・・・?」


ベンチが静まり返る。中学時代・・・つまり全国制覇を2回成し遂げた片桐とバッテリーを組んでいた選手。

それだけで相当すごい選手であろうということは理解できた。片桐はその続きの話をし始める。


「中学時代は俺が3番ピッチャー、あいつが4番でキャッチャーだった。それで・・・」


だが、そこから先は言葉に詰まって言えなかった。なぜだろう、何なんだろう、この気持ちは。

加納に会うのは約1ヶ月ぶりだ。まだたったそれだけしか経っていないというのに、

もう何年も会ってなかったかのように感じる。この気持ちは・・・




本当は、俺もあかつき大付属に入学してあいつとまたバッテリーを組む予定だった。




その言葉だけはどうしても言うことができなかった。思い出す・・・肩を壊したときのこと、

自分が恋恋への進学を決めたときのこと・・・その時のあいつの顔を。

1番思い出したくない思い出だ。心の底にしまっておいた、最悪の思い出。

8回表、恋恋高校はランナーを1人出したものの得点に結びつくことはできず、

無得点で攻撃を終了した。だが、この回の攻撃を見ているとまだ流れは恋恋にある。

次の9回、1番からの攻撃で1点を取れば勝てる。片桐はそう確信していた。









8回裏のあかつき大付属の攻撃。その前に4番バッターに代打が出された。

代打として出てきた選手は・・・加納智樹。中学時代世代最強のバッターと呼ばれた男だった。



















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恋恋高校野球愛好会20000120 5
あかつき大付属2軍0003110 5





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