今日も理恵とお手々繋いで楽しく登校・・・とはいかなかった。
麻衣は今、背中にずっしりと来る重みと戦っていた。その重みの正体・・・はもちろん彼女、理恵である。
「おいいい加減降りろ、もういいだろ」
「ダメだよお姉ちゃん、これも練習の一環なんだから」
そう言って聞かない理恵は実に楽しそうだった。
そして理恵が楽しそうだとどういう循環で巡ってくるのか、麻衣は苦しい目に合うことになっていた。ああ、ちょっと自己嫌悪。
足腰を鍛えるトレーニング、とか何とか言って理恵が麻衣の背中に抱きついてきたのは家を出てすぐのことだった。
だからかれこれ10分以上この状態を続けていることになる。
麻衣は学校へと続く長い坂道の下で理恵を降ろした。さすがにこの坂を登るのは無理。
理恵はつまらなさそうな顔をしたものの渋々了解して麻衣の背中から降りた。
「お姉ちゃんの背中、温かかったのになあ」
そっちはそうかも知れないがこっちとしては暑いわ疲れるわでしんどいことこの上無かった。
学校へ行く前に体力を全て使い果たしてしまうところだった。ただでさえ授業はつまらないのに。
「でもお姉ちゃん、最近変わったよね」
「・・・そうか?」
「うん、初めて会ったときのお姉ちゃん、死んだみたいな顔してたもん」
どんな顔だ。・・・というのは置いておいて、確かにそうかも知れない。
この島に来て初めての頃はあのことを引きずったままだった自分がいた。だが、今はこの島に馴染もうとしている。
それだけでも大きな進歩だ。授業をサボることもなくなった・・・これも大きな進歩か。
「これからももっともっと理恵色に染まってよね、お姉ちゃん」
「それは嫌だ・・・」
理恵の言葉にキッパリと否定の言葉を重ねる麻衣。理恵色・・・一体どんな色なんだろう。
だがもし彼女の言葉通りとするなら、自分は既に理恵色に染まっている・・・のだろうか。
第7話 格好悪いよ、お姉ちゃん
「おい、何だあれは。ボクは野球するなんて聞いてないぞ」
昼休み、いつもの給水塔裏に行くと金城がパンをむさぼり食っているところに遭遇した。
麻衣も自分で買ってきたパンを開き、ジュースを片手にそれを食べながら話す。
「俺はあの伊藤との対決で目覚めちまったんだよ、俺の野球魂にな」
「どうでも良いけどあの人先輩だからな」
燃える金城に冷静なツッコミを言える麻衣。
金城は分かってねーなーとか何とか言いながらパンを食べ、飲み込まないうちに話し始めた。やめろ、みっともない。
「それに野球ってのは俺の因縁のスポーツでもあるんだよ。運命って奴だな」
「はぁ?なんだそれ」
意味不明な事を次々と吐き出す金城に麻衣は怪訝な表情をして返した。
因縁だの運命だのよくそんなことを恥ずかしげもなく言えるな。こいつ、燃えるといっちゃうタイプなんだろうか。
「とにかく!俺は真剣に野球をやるつもりなんだ。分かったか!」
「バカもここまでくるとおめでたいな」
麻衣は呆れていた。どういう理由か分からないが金城が野球をやりたがっているのは分かった。
だが普通に考えて素人のこいつが経験者の中で浮く姿しか想像できない。
そもそも野球のいろはのいの字も知らないような奴が、高校から野球を始めるなんて馬鹿げてる。
「周りに迷惑だけはかけるなよ」
「迷惑なんてかけるかよ。野球部も俺の事歓迎してたぜ」
それは人数が足りないから仕方なく歓迎しているフリをしているだけで、実は金城なんて厄介者真っ平ごめんだろう、野球部も。
そんな状態にある野球部も野球部だが・・・そんな押し問答をしているうちに昼休みは終わってしまった。
麻衣は教室へ戻るようだが金城はこれからもここでサボるようだった。どうでもいいので放っておいたが。
「えー、みんな揃っとるか?」
顧問の先生・・・東田先生というらしい。その人の一言で野球部の部員達は各々の練習をやめ部室の前へと集まる。
東田は全員の顔を見ると何かを話し始めた。
「実は無理だと思って申請していた秋季大会の登録が通った。大会に出られるぞ」
その言葉に部員達は歓声とも戸惑いとも取れる声を上げる。実際のところその2つ両方だっただろう。
秋の沖縄県大会・・・麻衣もこれに出場はさすがに無理だと思っていた。
だが、出られるのなら思いっきりやりたい。こんなチームだが、いけるところまでいきたい。
「1回戦は今度の土曜日、場所は追って説明する。各人、試合に向けた練習をするように。以上」
今週の土曜日とは随分いきなりの話だ。試合に向けた練習と言っても何をしたらいいか分からない。
この先生はその辺ほとんど介入してこないから楽といえば楽だが逆にやりづらくもある。
