「やっぱりアイツは確信犯だ!小金井の頭部デッドボールは狙ったんだ」
また一塁側のウイングスベンチから選手が飛び出してくる。ついさっき友光が投げた球に過剰反応していた。
場面は7回の表にジルベルトの場外ホームランでドラゴンズが2点を先制していたシーンまで遡る。
「全ク・・・コイツト言イ、藤井ト言イドコマデ私ヲ舐メルツモリダ」
交流戦の前日、ヤクルトの藤井との打席で執拗なインコース攻めにあったジルベルトはあるボールがインハイに投げられたのを契機に藤井に詰め寄った。
「好イ加減別ノコースニ投ゲロ、コノ馬鹿ノ一ツ覚エガ!」
藤井の返事は両手の掌を広げて肩を竦めて見せる、Why?のポーズ。これで怒らない外国人はいないだろう。
例に漏れずジルベルトも怒ってマウンドに行こうとしたが寸前で思い止まる。なぜなら自分には別の方法での復讐が出来るからだ。
5分後、タンカで運ばれる藤井がいた。ジルベルトは次の球を藤井の顔面に器用に当てたのだ。二塁ベースでいつものように悦に入っている。
その藤井と同じ事を目の前の空閑がやっているから同じ気分になっていてもおかしくは無い。
「次来タラ、藤井ノ二ノ舞ニシテヤル・・・」
望み通り、インコースにボールが来た。喜んでバットを振るとボールに当たり、レフトに向かって高く舞い上がる。
「アレ?コンナハズジャ・・・」
伸びた打球に驚いたジルベルトは呆然とバッターボックスで立ち尽くした。だが、打球はあっさり場外に消えて行った。
ファーストにランナーがいた為の2ランホームラン。だが、ジルベルト自身納得が行かずに消化不良のままベースを回っていた。
「点も入った事だし、まちっと本気で投げてやるか」
逆にそれまで暴れ足りずに欲求不満気味に投げていた友光はこのホームランで息を吹き返す。彼は彼なりの真面目で投げる事を決めたのだ。
しかし、それが持ったのは僅か2分だった。代走として途中出場しているハヤテを三振に仕留めて気が変わったのだ。
「物足りん!おい鈴村、監督呼べ。監督呼んで守備の連中、全員ベンチに下がらせろ。
それが無理ならジルと井端を澤井と普久原に、サードには仲澤、ファーストは玉野、外野はレフトから井上、土谷、大友に変えるよう言え。
メンバーを控えクラスにしないと俺様が面白くない」
選手交代を促す為に監督を呼びつけると言う暴挙に出ようとした友光を止めようとする鈴村。
更に聞き入れて貰えないなら俺様は帰ると言い出す友光に困り果ててベンチを恨めしく見ていたら友光の方から却下を申し入れてきた。
「あーっ、ヤッパ止めとくわ。他に良い事思いついたし」
友光の言う良い事にはほとんどと言っていい程に良い事が無い。
そんな事分かりきってはいたがこれ以上の面倒事は無いだろうと過信し、キャッチャーのポジションに戻りミットを構えた。
ニコニコと気味悪いまでの笑顔を振り撒きながら友光は初球を湊に投げた。
それはインハイのストレートと鈴村は思っていたが、ボールは大きくそれて湊の顔面付近を通過して行くビーンボールになった。
「くっ!」
慌てて回避する湊にボールは当たらなかった。すると、友光が舌打ちして悔しがる。鈴村も湊も嫌な予感をその時覚えた。そしてそれはすぐ的中する。
「またか!」
湊はある程度の予想をしていたのか、今度は楽勝に躱した。だが、2球続けてのビーンボールに湊以外の選手がざわめき立つ。
そして3球目、またしても友光の投げた球はビーンボール。かくて冒頭の場面に戻るのだった。
「審判!今度こそ退場だ。3球続けてビーンボールを投げる野郎を野放しにするな」
「煩せェよ!あれ位プロなら避けて当然だろうが!当たって退場者が出ないよりマシと思え!」
既に退場者が出しているにも拘らず、そんなセリフを吐く友光。この言葉に反応して犬家コーチはベンチを飛び出して向かって行く。
監督の龍堂はと言うと、右往左往しててフォローにも行っていない。
「あのバカがまたケンカ吹っかけた。友光を取り押さえろ!あいつの暴走を止めれる岩井はいないから全員で行け!」
落合の指示とともにドラゴンズの選手も飛び出して行く。だが、一番早く飛び出した犬家コーチを止められる選手はいない。
犬家コーチは友光の前に立つと渾身の力を込めた右ストレートを放つ。誰もが簡単に友光が躱してカウンターを入れるのだと思った。
しかし、友光はその右ストレートをまともに喰らい、マウンドに腰から落ちる。
その瞬間、手を出した犬家は「しまった!」と思い、殴られた友光は「予定通り」と心の中で笑った。
「いくら俺様に非があったとしてもそっちが先に殴るのかよ!」
友光が途中で思いついた良い事とはこの事だった。相手を怒らせて手を出させ、退場に追い込むと言う悪意極まりない作戦だ。
最高の形としては湊が怒ってくれるのが良かったが、普段は冷静な湊なだけにある程度の誤差はこの際は容認していた。
「そりャ俺様は持たれてる印象は悪いかも知れないさ。でも危険球とビーンボールだけで決め付けるっておかしくないか?
