試合は序盤3回を終えて1−0、恋恋高校1点リードのまま4回を迎えていた。
両チームとも2,3回はノーヒットで終わり、まずは1巡目、相手を様子見しているようだった。
そして4回表、恋恋高校は3番丘からの好打順で攻撃が始まろうとしていた。
「愛梨、どう思う?」
「どう・・・と申されますと?」
ベンチでうちわを扇ぎながらかなえはそうつぶやいた。ここまで試合が静か過ぎる。
1回に攻防があったもののさわやかなみのりも何もこちらに対して対抗策を講じてきていない。
「何か不気味なんだよな・・・あのチーム」
向こうのベンチをちらりと見る。さわやかなみのりの監督は相変わらずの営業スマイルで
ニコニコ笑いながらこちらの様子を見ていた。何か作戦を考えているようにはとても見えない。
そんなことをしているうちに丘はショートゴロに倒れ、ワンアウトが取られていた。
「うーん、まあこういうこともあるよね〜」
小躍りしながらベンチに戻ってくる丘。それと入れ替わるように片桐がバッターボックスへと向かった。
片桐の第1打席から1本もヒットが出ていない・・・そろそろ攻めたいところだ。
初球、内角にストレートが飛んでくる。
ここまでの相手ピッチャーの傾向を見ると、どんどんストライクで勝負してくるタイプに見えた。
それならばと片桐は2球目、さらにボールを見ていく。
こういうタイプは乗せるとぽんぽんストライクを取ってきてテンポに乗っていく。じっくり見ていく方が得策だ。
次のボールは外角に外れ2−1からの1球、今度は外角にスライダーが流れていく。
片桐はそれに手を出して思い切り振りぬいた。打球は大きくレフト方向へとあがっていく。
「ちっ」
片桐は小さく舌打ちをする。うまいこと相手ピッチャーに泳がされてしまった。
レフトがゆっくりとボールを追いかけ、落下地点に入る。これでツーアウトだ。
「おい丘。あのピッチャーはどんな投手なんだ?」
「ん〜、そうだねぇ・・・山並君は1年生で1番実力のある投手だよ〜」
かなえは丘に探りを入れてみたがよくよく考えてみたらこいつからまともな答えが返ってくるとは到底思えなかった。
1年生だけのチームで1番実力のある投手をぶつけてくるのは当然だろうに。かなえは頭を抱えてしまう。
「さわやかなみのり高校・・・あかつきのように甲子園常連というわけじゃないよな・・・」
そんな名前の高校はあまり聞いたことがない。
それならば1年生で絶対に打ち崩せない、猪狩のような投手がいるわけがない。
実際あの山並という投手にそんな凄みは感じなかった。
だが、現実の問題としてあの投手を打ち崩せないまま4回の攻撃も終えてしまった。
このままではいけない・・・そう思いつつもなかなか良い方法が思いつかなかった。
PHASE-25 "違い"
「なるほど、向こうのアンダースロー投手、あれはなかなかいいな」
さわやかなみのり高校のベンチではあおいのピッチングを見ながら相手監督がそんなことを言っていた。
あおいはこの回もテンポ良く投球を続けている。
「女なのにあんな良い投手が居るなんて意外ですよね」
「球の出所が見にくくて打ちづらいんですよ」
選手たちも口々にあおいの投球の感想を言う。
監督はうーむ、と少し考えると、にやりとまた不敵な笑みを浮かべてゆっくりと顔を上げた。
「ならば女性投手の"弱点"を狙わせてもらおう」
「弱点ですか?」
その弱点がいったい何なのか、監督はそれ以上は何も言わなかった。
ただ、その弱点を突くのは今ではない、とだけ言うと再びあおいの投球に目を移した。
「それまでは山並にがんばってもらわないとな」
山並は確かに飛びぬけた投手ではない。だがあのテンポの良い投球は相手にとって脅威のはずだ。
今のところ恋恋はそのことに気づいていないのか何の策も講じてきていない。
いや、そうではなく山並の実力を過小評価しているのかもしれない。
