男の眼前には真っ青な海が広がっていた。男はそれを見てため息をつく。

・・・どうしてこんなことになってしまったんだろう。今考えてみてもいまだに分からない。

自分はなぜ、こんなところに居るのか。冷静になって思い返してみる。


「・・・ダメだ」


頭の中が混乱していてよく分からない。男は海にくるりと背を向けて手すりにもたれかかった。

手にしているのは大きなバッグ、そこには野球道具と身の回りのもの一式が詰まっていた。


「片桐くーん、なーにそんなところで黄昏てるんでやんすかー!」


道路を挟んで向こう側からそんな声が聞こえてきた。

見るとそこには大量の荷物をバスから出しながら四苦八苦している矢部の姿があった。


「片桐君もこれ運ぶの手伝って欲しいでやんす!1人だけサボろうたってそうはいかないでやんすよ!」


大声で叫ぶ矢部の両手には荷物がぎっしりとつまった鞄が握られていた。

その声も荷物の重さで若干震えているように思える。片桐ははぁ、とため息をつくと。


「ああ、分かった。ちょっと待ってろ」


そう言って道路の向こう側へと歩き始めた。・・・車なんて滅多に通らないであろう閑散とした道路を。

ここはいったいどこで、彼らは何をしているのか。まずはそこから話さなければならない。



















PHASE-21 合宿へ行こう!



















「合宿へ行こう!」


伊織が新しくマネージャーに加わった野球愛好会。そんな学校生活も夏休みに突入していた。

恐怖の学期末テストを何とか乗り切った愛好会は他の学校が夏予選に燃える中、毎日精を出して練習を続けていた。

目標がないのによくもこれほど練習できると思う。そんなある日のことだった。

今日も1日の練習が終わったと部員たちが帰り支度を始める中、かなえが部室の中心でそんなことを言い始めたのは。


「・・・なんだって?」


一同が黙りこくる中、最初に口を開いたのは片桐だった。自分の耳がおかしくなっていなければ

確か合宿がどうとか聞こえたはずだ。かなえは自慢げな表情で腕を組む。


「合宿だよ合宿!我が野球愛好会も他の多くの部活のように夏休み合宿へ行くんだ!」


ぽかんと口を開けてそれを聞いている部員たち。おそらくものすごく間抜けな表情だっただろう。

彼女の言うとおり、今の時期他の多くの部活は夏休み合宿へ出かけている。

そのおかげで学校のグランドが広く使えているのは正直助かっているというべきだが。

しかし。愛好会が合宿だなんて聞いたことがない。

そう、野球愛好会は愛好会であって正式な部ではないのだ。合宿へ行く予算も部費もなかった。


「あのな、そんな事無理だってお前が1番分かってるはずだろ?」

「ふふ、本当にそうかな?」


片桐の言葉に不敵な笑みを浮かべるかなえ。いったい何なんだというのだろう。

だが彼女がこういう表情をするときは大抵何かのアテがあるときだ。


「私たちには超強力な後ろ盾、理事長のお孫様がいらっしゃるじゃないか」


全員が黙りこくった。何を言い出すかと思えば・・・そして彼らは帰る準備を再び始めた。

無理だと分かっていたからだ。そんなことは。いくら理事長の孫が目をかけてくれている

愛好会とはいえそんなことで合宿ができるほどの部費が下りるとは思えない。

このときは誰も本気にしていなかった。かなえが無茶苦茶なことを言い始めた・・・

その程度の認識だっただろう。だから数日後、部活に綾乃がやってきたときには全員が驚いた。


「お話は聞きましたわ。合宿へ行きたいんですって?」


練習中、部員たちを集めて相変わらず上から目線で話す綾乃。

それをかなえは彼女の後ろでニコニコ笑いながら見ていた。・・・嫌な予感がする。


「良いでしょう。来週3泊4日で手配します。良いですわね?」

「ちょ、ちょっと待て!」


あっさり了承した綾乃にすかさず片桐が突っ込む。いくらなんでも簡単すぎやしないか?

