ピー、ピーという音がいつまでも鳴り響いていた。いくらボクが叫んでみてもその声は決して相手に届くことはない。

そんな光景を今まで何度見てきただろうか。この夢を見るときはいつもそうだ。

そして夢の終わりはいつも決まっている。そう、ボクの泣き声にも似た悲鳴が響いたとき―――


「打ったー!ホームラン!勝ち越しホームランです!」


ラジオから流れてくる高校野球中継の音で目が覚めたようだった。ここは・・・どこだろう。

一瞬自分の置かれた境遇が分からなくなったがすぐにそれを理解することが出来た。

ここはフェリーの中、客の数を見るとラジオを持っていた中年の男性とまばらな人数。

まあこれから行くところを考えれば客が極端に少ないのも納得できるかも知れない。

ボクはもう1度目を瞑った。どうせなら島に着くまで寝ていたい、そう思ったからだ。



















第1話 私の下僕になりなさい



















沖縄県巽島(たつみじま)。地図にも載ってるのか載っていないのか分からないくらいの小さな小さな島だ。

綺麗な海、綺麗な自然。それを追い求めて観光客が来ることもしばしばあるのだが大概は物静かな、片田舎といった風な島である。

そんな島へやってきたのは相楽麻衣(さがらまい)。腰まである黒く長い髪が特徴的で、大きな荷物を抱えている。

それはまるで旅行セットのような量の荷物だった。それもそのはず、彼女は今日この島へ引っ越してきてのだから。

フェリーから降りると知り合いが迎えにやってくるはずなのだが、それらしい人物が見当たらない。

しょうがないと思いフェリー乗り場のベンチに腰をかけしばらくぼーっとしている。

だが待てど暮らせど誰も来る気配が無い。何かあったんだろうか。

これまたしようがないと思い麻衣は目的地まで地力で歩いていく事にした。

商店街の60代くらいの男性に声をかけると気を良くして教えてくれた。

「巽島高校なら坂の上だ」と。麻衣は男性に頭を下げると坂を登り始めていった。

多い荷物のせいもあってか疲労感がすぐに麻衣を襲い始めていた。いつも鍛えているつもりだったんだが・・・

そんなことを考えながらゆっくりと歩いていると。坂を登り終わったとき、向こう側から誰かが歩いてくるのが目についた。

今まで誰ともすれ違わなかったせいか、その人の事を凝視してしまう。

どうやら女の子のようだった。

背は140pから150pくらい、近づくにつれ分かってくるのだがウェーブのかかった金色の髪の毛、そしてエメラルドグリーンの瞳。

顔はまるでお人形さんのような綺麗な形をしていた。ハッキリ言ってかなり可愛い。

こんな島にもこんな子がいるんだな、そう思いながら擦れ違った時、麻衣は不意に後から何かに呼び止められた気がした。

ゆっくりと振り向くとその女の子がこちらを見て歩みを止めていた。そしてこちらをじっと見つめている。

そんなに見られると恥ずかしいんだが・・・

そんなことを思いながらまた振り返って歩き出そうとしたその瞬間、その女の子が声をあげた。


「あなた」


まるで鈴のように澄んだ声。その声に思わずドキッとしてしまう。

何故だろう、この子は他の人間とは違う、何か別のものを持っていた気がした。麻衣は女の子の方を見て。


「・・・ボク?」

「そう、あなた」


また澄んだ声が返ってくる。麻衣は何だと思いながら彼女の方を見つめる。

そして次の瞬間。彼女が言った一言が麻衣の人生を大きく変える一言になるのだった。

見られて恥ずかしいなんてちっぽけな羞恥心なんか吹き飛んでしまう一言。


「あなた、私の下僕になりなさい」



















「麻衣〜!待ってたのよ〜!」


学生寮に着くなりいきなり抱きつかれた。

ここは巽島高校の学生寮、最も狭い島なため寮生はほとんど居ないというお化け屋敷のような学生寮である。

そして今麻衣に抱きついているのは相楽由美。麻衣の母親の姉に当たる人物である。

今はこうしてこの学生寮で寮母を勤めている。

ほとんど面識も無かった人物なのだが、最近1度会ってそれっきり彼女を頼りにこの島へやってきた。


「ごめんね、ちょっと離せない用事があって迎えに行けなくて」

「いや、それは良いから早く放して・・・」


あら、ごめんなさい。そう言いながら由美は麻衣をパッと放した。

麻衣はげふんげふんと少し咳き込みながら体制を整えた。すると由美は急に真剣な顔をして。


「もう・・・大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だから」


