第19話
甲子園に暁の陽は燈るか





あかつきは常に王者たれ


確かにあかつきは王者だった。あの史上空前の四季連続優勝がまさにその時で、

猪狩・岩井と言う左右の二枚看板に秋山・柚木・瀬良・鐡と言った俗にあかつき四神砲と呼ばれた選手を中心に無敵を誇っていた。

だが、どんなに強い王者でも永遠にそれは続かない。ローマ帝国や江戸幕府が最後には崩壊したのと同じようにあかつきにも同じ運命が待っていた。

5季連続を目指し、猪狩進キャプテンを中心に纏まっていたが選抜は金沢陶工に、

挑戦者として挑んだ夏は準決勝で流光学園に破れ、その座を明け渡して時代は終わりを告げる。

その後は甲子園には出るものの一回戦、二回戦敗退を繰り返した。ついに恋々に破れ、甲子園出場すら逃したのは今から4年前の事だった。

それから数年経ち、古豪と呼ばれるようになって久しいあかつきは今回の選抜で復活の出場になっている。

そのマウンドにはかつてのエースたちから受け継いだ背番号1が威風堂々と立っている。その姿を見てOB達は疑わない。

王者だった頃のあかつきが戻ってきた、と・・・。









千石監督は試合開始前にベンチ前で全員に円陣を組ませた。

傍らには来年度から新たに監督に就任する事となった猪狩世代の2年先輩で外野手を務めていた百地コーチが立っている。

そして千石は監督から総監督に就任する予定になっていた。

「臆するなよ。スタンドにいる人たちは昔のあかつきのような強さを見たいだろうが、お前達はお前たちの野球をしろ。そうすれば必ず結果はついてくる」

元気良く「ハイ!」と答える選手達。その中のエースを見送りながら千石は呟く。

「本当にそこでいいのか?お前の居場所は・・・」

千石の不安そうな表情に気付いたのか、エースはマウンドで笑顔を見せた。それは明らかに作り物の笑顔だったが・・・。

そんな試合を観戦すべく、三塁側アルプスに身長の低い男が現れる。それは誰であろう不破だった。手には「北農大附高応援パンフ」が握られている。

「普通、プロになった選手に声掛けるかなぁ・・・。アレクセイは所沢から遠いって断ったみたいだけど」

アルプススタンドに到達すると不破を目ざとく見つけた男が寄ってくる。

「オッス、久し振り。プロってどんなもんよ?」

かつてのキャプテンである岸谷に久し振りに会った不破から笑みがこぼれる。

「キャプテン・・・第一声がそれですか?もう少しマシな挨拶は・・・」

「結局俺らの中でプロにいったのはお前とアレクセイだけじゃん?聞いとかなきゃ損だよな」

そんな事言いながら不破をイスに座らせる。

この元キャプテンはエスカレーター式に進学し、大学でも野球をやっていると言う話を不破は隣にいた出場選手の親から聞いた。

「それにさ、お前の弟も出てるしな」

「弟じゃありません。正確に言えば従兄弟です」

ヤレヤレと溜め息を吐いてスコアボードを見る。相手は東京代表で神宮大会を制したあのあかつき大付属だった。

プレイボールの声とサイレンが鳴って掛かって試合が始まる。不破にとっては約半年ぶりの光景だ。

「一番、ショート不破健太くん 背番号6」

周りが一斉に騒がしくなる。不破の視線の先には年下の従兄弟がいる。


ストラーイク!


