第20話
復活を期す男





厳かな雰囲気で開幕セレモニーが行われる。目の前での国家斉唱を複雑な気分で聞いている選手がいた。誰であろう、湊である。

「去年まではあっち側で見ていたのが今はこっちか・・・」

彼にとって並んでいる相手側の選手は約半分が顔なじみであり、知らない顔は近鉄からやって来た選手だ。

一方、オリックスの仰木監督も複雑な心境だった。彼の統合球団就任に際して思い浮かべた理想のオーダーは、

「1番にはセンターを守る谷が座り、2番はライトの村松、3番にサードの湊を置き、4番はパリーグナンバーワンショートの北嶋、5番に正捕手の金城が座る」

と言う他のパリーグ球団にも引けを取らない―――いや、それ以上の打線ができるはず・・・だった。

しかし、湊は夏場にオージーグループが新たに球団を作ると宣言すると、それに同調し早々と統合球団には所属しない事を発表した。

北嶋もシーズン終了後に悩んだ挙句、磯部と同じようにプロテクトから外して貰う道を選んだ。

ここに仰木監督のオーダーは崩壊した。クリーンアップを務めるはずの選手が2人も抜けたのだ、

慌てて外国人を補強したが、その内のガルシアがキャンプ中にケガをすると言う踏んだり蹴ったりの状態が続いた。

その間にも国家斉唱が終わり、両監督への花束贈呈も無事終了する。その後は両チームのオーダーの紹介だ。


静岡ウイングス先発オーダー

1番 セカンド   森坂
2番 ショート   クロード
3番 ライト    小金井
4番 サード    湊
5番 ファースト  斎藤
6番 キャッチャー 今井
7番 センター   亮太郎
8番 レフト    真坂
9番 指名打者   神野


オリックスバッファローズ先発オーダー

1番 レフト    村松
2番 セカンド   塩崎
3番 センター   谷
4番 キャッチャー 金城
5番 ファースト  北川
6番 サード    塩谷
7番 指名打者   ブランボー
8番 ライト    大西
9番 ショート   平野


「き、記者に話してたのと違う・・・」

このオーダーだと知った時、オリックスの新井コーチは憤慨した。

自分たちの所はともかく、ウイングスは記者発表時のオーダーをいじくっていたのだ。

記者に話すオーダーと開幕前日に提出するオーダーが違っていてもおかしくはない。更に相手の先発投手で新井コーチの怒りメーターは頂点に達した。

「ウイングス先発投手、山崎征四郎」

誰もが龍堂の悪ふざけと思った。去年、セリーグの最下位に沈んだ横浜の二軍にすら登板せずに解雇された投手を持ってきたのだから。

挑発もここまで来れば行き過ぎである。しかし、当のウイングス首脳陣は別の考え方をしていた。

「静岡に戻っての楽天戦に大卒の空閑と葉山を当てる。その為には開幕戦のオリックスで星野以外にもう一人、先発させなくてはならない」

一番良いのは星野が連投する事だ、だが、開幕からそんな投手不足を露呈するような真似は出来ない。

そこでキャンプでそこそこのアピールをし、オープン戦でも先発OKの許可が出ていた山崎に白羽の矢を立てたのだ。

山崎が初回から飛ばして途中でバテたとしても星野をスクランブルさせているし、池田や都、不破らもいるので何の心配もない。

だからこその開幕戦での起用だった。逆にウイングスもオリックスの開幕投手に腹を立てていた。

「何だよ!川越でもなく、ケビンでもJPでもなかったら普通、下井って思うのに・・・。誰だよ、こいつ!!

オリックスと交換したオーダー表の一番下に「石田」と書いてあった。犬家コーチを宥めながら理久津コーチは湊に尋ねる。

「湊、君は去年までオリックスにいた訳だが・・・。彼について知っているか?」

少し歯切れの悪そうに湊は答えた。

「知ってます。去年は主に先発と中継ぎの両方で起用されていた選手です。非常に微妙な奴でしたけど」

「微妙?」

湊が軽く頷いて話を続ける。

「能力は申し分ないんですけど、性格が・・・。元来から弱気になって行く性格みたいでして、打たれ出したら止まらないって言う投手でしたよ」

どんな投手なのか大体の見当がついて、そのままベンチ内での作戦会議は終了した。

「ナイスボール!」

ブルペンで最後の調整を行っている山崎を見ながら不破はキャンプで見たあの光景を思い出していた。

「この人は復活を信じている。かつての輝きを再び得る為に・・・」









その後、始球式を経てプレーボールの声が掛かった。一番の森坂が左打席に入るといきなり金城がボソボソと話し掛ける。

「ぬぅーやん左打ちぐぁさ?」

森坂が聞き取れたのは左打ちと言う単語ぐらいだ。何を言ったのか聞こうとしたら石田がサイドハンドから投げたボールがストライクゾーンを掠める。

「今、何て言ったんですか?」

森坂が尋ねても金城は返事をしない。消化不良の状態で二球目のスライダーを打たされてショートゴロに終わる。

次に打席に入るクロードにも同じように話し掛ける。

「返ーさるの甘んなぁー?」

「Waht!?」

クロードも金城に惑わされる形でサードフライ。しかし、小金井は既に森坂から「キャッチャーが変な言語で話し掛けてくる」と言うアドバイスを受けていた。

「無の境地、無の境地・・・」

呟く小金井にも委細構わず金城が囁く。

「ヤマトンチュなー、くんな考え無駄さねー」

小金井には打席中にずっと囁いていた。その甲斐あってか、ファーストゴロでスリーアウトを成立させる。

金城はアウトを確認してからマウンドを降りてくる石田の肩をポンと叩いた。

「何て言ってるか分からなかったか?」

守備に就く前に湊は小金井に問い質す。小金井は素直に頷くと、湊は小さく呟いた。

「だろうな。いつもの戦法って訳か」

1回裏のオリックスの攻撃が始まる前に山崎が投球練習を行う。

一球一球を確かめるように投げ終わり、ふとレフトスタンドを見ると自分を応援する横断幕がバサッと広げられた。

甦れ山崎!ノーヒッターまであと一人!

