片桐は両手いっぱいに荷物を持つ。ずしり、とその重みが腕から伝わってきた。

女の子に重い機材やら何やらを持たせるわけにはいかない、ということで男子部員がそれらを請け負うことになったのだ。

片桐がバスの荷物スペースから荷物を取り出したとき、まだあの巨大な荷物は残っていた。

あれはいったい誰が持つんだろう。


「合宿所までは遠いのか?」

「んー、すぐそこだって聞いたけどな」


自分の荷物だけを持って歩くかなえに片桐は話しかける。

バスでは入って行けないような林道を歩く野球愛好会一同。

本当にこんなところに合宿所があるんだろうか。片桐がはぁはぁと荒い息をしながら歩いていると。


「げっ!」


なんとそこにはあのバスにあった巨大な荷物が。しかもそれを背負っているのは女の子・・・

愛梨だった。あんなデカいものをいとも簡単に、軽々と背負っている。


(この人本当はすごい人なんじゃないか・・・)


前々から感じていた。愛梨は何か他の人たちとは違う雰囲気を持った女の子だと。

何か今回のことでそれが確信に変わったような気がする。片桐がまた1つ大きなため息をついたそのときだった。

古ぼけた木造の旅館風の合宿所が林道のかなたに見え始めてきたのは。



















PHASE-22 合宿ライフ



















「つかれたあー!」


まだ来たばかりだというのに部員たちはもう疲労困憊の様子だった。

合宿所の大広間に倒れこんだのは大村と金澤だ。それに次いで矢部も倒れこんでいる。


「あ、扇風機があるでやんす!」


そう言って扇風機を最大風量で回し始める矢部。片桐はその様子を部屋の片隅で見つめていた。

彼もまた疲れてないといえばうそになる。ここまでの道のり、結構厳しかった。

かなえはすぐそこだと言っていたが結構な距離を歩いたような気がする。

この暑さであの距離をあの重さの荷物を持って歩いてきたのだ。疲れるのは当然かも知れない。

ちなみに合宿所に確保してある部屋は3つ。1つはあおい、はるか、加藤先生の部屋。

もう1つはかなえ、愛梨、伊織が泊まる部屋で最後の1つが男子部員の寝るこの大広間だ。

今日はここで男7人雑魚寝が強制的に決定している。・・・あまり良い光景ではなかった。


「お前たち、いつまでもゴロゴロしてる暇はないぞ!外へ出ろー!」


バーン、と部屋の引き戸を開けてやってきたのはかなえだった。

部員たちが一様にぐだっとしている中、彼らの前に仁王立ちしている。


「もう練習でやんすかー?」

「当たり前だろ。何のための合宿だと思ってるんだ!」


かなえにまくし立てられ、部員たちはぶーぶー言いながらも部屋から出て行く。

既にユニフォームには着替えてあったので、合宿所の前で輪になるような形で集まることにした。


「よし、全員出てきたな。じゃあ海へ行くぞ、海へ!」

「海ぃ?」


また何を言い出すかと思えば・・・海で何をやるというんだろうか。

まさか泳ぐわけじゃあるまいし、合宿所の前にある練習グランドで練習するんじゃないのか。


「浜で走るんだ。せっかく海まで来たんだしそれを利用しない手はないだろ」


なるほど、と片桐は納得してしまった。それなら海で練習するというのもうなずける。

それに合宿ならではの練習ということで他の部員たちも少しはやる気が出るだろう。

早速浜まで歩いていき、浜で練習を開始することにする。

とりあえずはランニングから始めることにした一同は一列になって浜を走り始めた。


「うわ、これ・・・」

「結構しんどいぞ」


部員たちから自然とそんな声が漏れる。浜に足が取られるため普通に走るよりはるかに足に負担がかかる。

浜で走ることにより強靭な足腰を作る、それこそがこの練習の狙いだ。


「こらそこ、遅れてるぞ!」


かなえはメガホンを手に大声で部員たちに檄を入れる。愛梨、伊織、はるかもその隣で彼らの様子をじっと見つめていた。

この暑いのにこんなにハードな練習をよくやれるな、とかなえは思った。・・・自分がやらせているのだが。


「・・・しんどそうだな」