審判の右手が上がる。決まったのはストレート、不破はバックスクリーンの計測表示を見た。

147キロか・・・

高校生にとってはかなり速い方のスピードだ。北海農業大学附属は一応夏春連覇を掲げて甲子園に乗り込んでいる。

一方のあかつき大付属はいくら神宮大会を制したと言ってもここ数年は甲子園すら出場出来ない程衰退してしまった古豪である。

下馬評では断然不破の母校が有利だった。しかし、Aの帽子を被ったピッチャーの立ち振舞いを見て不破は母校の不利を予測した。

「なぜあんなピッチャーが去年の予選すら通過できなかったんだろう・・・」

そんな事を考えている間に従兄弟と他の後輩二名が三振していた。悔しがる三塁側アルプスとは逆に一塁側アルプスは大盛り上がりである。

ナイスピッチ!コレなら今日も完封行けるんじゃないのか?」

ハイタッチを交わす選手達、その輪の中にエースもいる。不破の母校の守備紹介が終わり、あかつきの先頭バッターが打席に向かう。

「いつものようにじっくり行けよ!焦って早打ちだけはするなよ!」

メガホン越しに大声がバッターの耳に届く。ゲキを飛ばしてるのは百地だった。

彼もまたあかつき大付属黄金時代突入前夜の9年前、同級生の一ノ瀬とともに夏の甲子園一回戦で流光学園に破れて以来の甲子園だ。

彼の言葉も空しく三者凡退で終わるあかつき大付属。胸を撫で下ろすのは北海農業大附属の応援団だ。その後も一進一退の攻防が続く。

あかつきは点を取るチャンスはあるものの、肝心な所で主軸に回ってこないと言う不運に見舞われていた。

一方の北海農業大附属はランナーすら出ないと言うパーフェクトピッチングを食らっている状況だった。

イニングは5回を終わって0−0、試合は一時中断してグラウンド整備が行われる。

「試合前のミーティング通りの試合運びだ。このまま行けばうちが3−0で必ず勝つ!」

試合中に気付いた事を分析し、選手にアドバイスとして百地が伝える。その頃の不破は大変な事になっていた。









・・・なんでいるんですか?