4回裏の攻撃を終え、山並が再びマウンドへと上る。試合は中盤、5回に突入していた。
(試合には勝ってる、だが何だ?この違和感は・・・)
その後もあおいと山並の好投により試合は膠着状態へと陥っていた。
とうとう7回表を終えていまだに1−0、イニングを消化しただけで試合状況は先ほどと何も変わっていない。
そしてイニングが進むごとにかなえのその違和感は大きくなっていた。
すごい投手というわけでもないのに攻略できない相手投手、静か過ぎる相手打線・・・
そのすべてが違和感という形になってかなえを飲み込んでいたのかもしれない。
あおいはこの回もゆっくりとマウンドへと登っていく。その額、顔からは大粒の汗が滲み、グランド上へと垂れていた。
今日のこの30℃は軽く越えるであろう気温の中6イニングを投げてきたのだ。
それも相手打線を完全に抑え込んで・・・疲れるのも無理もない。
この回、さわやかなみのり高校は4番からの好打順だ。
あおいははぁはぁと肩で息をしながら振りかぶり、1球目を投げた。内角高めへのボール球だった。
(まずい、球が浮き始めている・・・)
片桐は確実にあおいが疲れ始めていることに気づいていた。
それはこの回からではない、先ほどの回から兆候はあった。だが相手打線がそれを勝手に打ち損じていてくれたのだ。
5球目、カーブが外角にすっぽ抜ける。先頭打者にフォアボールを与えてしまった。
あおいは帽子を取って前髪に滴る汗をぬぐった。汗でボールがすべり、視界も悪くなり始めている。
(暑い・・・)
自らが疲れていることを完全に分かっていた。だが、マウンドを降りるわけには行かない。
あおいがマウンドを降りたら恋恋高校には投げられる投手が居ないのだ。
このマウンドは自分が守り通すしかない・・・そのことが分かっていたから余計に辛かった。
続く5番にきっちりと送りバントを決められ、この試合初めて得点圏にランナーを背負ってしまう。
そう、これこそさわやかなみのり高校の監督の作戦だったのだ。
「女性選手はどうしても男性より体力が劣ってしまう。どんなにすごい選手でも、だ。
山並が平気に6イニング投げていたとしても彼女もそうだとは限らない」
ベンチで満面の笑みを浮かべながら言う監督はこの回の同点以上を確信しているように見えた。
今のあおいの球には完全に力がない・・・打ち崩すのは容易いだろう。
(早川・・・踏ん張れ・・・!)
片桐は祈るような気持ちで心の中で念じていた。
確かに辛いかも知れない、だがこの回を乗り切れば逆に勢いに乗れるはずだ。
そう思っていたのだ。あおいがセットポジションから1球目を投じる。内角低めへのシンカーだった。
だが、これがストライクゾーンに入らない。ボール球になって相手バッターに見送られてしまう。
(くそ、限界なのか・・・!?)
そう思わざるを得ないような状況だった。2球目、今度はカーブを投げるもこれも外れてしまう。
ボールが完全にストライクゾーンに入らなくなってきている・・・
こうなると怖いのは置きに行ったボールを打たれることだ。それだけは避けなければならない。
片桐の要求するコースはさらに厳しくなり、あおいのボールはそこへは入らない。
結局この6番バッターにもフォアボールを与えることになってしまった。
「タイム!」
片桐はそういうと一目散にマウンドへと駆けていく。
あおいははぁはぁと肩で息をしながらそれでもなお気丈に振舞おうとマウンドに立っていた。見ていて痛々しいほどに。
「早川・・・もう限界なんじゃないのか?どうしてもっていうなら俺が・・・」
「駄目、僕なら大丈夫だから・・・」
マウンドに内野陣が集まってくる。選手たちがあおいに激励の言葉をかけるもそれは彼女に届いていないように見えた。
こんなとき何もできない自分がかなえはたまらなく歯がゆかった。こんなときに後1人でもピッチャーが居れば・・・!
