合宿2日目は合宿所のグランドでのスタートとなった。

朝食を食べ終わったらメンバーはグランドに集まり、いつもどおりウォーミングアップから練習を開始していく。

かなえはその様子をこれもいつもどおりグランドの隅で見守っていた。


「ふぁあ〜、あー眠い」


昨日は伊織のゲームにまたもや付き合わされて夜中まで起きるはめになってしまった。

そのせいでほとんど眠れなかったのは言うまでもない。

が、こちらがグロッキー状態なのに反して例によって本人はムカつくほど元気なのはなぜなのだろう。

しかしマネージャーが精力的に動いて練習の準備をしてくれるのは良い事だ。

愛梨とはるかもいつものようによく働いてくれている。部としてはこれ以上の事はない。


「どうしたの?そんな大きなあくびをして」


話しかけてきたのは加藤先生だった。付き添いとはいえ彼女もこうやって練習に参加してくれている。

てっきり先生は合宿所に残ったままで練習なんか見ないとばかり思っていたかなえにとってそれは意外なことだった。


「昨日あまり眠れなくて・・・」

「ふふ、あまり夜更かしすると残り3日持たないわよ?」


目をこするかなえに対して加藤はそうやさしくたしなめる。かなえはどうもこの教師が苦手だった。

何かすべて見透かされてるような、そんな不思議な気持ちになるからだ。


「そうだよかなちゃん!元気出さなきゃ」

「誰のせいだ誰の・・・!」


ぶん殴りたくなる気持ちを必死で抑えながらかなえは伊織の方をにらんだ。伊織はそれに気づいたのか気づかないのか、

目をそらしてあさっての方向を見ていた。・・・見てろ、いつか絶対に仕返ししてやるからな。


「さて、今日はどうするかな・・・」


練習メニューがびっしり書かれたノートをちらりと見ながらかなえは小さくつぶやいた。



















PHASE-23 目標



















片桐のバットから強い打球が放たれる。それをセカンドに入った大村がぎこちない素振りで捕球した。

今日は実戦形式の練習を中心にやることになったのだ。

ランナーをおいてのシートノックなのだがもちろん野球愛好会には人数が足りない。

というわけで外野なしでのシートノックを行っている最中だ。


「オイラショートなんか守ったことないでやんす〜」


愚痴を言いながらもショートの位置に立って辺りをうろうろする矢部。

こういうときに本当にあと1人居てくれたら・・・と切に思う。

本来の守備位置でノックもできないんじゃまともな練習なんかできたもんではなかった。

だがそんな愚痴を言っても現状が改善されるわけでもなく。やれることをやるしかなかった。


「次、ショート矢部行くぞ!」

「はいぃっ!でやんす」


かなえの声に驚き飛び上がる矢部。片桐はその様子を見届けるとショートに強い打球を放った。

それと同時に一塁に居たランナーがスタートする。矢部は何とかその強い打球を止めると。


「大村君!」


セカンドに入った大村に倒れこみながら送球する。

大村はそれを捕球すると今度はファーストへとボールを送った。これでダブルプレーの成立だ。


「見たでやんすか!?オイラの華麗な守備!」

「どこが華麗だどこが!」


矢部は起き上がってはしゃぐもすぐに片桐から突込みが入りしゅんとなる。

確かに華麗とはいえないまでもあの打球をとめたんだから大したもんだ。

かなえはそんなことを考えながら今の矢部の動きをノートに書き留めていた。


「次はサード・・・」


片桐がそう言おうとしたそのときだった。

グランドの向こう側からぞろぞろと野球のユニフォームを着た集団が入ってきたではないか。

昨日食堂で見た学校のチームだろうか。片桐はじっと彼らの方を見やる。

どっちにしろこのグランドは2面使えるようになっているのでこちらには関係のないことなのだが。


「あら、もう1チーム着たのね」


グランドの端で練習を見守っていた加藤はその様子に気づき彼らの方を見る。

彼らはさっさと練習の準備を始めると、それぞれの守備位置に付きノックをし始めた。


(結構上手いわね・・・)