「仕方ないやろ。この次の試合がワイの母校やさかい。OBとして応援したらな」

亮太郎が母校である帝王実業の登場より一足先に観戦に現れたのだ。

「亮太郎さんは百歩譲って分かりますけど、君が甲子園にいる理由が分からないんだけど・・・」

「Oh、固い事は言いっこ無しデース。ミーは私用のついでにジャパン野球の聖地に寄っただけネ」

クロードの私用については大体の見当が付くのであえて聞く気が無い不破。

両隣を黒いハッピを着用した関西弁と忍装束を着込んだオーストラリア人の同僚に占領される。

「ミーは3回ぐらいから観てましたけど、あっちのあかつきハイスクールのピッチャーは中々の人ですネ」

「クロスケもそう思うやろ?いやぁ、アイツはうちの犬河とええ勝負するで」

売り子にかちわりの注文しつつ亮太郎が言う。不破はクロスケとはクロードの事なのかと考えていた。そして6回、百地の予言がまず的中する。

三周り目に入ったあかつき打線が北海農業大附属のピッチャーを射程圏内に収めたのだ。

9番から始まった打順は、先頭バッターが塁に出るとすかさず送りバント、2番バッターは内野フライに倒れるも3番が執念で二遊間を抜き4番に繋ぐ。

1・3塁で最も期待できる選手に打席が回り、北海農業大附属は守備のタイムを使う。

何事が打ち合わせをしているが、アルプススタンドからは何も聞こえない。

「ここは勝負やろなぁ・・・」

「僕だったら敬遠しますね。例え監督の指示が勝負だとしてもです」

不破は珍しく他人の意見に異を唱えた。亮太郎は意外そうな顔をして聞き返す。

「亮太郎さんは一塁が空いてないから勝負したくなくても勝負せざるを得ない、と言いたい訳ですよね?」

頷く亮太郎に不破は自信満々に答えた。

「まだ2塁が空いてるじゃないですか。満塁になろうとなるまいと最終的に0で抑えれば問題無いんですよ」

「価値観の違いやな」

「意識の違いと言ってください」

溜め息を吐く亮太郎と母校がピンチの場面を見守る不破。そこにクロードが横槍を入れる。

「ミーはピッチャーとフィールドプレイヤー、両方の経験がありマス。その経験から言えばこの場面で得策じゃないのは勝負しない事デース」

聞き捨てならないとばかりに不破がクロードの方を向く。

「確かに満塁にすれば守りやすくはなりマス。しかし、どう見ても4番バッターより5番バッターの方がこう言った場面で打ちそうな雰囲気デス。

どちらかと勝負をしなければいけないのならミーは前のバッターの方を選ぶネ」

「雰囲気で判断しても無意味じゃないか?今日の試合だけ見ても4番は二安打、5番はボテボテの内野安打が一つ、ここは敬遠が常道です」

「まぁまぁ、キリがなくなるから止めぇや。監督さんがどないな指示出したかはすぐ分かるやろ」

口論になりそうだったので亮太郎が慌てて止めに入った。しかし、不破には自信がある。

監督はこんな場面で勝負する人じゃないし、それは自分が去年の夏で経験していた。

タイムが解かれて選手はポジションに散る。ここで改めてバッターの紹介がされる。

「4番ピッチャー、陣くん 背番号1」

エースはゆっくりと左打席に入り、深呼吸をした。そして百地に言われた事を反芻する。

「この投手は甘い球が外角に集まる事が多い。狙うなら内角をカットしてのアウトコースの流し打ち・・・」

キャッチャーは座っていた。ここは勝負する場面だと監督は判断したのだ。

しかし、投手が放った直球を的確に捉えると指示通りの綺麗な流し打ちを見せた。サードランナーは歩いて先制のホームを踏む。

なおも1・2塁のチャンスが続く。次は不破がマウンドにいた場合、勝負するはずの5番バッターだった。

「5番ライト、黒崎くん 背番号9」

これも初球の甘くなった変化球をレフトへ運ぶ。2塁ランナーが全速力でホームを踏んで追加点を挙げる。こうなると後は一方的なあかつきペースだった。

かつて黄金期に呼ばれていた「ラビットファイヤー打線」を彷彿とさせるような打撃が北海農業大学附属のピッチャーに襲い掛かる。

結局この回だけで百地の分析スコアを上回る5点をスコアボードに叩き込んだ。

「終わったかな」

不破はポツリと呟く。あの投手から残り3イニングで5点以上は無理だと判断していた。

「野球は何が起こるか分からんで?あいつのワンマンチームならアクシデントで降板してしまえば終わるのはあっちや」

「無理ですよ。亮太郎さんの高校時代でもあの投手を打つのは無理でしょ?」

「あのなぁ・・・。あの陣とか言う奴を当時の猪狩と岩井を比べるなや。

他にも出島学院の山野辺やうちの山口、法明館の獅童とかエエ投手はおったけど、あの二人は別格やで」

思わず亮太郎の口から溜め息が漏れる。亮太郎は確実に最強だった頃のあかつき大付属を知っている。

何度挑もうがその度に跳ね返された。一番惜しい試合でさえ、延長戦で力尽きている。

「あの時の猪狩と岩井を打てって言われたら堪らんけど、あの程度の投手なら甲子園を勝ち抜けば幾らでもおった。

猪狩世代はお前が知っている程甘くはないで」

しかし、この時亮太郎の声が掻き消される様に大歓声が響く。北海農業大附属はバッターが三振に取られたのだ。

また三振です!陣投手はここまで20のアウトのうち、実に18個も三振を奪っています!

