第13話
キャンプイン





本土最西端の都市である長崎からも離れ、有明海を望める島原半島がその目的地だった。

日本のほぼ中央に位置する名古屋から飛行機で1時間半、最寄り駅からJRに乗り込み30分、

私鉄に乗り換えて76分、合計およそ4時間の長旅の先にキャンプ地はあった。

がまだせ!静岡オージーウイングス

そんな垂れ幕が島原市に入った途端、選手たちの目に入った。バスに揺られながら向かってるのはキャンプで使用する球場ではなくて市庁舎だ。

因みに“がまだせ”とは“頑張れ”の地元での意である。

「使わせて貰うんだから市長さんへの挨拶はしっかりとね」

名古屋の空港を出発する前に政明が言った言葉だ。にも関わらず彼の姿はない。

ウイングスのアキレス腱とも言うべきショート不在の穴を埋めるべく韓国や台湾、アメリカに中南米の有名所はもちろん、

中国やヨーロッパと言ったプロがあってもまだまだ野球技術が発展途上な国を回りながら選手を探している真っ最中だった。

「着きました。ここが島原市の市庁舎です」

球団のバスが止まった。運転手の先導で全員が降りて市庁舎の中へ入る。すると、くす玉が割れ、クラッカーが鳴る。

歓迎ムードは満タン、龍堂に一番に駆け寄ったのは他でもない市長だった。

「ここでは何ですからどうぞ市長室の方へ」

市長に促されながらも全員がそこに入るとさすがに狭かった。

「まずはみなさん、この雲仙島原にお越し下さり本当にありがとうございます。

雲仙島原と言えばかつて西鉄ライオンズさんがキャンプを張った所でしたが、それ以降はどの球団も来て下さらなんだ。

ウイングスさんが来て、私は子供時代に戻ったような気分です」


西鉄ライオンズ

かつて昭和30年代、高度成長期突入前夜の時代に最強の名を欲しいままにした。

九州の北部の都市、福岡は平和台球場に本拠を置き、荒々しいプレースタイルは“野武士軍団”と呼ばれたチームだ。

OBには“怪童”中西太、“神様 仏様 稲尾様”稲尾和久、“青バット”大下弘、“日本球界史上最強の2番打者”豊田泰光、

“後のマジック継承者”仰木彬、“切り込み隊長”高倉照行、“いぶし銀”関口清と言った一癖も二癖もある選手達を

“知将”と呼ばれた三原脩監督が率い、その采配は“三原マジック”と呼ばれていたチームだ。


市長はちょうど子供時代に島原でキャンプをする西鉄を見たという計算になる。これらは政明もリサーチ済みだった。

それを含めて島原をキャンプ地に選んだのだ。かつての最強チームが選んだと言うキャンプ地でウイングスをスタートさせ、パリーグの最強チームにしたい。

言わばゲンを担いだようなものだった。挨拶をそこそこに済ませ、宿舎に向かう。その間にもウイングスの番記者たちはバスを追いかけていた。

「今日は疲れているだろうが、早速練習を始める。まずはグラウンドを10周した後、50メートルダッシュを20本、それから・・・」

帯同している打撃コーチの理久津が選手を走らせる。監督である龍堂はここでも報道陣にインタビューされていた。

昼に始まった練習が終わったのは夜の7時だった。辺りもドップリと暮れている。選手達は市内のホテルに移動する。

そのホテルには大きく“オージーグランドホテル島原”と書かれてあった。間違い無くオージーグループ傘下のホテルだった。

「必要なものは事前に全て揃えて置く」

政明がいたらそんな事を言いそうだ。元々島原は近くに平成新山―――普賢岳と言った方が通り易いだろう。火山の近くに温泉あり。

九州でも大分は別府・湯布院、鹿児島にも指宿がある。それらにも比すべき評価を受けているのが意外にもこの島原であった。

「あ゛〜〜、一日のシメはやっぱり温泉じゃのぅ」

一番風呂に浸かっているのは最年長の星野だ。傍らには無理やりつれてきた不破もいる。

ウイングスでは投手と野手は別々に入る決まりになっていて、初日である今日は投手が先に入る順番だった。

「大助、ちぃと聞きたいんじゃがのぅ・・・」

「何ですか?」

「ここは混浴じゃないのか?ホラ、女性投手が二人もおる訳じゃし・・・」

勢いのあまり、顔面が湯船に着水する不破。いきなり何を聞くかと思えばこんな事だ。

若い女性に目が行くから週刊誌に激写されるんだと不破は感じていた。

「星野さん、もっと大人な発言をした方がいいですよ」

「そうかの?ワシは混浴の方がみんなのやる気が出るちゅうと思うがのぅ・・・」

