第23話
蒼龍へのプレリュード





ウイングス選手寮


「あ〜っ、疲れたな〜〜」

風呂から上がった不破がタオルで髪を拭いていた。今日のデーゲーム、ソフトバンク戦で中継ぎとして登板し、チームの勝利に貢献している。

ふと玄関近くの選手が集まる広間に寮に住んでいる全員が集まっていた。

「ねぇ、何見てるの?」

「ああ、中日と横浜の開幕戦。中日は同じ東海地区だしさ」

答えが返ってきて不破は自分も見たくなったので食堂からセノビーと牛乳を持ってきて観戦する事にした。









ナゴヤドーム


「岩井さん、今年も打たせて下さいね。何たって今年は女性初のタイトル狙ってますから」

「俺だけじゃなくて川上さんや山本昌さんにも頼んでくれば?俺だけ打ってもしょうがないだろ」

これから戦う相手だと言うのに岩井と碧海がバッティングケージの後ろで話していた。

友光に関して打撃練習を行っている波城に聞く事があったので話をしようとしていたのだが、先に碧海に挨拶されてしまった形だ。

「まぁ、いいか。話す機会なら幾らでもある訳だし」

そう思って碧海の話に適当に相槌を打つ。途中で会話を切り上げるとベンチに戻って行く。

「んだぁ?敵情視察はもういいのかよ」

グラブを枕にし、雑誌を顔で隠していたがそれを取り戻ってきた岩井に声をかけた奴こそ岩井が波城に聞こうと思っていた選手だった。

「まぁな、監督と森コーチに話があるからこれで失礼する」

岩井は溜め息を吐きながら監督室に向かうが、その表情は「誰の為に聞こうとしてるのか分かってるのか?」的な表情だった。

そして両チームのオーダーが発表されると同時にドームに激震が走った。


横浜先発メンバー

1番 ライト    金城
2番 ショート   石井
3番 ファースト  佐伯
4番 センター   波城
5番 レフト    鈴木
6番 サード    村田
7番 ピッチャー  吉見
8番 キャッチャー 相川
9番 セカンド   碧海


中日先発メンバー

1番 セカンド   ジルベルト
2番 ショート   井端
3番 サード    立浪
4番 ファースト  ウッズ
5番 ライト    福留
6番 センター   アレックス
7番 ピッチャー  岩井
8番 キャッチャー 清水将
9番 レフト    英智