「お嬢様も一緒にされては如何ですか?日ごろの運動不足解消にも・・・」


愛梨が最後まで言葉を言う前にかなえはそんなことできるか、とつぶやいた。もし自分だったら確実に5分でアウトだ。


「えー、でも結構楽しそうじゃない?」


既に何もしていないのにバテているかなえとは対照的に伊織はうきうきとした様子で選手たちの練習を見ていた。

楽しそうって、あのキツい練習のどこが楽しそうなんだ。かなえはそう思いながら手元にあったスポーツドリンクを口にした。


「ああやって汗流すって気持ち良いよ。かなちゃんもたまには運動すれば良いのに」

「あー、どうせ私はひきこもりだよ」


耳を塞ぎながらかなえは伊織の言葉を受け流した。その様子を見てくすくすと笑うマネージャー一同。

自分が運動が得意でないことは自分が1番よく知っている。


「海、泳ぎたいな・・・」


伊織が遠くの海を見ながらポツリとこぼす。だからそんなことは無理だと言っているだろう。

物欲しそうな目で人差し指を唇につけているその姿はなんとも言えないものだった。


「はぁはぁ、もう無理、無理でやんす〜」


ランニングしている部員たちが1人2人とリタイアしていく。それほどまでにハードな練習だということだ。

矢部もその1人で、転ぶようにして砂浜に倒れていった。

結局最後まで走りぬいたのは片桐1人だけ、という結果に終わってしまった。


「片桐君・・・さすがだね・・・はぁ・・・」

「いや、俺ももう限界・・・」


あおいの言葉に天を仰いだまま答える片桐。その言葉のとおりもう体力は限界に来ていた。

あと少し走れといわれていたら自分も他の部員たちのようにリタイアしていただろう。


「休んだら次は短距離走だからなー!」


かなえの言葉にまたもやぶーぶーという言葉が部員たちから漏れる。

長距離もしんどかったが短距離もまたしんどい練習になるだろう。

なぜなら長距離より短距離の方が浜に足が取られやすい、つまり足腰に負担が大きくなるからだ。


「あー俺もうだめだー!」


部員たちの悲鳴がこだます中、1日目の練習は浜でのランニングが主な練習内容となった。

そしてその悲鳴が出ないまでに疲れるまで、日が暮れるまで練習は続いた。



















練習が終わると夕食だ。1階の食堂に集まって全員で夕食をとる。

細長いテーブルに部員たちが着き、合掌をして各々思い思いの会話をしながら夕食を食べている。


「しんどかったでやんすーオイラもう死ぬかと思ったでやんすよ・・・」

「オーバーだな」


片桐はいつもどおり矢部と会話をしながら夕食を取っていた。味噌汁を口に運びながら

矢部の話を聞いていたそのとき、ぞろぞろと何かの集団が食堂に入ってきたのに気がついた。


「なんだ、あれ・・・?」


その人影たちは皆一様に黒く日焼けをしており、ガタイもかなり良い様だった。

そこから考え出される答えはたった1つ。他の学校もここを利用している、ということだ。


「どこの学校でやんすかね?」

「さあな・・・でもなかなか出来そうな連中だぜ、あいつら」


そんな会話をしながらずずっと味噌汁をすする。

他の学校が同じ合宿所を使っていたとしても不思議じゃないが、片桐にとっては別にどうでも良い事だった。


「うーん、やっぱり練習の後のご飯は格別だよぉ」

「お前は見てただけだろ」


おいしそうにご飯を頬張る伊織にかなえが突っ込みを入れる。

確かに見ていただけだがこの炎天下の中、ただ立っているだけでも結構体力は消耗されるものだ。


「でも本当に暑かったですね、今日は」

「ああ・・・もう汗びしょびしょだ」


愛梨の言葉にかなえは夕飯のおかずを口に運びながら答えた。

本当ならすぐにでも風呂に入りたいところだが残念ながら順番があるためまだ入ることは出来ない。

最初はあおい、はるか、加藤先生の3人が入り、かなえたちはその次ということになっていた。

汗で身体がべたべたしていて非常に不快なのだがこればっかりは仕方ない。


「かなちゃんとお風呂入るなんて久しぶりだなー。楽しみだよー」

「子供か、お前は・・・」