他の部員も肩透かしを食らったかのような表情をしている。無理もない。


「良いのかよ!っていうかそんな金はどこから下りたんだ!?」

「あら、不服ですの?」

「そうじゃなくて・・・!」


焦っている片桐にすまし顔で返す綾乃。彼女はふふん、と一呼吸置くと。


「よろしいですわね?」


とたった一言言うとかなえと一言二言話をしてグランドから出て行ってしまった。

それをあっけにとられたかのような表情で見ている一同。


「ま、そういうことだ」


最後はかなえのその一言ですべてが決まってしまった。野球愛好会は来週、合宿へ行く。

合宿地はどこだったかの海辺の合宿所だそうだ。部員たちに教えられたのはたったそれだけ。

この部活は無茶苦茶だ・・・片桐は改めてそう感じさせられることになった。



















当日、集合時間通り学校へ来るとそこには大きなマイクロバスが止まっていた。

これに乗っていくんだろうか。既に学校へ来ていた部員たちは荷物をマイクロバスに詰め込んでいる。


「あ、片桐くーん」


そう言って近寄ってきたのは矢部だ。既に荷物は詰め込んでしまったようで、

手ぶらのままこちらへと歩いてきている。そして矢部は片桐の荷物を見ると。


「やっぱりそうでやんすよね・・・」


と謎の言葉をこぼした。何がやっぱりそうなんだ。そう聞き返す間もなく矢部は

てってってと向こうへと歩いていってしまった。せわしい奴だ、と片桐はため息をつく。


「片桐君、来たんだ」

「そりゃ来るだろ・・・」


ぶっきらぼうに話しかけてきたのはあおいだ。来たんだって事はないだろう。

まるで片桐が逃げようとしていたかのような言い方だ。・・・1度それを考えたことは否定しないが。


「あ、やっぱり」


あおいも片桐の荷物を見るとその謎の言葉をつぶやいた。何がやっぱりなんだ。

片桐は我慢できなくなりそれを聞いてみることにした。


「やっぱりって何が?」

「あ、うん。ちょっとね・・・向こうに行けば分かるよ」


あおいはそう言ってバスの方へ目配せをする。ああもう、いったい何なんだろう。

片桐はそんなことを考え、少しイライラしながらバスの方へと向かった。

バスの近くではかなえと愛梨、それに伊織が3人で談笑しているようだった。


「よう片桐、遅かったな。お前が最後の1人だぞ」


片桐を見つけるなりかなえが話しかけてきた。最後の1人だったのか・・・

なるべく集合時間に間に合うように来たつもりだったんだが。いや実際間に合ったはずだ。

・・・そんなにお前ら合宿が楽しみか。そんなことを思いながら男子が固まっている方を見る。


「ほら、荷物をこの中に入れろ」


かなえの言うとおりにバスの下、荷物を入れるスペースに荷物を入れようとする。

その瞬間だった。片桐は思わずい゛っ!と声を出してしまいそうになった。

中に入れられた無数の荷物を見ると、1つだけ明らかに大きな荷物が置いてあるではないか。

それも尋常じゃない大きさだ。普通・・・皆が持ってきた荷物の2,3倍はあるだろう。


(だからやっぱりか・・・)


あのやっぱりは"やっぱり普通はそれくらいの大きさの荷物だよね"のやっぱりだったのだ。

そりゃこんな大きな荷物を見ればそうも言いたくはなるだろう。片桐は1人で勝手に納得していた。


「よし、全員そろったな。それじゃあみんなバスへ乗り込め。出発するぞー!」


かなえの一言で部員たちはぞろぞろとバスの中へと入っていく。片桐もその列の中にまぎれて中へと入っていった。

そして1番前の席へと座る。行きのバスくらいゆっくりと1人で転寝でもしていたいと考えたからだ。


「全員乗ったわねー?」


その瞬間。聞いたこともないような大人の女性の声がバスの中に響いた。

片桐は驚いて顔を上げる。するとそこには綺麗な、いかにも大人の女性という感じの女の人が立っていたではないか。

その顔にはまったく見覚えがない。バスガイドさんだろうか。


「えー、一応自己紹介しておくわね。私はバスガイド・・・じゃなくて。

 この合宿に付き添うことになった保険医の加藤です。みんなよろしくね」


なるほど、合宿の付き添いを暇な教師に頼んだというところだろうか。

片桐はそんなことを考えながらぼうっと窓の外を見ていた。

すると、その加藤が片桐の隣の席に座ったではないか。片桐は驚いて彼女の顔を見る。


「よろしくね。君、名前は?」

「え、ああ、片桐です・・・」


まさか自分の隣に教師が座るなんて思いもしなかったものだから言葉が詰まってしまう。

・・・どうやらゆっくり転寝、とはいきそうもない、そんな道中になりそうだ。

大きなエンジンの音がしてバスがゆっくりと動き始める。かなえは愛梨、伊織とともに1番後ろの席を陣取っていた。

彼女もまたぼうっと転寝でもしようと考えていたのだ。


「ねーかなちゃんかなちゃん、ゲームしようよゲーム!」

「ゲームぅ?」


明らかにめどくさそうな顔をするかなえ。私は寝たいんだ、とそういうと

窓の外を見ながら目を瞑ってしまう。伊織はぶーと頬を膨らませると。


「やだやだ!合宿所に着くまで暇だよ〜!」


そう言ってかなえの身体をぶんぶんとゆする。これじゃ寝ることなんてとてもじゃないが無理だ。

かなえはあからさまに嫌そうな表情をしながらじと目で伊織の方を見る。


「ゲームってなんだ」


言うと、伊織の顔がぱあっと明るくなる。伊織は鞄の中から次から次へと

ゲームを取り出していく。トランプ、ウノ、携帯ゲーム機・・・なんでもありだ。


「じゃあトランプしよ!愛梨ちゃんとあおいちゃんとはるかちゃんも一緒に!」


ふぇ?と不意をつかれたような表情でこちらを見るはるかと同じくん?と言ったような表情でこちらを見るあおい。

それにニコニコしながらはい、と頷く愛梨。

かなえははぁ、とため息をつく。どうやらこちらも道中はにぎやかな様子になりそうだった。



















「ねぇかなちゃん」


トランプゲームにもそろそろ飽きてきた頃、なんともなしに伊織がぽつりとつぶやいた。

かなえは自分の手札と彼女の顔を交互に見ながら答える。


「何だ。トイレなら我慢しろ」

「ち、違うもん!」


伊織は顔を真っ赤にしながら言う。

こうして彼女をからかうのにもそろそろ飽きてきてしまっている自分が居た。さっさと話を進めよう。


「合宿所って海なんだよね?・・・泳げるかな?」

「さあな。言っておくが、遊びに行くんじゃないんだぞ」


かなえは自分の番がまわってきたババ抜きのカードをあおいの手札から引く。

全然合わない・・・この手のゲームは昔からあまり好きではなかった。


「時間があったら泳ごうよ!私水着もってきたんだー」

「ああ、あったらな」


伊織の言葉を適当に流すかなえ。水着持ってきたって、お前1人が持ってきたって意味ないだろうに。

ちなみにかなえはそんなもの持ってきてなかった。

段々と風景に海が混じり始めてきた。合宿所はすぐそこまで来ているのだろうか。




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