『これは驚きです。両チームが期せずしてピッチャーを7番に置いて来ました。この辺はいかがですか?解説の平松さん』

『あえて言うなら打線の繋がりを重視したって所でしょう。横浜はラストバッターの碧海から上位に繋ぐ作戦、

中日は7番がレフトの英智だと頼りないですから打撃がより上手い岩井を置いたと思いますよ』

その中でも意外なのは

「一番セカンド、ジルベルト 背番号38」

と言うコールだった。騒然とする観客席、横浜ベンチでも予想外な選手の名前に驚きを隠せない。

「おい、ジルベルトって誰だ?」

「選手名鑑にも載ってないぞ?」

「どうやら落合がキューバルートで獲得したらしい」

とか言った声が聞こえていた。全員が一番セカンドは荒木とコールされる物とばかり思っていた。

何せ荒木は去年セリーグを制したドラゴンズ不動の一番打者だったからだ。

「ドイツモコイツモ私ガ起用サレル事ヲ不思議ニ思イヤガッテ・・・」

「ダガ、試合デ証明シテヤル。ソウ、言イタインダロ?ジル」

「フッ、ソノ通リダヨ。ウォーレン」

ジルベルトは通訳であるウォーレンとともに電光掲示板に映し出された自分の名前を見つめていた。

「マジかよ、落合監督も思い切った事すんなぁ」

「相手の監督が因縁の人ならなおさら負けたくないって事なのか?」

驚いてるのはウイングス寮でテレビ観戦してる彼らも同じだった。いつのまにか最前列に陣取っていた不破を誰かがいきなり押しのけた。

「ちょ・・・この人、キューバのジルベルト・サーペンスじゃないですか!」

押しのけた張本人であるクロードがテレビに食い入るように見ていた。

周りの顔のほとんどが「何、知っているのか雷電」になっている。代表して不破がクロードに尋ねた。

「知っているのか?雷で・・・じゃなかった、クロード」

「YES、ミーが去年アテネオリンピックは出たコトは知ってますネ?」

全員が頷く。以前の自己紹介で当の本人が言っていた事だった。

「ジャパン破った後のファイナルで対戦したキューバ代表。その中に彼の姿が有りました」

と言う事は中日は新たにキューバ代表の選手を補強していた事になる。

「しかもうちのエースだったグスタフさんを完膚なきまでに粉砕したのも彼でした。

そして付いた通り名が“ブラックマーダー・イン・キューバ” まさしくキューバの黒き殺人鬼デス」

世の中には凄くイメージの悪いあだ名もあったものだと感心している不破だった。









「しかし、監督。ジルベルトは良い掘り出し物になりましたね」

「当然だな。これも去年まで在籍してくれたリナレスのおかげだ」

試合が始まり、岩井の投球を頭の片隅に置きながら落合と森コーチが話していた。話題はもちろんセカンドを守るジルベルトの事に他ならない。

「リナレスから良い選手がいると聞いてお前を派遣したんだが・・・まさかオリンピック代表が加わってくれるとはな。これで今年は昨年以上に楽に戦えるぞ」

そうこうする内に岩井が三人で終わらせて戻ってきた。そしていきなりジルベルトに打席がやってくる。

相手投手はハマの左腕エース吉見祐治だ。右打席に入ると足を地上から浮かせた。

「極端な神主打法だな」

「所詮、こけおどしです。吉見さん、最初はインハイで行きましょう」

相川のサインに頷いて吉見がストレートを投げた後だった。ジルベルトの下半身が通常と逆の回転をし始める。

足から膝、膝から腰そして肩、腕と伝わった回転は物凄い勢いを生むとボールを捉えた。それはうねり打法と呼ばれる打ち方だった。

カキーンと打球音がしたのと吉見が「ぐわっ」と叫んで地面にへたり込んだのはほぼ同時だった。

誰もが一瞬、何が起きたのか分からなかった。ただ、吉見が倒れ打球が転がってるのが分かるだけだった。

その転々と内野グランドを転がる打球を慌てて村田が拾って送球しようとするが、それも間に合わないスピードでジルベルトは一塁を駆け抜けた。

痛ってぇ〜〜〜

それよりも心配なのは吉見の方である。その吉見を心配して横浜の選手がベンチを飛び出して駆け寄る。

ジルベルトは対岸の火事を決め込み、そ知らぬ振りをしながらタンカで運ばれる吉見を見ていた。

『あの時一体何が起きたんでしょう。解説の平松さんと一緒にVTRを見たいと思います』

テレビ画面は吉見の投げた一球目がスローモーションで映し出された。ボールを投げる吉見、それをジャストミートするジルベルト。

『あ〜〜、どうやらジルベルトの打球が吉見の左肩を直撃してます』

『これは痛いはずですよ。下手したら脱臼してるかもしれませんね』

画面が切り替わってタンカで運ばれる吉見の姿になる。テレビ越しをに見ていた不破達の中で一人だけ、クロードが画面を直視できずにいた。

「あの時と同じだ・・・。あの時と・・・

「何があの時と同じなんだ?」

クロードの声が震えてるのを察知したが不破がまた尋ねる。

本大会予選での対ジャパン戦、そして決勝のオーストラリア戦と一緒なんデス!

その声に全員が色めき立った。

「もしかして・・・あの試合で松坂に打球当てたんは・・・」

「ミスター亮太郎の思っている通り、ジルベルトデス。決勝でもグスタフさんに打球を当てて本来の力を出させないようにしてました。

しかもそれだけでは飽きたらず、打席が回って来る度にミーのチームから怪我人を出させたとんでもない奴デス」

予選で松坂に打球を当て、降板させたのはあのジルベルトだと言うのだ。しかもそれだけに留まらず、決勝ではグスタフにも打球を当てている。

見る人が見れば常習犯だと思われかねない。ただ、ジルベルト唯一の誤算は松坂の後に友光と言う負けず劣らずの投手が出現した事だった。

逆に返り討ちに遭い、オリンピックにおけるキューバの野球歴史で初めて対ジャパン戦黒星を献上する結果になってしまった。

「ジルベルトは故意打球で相手を退場させるのを最も得意とするバッターデス。あのミスター吉見には同情しマス」

クロードの声がやけに空しく聞こえていた。









あの野郎、また打球当てやがった!

