8回の裏表の攻撃を両者とも三者凡退で終わり、試合は最終回9回表を迎えていた。

この回を0点で凌げば巽島高校は晴れて1回戦突破となる。だが、北山高校は2番からの好打順。

伊藤の疲労も考えると決して簡単に抑えられる相手ではないだろう。しかし、勝つには何としても抑えなければ。


「よっしゃ、あと1回、締まっていくぞ!」


ベンチ前で全員円陣を組んで伊藤のかけ声で散っていく。ただ1人、金城だけはちっとも面白そうではなかったが。

最終回、ここで全てが決まる。そう思うと身体の奥の熱い気持ちが込み上げてきた。

相手の2番バッターがバッターボックスへと入る。伊藤は疲れている様子も見せず内野からボールを受け取ると声をかけていた。

まだまだ余裕という様子で、こちらから見ても頼もしい限りだ。

大きく振りかぶって1球目、ストレートが内角を抉る。

最高のボールかに思われたが審判の手は上がらずボール、伊藤はマウンドでおいおい、というような表情を見せた。


(今のボールで組み立て方が変わってきた。次はスライダーを・・・)


榊原から伊藤にサインが送られる。伊藤はそれに頷き2球目を投げた。外角へのスライダー。

これも相手は見送りボール、0−2となってしまった。伊藤はというと相変わらず余裕の表情。

次のボールはカーブがストライクゾーンに決まる。

しかしその次の1球、これがベース手前で大きくバウンドするボールとなりカウントを悪くしてしまう。榊原は首をかしげた。


(球は来ている、でも段々コントロールが無くなってきている)


本当ならここでマウンドに向かうべきだった。しかし、それでももう1球ストレートを要求してこれが高めに大きく外れてしまう。

フォアボールで同点のランナーを出してしまった。

ここでようやく榊原は伊藤に声をかけに行く。伊藤の様子を見ると大して変わった様子もない。

内野のメンバーも集まってきているが伊藤は大丈夫だということを強調していた。


「伊藤先輩、打たれたらボクらのうちの誰かが捕る。でもフォアボールだけはやめてください」


麻衣が伊藤に意見を言うのはこれが初めてかも知れない。

伊藤はああ、分かった、とだけ言うと内野の選手達を定位置へと帰らせた。榊原もホームベースへと戻っていく。


(大丈夫だと言ったが、本当は段々息が上がってきてるんだよな・・・)


伊藤は心の奥底でそう思ったがその言葉は飲み込んでおくことにした。

チームの勝利のため、何より自分のためここで打たれるわけにはいかない。その事は自分が1番よく知っていた。



















第11話 ・・・バカ



















試合がにわかに分からなくなってきた。

ノーアウトで同点のランナーが1塁にいる、しかも打順は3番からのクリーンアップだ。

勿論今日ホームランを打たれている今田にもまわる。

セットアップからの1球目、ここで北山高校が動いてきた。3番バッターがバットを寝かせてバントの仕草を見せてきたのだ。

伊藤はダッシュしてホームベースへと走っていく。

しかしバットを引きストライク、バントはフェイクだったのか?そう思いながら伊藤はマウンドへと戻っていった。

段々と吐く息も大きく、早くなってきている。

2球目、チェンジアップがベースでワンバウンドする。

榊原はそれを身体全体を使って捕りに行き何とか後へ逸らすことだけは避けられた。

しかし、伊藤が疲れてきているのはもう誰の目から見ても明らかだ。伊藤は3球目、ストレートを内角いっぱいに決めようとした。

だが、相手がそれを許してくれない。今度は本当にバントを仕掛けてきた。

ボールがバットに当たり、ピッチャーの手前へと転がっていく。伊藤は一瞬二塁を見たがすぐに一塁へと送球した。

結果的に送りバントという形になり得点圏にランナーを進められてしまった。

そしてここで1番当たりたくないバッター、今田を迎えることになる。

正直追い込まれていたのは伊藤かも知れない。1点でも取られれば勝ちはなくなる。


(何が何でも打ってやる。同点にすればまだ分からない!)

