加納がヘルメットをかぶって右バッターボックスへと入る。片桐は感じた、

このバッターの持つなんともいえない存在感・・・威圧感を。

今まで加納と試合で対決したことはない。でも、このバッターは敵にまわすとここまで圧倒的だったのか。

あおいもそれを感じているのか、入念にロージンバックを弄る。

このバッターに少しでも甘い球は投げられない・・・ピッチャーとしての本能がそう教えていた。


「久しぶりだな、片桐」


不意の出来事だった。バッターボックスで加納が片桐に向かって話しかけてきたのだ。

片桐はあまりに突然のことで何もいえなかった。いったい、何を話せば良いと言うんだ?


「相変わらずのだんまりか。変わらないな、お前も」

「・・・俺を笑いに来たのか」


気さくに話しかけてくる加納に向かって出た言葉がそれだった。口下手な自分はかつての

親友にそんな言葉しかかけることができなかった。片桐には加納の考えが・・・理解できない。

ピッチャーをやめてキャッチャーなんかやってる俺を笑いに来た。片桐はそう考えたのだ。


「誰が笑うかよ。ま、ピッチャーからキャッチャーになったってのは驚いたけどな」


そうはにかみながら言う。・・・もうこれ以上話すことはない、そう告げるように片桐は下を向いた。

もう違う、前とは違うのに・・・そんな風に話しかけてこないでくれ。

明らかに動揺している自分を落ち着かせようとするがうまくいかない。


(俺はこんなに悩んでるのに・・・あいつは以前と何も変わってない)


それが羨ましくもあり疎ましくもあった。まるで片桐の怪我なんてなかったかのように。

中学時代、一緒に野球をやっていたときのように。そんな風に接してくる加納が・・・

そこでもう片桐は考えるのをやめた。今はこいつをどう打ち取るかを考えるべきだ。

あおいに1球目のサインを出す。内角ボール球になるストレートだった。

彼女の身体がぐんと沈み第1球目、狙ったとおりのところにボールがくる。

先ほどの回からボールが元に戻ったどころか良くなっているように思えた。

加納はそれを強引に打ちに来る。ボールは鈍い音を立ててバックネットへと飛んでいった。


(ドンピシャ・・・!)


片桐は直感的にストレートはまずい、と感じた。

この打ちにくいアンダースローのストレートを初球からここまで完璧なタイミングで捕らえてきた。

やはり並のバッターではない、と。


「ふぅ、なかなか打ちづらいな、アンダースローってのは」


加納はバットを握りなおしながらそう呟く。片桐はあえてそれを無視した。

あいつのペースに巻き込まれてはいけない。そうなったら本当におしまいだ。

2球目、今度は低目へシンカーを要求した。

ストライクゾーンに入るか入らないか、ぎりぎりのところ。あおいが最も得意とするコースだった。

あおいの身体がもう1度沈み、ボールがその右腕から放たれる。

ストライクゾーンまでやってきたボールは大きな弧を描き右バッターの内角へと沈んでいく。

その時だった。片桐の目の前でボールが消えたのは。ものすごい金属音が響き渡る。

片桐は一瞬目でボールを追えなかった。気づいたときにはボールは遥か彼方・・・

空高く舞い上がっていた。矢部はそれを追おうともしない。

グランドのセンター最奥、そこを大きく超えてボールは場外へと消えていった。


「嘘だろ・・・」


片桐は自分でも気づかないうちにそう零していた。呆然とボールが飛んでいった方を見て立ち尽くす。

完璧だった・・・あおいの投げた球は完璧だったはずなのに。

それをいとも簡単にもっていかれた。痛恨の勝ち越しホームランを許してしまった。


(悪いが片桐・・・)


加納はボールの行方を見た後、ゆっくりとバットを放り投げてベースをまわり始める。

まるで打った瞬間ホームランだと分かっていたかのようにゆっくりと・・・


(俺はピッチャーをやめたお前に野球選手として何の魅力も感じねぇ)



















PHASE-13 "ラストイニング"



