ピッチャーのいなくなったマウンドで相川が興奮していた。彼もまたアテネ組である。

「二度も日本の選手に当てるとは・・・許せん!

「何言ッテルノカ全ク分カラナイガ、勝負事デ泣キ言ヲ言ッタラ終ワリダゾ?」

本当は相川の言ってる日本語の意味が分かっていた。分かっていてあえて知らない振りで通そうとしたジルベルトにファーストを守っていた佐伯が掴み掛かる。

ジルベルトもそれに応じる構えだ。

まずいぞ、誰かジルベルトを止めろ!

落合が言うより早くベンチを飛び出した選手がいた。開幕セレモニーすら面倒臭いと言って出なかった友光である。

ヒャッホゥ、久々のケンカだ。たっぷり暴れてやるぜ!

中日にとって出た目が最悪だった。友光は争い事を仲裁する訳ないし、むしろ火に油を注ぐタイプだ。

「オッサンが監督になってから乱闘が一度も無くてよぉ、こっちは退屈してたんだよ」

友光はファーストベースに到着するとジルベルトと佐伯の間に割って入る。奇妙な光景が生まれていた。オリンピックで敵同士であり、

なおかつジルベルトが負傷させた松坂に代わってキューバ打線を沈黙させた投手が負傷させた張本人であるバッターの隣り合うように並んでいた。

「そこの背番号10、名前は知らないけど俺はブラックホッシーとか言う雑魚よりは強いと思うぜ?」

友光が左ストレートを繰り出した瞬間、友光の体が沈み込む。よく見るとみぞおちに綺麗にボールが当たっていた。

「自分の登板した試合ならいざ知らず、人の試合をぶち壊しにする真似だけはやってはいけないと思うよ?」

中日のベンチから出てきたのは岩井だった。みぞおちに手刀を食らっても友光は佐伯に殴りかかろうとする。

「そう言う事は他所でやってくれ。ここは野球をする所であってケンカをする所ではない、分かってるのか?」

今度は腕を直接掴んで押さえつける。意外にある握力に阻まれて友光はどうする事もできない。

「ホラ、ワザとだろうと何だろうと選手が一人君のせいで退場したんだからそれなりの態度があるだろう」

岩井は暗に謝れとジルベルトに言ってその場を取り繕う。

「佐伯さんも大人ですから分かりますよね?俺の言ってる意味が」

友光を引きずりながら戻る岩井に佐伯は小さく頷いた。ファーストベースに残ったジルベルトが呟く。

「温室育チノハポンガ・・・。オ前ハ考エタ事ガアルノカ?自分達ヨリ劣悪ナ環境デ野球ヲヤッテル人間ノ事ヲ・・・」

プレイは再開されるが一触即発のムードが漂っていた。気を取り直して落合がサインを出す。それが三塁のコーチを経由してジルベルトに伝わる。

「スチールカ、何球目ニ走ロウト構ワナインダナ?」

そう言った目付きでベンチを見ると落合は小さく頷き返す。ヘルメットを深く被り直して隙を伺う。

因みに退場した吉見に代わって土肥がマウンドに上がっている。

ジルベルト、今度はいきなりスチールを仕掛けてきた〜〜

バッテリーもいきなり走ってくるとは思わなかった。いや、それ以前にデータがあまり無いのだから足が速いのかすら分からない。

ともかく急いで二塁に送球する相川。一連の行動をセンターで見ていた波城は言い知れぬ悪寒が背中に走るのを覚えた。

「キューバの黒き殺人鬼・・・、打球を投手に当てる・・・、すかさず盗塁・・・」

波城の中で点と点が結び付いて線になった時、彼は大声で叫んでいた。

「碧海避けろ!そいつの狙いは盗塁じゃない、お前だ!!」

彼の声は観衆の声援でかき消される。碧海に聞こえない事を悟ると猛然とセカンドへダッシュを始めていた。




[PR]動画