気丈に振る舞って見せたが本当はあのことを引きずっていないかと言えば嘘になる。

麻衣の心にぽっかりと穴が開いてしまったかのような出来事。あれを忘れろと言っても無理だろう。

だが由美はそっか、と言うと麻衣に1つの鍵を渡した。寮の部屋の鍵のようだった。


「2階の1番奥の部屋ね、分からないことがあったら何でも聞いてちょうだい」


そう言うとひらひらと手を振ってどこかへ歩いていってしまった。

残された麻衣は呆然としながらも鍵を握りしめ、言われた通り2階の1番奥の部屋へと歩いていった。

鍵を開け、ドアを開けるとがらんとした部屋が目の前に現れた。

しかし一応生活できる程度のものは揃っており、寮の部屋としては文句ないくらいだろう。

麻衣は部屋の奥まで歩いていき、部屋の窓をがっと開いた。その瞬間、風がぶわっと部屋の中へ吹き込んできた。

島の高いところにあるため風も強い。でもどこか心地良いその風にしばらく身を任せていた。

・・・思い出すのは、あの女の子の事。


「なんだったんだろうな・・・」


麻衣は丁度さっきあったことを思い返してみる。まるで嵐のような女の子だった。



















「げ、下僕!?何だいきなり!」


麻衣は驚いて転げそうになるのを必至で我慢して女の子の方を見る。

女の子はにっこりと笑ってこちらを向いた。笑っている顔も可愛い・・・じゃなくて。


「初めて見た瞬間に思ったの、お姉ちゃんと理恵は運命の赤い糸で結ばれてるってね」


運命の・・・赤い・・・糸・・・?この子は一体何を言っているんだ。もう訳が分からない。

そんな状態のまましどろもどろしてると女の子はこちらへと近づいてきた。

近くで見るとそのかわいさが輪をかけて分かる。

こんな子がこんなトンチンカンなことを言っているんだから信じられない。女の子は麻衣をじーっと見つめると。


「やっぱりそうだわ、確信した。お姉ちゃんは理恵の下僕になるべきなのよ」

「ちょ、ちょっと待て。下僕って何だ。どうしてボクなんだ!」


状況がまるで掴めない麻衣を理恵と名乗った女の子はうっとりとした目で見つめていた。

麻衣はこんな冗談にはもう付き合ってられないとばかりに踵を返そうとする。


「あれ、お姉ちゃん、それ野球道具?」

「え・・・そうだけど」


麻衣の大量の荷物の中にあるバットケース。理恵はそれに目をつけたのだった。

それを見るとへぇ〜ふ〜ん、と言いながら改めて麻衣の姿を見た。


「それじゃあお姉ちゃん、嫌でも理恵の下僕になっちゃうことになるかな」

「はあ?何の話だ」


理恵はさあ?なんでしょうとくすくすと笑う。麻衣は怪訝そうな顔をしてその場を去った。

結局あの女の子は何がやりたかったのだろう。下僕なんて・・・馬鹿げている。

そんなことを考えながら引っ越し1日目の夜は暮れていった。

世間は夏休み真っ盛り、まだまだ2学期までには時間があるのだからゆっくり考えれば良いさ。



















8月31日。いよいよ夏休みも最後の1日になってしまった。

特にすることもないままぼけーっと日にちだけが過ぎてしまっていた感はあるが仕方ない。

あの日からボクは何にも打ち込めないでいた。ただ1つ、野球以外は。

夏休み最終日の夕食を食べていると由美が麻衣に向かって話しかけてきた。


「どう?もう島の生活には慣れた?」

「島の中は粗方歩いてみたよ」


そう、それはよかったと言うと由美は麻衣の隣へと腰掛けた。

麻衣は夕食をぱくぱくと食べ続けているがそんなのお構いなしに由美はじーっと彼女を見つめていた。


「な、なんだよ」

「別に。あんたは今はただ元気でやってるだけで良いんだからね」


そう言われて麻衣はドキッとした。何だか由美には全て見透かされているような気がしたからだ。

もう麻衣はあの女の子の事などすっかり忘れていた。ただ、どうしても忘れられない記憶が1つ。

あのことはもう思い出したくもないはずなのに・・・それなのに忘れられない。


「姉さん、ボク、上手くやれるかな・・・」


思わず弱音を吐いてしまった。由美は優しそうな顔をして、麻衣の頭を撫でた。

大丈夫、大丈夫と言い聞かせるように。麻衣はその腕の中が少しこそばゆかったが嬉しかった。

自分にもまだ居場所があるんだ、そう思わせるような出来事だった。

9月1日。とうとう2学期が始まる。そして麻衣の運命も大きく変わろうとしていた。




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