その横断幕に苦笑すると村松の方を向いた。

「都さん、あの横断幕ってもしかして・・・」

「さすがに有名ですものね。あの戦線離脱日の事件は・・・」

不破と都の隣では既に星野が投球練習を開始している。いつでも行けると言う準備態勢だ。

振りかぶって指からボールが離れるまでの間、山崎の脳裏にはここ2年の記憶が甦っていた。全ては2年前8月、対巨人戦での出来事だった。









『さあ、大変な事に横浜先発の山崎が8回を投げてヒットを一本も許していません。

このままですと去年の中日ドラゴンズの川上に続く35人目のノーヒットノーランを達成してしまいます』

実況が興奮するのも無理は無い。

球団が横浜ベイスターズに変わってからは初めて、大洋時代を合わせても島田源太郎・佐々木吉郎・鬼頭洋の三人しかいない。

あの平松政次でさえノーヒットノーランはした事の無い大記録なのだ。それに山崎が並ぼうとしている。

山崎は簡単に高橋由とペタジーニを打ち取ってツーアウトを奪う。打席には代打で起用された清原がいた。

あと一人コールがこだまする東京ドーム、1−2で迎えた4球目に事件が起こった。

ボールは大きくアウトコースに外れ、それと同時に山崎はマウンド上にうずくまった。

『ど、どうしたんでしょう山崎選手、肘を抑えるようにしています。あっ、今タンカが出てきました。一体、何が起きたのでしょうか』

心配するファンや実況者の願いも空しく山下監督は投手交代を告げた。医務室で診断を受けた山崎に下されたのは辛辣極まりなかった。

「変化球、特にシュートボールを過度に使用した為、肘・肩・手首に甚大なダメージ有り」

診断結果は今季絶望、しかも早急にメスを入れねば再起不可能になってしまう程に深刻なケガだった。その年のオフに行った手術自体は成功した。

しかし、そこから大変なのはリハビリである。元のピッチングが出来るようになるまでにはかなりの時間を要する。山崎の場合、それに一年を要した。

ようやく投球練習が始められるようになった頃、球団は非情な通告を彼に与えた。それは戦力外追放。

新しく監督に就任する牛島の構想外になってしまったのだ。路頭に迷うとしていた山崎を救ったのは政明であった。

「新球団のウイングスで心機一転やってみないか?」

それが政明が山崎を誘った言葉だ。しかし、山崎はこれを辞退した。

「二軍での登板機会すらなかった自分がどのツラ下げて入団出来ると言うのだ。それが例え新規参入の球団であろうとも」

それが山崎の言い分だった。政明は次に条件を付けて彼と交渉する。

「もうすぐうちは極秘でトライアウトを行う。そこで君自身が満足できる結果を残せたら入団をOKしてくれるね?」

その条件を山崎は飲んだ。不破と森坂が見たのはこの時の山崎である。合格を勝ち取った山崎は晴れてウイングスに入団を果たした。









ストライーク、バッターアウト!


レフトスタンドの横断幕が、

2年越しのノーヒットノーランおめでとう

に変わった。山崎はそれを見ながら怪我をしたあの試合、苦しかったリハビリ生活を思い出す。

だが、それも束の間で終わらせると次のバッターに集中した。そして三人で攻撃を終わらせてベンチに戻る。2回表のウイングスの攻撃は湊からだ。

「4番サードベースマン、タイチーミナトォー ナンバーワン」

途端にライトスタンドから大ブーイングが起こる。

イチローの後継者と呼ばれ、自身もオリックスファンだった湊が敵チームのユニフォームを着て相対する事がファンにとっては信じられなかった。

そしてそれは“裏切り者”と言う形に変わっていた。

「うぬぅもフラーな事いちゅんど。あぬままうちにおれば良かったさに」

「相変わらずの琉球語だな。初見の奴に対しては有効かも知れないが、7年も聞いてるとな」

金城は無言でサインを出す。投げたのはアウトコースのカーブ、去年までの湊を考えると確実に振って来るコースとボールだった。


ボール


これに驚いたのは金城と石田の方だ。これを振らせて打ち取る、もしくはストライクを稼ぐと言う目算が泡と消えたので少し焦っているように見える。

更に言えば湊にとって手の内は全て分かっていた。去年まで味方だった投手と敵だった捕手のバッテリーだ。

リードを読む事に関しては今まで通りだし、持ち球も完全に分かっている。

「早くも投げる球が無くなったな・・・」

金城はそう考えるとタイムを取ってマウンドに向かった。

「どうする?」

金城の問いに石田が言いよどむ。クサイ所を突いて歩かせるのもヒットを打たれて塁に出るのも大差は無い。記録にHと付くかどうかの違いである。

「だったら、本当は終盤用だったセカンドモード行くか?」

「分かりました」

石田が頷くので金城はキャッチャーポジションに戻る。審判に「お待たせしました」と告げるとマスクを装着し、サインを出す。

「雰囲気が変わった・・・」

湊は敏感にそれを感じ取る。それは去年まで味方としてプレイしていた時の石田ではなかった。




[PR]動画