その日は青く澄んだ空がどこまでも広がっていた。こういう日を小春日和というのだろうか。
ぽかぽかと暖かく、何をしていなくても眠くなってきそうなそんな天気の中。
彼は購買で買ったパンとジュースを手に屋上へと繋がる階段を上がっていた。
階段を上りきり、そのドアをガチャリと開ける。そこには屋上のすがすがしい風景があった。
吹き抜ける風が頬に心地良い。彼はお目当てのものを見つけるためきょろきょろとあたりを見渡す。
するとある一点に目が留まり、そこに向かって大きく手を挙げた。
「おーい、みんなー!」
PHASE-14 それぞれの
あの日から1週間と1日が経った。かなえは中庭の木の下、本を読みながらぼうっと物思いにふけていた。
今日のお弁当、おいしかったな・・・そりゃ愛梨が作ったものなんだから当然か。
そんなどうでも良いような事を考えながら本のページをめくっていく。
あの日以来どうにも何をやるにも無気力になっていた。どうしてなのだろう・・・
片桐は屋上で既に待っていたあおい、矢部、はるかの元へと歩いていく。
3人は談笑しながら思い思いの弁当を食べているところだった。片桐もその輪に加わる。
あの日以来こうやって屋上で弁当を食べるのが日課になっていた。あの日・・・
そう、あかつき大付属に敗北し、野球愛好会が活動を停止したあの日から。
結論から言えば恋恋はあかつき大付属に負けたのだ。最後は片桐の空振り三振だった。
今でもあの時の事は鮮明に思い出される。片桐は思った、無様な三振だった、と・・・
あんな無様な三振は自分が経験した中でも初めてだろう。完敗だった。
あの猪狩というピッチャーに片桐は完敗した。悔しいが今のあいつに俺は勝てない。
勧誘した部員は試合までとの約束だったので全員やめて行った。
かなえもそう、試合までという約束で監督をやったので彼女もまた野球愛好会を去っていった。
結局残ったのは初期のメンバー、あおい、矢部、片桐、そしてマネージャーのはるかのみだった。
「今日も河原まで行くのか?」
「当然。あそこしか練習できるところないでしょ」
片桐は購買で激闘の末買ってきた焼きそばパンを食べながらあおいに話しかける。
グランドで練習できなくなって以来、彼らは河原のグランドの隅を借りて練習を行っていた。
とはいってもこんな状態でできるのはキャッチボールや投球練習、素振りくらいなものだが。
「でも、みなさんが居なくなってやっぱり寂しいですね・・・」
言ったのははるかだった。少しうつむきながら弁当を食べている。
試合の時には9人のメンバーに監督まで居た。あの賑やかさを思えば現状は寂しいものだろう。
「仕方ないさ。練習もロクにできない愛好会に入りたい奴なんて・・・」
片桐は自分で言っていて虚しくなってきた。今まであまり考えないようにしていたがこれから俺たちはどうなるんだろう、と。
部と認められるにはあと6人部員を集めなくてはならない。
その上でグランドを使えるように申請して・・・それだけでも一苦労だ。
それに練習もままならない現状でチームのレベルが上がるとは思えない。
(これじゃ大会に出ても負けるのがオチだ・・・)
考えれば考えるほどネガティブな考えしか思いつかない。ないないないない・・・
今の野球愛好会はまさにないない付くしだ。本当に何1つ無い状態に戻ってしまった。
「お嬢様、ここに居らしたのですか」
かなえが本を読んでいるとその手前に1人の人影。かなえをお嬢様と呼ぶ人物は1人しか居なかった。
彼女はゆっくりと愛梨の顔を見上げる。いつもと変わらない姿の愛梨がそこにはいた。
「昼休みは生徒会の仕事じゃなかったのか?」
本のページを目で追いながらかなえは言った。愛梨は相変わらずのニコニコとした表情で。
「仕事の方はもう終わりましたので」
と答えた。かなえはふーんと言うとそのまま本を読み続けていく。
愛梨は木陰へと入るとかなえの隣にぽつんと立ち始めた。決して彼女の隣に座るような事はしない。
「・・・お嬢様は最近1人で何かお考えになっている時間が増えました」
「そうか?私は前と何も変わってないが」
「お嬢様のご様子を見ていれば分かります。あの日から・・・」
そこまで言って愛梨は言葉に詰まった。あの日、そう野球愛好会が負けたあの日から
かなえの様子はすっかり変わってしまった。まるであの日のかなえは別人だったかのように。
野球愛好会の練習を見ていた姿、大声を上げて叫んでいた姿、必死になって作戦を考えていた姿。
数日間ではあったがあの時のかなえはとても充実していたように愛梨は思えた。
少なくとも今のバイトと学校を繰り返しているかなえよりは数倍輝いていた。
「・・・今更考えても仕方ない。私たちは負けたんだ。もう・・・」
敗者は黙って去るのみ。かなえは賭けを持ちかけたあの時からそう思っていた。
あの日自分は全力を尽くした。これだけは胸を張って言える。
だが、負けてしまったものはもうどうしようもない。悔いがないと言えば嘘になるが・・・
(負けたのは全部監督だった私の責任だ)
あの日以来野球愛好会のメンバーとは顔を合わせていなかった。
どんな顔をしてあいつらと会えばいいと言うんだ。愛好会を勝手にかきまわした末に負けた自分が。
彼らは今もどこかで活動を続けているんだろうか。この1週間そんなことばかり考えていた。
「お嬢様、こんな事を言うのは厚かましいかも知れませんが・・・元気を出してください」