星野が期待していた女性陣はその後も温泉に来る事は無かった。

なぜならお風呂が内蔵してある部屋を宛がわれていたからだ。こんな感じで初日の夜は更けて行った。









4勤1休のペースで行われているキャンプも第1クールがつつがなく終わり、第2クールに入っていた。

練習が始まって観客がブルペンを囲まない内に少しでも投げ込んでおこうと思い、不破は早朝の練習場にやってきていた。


ボスッ


ボスッ


ボスッ


そのブルペンから音がする。自分以外には人はいないはずだ、不破はそう思っていたし、誰かがホテルから出ていない事を知っている。

「誰なんだろう・・・」

恐ろしさ半分、もう半分は好奇心でブルペンのドアを開けた。するとそこにいたのは不破と森坂がトライアウトで見ていた選手だった。

『ミーハーファンか、元プロかは知らないが・・・元プロだったら結構厄介だな』

不破の脳内では森坂の言葉がフラッシュバックしていた。

あの時に一瞬だけ目の合った彼は不破が見ている事など知る由も無く投げ込みを一心不乱に続けている。

「この程度じゃダメだ・・・。もっと、もっと投げないと。キレを増さないと・・・」

ボールに呟きながら1球、また1球と投げ込む。一心不乱どころか何かに憑り付かれていてもおかしくは無い雰囲気になってきた。

「俺にはここしかない。居場所はマウンドしかない・・・」

その時だ。彼の投げたボールは投げ込んでいた網を外れ、右打者のバッターボックスの土を抉り取るような軌道を描いた。

これだ!これが戻って来れば俺は復活できる・・・。いや、今までで最高の輝きを放てる・・・」

その日の練習開始まで彼の投げ込みは続いていた。不破は入るタイミングが遂に生れなかった為にグラウンドをランニングするしかなかった。

ついてない時はとことんついてない。泣きっ面に蜂と言うことわざもある位だ。この日の不破はそのついてない日だった。

ランニングを終えて他のメンバーと合流し、その日の練習が始まる。

「んじゃ、今日はウイングス伝統の“メビウスサバイバルラン”をやる!

投手陣を指導する犬家コーチがいつもの大声で叫んだ。

「今年から参加するウチに伝統もなにもない気が・・・」

全員でツッコミたかったが、我慢せざるを得ない。このコーチ、暴れ出すと止まらない事で野球じゃない方面でも有名だからである。

「よーし、まずはルールの説明からだ!!」


メビウスサバイバルランのルール

1.1周400メートルのコースを4周する

2.4周終わって一番タイムの遅い3人は脱落。また、後ろからミニバイクで追走する犬家コーチに追いつかれても失格。

3.脱落者と失格者は罰ゲームとして、腕立て・腹筋・背筋・スクワットを各50回

4.1と2を1セットとし、合計で5セット行う。

2セット目以降は60回、3セット目は70回、4セット目は80回と罰ゲームの内容が10回づつ増えて行き、

5セット目時では腕立て・腹筋・背筋・スクワットが100回、グラウンドを30周ととても過酷になる練習だ。

これで罰ゲームを受けなくて良いのは最後まで残っていた1人だけである。

(もちろんわざと手を抜いて走った選手には犬家コーチの地獄のヤキ入れをされてしまう)


犬家コーチが笛を鳴らすのと同時に投手陣は走り出した。始めは快調だった選手も後半になるとバテてくる。

特にセットアッパーを主としてやってきた選手には不利だ。連日投げても大丈夫な体作りはしているが、明らかに耐久レースに出るような体力ではない。

「オラー!滝川に松浦、それと竹井の三人は失格だボケが!!」

「んな事言ったって・・・プロと去年までアマだった人の体力は違うんだって・・・」

不満を漏らした選手には追加で各30回がプラスされた。30秒のインターバルの後、2セット目開始の笛が鳴った。

ここで金本と杉瀬、尾山の脱落者に犬家コーチに追いつかれた伊藤が失格した。

「つべこべ言うなー!3セット目も真面目に走らんかい!!」

ここでドラフト下位で指名されていた即戦力投手の福士が脱落、先発要員として日本ハムを自由契約になった前崎と

同じく西武を自由契約になった中継ぎ投手の大沢も脱落した。これで残る中継ぎ投手は池田と都だけになった。そして不破もちゃっかり生き残っている。

「4セット目だーー!貴様ら馬鹿になれー!!ボンバイエーー!!