加藤がノックの様子を見る限り、恋恋高校野球愛好会の連中よりははるかに手馴れていて上手い。

こちらは愛好会なのだから当然といえば当然なのだが、いざ実際に比べてみると

愛好会がどれくらいのレベルなのかが如実に分かっていささか痛いものがあった。


「やあやあ、こんにちわ」


そんなことを考えていたとき、誰かに突然話しかけられたことに気が付いた。

加藤は少し驚きながらその声のした方を見てみる。

そこに立っていたのは40代くらいの中年の男性で、野球のユニフォームを着ている。

ここまで条件がそろっていればこの男性が何者か、ということくらい加藤にも容易に想像できた。


「あちらのチームの監督さん、ですか?」

「そのとおりです。あなたはあちらのチームの?」


気のよさそうなその男性はそういうとちらっと野球愛好会の方を見た。

加藤もそちらの方を向くとぶんぶんとゆっくり首を横に振る。


「私はただの合宿の付き添いです。それで、何か?」

「いえ、もしよかったらというお話なんですが・・・うちのチームと練習試合をしてもらえないでしょうか?」

「えっ?」


加藤はあまりに不意な申し出に驚いた。そんなことは自分の一存では決められない。

かなえを呼ぼうかと思ったが彼女にこんな大人と話をさせると色々とごちゃごちゃとした

ことになりそうなのでそれも一瞬ためらった。ここは自分が対応すべきだろう。


「ありがたいお話なのですがうちのチームは1年生だけですし・・・

 それに部員数も8人しか居ないんです。とてもそちらと練習試合だなんて・・・」


そう言って頭を下げる加藤。この間のあかつき大付属との試合のように助っ人なんか

呼べないこの状況で試合などすることは不可能だ。8人で野球ができないことくらい加藤も十分に承知していた。

そして2チームの練習を見る限りの力の差。やっても結果が分かってる練習試合をやっても両チームもためにならないだろう。


「それなら心配なさらなくてもこちらも1年生のみでチームを編成して試合を行いましょう。

 それに部員の事もこちらから1人貸すという形で・・・どうでしょうか?」

「でも・・・よろしいんですか?」

「ええ、こちらも合宿中に1度は練習試合を行いたいと思っていたところでして」


そこまで良い条件を出されたら断る義理などない。力関係を同じにしてくれるだけではなく部員まで貸してくれるだなんて。

どうしてそこまでしてくれるのだろうと思うくらい良い話だ。加藤はそれに2つ返事で了承して練習試合を行うことになった。

試合決行は2日後、合宿最終日。加藤はその旨をかなえに伝えるべくグランドの中へと入っていった。


「・・・というわけなの」

「はぁ、まあ私は一向に構わないんだが・・・」


かなえはそういうとシートノックを行っている片桐たちの方を見る。

そう、かなえは全然かまわないどころかこんな良い話はないとすら思っていた。

そろそろ実戦にも慣れなければならない頃、こんなチャンスは願ってもないことだ。

だが選手たちがなんと言うか分からない。部員を1人向こうから借りてくるなら尚の事だ。

かなえは選手たちを集めて先ほど加藤から聞いたことを説明する。


「で、お前たちの意見を聞かせて欲しい」


かなえの言葉に選手たちは顔を見合す。そして何を言っているんだといわんばかりに。


「意見も何も、そんな話断る理由なんかないだろ」

「やろうぜ監督!俺たちも久々に試合やってみたかったしさ!」


と口々にそんな言葉を言い始めた。どうやら聞く必要などなかったようだった。

かなえも選手たちも思いは1つ、試合をやって自分たちの実力を確かめてみたい。それだけだった。


「よし、じゃあ最終日の試合に向けて練習再開だ!いいな!?」

「おおー!」


練習試合という"目標"ができたことで今までになく士気が高まった選手たち。

大声をあげると、再びシートノックのポジションへと散っていった。



















それは3日目の夜のことだった。連夜の徹夜トランプがさすがに堪えたのか伊織は布団に入るなり寝てしまった。

だが、それとは対照的にかなえはなぜか寝付くことができず、少し気分転換に外の風に当たってみることにした。