「よっしゃ、試合か!やってやるぜ!」
「その前にお前は守備でチームに迷惑かけないようにしろ」
それがせめてもの願いだった。周りに迷惑をかけない、その言葉を実践して見せろということだ。
金城は打つ気満々の様子で、意気揚々とスイングをしていた。いや、お前の場合打撃は二の次だから。
「試合、頑張りましょうね。あ、でもまずはその前に練習ですね」
「そうだね・・・」
翡翠の笑顔に少し癒される。試合か・・・実戦なんてどれくらいぶりだろう。
中学最後の試合が去年の7月だから・・・実に1年ぶりということになる。
麻衣は少しその事実に怖くなっていた。武者震い・・・違う、単純に試合が怖いのだ。
そのことを認めてしまうのは何だかもっと怖い気がした。
麻衣はその恐怖を頭から振り払うと、練習を始めることにした。今日はベースランニングとノックをやりたい。
守備走塁は麻衣が最も得意とするところでもあった。寧ろここが生命線と言っても良いだろう。
「お願いします!」
ノッカーは東田が勤めている。一応あんなしわくちゃなおじいちゃんでもノックくらいは出来るらしい。
キーンと乾いた音がすると麻衣は打球に機敏に反応して対応する。
そのグラブ裁きは男でも顔負け、というレベルのものだった。ただ、麻衣は遠投が苦手。
セカンドというポジションはそれほど遠投を必要とされるポジションではないが、そこがネックだった。
自分がショートや外野を守れないのはそこに原因がある。
何球、何十球とノックを受けていくうちに段々と実戦の感覚を取り戻しているような気がした。
そうやって練習を続けていくうちに、日はどんどんと傾いていった。
夕陽が水平線に沈む頃、麻衣も練習を切り上げて帰路につこうとしていた。
金城は相変わらずぎこちない動きで守備練習を今日も居残りでするようだった。やる気はあるんだよな。
そんなことを思いながら校門まで行くと、いつもの極上スマイルが麻衣をお出迎えした。
「お姉ちゃん、お疲れ様」
「ボクはいつもいつもこんな時間までここにいるお前にお疲れ様と言いたいよ」
そう言うと理恵は愛の力だよっと訳の分からない解答をよこして見せた。
麻衣ははぁ、とため息をつくといつものように理恵の手を握った。だがしかし、今日はいつもと様子が違った。
理恵が手を取って走り始めたのだ。坂を一気に駆け下り、そのままの勢いで走っていく。
どこまで走るつもりなんだと麻衣は息を枯らしながら心配していると、理恵は家とは違った方向へ向かいだした。
こっちは森になるはずだ、何をしようとしているんだ?
森の中へ入り、いくつか分かれ道を越えた辺りだっただろうか、理恵がようやく歩みを止めた。
理恵自身も息絶え絶えで、はぁはぁと言いながら森を抜けた。そこに広がっていたのは。
「うわあ・・・」
麻衣は思わず絶句してしまった。そこにあった景色があまりにも綺麗すぎて。
そこは切り立った崖の上で、そこだけが森からちょこんとはみ出しているような空間。
見える景色は崖の下から広がっている海が画面いっぱいに入ってきて、
丁度その水平線の彼方に夕陽が沈もうとしている景色が一望できる、まさに絶景と呼ぶに相応しいところだった。
「どう?ここ、理恵の秘密の場所なんだよ。人に教えるのはお姉ちゃんが初めて」
「凄い・・・凄いよ」
何と言ったら良いのか分からない麻衣はとりあえず凄いという言葉を使うことしか出来なかった。
しばらく2人で景色を眺めていると、どちらともなく2人はそこに腰を落ち着かせた。
夕陽を見ながら麻衣は自分の心の内を話してみようと言う気になった。
「今度・・・野球部で大会に出ることになったんだ」
理恵は何も返して来ない。彼女もまた夕陽をじっと見つめていた。
何か、こんな表情の理恵を見るのは初めてで、麻衣も少し緊張してきた。それほど夕陽に映る理恵は、綺麗で、美しかった。
「でもボク、試合に出るのが怖くて・・・怖くて怖くて仕方がないんだ」
どうしたらいい?と聞くまでもなく、理恵は答えを返してきた。
だが、それは麻衣が期待した言葉とは全く違う、いや逆と言っても良い返答だった。
「なに、それ」
「え?」
理恵の雰囲気が一瞬で変わったような気がした。風がふっと2人の間を吹き抜ける。
麻衣は呆然としたまま理恵を見つめている。向こうは違う、麻衣の知らない眼差しでこちらを見つめていた。
「格好悪い」
そう言うと理恵は立ち上がってこちらに踵を返すように振り返った。
麻衣はどうしたら良いのか分からなかった。理恵は今、なんて言った?格好悪い・・・?
「格好悪いよ、お姉ちゃん」