「そう言えばパーフェクト・・・続行中ですよね?」

「ん?ああ、その通りや。流石に猪狩も岩井も甲子園で完全試合はした事無かったな」

それは予選なら完全試合があると言う事なのか、それともノーヒットノーランまでなら甲子園でやったのかどちらの意味かは判断しにくいと不破は思った。

その間にも21個目のアウトにファーストゴロが記録される。7回裏の攻撃を簡単に終わらせ再びグラウンドに散っていくあかつきナイン。

しかし、観客の興味は試合の結果より完全試合が達成されるかどうかに注がれていた。

8回表、空振り三振・ピッチャーフライ・空振り三振に仕留めて24個のアウトが刻まれた。その裏にあかつきは3点を加えて大きく引き離す。

そしていよいよ最終回を迎える。

『さあ、大変な事になってきました。完全試合と言えば前橋の松本稔と金沢の中野真博が記録しています。

更に奪三振数もここまで20個、後一つでPL学園の戸田善紀の記録に並びます』

観客のほとんどから三振コールが聞こえる。不破の周りだけがかっ飛ばせの声援を送っている。

だが、声援空しく見逃し三振に終わりタイ記録に並ばれた。3回目の打席に立った8番バッターはショートへのゴロ。

観客はハラハラしながら打球がファーストミットに納まるまでを見守る。

最後のバッターになりうる9番の選手には「あと一人」と「三振新記録」の大合唱が相手投手とは別に襲い掛かる。

「ミスター不破、今のユーの心境を当ててみましょうか?ズバリ、自分が打席に立っていたら・・・。と思っているネ」

隣でクロードが話し掛けるが不破の耳には届かない。既に完全試合&奪三振新記録達成と言う屈辱この上ない敗北だけは避けて欲しいと祈っている。


ストライク、ツー


あっという間に追い込まれる。陣は深呼吸するとキャッチャーのサインに頷く。

大きく振りかぶり、左腕から放たれた直球はピンク色の縫い目を見せてキャッチャーミットに収まった。

し、試合終了〜〜!完全試合と奪三振新記録達成のダブル快挙を達成し、

観客そしてテレビで観戦しているお茶の間のみなさんに完全復活をアピールしました!!あかつき大付属は今日、この時より復活を遂げました。

それを導いたのは間違い無くエースで4番、キャプテンである陣投手を置いて他にいません!』









目の前で挨拶をした後、泣き崩れる後輩を僕は複雑そうに見ていた。同じ光景を僕自身が経験している。

2年前の夏、既に2年生エースとして活躍していた僕は甲子園一回戦に臨んだ。相手は岡山代表の宇喜多東高校。

大量得点でリードしていたが、途中からの大雨でリズムが狂った。

ストレートがコーナーに決まらず、甘くなった所を叩かれ、終わってみれば逆に大差で負けると言う敗北を喫した。

あの時、雨の中で僕は泣いていた。いや、雨が頬を伝ってそう見えたかもしれない。その瞬間、不破大助と言うピッチャーは一度死んだ。

3年生が抜けた新チーム結成後、変化球投手として生きる事を僕は決意した。

「ストレートには頼れない。いや、頼りたくない」

それが僕の出した答えだった。そしてリベンジとして挑んだ昨夏、悲願の道勢初優勝としてそれは叶った。

変化球投手として生きる事を決めたけど、それは逆に致命的な弱点を与えた。その弱点とは球質の軽さと球速の遅さだった。

小さい投手がプロでやって行くためにはそれは余りにも致命傷すぎた。

「あれから僕は努力をしていたか?」

帝王実業と入れ替わるようにして帰る母校の応援団を気に留める様子も無く、独語する。

「あれから僕は直球を鍛える努力をしていたか?」

自問自答しても答えは返ってこない。亮太郎さんに「次の試合も見るんか?」と言われてようやく自分が取り残されてる事に気付いた。

一礼してその場を立ち去っても考え続けた。

「鍛える努力はしなかった。それは自分に自信が無かったから、自分のストレートを信じる事が出来なくなったから」

つまり、僕は逃げていた。ストレートを痛打される事を嫌がって変化球に逃げたのだ。

少なくともあの負けた試合までは自分の球には自信を持っていたのに・・・。

視線をあかつき大付属のエースに移す。そして再び自分自身に問い掛ける。

「彼はどうだ?彼のストレート、変化球ともに彼は自信を持って投げていた。それが僕と彼の大きな違い・・・」

おそらく去年あかつきが出場していたらあの投手に投げ負けていただろう。僕はそれだけは自信を持って言い切れる。

全てのボールに自信が持てる彼と変化球にしか自信が持てない僕とでは器が違う。

「だったら、どうすればいい?彼のような投手になるにはどうすればいいんだ?」

答えは簡単だ。ストレートにも自信が持てる様になれば良いだけの話だった。僕は帰りに電車の中で球速アップの為のトレーニングを考えていた。




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