第24話
浜星へのレクイエム





「戦場ニ立ツ以上ハ女モ子供モ関係無イ。邪魔スルモノハ・・・全テ消ス!

相川の送球したボールが二塁ベースカバーに入った碧海のグラブに収まる。タイミング的には完全にアウトだ。

ジルベルトはそのタイミングにもかかわらずスライディングを試みる。ただし、ベースではなく碧海の両足を狙っていた。

「石井さん、フォローに回って下さい。早く!

センターから走ってくる波城を見て驚いた石井だったが、その声に反応して急いでセカンドに向かう。

その間にもジルベルトのスパイクが碧海の両足を破壊するべく迫る。しかし、二人は間に合う事は無かった。

到着するより早く、ジルベルトのスパイクが碧海の左足のふくらはぎを抉った。

ふあっ!

衝撃の余り悲鳴をあげて倒れる。グラブからボールがこぼれるが、ジルベルトはそれを審判に気づかないようにセンター方向に蹴ると、

躊躇する事無くベースを回ってサードに向かう。この一連の行動が余りに巧妙すぎるので審判は騙され、守備妨害と通告する事が出来なかった。

「あの野郎・・・一度ならず二度までもやりやがって!もう勘弁ならねぇ

波城はボールを拾うとサードに送球する。村田のグラブに収まるストライク送球でジルベルトをタッチアウトにした。

サードでのアウト宣告を受けたジルベルトは不思議そうにセンターの波城を見ていたが、横浜の選手が殺気立ってるのを感じてベンチに戻った。

今度も謝る様子は無い。それを見た波城が走ってジルベルトに詰め寄ろうとするが、それを石井が押し留めた。

「止めろ、相手の挑発だと言うのが分からないのか?」

「これ以上黙っていられるか。こっちは吉見と碧海がケガしたんだぞ!

それよりもするべき事があるだろうが!

石井が向けた視線の先にはふくらはぎを抑えて必死に痛みをこらえる碧海の姿があった。

「大丈夫か?」

「うん、何とか・・・」

立ち上がろうとするが、激痛が走って上手く立つ事が出来ない。慌てて抱き止めた波城に石井が言う。

「そのままベンチに連れて行ってやれ」

波城は頷くと碧海に肩を貸してベンチに下げ、医務室まで同行した後グラウンドに戻った。

その頃にはアナウンスで治療の為に試合を中断してる事を会場に告げていた。マウンドには外野手も含めた全員が碧海が戻って来る事を望んでいる。









「大丈夫なのか?」

「場所が足だけに何とも言えないだろうな」

グランドでそんな会話がされている一方で医務室では牛島監督がやって来て試合続行可能の有無を聞こうとしていた。

「やれるか?」

「エヘヘ、大丈夫ですって!やれますやれます」

ベッドの上で元気に答えるが、笑顔が明らかに引きつっている。無理して笑っているのがバレバレだった。

怪我した箇所には包帯が巻かれていたがそれでも血が滲んで赤くなっている。そして医者が決定的な一言を言う。

監督、無理に決まってるでしょ!スパイクで足をやられてるんですよ?長いシーズン考えれば重症になる前に交代させて下さい」

医者の助言を聞き入れて交代を告げようと医務室を出ようとしたらベッドから飛び降りて碧海が追いかけて行く。

後ろで医者が何事か言っていたが、今の碧海には聞こえない。

ちょっと監督待って下さい!代えないで下さい!