年甲斐もなくはしゃいでいる伊織にかなえは呆れながら夕食の最後の一口を口に運んだ。

ちょうどそんな会話をしていたときのことだった。あおいたちが食堂に姿を現したのは。

風呂上りらしいその身体はほのかに蒸気しており、髪の毛も少し濡れていた。


「お風呂あがりました。お次どうぞ」


はるかがかなえたちのところまでやってきてそう告げる。

待ってましたといわんばかりに立ち上がったのは伊織だった。早く行こうとかなえの手を引っ張る。


「ちょ、ちょっと待て!まだ食器を片付けて・・・」

「もう早く早く!愛梨ちゃんも!」


そんな伊織になされるがままにさっさと食器を片付けさせられ、3人は嵐のように食堂から出て行った。

片桐はそんな彼女たちの様子をため息をついて見守っていた。


「・・・片桐君、覗きは駄目でやんすよ。犯罪でやんす」

「馬鹿、お前と一緒にするな」


ニヤニヤしている矢部にデコピンを食らわせると、片桐も食器を片付けるため席を立った。

ただ女の子が風呂を楽しみにしているのとは逆に男7人で一緒に風呂に入るところを想像して嫌になっているだけだった。

どうせなら1人でゆっくりと入りたい。そんなかなわない願いをぼうっと考えながら、片桐は矢部と大広間へと戻ることにした。


「しかしキツかったでやんすね、今日の練習。オイラあと3日もやる自信ないでやんす・・・」

「合宿なんだから普段より辛いのは当然だろ」


階段を上りながら弱音を吐く矢部に片桐はそういってのけた。確かに辛い。だがこれくらいやらないと他校には追いつけない。

そのことは自分が1番よく知っていた。それはあのあかつき大付属との練習試合を見ても明らかだ。


「俺たちは甲子園に行くんだからな」


自分に言い聞かせるように言ったその言葉は矢部には届かなかったのか、返事は返ってこなかった。



















「わ〜広〜い!」


さっきからずっとはしゃいでいる伊織は風呂に入るなり浴槽の中を泳ぎ始めた。

本当に子供かとまた突っ込みたくなってくる。その衝動を抑えてかなえは髪を洗い始めることにした。


「ねーかなちゃん、うれしくないの?こんなに広いお風呂なのに」

「あのなぁ、お前みたいにそんなことではしゃいでられるか。それに・・・」


実を言うとこのお風呂より南條家の風呂の方がはるかに大きかったのだ。

確かにこのお風呂も合宿所のお風呂だけあってそれなりに大きいのだが、

家のお風呂はこれよりひとまわりもふたまわりも大きい。だからかなえにとってはそんなに珍しい光景ではなかった。


「そっか、かなちゃんの家のお風呂ってすっごく大きかったもんね。今度1回行っていい?」

「お断りだ・・・」


シャンプーで頭を洗いながら力なく答える。彼女のようにお風呂ではしゃげるほどかなえは子供ではなかった。

というか、今日の練習でそんな元気はどこかに吹き飛んでしまったのだ。

前述したとおり、今日は炎天下でただ立っているだけでも相当疲れた。

もともと体育会系ではないかなえにとってこの炎天下の中数時間も練習を見守るということはそれだけで大変な作業だったのだ。

早く風呂から出て寝たい・・・そんなことばかり考えていた。


(大体・・・)


伊織や愛梨の胸と自分の胸を見比べてみると・・・悲しくなってくる。

彼女たちの胸は立派に成長しているのに自分の胸はいつまで経っても昔のまま。

背も大きくならないしそれを苦にして毎日牛乳を飲んでいるというのにまったく効果がない。


「かなちゃん・・・」


そのときだった。真剣な声のトーンで伊織が話しかけてきたのは。

こちらをまじまじと見つめている。いったいなんだというのだろうか?


「なんだよ・・・?」

「かなちゃん・・・やっぱり全然変わってないね!」


明らかにかなえの胸の方を見てのコメント。かなえは気づくと手元にあった石鹸を思い切り伊織の顔にぶつけていた。

それにギャグ漫画みたいにスコーン、と小気味の良い音を立てて当たる伊織。

こうして合宿1日目の夜は更けていくのだった。




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