9回表の攻撃が始まる前、かなえは選手たちを全員呼んでベンチ前で円陣を組んだ。

根性論なんか信じたくはない。だがもうそれを信じるしかなかった。


「まだだ、まだ終わってない。最後の1球まで試合は終わってないぞ!」


今はそう言って選手を信じるしかなかった。選手たちの顔を見ても分かる。

この中にまだ誰1人として諦めている者は居ないと。

そして、諦めてはいけないということを選手全員が分かっている。かなえは最後にあらん限りの大声で。


「絶対に勝つぞ!!」


そう叫んだ。勝つ、勝つしかない。それ以外にこの愛好会が生き残る道はないのだから。

1番バッターの矢部がバットを持って打席へと歩いていく。その目には決意が宿っていた。

・・・が、しかし。恋恋高校野球愛好会は完全に追い込まれていた。スコアだけではない。

この回から相手バッテリーが変わっていたのだ。・・・そう、加納と、そして猪狩に。

投球練習を見る限りあの猪狩というピッチャーは前のピッチャーとはレベルが違う。

そのことは矢部も、恋恋のメンバーも十二分に分かっていた。そして、その事実が大きくのしかかる。


(でも、オイラが出れば・・・!)


先頭打者の矢部が出れば同点、そして逆転の目がある。この打席は絶対に出塁しなければならない。

矢部は大きく素振りをしてバッターボックスへと入った。


「猪狩ー!楽に行くぞ!」

「フッ、誰に言ってるんだ」


相手のバッテリー間でそんな会話が済まされる。猪狩はフッ、と目を瞑ると次の瞬間、

矢部をキッと睨んだ。その圧倒的な姿はまるでマウンド上の貴公子のようだった。

サインを確認し猪狩は大きく振りかぶる。身体の体重が移動され、猪狩のすべての力がその左腕に集約された。

その放たれたボールが矢部をめがけて突き進んでくる。


「!」


ボールは一直線に矢部の内角へと食い込んできた。初球、真ん中から内角へと入ってくるスライダーだった。

矢部はその球を見送る。・・・いや、振れなかったというべきかもしれない。

2球目、今度はカーブが外角へと決まる。矢部はまたしても振る事ができなかった。

・・・このバッテリー、厳しいところをズバズバと変化球でついてくる。

今までのピッチャーとの違いに矢部は愕然としていた。・・・レベルが違う、と。

そして猪狩はまた振りかぶる。その1球は猪狩の腕から放たれた瞬間、

うなりを上げて加納のミットへと突き刺さった。矢部のバットはまたもぴくりともしない。


「ストライク!バッターアウト!!」


見逃し三振。まるで手を出すこともできなかった。何もすることができなかったのだ。

矢部は完敗だと思った。ここまでレベルが違うものなのか・・・と。


「何だ、あのピッチャーは・・・」


愕然としていたのは矢部だけではない。恋恋ベンチも、そしてかなえも例外ではなかった。

打てる気がしない。あんなピッチャーをどうやって打てばいいんだ?

あれが1年生にしてあかつき大付属1軍の座を射止めようとしている選手の実力なのだろうか。


「お嬢様・・・」

「分かってる。諦めない、何とか、何とか活路を開いてみせる・・・!」


かなえは自らの爪を噛んだ。ダメだ、このままじゃ。何とかしなければならない。

頭をフル回転して考えるがどうしたら良いのか分からない。

圧倒的な力の前に小細工など無為に等しい。これほどまでにそれを痛感させられたことはなかった。


「あおい!何とか当てろ!」


ベンチから叫んでみるもののその声は虚しく響くばかりだった。

ピッチャーのあおいにバッティングまで求めるのは無理というものだろう。

あっという間にツーストライクまで追い込まれてしまう。まるで相手バッテリーに遊ばれているように

簡単に、そして嘲笑われているかのように無力にカウントのみが重ねられていく。


「ストライク!バッターアウト!!」


あおいのバットが空を切る。とうとう土俵際に追い込まれてしまった。

もうワンアウトも取られることは許されない。そうなることは試合終了を意味する。

ネクストバッターズサークルから藤村が立ち上がる。

その時。片桐が藤村を呼び止めた。藤村は何かと思いその場に立ち止まる。

片桐の目はまっすぐに彼を見つめていた。その目を見た藤村は彼が何を言いたいのか一目で理解できた。


「藤村、なんでもいい!俺にまわしてくれ!俺に勝負をさせてくれ!!」


そう言って片桐は思い切り頭を下げる。藤村は無言でバッターボックスへと歩いていった。

頭を下げられたって、自分にどうしろというんだ。自分はまだ中学生だというのに。

高校生でも手も足も出ないあの球を打てというのか。


(そんな無責任なことがあるかよ・・・!)