玄関から外に出ると夜の少し冷たい浜風が頬に伝わってきた。

かなえはそこでうん、と背伸びをしてみる。そのときだった。この世闇の中に何かの人影が見えたのは。

その人影もこちらをじっと見ているようだった。


「誰だ」


かなえはそう呼びかけてみる。相手の方は何も答えない。かと思うと相手は一歩ずつこちらへと近づいてきたではないか。

もし不審者だったらどうすれば良い?そんなことを考えながら身構えていたかなえだったが、

その人影が誰か分かると拍子抜けしたかのように身体から力が抜けていった。


「あ、あおい・・・?」

「そうだよ。誰だと思ったの?」


あおいは呆れた様にそう言った。そう、そこに居たのは早川あおい、その人だったのだ。

なぜこんなところにあおいが居るのかは分からないが、とりあえず一安心だ。


「こんな時間に何してるんだ?」

「ちょっと眠れなくて・・・君は?」

「同じだよ」


そんな短い会話をするとしん、と辺りが静かになる。・・・会話が続かない。

思えばあおいと2人きりで話すのなんて初めてかもしれない。何を話したら良いのか分からなかった。


(なんか気まずいな・・・)


嫌な沈黙が続く。このまま2人でこうやってふけていても仕方ない。何か話を切り出さなければならなかった。

そこでかなえは以前からずっと気になっていた"あること"を彼女に聞いてみることにした。

かなえはゆっくりと、あおいの様子を伺うようにしてその言葉を口にする。


「あおいは・・・どうして野球をやってるんだ?」


それは彼女に会ってからずっと知りたかったこと。女の子が野球なんて普通やろうとは思わないだろう。

それでも野球をやっているからには何かしらの理由があるはずだ。

そう思って聞いてみたのだが・・・思いのほか反応がよろしくない。あおいは何も答えなかったのだ。

しん、とまた一瞬の静寂が訪れた。あおいの方を見ると、下を俯いている。

何か聞いてはいけないことを聞いてしまったかのような、そんな雰囲気。


「べ、別に言いたくないなら無理に言わなくても・・・」

「追い越したい人が居るから」


かなえが取り繕うとしたとほぼ同時にあおいは口を開いた。

しっかりとした口調で、まっすぐにかなえの方を見ながらそう、確かめるように言った。


「僕には目標がある・・・その人に追いついて追い越す事。そのために野球をやってる。

 僕はそのためだったら何だってやってやるんだ・・・!」


そのときのあおいの表情があまりに真剣で、かなえは口を開くことができなかった。

真剣、というのは語弊があるかもしれない。まるで憎しみ、怒り・・・そんなものを宿しているかのような鋭い目。

あおいがそんな表情をしているところを、かなえは初めて見た。


「そっか・・」


とっさに口から出たのはそんな言葉だった。何もかける言葉など見当たらなかった。

こんな表情をした人物にいったいなんと言葉をかければいいのだろうか?

今のかなえにそれは分からなかった。

かなえはそろそろ部屋に戻る、とあおいに告げるといたたまれなくなってその場から逃げるように立ち去った。


「なんだったんだ、今の・・・」


あおいの表情を再び思い出してそんなことをつぶやく。あの表情はただ事ではなかった。何か大きな決意・・・

そんなものが見て取れた。あおいはそんなにも真剣に野球をやっているのだろうか。

だからあんなに必死にがんばれるのだろうか。・・・自分にはとても真似できない、とそう思った。

合宿所の自動販売機でお茶を買って一気飲みする。先ほどからずっと考えていることがあった。

・・・自分はどうして野球部の監督なんかやっているんだろう、と。

あおいのような大きな決意があるわけでもなければ片桐のような飛びぬけた才能があるわけでもない。

そもそもこうなったのもほとんど成り行きみたいなものだ。

今まで考えないようにしてきたが、それを真剣に考えなければならない、そう感じた。

その後、部屋に戻ってもほとんど寝ることはできなかった。ただ、あおいのその表情だけが脳裏に焼きついて離れなかった。




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