(絶対に抑える、こいつさえ抑えればいける!)


それぞれの決意を胸に、バッターボックスへ今田が入る。伊藤は帽子を脱いで汗を拭った。

内野からは励ましの声が聞こえてくるがほとんど耳には入ってこないだろう。

榊原からサインが送られ、それに大きく頷く。そしてボールを強く握りしめ、右腕を1回、くるくると回した。

セットポジションからの1球目、スライダーが内角へと進む。それを果敢に打ちに行く今田。

ボールは真後ろへのファールボールとなりスタンドへと入っていった。


(さすがだ、ここまで来てボールの勢いが衰えてない)


今田はそう思いながらまたバットを構えた。2球目、スライダーが今度は外角へ外れていく。

決してボール球には手を出さない。好打者と言われるだけあって遊び球には引っかかってくれない。

次のボールはまたもボールゾーンへと行きカウントを悪くしてしまう。

伊藤はコントロールがほとんどきかなくなった暴走機関車のようだった。

このままこのバッターまで出してしまっては今度は逆転のランナーを許すことになる。それだけは避けたかった。

渾身の1球、全力のストレートを高めに放った。しかし、僅かにボールが低くなってしまう。

真ん中に近くなったその球を今田が見逃すわけもなかった。それを叩くとボールは伊藤の左を抜けていった。

2塁ランナーは既にスタートを切っている。万事休すか。

その時だった。黒く長い髪が宙に揺れた。一瞬、何が起こったのか両チームとも分からなかった。

そう、麻衣だ。麻衣がセンター前へ抜けようと言う打球をダイビングキャッチしたのだった。

土にまみれたその姿のまま、麻衣はすぐにボールをセカンドへと精一杯の力で投げた。

ノーバウンドでボールをキャッチしてワンアウト、そしてセカンドランナーが戻っていないセカンドに送球してこれでツーアウト。

ゲッツーでゲームセットとなった。


「アウト!ゲームセット!」


塁審がそう告げると麻衣の顔から笑みがこぼれた。やった、と大きくガッツポーズをして見せた。

伊藤はマウンド上でグラブをぽーんと叩く。ナイン達も徐々に勝利の感覚がやってきたらしく、

それぞれ笑いながらベンチへと帰ってくる。その中心には他の誰でもない、麻衣がいた。


「あれをよく止めてくれた、相楽」

「あの守備は女性とは思えなかったなあ、素晴らしいよ相楽君」

「麻衣さんやりましたね、あの打球、絶対抜けたと思いました」


伊藤が、榊原が、翡翠が、麻衣に賛辞を送る。麻衣は照れくさくて何と答えたら良いか分からなかった。

野球をしていてこんな気持ちになったのは久しぶりだ。

そう、あの頃、昔公園で満里奈とキャッチボールをしていて、母さんに褒められた時のような、そんな気持ち。


「へっ、秘密兵器俺様の実力を見せられずに終わったがこれで終わったと思うなよ!」

「お前はそれを誰に言ってるんだ」


へそを曲げていた金城に、麻衣はビシッと言い放つ。

金城はしばらくつまらなさそうな顔をして道具を片付けていたが、ベンチから帰る途中に一言だけ、麻衣にこう言い残した。


「あのプレー、ナイスだったぜ」

「何だ、お前に言われると気持ち悪い」

「気持ち悪いたぁ何だ気持ち悪いたぁ!」


そんな他愛もない会話をしながらベンチを後にした。またここに戻ってくることが出来る。

巽島高校、沖縄県予選一回戦突破。その小さな勝利が、この先何を生んでいくのだろうか。



















島へ戻ると麻衣は真っ先にとある場所へと向かっていた。島の裏側、月代家のお屋敷。

いつも通り中へと入ると、ある部屋の前で麻衣は歩みを止めた。

ここまで来てしまって言うのもなんだが、どんな顔をして会えば良いのか分からない。