ひょこひょこと左足を引き摺りながら付いて来る碧海を見て牛島は立ち止まる。

「しかしなぁ・・・そのケガではどうにもならんだろ。更に言えばお前の守備位置はセカンドだ。

捕れる打球も捕れなくなるのではみんなに迷惑をかける事になる」

碧海は黙ったまま反論しようとしない。なおも牛島は言葉を続ける。

「本当は今年からお前をトップで使うつもりだった。今日こそラストを打ってるが今後は一番で使いたい。

そんなお前がここで長期に渡って抜けられたら困るんだ。傷が浅い内に治して、早く戻って来て欲しい」

「・・・分かりました。でも、ベンチでみんなを応援する事ぐらいは許してくれますよね?」

涙目になりながら搾り出した言葉に牛島は首を縦に振らざるを得なかった。ベンチに戻ると碧海を最前列に置き、主審に交代を告げる。

「横浜ベイスターズ選手の交代をお知らせします。セカンドの碧海に代わって内川が入ります。9番セカンド内川、背番号2」

『やはり試合続行は不可能でしたか。総合的に見れば内川より上だけに碧海が抜けると横浜に不利に働くと思われますが?』

『その通りですね。岩井は変化球投手なので一発長打のスラッガーである内川よりミートしていく碧海の方が嫌だと思ってたはずですよ』

平松の言ってた事はズバリ当たっていた。試合後のインタビューで岩井は「最後のバッターが碧海のままだったらまだ分からなかった」と答えている。









この後、土肥が井端をランナーで出すとたちまちの内に3連打を浴びて3点を失った。しかし、横浜の選手の士気は高い。

吉見と碧海の敵討ちだと言わんばかりの雰囲気を漂わせている。その中から4番の波城がバッターボックスに向かう。

『敵地と言うのにこの大歓声。ミサイルの異名を取る波城が岩井を打つべく闘志を滾らせています』

普通に構えたバットが上下に揺れる。まるで波を打っているかのように大きく動く。これが波城の“ハイウェーブ”打法である。

「ここが重要だな。ここで打たれるとベイスターズを勢いに乗せてしまう恐れがある」

それだけは避けようと岩井は清水にサインを出す。

「あの球はオープン戦でも上手く行ってなかったと言うのに使うつもりか?」

「しょうがありません。初球から厳しく行かないと打たれます」

岩井の左足が浮いて右手からボールが放たれる。そのボールの軌道は波城にとってよく知ってるものだった。

スピンカーブか!

しかしボールは右投手のカーブの方向ではなく、右バッターの波城に食い込むように変化して行った。審判がストライクとコールすると波城は岩井の方を見た。

「スピンカーブじゃなかったのか?だとしたら次は何を投げてくるんだ」

2球目は高めに投げたストレート、思わずバットが出たがストライクゾーンを外したボールだと分かり、波城はバットを止めた。

塁審!

清水が一塁の審判にアピールする。バットは止まったがスイングしたと言う判断が下り、その右手が上がる。

最後はスピンカーブで三振〜〜。同じ猪狩世代の波城を3球で仕留めました』

佐伯と村田を内野ゴロに抑えて岩井はマウンドを降りる。その後、試合はお互い得点が入らないまま5回の波城の第二打席を迎えた。

「今度はこれで行きましょう」

サインの交換が終わって投げた初球はアウトローへのスライダー。波城はおっつけて右方向へ打つ。打球はファーストを守るウッズの頭上を越えて行く。

二塁打コースや!

ネクストバッターの佐伯が喜ぶ。しかし、この打球にいち早く反応した選手がいた。そう、セカンドのジルベルトだ。

彼はあらかじめファースト方向を守っていたのか、それとも打球を見てから反応したのか定かではないが、

明らかにヒットになると思われた打球を鮮やかにキャッチしてのけた。

ジルベルトは打つだけではありません!守備でも超一級品の動きを見せます

『今更ですが荒木をレフトに回せばかなりの威力になると思いますよ』

マウンドで岩井はジルベルトが捕球したボールを受け取ると、

「ナイスキャッチ、ジル」

と言って帽子を脱いで感謝した。そしてスコアボードを見てある事に気づいた。

「パーフェクト・・・か」

その事に気づいているのは現段階ではおそらく岩井だけだろう。他にいるとすれば初回を抑えただけで「完全試合続行中」とか言う奴だけだ。

変に緊張せずに岩井は佐伯と村田を打ち取るといつものポーカーフェイスのままベンチに戻った。









打った〜〜大きい!・・・入ったぁ〜〜!!岩井が自らの援護になる一撃をレフトスタンドに叩き込みました』

6回裏に岩井がツーランホームランを放って5−0と引き離す。たまらず牛島監督は土肥に代えて加藤を送り込む。

7回のトップからの打順も三者凡退に抑えると流石にベンチやスタンドが騒がしくなる。

岩井、パーフェクトだぞパーフェクト!

「そうなんですか?気づきませんでしたね」

白々しく言って場を和ませるが友光は面白くない顔をしてる。

「さっさと打たれちまえよ。所詮は過去の栄光にすがる先人達の二番煎じなんだからな」

自分ならもっと凄い記録で達成してやると言わんばかりに吐き捨てるとベンチからロッカールームに下がった。

もう試合を観戦する気も無くしたのだろう、ロッカーのゴミ箱を蹴っ飛ばして憂さ晴らしをする。

続く8回に落合が動いた。ファーストをウッズから渡邉に、サードを立浪から川相に代えて守備固めを行う。

岩井はそれすら必要としないようなピッチングで抑えにかかり、波城も期待に応える事が出来ない。そして遂に最終回の横浜の攻撃になってしまった。

「7番ピッチャー加藤に代わりましてピンチヒッター種田、背番号3」

牛島は完全試合を阻止せんと代打攻勢をかけるつもりだろう。まずはクセ者として相手に嫌がられる種田がその一番手だ。

「こう言うバッターは難しい球を打つが総じて上手い。岩井、ストレートで押すぞ」

清水の指示に従い、岩井は全球ストレートを投げる。

種田4球目を打ち上げた〜〜。平凡なセンターフライをアレックスがキャッチしてワンアウト、完全試合まで後二人!