「ん・・・ありがとう」
読んでいた本をぱたん、と閉める。内容なんかほとんど頭に入らなかったような気がしたが気にしない。
そう、もう切り替えるしかないんだ。あれから1週間も経つのに。
うじうじと悩んでも仕方ない。もっと高校生ライフを楽しまないとな。
「・・・そういえば最近綾乃を見ないな」
放課後。太陽が西に傾きかけはじめた時、野球愛好会の練習も始まっていた。
河原の貸しグランドを借りての練習。しかし場所もメンバーも足りずできる練習は限られている。
それでもこの1週間、ずっとこうやって練習をしてきた。
それはまだ片桐もあおいも矢部も野球愛好会を諦めていなかったからだ。いや、諦めきれないでいたのかも知れない。
矢部と右投げの練習を何度もする片桐。この1週間で大分上達したかのように
思えるがまだまだ利き腕の時と比べるとその送球精度はずさんなものだった。
「ああっ!」
「悪い、矢部!」
またも悪送球をしてボールがあさっての方向へと飛んでいってしまう。
矢部ははあはあ言いながらそれを拾いに走っていった。これで今日何度目だろう。
(結構いけるようになってきたと思ったんだが・・・気が遠くなるな)
利き腕と同じように投げられるようになるのはいつの日になることか。
空をぼんやりと見ながら片桐はそんなことを考えていた。ふと見るとあおいが壁に向かって投球練習を行っている。
あの試合以来あおいは以前にも増して練習をするようになった。
(責任、感じてんのかな)
負けたのは当然あおい1人の責任ではない。しかし決勝のホームランを含め6点も取られてしまった。
それに責任を感じていてもまったく不思議ではない。
あおいの負けず嫌いな性格ならああやって練習に打ち込んでいるのも頷ける。
「片桐くーん、行くでやんすよー」
矢部が向こう側でそう叫んでいる。片桐は大きく右腕を上げる。矢部からぴゅっとボールが返ってきた。
片桐はそれを左手のグローブでしっかりと捕球する。
捕球はうまくなってきたんだが・・・やはり問題は送球の方だった。
「みなさん、そろそろ休憩しませんか?」
一心不乱に練習する3人にそう告げたのはマネージャーのはるかだった。
思えばもう2時間くらいまったく休憩を入れずに練習していたかもしれない。
「そうだな、ちょっと休憩するか」
「やんす〜ようやく一休みできるでやんす〜」
矢部が間の抜けた声をあげながら向こうから歩いてくる。あおいははるかの声が聞こえてないのかまだ練習を続けている。
はるかがあおいの方へたったったと駆けていく。
「あおい、そろそろ休憩しよう」
「・・・え?ああ、うん。分かった」
あおいは近づいてきたはるかの言葉にこっくりと頷く。
そして額ににじんでいた汗を右手のユニフォームでふき取った。あおいの汗がきらきらと西日に輝いている。
「あおいちゃんもあんまり無理しない方が良いでやんすよ」
「無理なんてしてないよ。僕はもっともっと練習して上手にならないと・・・」
「それが無理って言うんだよ。怪我しちゃ何にもなんないぞ」
それぞれが持ってきたスポーツドリンクや水を飲みながらそんな会話をしていく。
確かにたった3人の野球愛好会かもしれない。それでもここは彼らにとってかけがえのない場所だった。
いつかはきっと9人で野球ができる時が来る。彼らはそう信じているのだ。
片桐はこんなのも良いかな、とそんな事を思いながら太陽が河原の向こう側へ沈むのを見ていた。
あの日の自分はどうかしていたと今考えてみれば思う。あんなに必死になって、あんなに大声を上げて。
いつもの自分ならあんな事は絶対にしていなかっただろう。
今だってそうだ。今あんなことをやれといわれてもできない。かなえはバイトからの帰宅途中、
あの試合のことをぼうっと考えながら薄暗い路地を歩いていた。
(今日の晩御飯は何かな・・・)
愛梨が作ってくれるものだ。何でもおいしいには違いない。
でも今日は気分的に和食が食べたいな・・・そんなどうでもいいことを考えているうちに家の正門前へとついた。
だが、そこがいつもと様子が違う。それにかなえが気づくまでにそう時間は要らなかった。
誰か・・・誰かが門の前に立っている。
背丈はかなえより少し高いくらい、背格好から見ておそらく女性。だが暗くて顔までは分からない。
かなえは不審に思いどうしようか一瞬ためらったが、そのままずんずんと正門のところまで歩いていった。
誰が何の用だか知らないが、人の家の前で何をやっているのか聞くくらい家の所有者としては当然のことだ。
場合によってはとっちめてやる。
だがそのかなえの考えはすべて杞憂で終わることになる。
そこに居た人物があまりにも意外で、かなえは声を出してしまいそうになってしまうほどだった。
「・・・いつもこんな時間までアルバイトですの?」
「綾乃・・・」
そう、そこに居たのは倉橋綾乃だった。最近学校でもあまり顔を合わせていなかったので妙にバツが悪くなる。
こんな時間に何の用だろう。まずそれが頭を過ぎった。
「どうしたんだ、こんな時間にこんなところで?」
かなえの言葉に綾乃は表情1つ変えずにこちらをじっと見つめていた。
こんな真剣な表情の彼女は久々に見たような気がする。透き通ってしまいそうな彼女の瞳が自分の瞳に写っている。
先に口を開いたのは綾乃の方だった。
「少し・・・お時間よろしいかしら?」