雨の日にずぶ濡れの子犬がいたら誰だって傘を与えるだろ?俺様がそんな事しているなんて知らないくせによォ!」
論点をずらしている上にやった事も無い善行が次から次へと出てくる。
物凄い勢いでまくし立て、相手に指摘の余地も与えないのは本当に二枚も舌があるように思えてくる。
「分かったよ!俺様が退場すればいいんだろ?俺様が降板すれば2点くらい何とかなるかもしれないからな!」
言うだけ言ってマウンドを降りようとするとドラゴンズの選手に阻まれ、結局はマウンドに帰される。そこも友光の予想の範囲内だった。
「先に殴ったのは犬家コーチだから彼が退場するのが一番丸く収まると思うのだが・・・」
審判は4人集まって意見を合わせていた。
その間にも無理やりにでもマウンドを下りようとする友光にドラゴンズの監督も含めた選手達が懸命の説得を続けている。
「え〜〜、皆様長らくお待たせしました。ビーンボールの件に関しては瀧本投手本人が深く反省しており、
また殴られた時も反撃しなかった点を考慮しましてウイングスの犬家コーチのみを暴力行為で退場させたいと思います!」
あろう事か審判団は友光の作戦に引っかかり、犬家を退場させてしまった。
本来なら原因を起こした両者を退場させる両成敗が普通なのだが、友光の普段見られない真摯な態度を見せられたら仕方も無いのだろう。
「クックック・・・。ここまで見事に嵌るとは思わなかったぜ。湊を退場させられなかったのは残念だったが次の球で当てちまえば大丈夫か」
その際は退場になるだろうが最早構わない。湊を虐められるのであればそれで良いし、幸いな事に味方は勝っている。
後は自慢のリリーフ陣が抑えて自分に白星をプレゼントしてくれるだろうと友光は考えていた。
「で、下手な芝居は面白かったか?」
諦めにも似た声で湊が話し掛ける。こめかみに血管を浮かばせて友光が言う。
「何が芝居なんだって?」
「俺が気付かないとでも思っていたのか?あれ位すぐに見破れるさ」
足場を慣らす友光だが、明らかに時間をかけている。おそらく怒りのゲージがどんどん上昇しているのだろう。
「大体誰とやり合っても無敗、ケンカ負け無しで神戸はおろか関西中にその名前を響かせていたお前が犬家コーチの右ストレートに当たるとは思えない。
それに薄情者のお前が善行を重ねるタマか」
湊に作戦を見破られていたと知った時、友光の怒りは頂点に達した。全てお見通しだからこそ簡単に避けたし、自分にも突っかからなかった。
そう言う誤差は容認していたはずだが、やはり一連の行動が憎たらしく感じてしまった。
「そうかいそうかい・・・。でもお前はそれを知っていながら自分んトコのコーチを止め様ともしないで退場させるに任していたんだな?
これだとどっちが薄情者か分かんねェし、お前もある意味じゃ共犯者だなァ?」
「俺はお前を止める。それがお前の望みのはずだ!」
「その為には味方も犠牲にするのか?10年前のあいつみたいになァ!」
「お前はまだその事を・・・」
それは彼らだけしか知らない話。暗く、悲しいだけの悲劇としかいいようのない話である。
あの時、あの場所にいた人達はどんなに月日が流れようとも未だ誰も真実を語ろうとはしない。
「お前は偽善者だ。いや、お前だけじゃない河内も波城も碧海もみんな偽善者だ。どんなに取り繕ってもお前が人を殺した事実は変わらないんだよ!」
「・・・・」
「俺様は違う。俺様には願いを叶えるだとかのそんな都合の良い考えは存在しない。
だから、お前だけ一生悩んで苦しめ!見えない十字架を背中に引き摺り続けながらな!」
せせら笑う友光に湊はオープン戦の時と同じように答える事は出来ない。それに対する答えはまだ見つかっていないからだ。
「俺様はお前の処刑人、殺す為だけに存在するエクスキューショナー。俺様が殺すまでお前は死なない。そして俺様は師匠の意志を継いで・・・」
そこまで言うと友光が投げ込む。ど真ん中のストレートに湊はバットを出す事さえ出来ずにいる。
「バカな!お前はあの事実を知っていながらそれを継ぐと?」
湊が今までに見せた事も無いような驚いた表情を見せる。友光はしきりに首を縦に振っている。
「言っちゃ悪いが、師匠たちのやり方は拙かった。だから俺様が継ぐ。俺様は志半ばで倒れねェし、神武帝のような轍は踏まん」
過去の異物となった人物の名前を出した友光の言っている言葉に力がこもってる所為なのかリリースする指にも力が入ったようで、
ボールが高めに浮いて2−1となる。