集まった選手たちが散り、試合が再開される。あおいは7番バッターを迎えていた。
セットポジションから1球目、今度は内角へストレートが向かっていく。
だが、これがわずかに甘いコースへといってしまう。相手バッターは初球からかまわずこれに手を出してきた。
ボールが片桐の目の前で消え、高い空へと舞い上がる。
「矢部ー!」
片桐はセンターを指差しながらそう叫んだ。矢部が背走しながら打球を追う、追う。
だが無情にも打球は矢部の頭上を超え、グランドのフェンスへと直撃した。
矢部がクッションボールを処理し、内野へ返球した頃には2塁ランナーがホームへと生還していた。
タイムリーツーベース・・・同点に追いつかれてしまった。
「くっ」
あおいは歯噛みをするように小さくつぶやくとマウンド上の土を蹴り上げた。
だがこれで終わりではない。ワンアウトランナー2塁3塁、まだ逆転のピンチが続いていた。
(これ以上点はやれない・・・絶対にここで切らないと)
片桐は焦っていた。ここでもし逆転されたら再逆転するのは難しいと分かっていたから。
だがあおいはその片桐の気持ちに反するように力のないボールを投げてしまう。
何とかバッターは見逃してくれたが今のカーブは打たれていたらまずかっただろう。
次はボール球になるストレートが内角へ行く。そしてその次はシンカーが外角へ外れ・・・
またカウントが悪くなってしまった。このままでは同じことの繰り返しだ。
片桐は何とか相手バッターをかく乱しようとリードを試行錯誤するがうまくいかない。
次の1球、またシンカーが内角へ行く。これを相手バッターは強引に打ちに行った。
打球はライト方向へ大きく大きく上がっている。だが、なかなかボールが落ちてこない。
どうやら上がりすぎたようだった。ライト吉野が落下地点に入り、それを捕球する。
それと同時に三塁ランナーがベースを蹴った。
吉野から内野にボールが戻ってくるものの片桐はホームへは投げるなとそれを制した。
1−2・・・この回あっさり逆転されてしまった。
「よっしゃー逆転だ!」
「続け続け、まだいけるぞー!」
沈む恋恋ベンチとは対照的に大きな声を上げるさわやかなみのりベンチ。
かなえはぎりっと爪を噛んだ。この試合展開で逆転されたのはまずい・・・
相手ピッチャーを打ち崩せないままここまで来たのがここに来て大きく響いてしまった。
「あおい、踏ん張れ・・・!」
結局自分には選手を信じることしかできなかった。
自分がマウンドに登って投手をやることも、バッターとして打って再逆転することもできない。
時々そのことがたまらなく悔しく思えるときがある。なぜなのだろう・・・
3塁ランナーは帰ったがまだピンチは続く。ランナーを2塁に背負った状態で迎えるバッターは9番。
上位打線に繋げたくないこの状況、何が何でもここできりたいところだ。
再びセットポジションから1球目を投げる。力のない球がストライクゾーンへと決まる。
続く2球目は大きなファールボールとなる。9番にここまで当てられるまでにあおいのボールの力はなくなってきているのだ。
「はぁ、はぁ・・・」
滲んでくる汗をもう1度拭う。このままでは打たれる・・・そんなことは分かっていた。
だがどうしようもなかった。自分の身体から力が抜けてしまうように力が入らない。
相手バッターを追い込んでいるのにこちらが追い込まれているような、そんな気分になる。
あおいは片桐からのサインをもう1度確認した。
ボールはシンカー・・・片桐はここで決めろと言っているのだろう。あおいは大きくそれにうなずく。
(僕は・・・負けたくない!)
セットポジションから身体を大きく沈め、地面ぎりぎりからボールをリリースする。
その瞬間、あおいの口からは自然と大きな声が出ていた。
まるで彼女の気合、そのものが声として身体の外に出て行ったように。
ボールはバッターの手前で大きく沈む。その変化に相手バッターは対応できず相手バッターのバットはむなしく空を切った。
空振り三振・・・あおいは大きくガッツポーズをした。
「やったあ!」
そしてまたそう大きな声で叫ぶ。9番バッターをよれよれの投球で打ち取っただけ・・・
それでも今はそれだけで十分だった。あおいはゆっくりとベンチへと引き返していく。
だが恋恋高校はこの回2点を失った。この試合展開の中で重すぎる1点のビハインドだった。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
恋恋高校野球愛好会 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ||
さわやかなみのり高校 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 |