「キャッチャー相川に代わりましてピンチヒッター田中一徳、背番号9」

二番手は田中一、足の速さだけなら横浜一を誇る。

「足が速いとなると考えられる出塁法は唯一つ・・・」

スピンカーブを3球続けた〜〜。セーフティバントを狙った田中のバットが空を切った〜〜

ここまで来ても岩井は無表情を貫いている。いよいよ後一人と迫って牛島は碧海を下げた事を後悔していた。

彼女の意見を容れて無理させてでもグランドに送り出すべきだったのだろうかと思っていた。

「碧海なら何とか出来たかもしれない。ライン上に打球を狙って落とせる彼女なら・・・」

しかし、今更後悔しても遅い。牛島は最後の望みをかけて代打を告げた。

「バッター内川に代わりましてピンチヒッター坂本、背番号06」

坂本は中日の羽鳥や鈴村と同じ年にドラフトで横浜に入団した選手だった。

『ベイスターズ27人目のバッターに坂本を起用してきました。石井の後のショートを継ぐのは彼だと言われていますので牛島監督も期待しているのでしょう』

坂本がコールされてベンチを出ようとすると碧海が呼び止めた。

「私の代わりに打ってきてね」

「わーってるって、これでもこの先お前と1,2番組む俺だぜ?打って波城さんまで繋げば試合も分かんないっつの!」

左打席に入るとおもむろにバットを頭上にかざしてクルクル回した。

『平松さんにとって天秤打法は懐かしいんじゃないですか?』

『そうですね、同僚に近藤和彦がいましたしね。あの人はインパクトの瞬間に全てを集中させるのであの打法でも打てたんです。

彼がその衣鉢も継いでいるはずと期待しましょう』

「天秤打法か、最後の最後で歌舞いてくれるな・・・」

岩井は苦笑とも微笑とも分からない表情を一瞬だけ浮かべてボールを握り直す。清水からはカーブのサインが出ている。

『坂本、初球から振って行った〜』

打球はバックネット方向に飛んで行き、そのままスタンドに入る。

「タイミングが合ってるな。次はスピンカーブを引っ掛けさせるぞ」

だが、坂本はこれもカットする。次のスライダーも、シュートも、ストレートも前に飛ばせないながらもカットしていく。

カウントこそ2−2の並行カウントだが、球数は10球を数えていた。

『こ、これもファールです。坂本が粘り続けています、まるでベイスターズ全員の意思が乗り移ってるかのようにファールで粘っています』

余りにもファールで粘るので溜まりかねた清水がタイムを取ってマウンドに行く。

「どうする?ミラージュスピンで抑えるか、それとも・・・」

おもむろに岩井を見た清水だったが、ベンチでも見せた事のない笑顔に驚いた。

実際投げる球は無くなってカウントで追い込んでも精神的に追い込まれてるのはバッテリーなのだからその笑顔の意味が分からなかった。

「こんなに俺が追い込まれた勝負なんてプロ入って7年間有りませんでしたよ。さすがパーフェクトが掛かる打席は違いますね」

「おいおい・・・こんな状況で笑うなよ。唯でさえお前は無表情なんだから」

清水の忠告などどこ吹く風で岩井が言う。

「好きに投げさせて下さい。こんなのって滅多に出来るもんじゃないでしょ?」

ホームベースにまで清水を戻すと岩井はロージンパックを手に取った。

「こんなに追い込まれたのは・・・一年のセンバツ2回戦で対戦した和泉中央戦以来か」

呟いて空の見えないナゴヤドームの天井を見ながら大声で叫んだ。

よしっ!みんな、打たせるぞ。打球処理は頼む」

その声で緊張していたジルベルト以外のフィールドプレイヤーの緊張が解れ、返事が飛ぶ。

帽子のひさしを深く被り直して坂本を見据えた。

「あの時みたいにキャッチャーミットだけ見て思い切り投げるか」

いつもは振りかぶらない岩井が大きく振りかぶった。坂本がギョッとしたが思い直してボールが来るのを待った。


ストライーク!バッターアウト


岩井が最後に投げた渾身のストレートに坂本のバットが遂に空を切った。ウイニングボールを高々と上げて清水が寄って来る。

かつて槙原の完全試合を経験した川相も、ショートの井端、ファーストの渡邉、少し遅れて外野の福留、アレックス、英智もマウンドにやってくる。

一人だけジルベルトがその輪に入ろうとしていなかった。

「タカガ146分ノ1ヲ勝ッタグライデ喜ブナ。シーズンハコレカラダロウガ」









放送席、放送席〜。今日のヒーローはもちろんこの人、槙原投手以来史上15人目の完全試合を達成した岩井投手と

その記録をリードと言う面でお膳立てした清水捕手に来て頂きました』

清水は自分がここにいる理由が分からなかった。岩井が「清水さんも7割は関係してます」と言って無理やり連れてきたのだ。

インタビュアーのおめでとうございますの挨拶に岩井がライトスタンドを向いて答えた。

「清水さんのおかげです!」

中継を見終わったウイングスの寮でも岩井の完全試合の話で持ちきりだった。亮太郎なんかは高校時代に岩井と対戦した時の話を他の選手に語っていた。

土日のソフトバンク戦を戦い、2勝1敗の勝ち越しで終えるとウイングスは千葉へと向かった。

そこではボビー・バレンタイン監督が率いるマリーンズが手ぐすね引いて待っていた。




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