第27話
戦慄は再び悪夢を呼ぶ





5月6日交流戦開幕日


「ここが草薙か・・・。ハッ、かつての名勝負の地も今やウイングスの本拠地か」

いつものように不満げに吐き捨てて球場へ入っていく友光。傍らには彼の捕手を務める鈴村がいる。

「そういや、パのホームゲームだからルールは基本上あいつらに従うのか?」

無言で首を縦に振る鈴村を一瞥し、アイマスクを被る。

「こっちに合わせろよ。後で文句言って来ても俺様は知らんからな」

言うだけ言って眠りに就く。目の前で練習しているウイングスの選手なぞ眼中に入らない態度で眠りこけていた。









「空閑、もうちょっと前で投げてきてくれ」

湊は招くように空閑を更に5メートル前進させる。手には通常の倍はあろうかと言う重さのマスコットバットが握られている。

「こんなに前だと腕の角度や振りも違いますよ。逆効果じゃないんですか?」

湊は数日前からウイングス交流戦の最初の相手であるドラゴンズ、それも友光を想定した打撃練習を行っていた。

空閑を仮想友光に使っているのは直球が一番速いからに他ならない。

「いいから投げてくれ。俺が奴を打たないと始まらないんだ、何も・・・」

そう、何も始まらなかった。


中日ドラゴンズ先発オーダー

1番 セカンド   ジルベルト
2番 ショート   井端
3番 レフト    立浪
4番 ファースト  ウッズ
5番 ライト    福留
6番 センター   アレックス
7番 指名打者   谷繁
8番 サード    森野
9番 キャッチャー 鈴村
先発 ピッチャー  友光


静岡ウイングス先発オーダー

1番 センター   亮太郎
2番 ショート   クロード
3番 ライト    小金井
4番 サード    湊
5番 ファースト  斎藤
6番 キャッチャー 今井
7番 セカンド   森坂
8番 指名打者   真坂
9番 レフト    遠藤
先発 ピッチャー  空閑