ギクシャクしていた関係も、今日終わらせられれば。そう思ってここまで来た。

麻衣は躊躇していた腕を振り上げ、コンコンとノックをしてみた。

中からは何も聞こえてこない。

おかしい、執事のおじいさんは今日は部屋に籠もりっきりだと言っていたはずだ。麻衣はもう一度コンコンとドアを叩いた。

すると、ガチャリ、と部屋のドアが開いた。そこにいたのは他の誰でもない、理恵だった。

こちらを澄んだ瞳でじとっと見つめている。麻衣はどうしたら良いか分からなかったが。


「やあ、・・・今ちょっと良いかな?」


と声をかけてみた。理恵は何も言わずに麻衣の手を取ると、部屋の中へと案内した。

9月になってもまだまだ残暑が続く沖縄地方、理恵の部屋はエアコンがガンガンに作動していた。

その為理恵の手はちょっとだけ冷たい。こんな部屋にいたら不健康になりそうだ。

そのままベッドまで歩いていくと、理恵は麻衣の手を放した。

自らはベッドに腰掛けると、またいつかのようにぬいぐるみを1つ手に取り、それを抱いて見せた。


「どうしたの、お姉ちゃん?」


理恵はいつものように何もかも見透かしたような目で麻衣に問いを投げかけた。

麻衣は言葉にするのが難しいこの感情を何と表現して良いのか分からなかったが、とにかく自分の言葉で理恵に聞いてもらおうと思った。


「ボク、今日試合だったんだ。前は怖いって言ったけど・・・でもそんなことはなかった」


自分が今日感じたこと、それを言葉にしてみることにした。

理恵は黙ってぬいぐるみを抱いている。麻衣は振り絞るように口から言葉を出した。


「楽しかったんだ、野球をするのが。だから前の言葉は訂正する。だって・・・」

「だって?」

「ボクが1番応援して欲しいのは君なんだ。だから、もう怒らないでくれ」


真っ直ぐに目を見つめて。本当の気持ちを口にした。

理恵はそれを聞くとくすりと笑い始めた。何が何だか分からない麻衣を横目に、くすくすと笑い続ける理恵。


「おかしい、お姉ちゃんったら。本当に素直なんだから」

「な、何だよ。何がおかしいんだ」

「理恵は最初から怒ってなんか無かったよ。お姉ちゃんの勘違い」


何だって?理恵の口から出た意外な言葉に麻衣は固まってしまった。

怒ってなかったって、ここ数日のあの態度は一体なんだったんだ。

そう聞き返してみると、理恵は再び笑ってお腹を抑えながらこう答えた。


「お姉ちゃんがへたってたから渇を入れたんだよ。良い薬になったでしょ?」

「なっ、お、おおお前な!」


それじゃあ真剣に悩んでた自分がバカみたいじゃないか、と麻衣は言った。

理恵はそれを見てまたくすくすと笑っている。本当にバカみたいだ。心配して損した。


「でもさっきの言葉は嬉しかったよ。ありがとう」

「う、うるさい!ボクの反応見て楽しんでた癖に!」


麻衣は照れくさくて顔を明後日の方向へと向けた。

理恵はようやく笑うのをやめるとベッドから立ち上がって一歩一歩こちらへと歩いてきた。


「騙しててごめんね」


そう言って麻衣の腰にぎゅっと抱きついた。2人の身長差は約20cmくらい、丁度麻衣の顔が理恵の頭の上に来るくらいだ。

麻衣は突然の出来事に何をしたら良いか分からなかった。だが、自然に手の平を理恵の頭の上に乗せていた。


「・・・バカ」


ただ一言、その言葉を呟く麻衣。まるで時間が止まったかのように錯覚させられる瞬間だった。

不思議だった。理恵と過ごす時間がこんな風に感じられる事が。



















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