「それに俺様をお前程度で止められるはずが無ェ。アイツを泣かしたままで、まだ迷ってるお前にはな!」
その言葉に湊はギクリとした。
「俺はまだ迷っているのか?俺がここにいる事を・・・。アイツの望みを二つとも叶える事が出来なかった事をまだ・・・」
湊は想い直す。最初の願いは叶えられなかったが、二つ目の願いはまだ叶えられる可能性がある。
ただ、本来の意味ではウイングスにいる時点で不可能となってはいるが。
「あの時、悩んだ末に決めたはずだ。オリックスでは叶わないアイツの願いをウイングスで叶えると・・・」
フルカウントからの6球目、またしてもど真ん中のストレートに全く反応が合わずに見逃し三振を湊は喫してしまった。
横浜のとある病院
「おーい、邪魔するぞ。・・・って、ドラゴンズとウイングスの試合を見てるのか?」
波城は病室のドアをガラガラと音を立てながら開けた。ベッドの上には碧海がテレビを食い入るように見つめていた。
「あっ、波城先輩。来てたなら来てたと言って下さいよ。心の準備が出来ないじゃないですか」
「心の準備ねぇ・・・」
呆れたように言って辺りを見回す。松葉杖の代わりにバットが二つ置いてあるのに波城は少し驚いた。
「って言うか、ノックしたんですか?先輩って昔からそう言う乙女心が分かってないような・・・」
「見舞いに来て貰ってあり難いと思え。本当は試合で疲れてるんだから」
横浜は交流戦の最初の試合をロッテと対戦中、しかも現在進行形で試合をしているはずだった。
それなのに主力選手の波城がここにいるのはチームが大差で勝っている事と、牛島監督に無理を言って代えてもらっているからに他ならない。
「ケガしてる時まで野球か?それより一刻も早く戻ってもらわんとベンチが静かで堪らない」
軽口を叩いてお土産として持ってきたマスクメロンを備え付けの台の上に置く。
碧海がジルベルトの殺人タックルで左足をケガしてから一ヶ月経つが、思ったよりケガが酷くて完治に一ヶ月半も掛かってしまった。
だが、そろそろ退院が間近の状態まで回復していた。
「別に面白い番組もなかったですし・・・。何より湊先輩と瀧本先輩が出てる試合は見ないといけないでしょ?」
少し間を置いて波城が頷く。
「そうだったな・・・。で、試合を見る限り相変わらずの関係か?」
「ええ、どうもそうみたいです。ウイングスは瀧本先輩の手によって退場者が出ましたし」
碧海の声のトーンが少し落ちる。やはり先輩の所業だけに複雑なのだろう。
「俺達はオンルッカー。あの二人の結末を見届けなければならない傍観者、か・・・」
「先輩、その言葉は・・・」
碧海にも聞き覚えのある言葉だった。波城と碧海、河内の3人にとっては自分達の命と野球の次に大事にしていた言葉がそれである。
「傍観者は手を出す事も口を挟む事も出来ない。ただ見ているだけの存在・・・。そんな存在に意味は有ると思うか?」
ややあってから碧海が言葉を返す。
「意味は有ります。二人の生きた証を記憶に留める事が私達の役目。他の人達が忘れようとも私達3人だけは決して忘れる事は出来ません」
傍観者と言う存在に意味が有ると言う碧海
傍観者と言う存在に意味は無いと思う波城
二人の意見は対立する。だが、それは両方とも正しい答えだった。
「お前はどうなんだ?お前は俺達の存在を良しとするのか、それとも・・・」
西武ドーム
8回の表、先頭打者として打席に向かおうとしていた河内はふと足を止めた。不思議に思った守が声をかける。
「どうかしたのか?」
「いや、今誰かに呼ばれた気がした。その誰かに対して答えを出さなくてはいけない気がしたんだ」
「変に考えるから幻聴がするんだよ。さっさと行って来い。ただし、三振だけはしないようにしろ」
ベンチに戻る守の姿を見て河内は苦笑する。
高校時代から敵としてあるいは今のように味方として戦ってきた猪狩守の性格は昔から変わっていない事に苦笑していた。
「変わらない性格・・・。それは素晴らしい事だが、時として変わらなければならない場合もある。
そう言った場面に出くわした時にお前はどうするつもりだ?」
それは守に対して言った言葉だった。しかし、現在草薙で対戦しているだろう二人に問い掛けるものでもあった。
「俺達は変わらなければならない。過去のしがらみも含めて全てが・・・。そうしなければ執行人と救済者、傍観者の立場は未来永劫に今のままだ」
そう言いながらも打席に集中する。幻のフォークを現代に蘇らせた相手は一筋縄ではいかない、そんな対決が河内を待ち受けていた。