初回の攻撃、ドラゴンズはあの男がトップバッターとして君臨している。

そう、開幕戦で吉見と碧海を負傷退場させた“キューバの黒き殺人鬼”ことジルベルトだ。あの試合以来、他のセリーグのチームは震え上がった。

落合の指示の有無関係無しに選手を潰して来るジルベルトを避けようと策を練ろうとしても良い案が思い浮かばない。だが、問題はすぐ解決した。

開幕3連戦明けた次のヤクルト戦、彼は神宮にいなかったのだ。彼が中日と契約するに当たり、交わした条件がヤクルトの選手を救ったのだ。それは、

「ホームゲーム及び東海地区、関西地区所属の球場での試合のみ出場可」

と言う物だった。すなわち、ナゴヤドームでの試合は当然出場。 他に豊橋や浜松、岐阜と言った東海圏と大阪ドーム、スカイマークに阪神甲子園まではOKだが、

福井や富山、東京圏や兵庫以西の球場での試合には出る事は無い。これには理由がある。キューバのシーズンは極端に短く、試合数もそんなに無い。

つまり、短期決戦の調整法しか知らないのだ。あの英雄とまで言われたリナレスでさえそうであり、日本のシーズンをフルに戦う事は無かった。

そのリナレスが昨年、終盤から日本シリーズにかけて活躍したのは顕著な例と言える。

その日本には到底合わない調整法を逆に利用したのがジルベルトである。

普段は名古屋に留まって調整し、その近辺で行われる試合にだけ出場する事で彼自身の野球バイオリズムを狂わせないようにしていたのだ。

無論、その少ない試合数を補って余りあるだけの活躍をするのだから誰も文句は言わない。

『ウイングスいきなり要注意のバッターを迎えました。

横浜の吉見と碧海以外にも小久保や佐々木と言った選手を怪我させる原因を作った男ですから非常に危険です』

足場を慣らして空閑を睨む。対する空閑も眼鏡越しに睨み返す。

「ベンチカラハ二人マデナラ壊シテ良イトノ話ダッタナ」

空閑は振りかぶって初球を投じる。落差の大きいカーブをジルベルトは見送る。

「おかしいな、空閑を壊すつもりならカーブは打ち返すのに絶好の球だと思って投げさせたんだが・・・」

今井も空閑を退場させる為にカーブを投げた訳ではない。空閑本人からの指示で要求したのだ。

「あいつもピッチャー返し封じがあるって言ったけど大丈夫かなぁ・・・」

心の中で思いつつもサインを出す。同じくカーブのサインに空閑が頷く。

『いやいや、バッテリーはカーブを続けてきました。ジルベルトの恐さを知らないとは思えませんが・・・』

この配球に迷惑してるのは逆にジルベルトの方だった。

「内角ニ来ルカーブヲ打チニ行クトドウシテモピッチャーノ方向デハナク、三遊間ニ行ッテシマウ。

カト言ッテ外角ダト逆ラワズニ流シテシマウ。ドウスルカ・・・」

ジルベルトがピッチャー返しで相手を破壊するには何の変化もせず、強く打球を弾き返せるストレートが一番都合がいい。

無論、変化球でもやれない事は無いがその時は威力が数段落ちてしまうので基本的にピッチャー返しを狙う時はストレートが多かった。

ツーストライクと追い込まれ、3球目に早くも勝負を就けに来た空閑はまたしてもカーブを投げ込む。

ストライクゾーンに入っているのでジルベルトとしては振りに行かなくてはならない。

「チッ、アノピッチャーヲ退場サセルノハ次ノ打席以降ニ取ッテオク。今ハ塁ニ出ナイト話ニナラナイカラナ」

うねり打法が変化に反応してボールを捉え、打球はライト前に落ちた。ヒットを打たれたにも拘らず空閑は満足気だった。

「ジルベルト封じ、まずは第一弾成功って所か」

開幕戦以降のジルベルトの投手破壊を見て、空閑が得たデータの一つとしてある球種の時だけ全くしてこない事があった。

その球こそがカーブだ。最初は空閑自身も疑問に思ったが、緩いカーブは球を捉えやすい。

捉えやすいからこそジルベルトはあえて狙わないんだとの予測を立てていた。(その予測は外れているが)だからこそあれほどカーブを続けたのだ。

『塁に出ても気が抜けないのがこのジルベルトの恐い所。開幕戦で選手とは言え女性を怪我させたのはまだ記憶に新しいです』

今度は空閑に代わってベースカバーに入る選手が恐怖に晒される。塁に出たら出たで危険と言うつくづく嫌な選手である。

ジルベルトに対して落合の仕掛けは早く、自由に走れのサインを送る。そして井端にも変化球、特にカーブなら積極的に打ちに行けのサインを出す。

その思惑通り、空閑はカーブを投げてきた。井端がライト方向へ流し、ジルベルトも投球の前には走り出していた。

打球を見たジルベルトが迷う事無くサードへ向かう。落合が狙うのはヒットエンドランでのチャンスの拡大。

そうはさせじと小金井が森坂に、森坂は湊に中継する。

「仕方ナイ、ココハアノ4番ニ退場シテモラウ事ニシヨウ」

碧海を狙った時のようにジルベルトはスパイクで湊を退場に追い込もうと目論んでいた。一方の湊も試合前からはらわたが煮えくり返っていた。

友光の速球対策で空閑をバッターボックスにより近い位置で投げさせていた時も表情には出さなかったが、かなり怒っていた。その理由は一つしかない。

「あの男、敵チームとは言え女性を故意に負傷退場させた。それも俺の後輩の碧海を・・・」

横浜の開幕戦の試合後に湊は波城の携帯に電話を掛けて碧海の容態を尋ねたが、返って来たのは飛んでもない言葉だった。

碧海はジルベルトに潰されたんだ!そうじゃなきゃあの一連の行動に理由が付かない!!

電話口に明らかに興奮していた波城から真実を聞いた湊はいつか意趣返しが出来る機会が来ると信じて交流戦を待った。

そして、待ち望んだシーンが来たのだ。

開幕戦の時と全く同じようにタイミングがセーフだろうがアウトだろうがジルベルトは両足を狙ってスライディングを敢行する。

「碧海が受けた痛み、それを思い知れ」

相手のスパイクをグラブで跳ね上げるとそのまま顔面にタッチに行く。ちょうど裏拳を見舞うようにグラブをモロにヒットさせる。

ジルベルトは潰しに行って反撃を受けるとは露とも思わず、アウトにされても呆然としていた。

「馬鹿ナ・・・。アウトセーフハコノ際ドウデモイイ、コンナ事ガアリ得ルノカ?ハポンガ私ノ真似事ヲスルナド考エラレン!