もはや何を言ってるかすら分からなくなっている。ただ一つ言えるのは、星野が汗すらかいてない事だけだった。

「も、もうダメ・・・」

さすがに不破も倒れた。30度を楽に越した去年の夏の甲子園を制した不破ですら体力が限界に来ていた。同じ高校生の石丸も同様に脱落した。

既に通算16周を終えているのは星野・池田・都の3人だ。最後のイスをかけてラストスパートしていたのは空閑と葉山の大卒同級生コンビだった。

「私の約束をスッポかした奴にだけは負けるもんですか!」

「何の事を言ってるのか全く分からない。・・・そう言えば1月の9日にお前からの不在着信が25件も入っていたけど、それの事か?」

出ない方も出ない方だが、そんなにかける奴もどうかしている。そんな事をしているうちに空閑の方がスピードを上げた。

「悪いけど、ここまで来て罰ゲームはしたくないんで先に行っておくよ」

「あんたねぇ・・・。体力温存してるなら最初から言いなさいよ!これじゃ私、あんたの引き立て役じゃない!」

空閑は後ろを振り返らなかった。葉山の文句はいつもの事だから気にも止めていない。

「オラー!葉山、罰ゲームの腕立て腹筋背筋スクワット各80回をさっさとしろー!!」

地団駄をしながらも葉山は罰ゲームの輪の中に加わった。ここまでに“ミスタータフネス”の異名を取る星野は当然のごとく残っていた。

大学ナンバーワンピッチャーの空閑もさすがに帳尻を合わせるように滑り込んだ。

意外なのは池田、都と言った実績のある中継ぎ投手が残っている事だった。

耐久レースには不向きであるにも拘らず生き残っているのはプロの厳しさを知っているからに他ならない。

最後の5セット目だー!気合だーー!オイッ!!

アニマル浜口かよ・・・。全員の突っ込みはそれで一致していた。


1周目(通算17周目)

「池田さんは上手く体を使って都さんや俺を前に行かせないようにしている。これは厳しいな・・・」

空閑が呟きつつ後塵を拝す。順位は星野、池田、都、空閑で並んでいる。距離はそんなに離れていなかった。


2周目(通算18周目)

「そろそろスパートするかいのぉ・・・。3人にはよ諦めてもらった方が気ぃも楽じゃろ」

星野がスピードをアップする。だが、ついて来れないのは池田だけだった。空閑と都はきっちりと後ろにつけている。

順位は星野、空閑、都、池田。距離は都〜池田間が150メートルまで広がる。


3周目(通算19周目)

「こんなの、帝王実業時代に試合に出れなかった事に比べれば楽なもの。悪いけど星野さん、抜かせて貰いますね」

今度は都のスパートだ。星野が抜かれ、その場がどよめく。残り1周半と言う所で打鐘が鳴った。

順位は都、星野、空閑。距離は2メートルが等間隔で広がっている。


4周目(通算20周目)

「ここで負けたら葉山にボロクソに罵られそうだ。それだけは絶対に避けねばならない」

空閑もスパートをかける。葉山とのマッチレースで見せた後半勝負の体力温存策を5セット目でも使っていたのだ。

目の前の星野に空閑が並ぶ。星野とて全力疾走モードになっている。それに追いつくと言うのだから結構なスピードがあった。

「悪いがまだまだ若ぇモンには負けんのじゃい!何人たりともワシの前を走らせるかい!!

まさに仁義なき戦いだ。一人梅宮辰夫を演じている星野は生まれも育ちも広島、根っからの広島人は今にも相手事務所にカチコミを入れんばかりの勢いだ。


ガッ


ドテッ


勢いは完全に空回りした。あろう事か空閑の左足と星野の右足が交錯してしまい、二人はもつれるように転んだのだ。

しかし、星野には倒れてはならない理由がある。すぐに起き上がらなければならないのは仁義の世界に生きる者の絶対だし、

倒れようものなら木刀を持ったゴツイオッチャンどもにボコにされて瀬戸内海へコンクリ詰めされて沈されてしまうからだ。

だが、無常にも都はゴールインしてしまった。スパート後は全く後ろを振り返らなかったせいもあった。つまりは空閑と星野がコケた事を知らなかった。

「池田、空閑と星野は最後の罰ゲームな」

星野と空閑に耳には犬家コーチの声がやけに空しく響いた。

ウイングスのキャンプは途中で前阪神監督の星野仙一氏や江川卓などと言ったゲストが来たものの、怪我人を一人も出す事なく終了した。

「いよいよ明日からはオープン戦だ。調整なんて生易しい事は考えるな。あそこはレギュラーを決める大事な所だ!」

龍堂の総括に続いて、星野が締めの挨拶をし、一本締めで終わった。

明日からオープン戦が始まる。ウイングスの名実ともに最初の相手となるのは・・・前年度セリーグチャンピォンチーム、中日ドラゴンズだ。

そう、あの猪狩世代最強の右腕を誇る岩井が所属し、球団創立70周年の今年に史上初の連覇と悲願の日本一を賭けるチームである。









一方の北谷


「山本先輩、ナイスピッチ!これなら開幕投手もあるんじゃないんですか?」

オープン戦の2戦目、横浜相手に2回を無安打2三振に抑えた山本昌を褒めながら岩井は言った。

「岩井、お世辞は止めろ。それに開幕投手はお前か憲伸だろうよ」

「そうですか?俺は本心で言ったんですけどね・・・」

首を捻りながら岩井は答える。

「じゃあ、お先にナゴヤドームで待っていて下さいよ。俺が開幕投手の座を勝ち取って報告しに行きますから」

自信をのぞかせて岩井は球場のロッカールームを後にしていた。




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