勝手に呼んでおいて勝手に頭を下げて。そしてすべてを俺に任せるなんてそんな都合の良い事があるわけがない。

だが、藤村は一瞬だって諦めてはいなかった。

打つ、あのピッチャーの球を打つ。そのことしか今は頭になかった。打って、片桐までまわす!

バッターボックスに入り猪狩の方を見る。圧倒的な威圧感・・・それを感じざるを得なかった。

だがそれに屈するわけには行かない。繋ぐ、絶対に次の片桐に繋ぐ・・・!

この時藤村は大きな賭けに出ていた。あの猪狩というピッチャーの球を打つにはもうこれしかない。

猪狩が振りかぶったその1球目。藤村はその"賭け"を実行した。

来たのは恐らく140キロを超えているであろうストレート。藤村はそれを思い切りひっぱたいた。

そう、藤村の賭けとは初球ストレート、それにヤマを張りすべての力で振りぬくことだった。

藤村の放った打球は猪狩の右手のグローブをはじき、センター前へと転がっていく。

彼の行った賭けは見事に成功した。一塁ベース上で思い切りガッツポーズをする藤村。しかし。


(・・・手の痺れが・・・)


その球を打った手からいつまでも痺れが取れなかった。それほど力のある球だということだろう。

まさかここまでとは思わなかった。藤村は手を大きく振る。・・・自分の役目は果たした。

あとはあの人が役目を果たす番だ。バッターボックスの方をそう思いながら見やった。


(ありがとうよ、藤村・・・)


片桐は彼をこの試合に呼んで大成功だと思った。

彼は間違いなく片桐の1つ下の世代では1つぬきんでている選手だ。俺の目に狂いはなかったと。そう感じた。


「片桐ー!頼む、打ってくれー!!」

「片桐君なら打てるでやんす!」

「お願い!片桐君!」


ベンチからさまざまな声が飛んでくる。このチームの命運は、この男にすべて託された。

もう後戻りも逃げ隠れもできない。片桐はゆっくりと立ち上がりバッターボックスへと向かう。

かなえはその様子をベンチで腕組みをして見ていた。

もうここまで来たらあの男を・・・片桐を信じてすべてを任せるしかない。

この打席で1点も取れないようならそれは即ち恋恋の負けを意味する。

そのことを感じ取っていたのだ。片桐が左バッターボックスへと入る。


(片桐、悪いがここで終わりだ)


加納が1球目のサインを出す。外角へのストレート。要求されたところにそのとおりボールが来た。

片桐はそれをバラバラになってしまいそうな強力なスイングで空ぶる。

そして悔しそうにバットをたたきつけた。1球1球のプレー・・・この男はそれを全力で行っていた。

2球目、今度は内角にスライダーがやってくる。片桐はそれをまたも全力でスイングした。

ボールはバットにこそ当たったものの打った瞬間ファールと分かる当たりで三塁側へと飛んでいく。

追い込まれた・・・とうとう追い込まれてしまった。次の1球ですべてが終わってしまう。

片桐が猪狩をにらむ。猪狩はそんな事まるで意に介さないかのようにマウンドに佇んでいた。


(打つ、絶対に打ってやる!)


そのただただクールな姿が片桐は今たまらなく疎ましかった。あと1球・・・そんなことも猪狩の頭にはないのだろう。

圧倒的なその姿で猪狩は最後の1球を構える。片桐はバットを大きく構える。

猪狩の右足が上がり、左腕が大きくしなる。そこから放たれたボールは一直線に片桐の下へと突き進んできた。




「片桐ぃーーー!!」




気づいたとき、かなえはそうあらん限りの力で叫んでいた。監督として自分ができることは

これしかないと本能的に感じ取っていたのかもしれない。・・・それが最後の責任だと。









片桐が最後の一振りをする。すべてが決まる、その一振りを―――――




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