ベンチに戻ると友光が良い気味だと言わんばかりの表情でジルベルトを見ていた。

「あの野郎は見かけによらず熱い奴だからな。自業自得だぜ、ジル?」

くっくっと笑って友光はベンチを出る。

「まぁ、ジルにやらせなくてもこの俺様が屍の山を築いてやるよ。その最初となるのは・・・湊、お前だ。

お前がアイツを泣かせても寄せ集めにいるって言うなら俺様が殺してやる」

物騒極まりないセリフを吐いて友光は立浪とウッズが抑えられるのを黙って見ていた。

サードから一塁側ベンチに戻る湊と三塁側からマウンドに上って行く友光。

その光景は友光にしてみれば湊が自分に恐れをなして逃げていくように見え、痛快だった。

「俺様が生きてる限りお前に幸福は訪れねェ。あったとしてもすべてブチ壊して奪い取ってやる・・・」









マウンドに登り、審判に文句を言ってから投球練習を拒否する。

幸い、本審がセリーグの審判だった為に友光の暴言を日常茶飯事として感じてるので投げる前から退場と言う事態は回避された。

「雑魚達には俺様を引き立たせる為の生贄になってもらうぜ。何たって雑魚だ、代えは腐るほどいやがるんだろ?」

高笑いしながら上体が捻られる。友光のトルネードから繰り出された直球が轟音を響かせてミットに着弾する。

亮太郎もクロードも全く手が出ずに三振に終わった。簡単にツーアウトに追い込み、3番の小金井が打席に立つと友光は吐き捨てた。

「チッ、これじゃ張り合いもねェ。もう少し面白くするか」

そう言いながら振りかぶって投げたストレートは少し狂いも無く飛んでいく。ただし、小金井のヘルメットにだ。


バキャ!


何の音が響いたのかと思ったらヘルメットが壊れる音だった。

丈夫なはずのヘルメットが無残にも破壊されるほどの威力を頭部に受けて小金井が無事でいるはずが無い。

『こ、これは大変です。友光が小金井の頭部へボールをぶつけてしまいました』

色めき立ったウイングスベンチから声がする。それと同時にタンカも飛び出して行く。

審判、危険球だ!友光を危険球で退場にしろ!

マウンド上で不敵に笑っていた友光はその言葉を待っていた。マウンドを降りて一塁側に向かうと笑いながら言う。

「危険球で退場だァ?そんな事がよく言えるな。もし、ここがナゴヤドームだったらそうだろうよ。しかし、ここはどこだ?草薙はお前たちの本拠地だろ?

この試合はパリーグのルールに沿うんだろうが!パリーグには危険球退場なんてルールはないはずだがなァ」

「だが、今のは明らかに狙っていた。故意の危険球ならパリーグでも退場だ!」

言っているのは犬家コーチだ。監督の龍堂は友光を見ているだけで何もしていない。

「手が滑ったんだよ。こんな事になるならちゃんとロージンをつけてから投げるんだったぜ」

そんなセリフ、どの口が言うのだろうか。いけしゃあしゃあと反論して審判に尋ねる。

「で、今のはどっちなんだ?審判サンは俺様がワザとぶつけたと判断するのか?」

少し間があってから審判は答えた。

「いや、投球前にロージンをつけなかったと言うミスがあってもあのボールは事故だ。パリーグチームの主宰試合と言う事もあり、厳重注意に留める」

その答えにウイングスの選手やファンは納得しない。ファンはスタンドから物を投げ、選手たちは審判に詰め寄る。

普通、日頃の行いが悪い奴は巡り巡って自分自身に悪い事が起きる。しかし、この友光は違う。日頃の行いが悪すぎるのだ。

悪すぎて今回の事もいつもの事に過ぎないと思われてるのだ。その証拠に投球練習を拒否した時に吐いた暴言も御咎め無しの状況である。

なおも審判に食い下がるウイングスの選手やコーチを見て、友光は笑いが止まらなかった。

「ハハハッ、怒れ怒れ。そして俺様に向かって来い、全て返り討ちにしてるからさァ!そうでもしないとこの俺様が退屈して死んでしまう」

ジルベルトはそんな友光を見て呟いた。

「狂ッテル、コノ男ハ私以上ニ狂ッテイル・・・」

結局、審判の裁定は覆らなかった。渋々と各持ち場に戻ると龍堂は小金井の代走にハヤテを入れる。

「あいつを止められるのは湊、お前しかいない。頼むから打って、偉そうに踏ん反り返っているあいつの鼻を叩き折ってくれ」

その言葉には悲壮感しか漂っていなかった。




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