第30話
皇帝と怪盗、幻のフォーク





『さあ、1試合奪三振数のプロ野球タイ記録に並んでいる朝比奈。果たしてこの河内相手に新記録を達成する事ができるのでしょうか?』

西武ドームの全てが固唾を飲んで見守る。唯一響くのはウグイス嬢のコールだけだ。

「4番、サード河内 背番号24」

レフトスタンドがカイザースカラーでもある白地に青の横断旗に染まっている。左バッターボックスに立つと思考を巡らせる。

「三振だけはするな、か・・・。猪狩も難しい注文を付けてくれる」

彼が言う猪狩とは兄の方を指している。何だかんだ言ってこの試合で三振してないのは河内だけなのだから期待されてもしょうがない。

「この人だけにはどんな小細工も通用しませんからね〜。思い切った球が必要ですね〜」

キャッチャーの一文字は河内の仕草を見ながら初球を何にするかで悩んでいた。

カイザースの4番、それはチーム名と相まって“皇帝”と称される。前親会社のタンポポ時代から皇帝を名乗る河内を前にすればいかなる細工も無に帰す。

あのフォークはラストに持ってくるはずだ。だとすれば・・・」

それまでの配球が勝負である。河内はどんな球が来ても対応できるように集中力を高めていく。

「初球はシュートで行きましょう。それも外角のゾーンギリギリの所にです〜〜」

一文字のサインに頷いてシュートを外角に投げ込む。寸分の狂いも無いボールに河内のバットが僅かに反応する。


ストライク!


際どい判定に思わず河内が異論を挟んだ。

「今のボール、半分外れてませんか?」

「ボール半分入ってるよ」

審判の返しを不満に思いながらも河内は再び打撃に集中する。

「今のはどう言う事でしょうかね〜?審判さんに文句を言うと心証を悪くするって知ってるはずですけどね〜〜」

これは河内のしたたかな計算だった。際どい所の球の判定に異論すれば次からはきっちりと判断してくれる。

同じ球でも別の球種なら今度はボールに取ってくれる可能性がある。今日の試合を務める審判はそう言う人だと言う事を知っていた。

「さて、三振を取るには同じコースは続けにくい。次はインコースのストレートかそれとも・・・」

河内は直球と呼んだ。コースは読み通りに内角に来たが、球種が違っていた。

「ストレートじゃない?・・・さっきと同じ球か!

ストレートと思ったボールがベース直前で曲がる。直角に曲がったそのボールはカットボールのように変化した。


キーン!


芯を外されながらも河内はレフト線へのファールボールにする。

あのシュートもシュートではなくカットボールか。全く、どれだけ変化球を隠し持ってるんだか・・・」

カウント的にも追い込まれる河内。しかし、バッテリーにも投げる球が無い。

「河内さんには小細工が通用しないので大変です〜。際どい所以外のボール球は振ってきませんし、初球みたいな球はカットしてファールボールにしますし・・・」

「一文字さん、一つだけあります。あのフォークなら三振を・・・」

だが、その球が来る事ぐらい河内は打席に立つ前から知っている。来ると分かっているなら打てない男ではない。

「なら、ワンバウンドになるように投げてください。完全なボール球なら振らない、でもそれが狙い球だったら分かりませんよ〜〜」

朝比奈の投げたボールがフォークの軌道を描いていく。

「ここまでは計算通りだな」

初球の判定に噛み付いたのも2球目のインコースへのシュートを打って行ったのも全てはツーストライクにする為。

追い込めばバッテリーはあのフォークに頼らざるを得ない。そこまで計算してこの状況を作り上げたのだ。

「伊達に“皇帝”と呼ばれてはいない。カイザースの4番の実力こそがプロの洗礼と思え!

フォークが重力に引っ張られるように落下する。プロで対戦したどのピッチャーよりも大きく、速く切れて行く。

「桜花のフォークにそっくりだが・・・オリジナルには遠く及ばない。この程度なら!

今日のカイザースの選手が放った中では一番綺麗な音が響く。打球はライトよりの右中間に飛んでいる。

小関が必死で追っていくが届きそうにも無い。誰もが長打と思った時、ボールを確保しようとする影が現れた。

『えーっと、和田は・・・レフトにいます、赤田は・・・センターにいます、ライトの小関はボールを追っています。

ど、どう言う事でしょうか?ライオンズの外野が4人に増えました!!

くそっ!“サイレントシーフ”いつの間に追っていた!?

「朝比奈さんが打たれそうな気がしたからね。君だってこの場面はそう思うはずだよ?河内くん」

守備位置がセカンドであるはずの背番号7の選手が打球に追いつこうとしている。河内は一塁を回っただけで止まる。

「柚木が追うんじゃ仕方ない。三振しなかっただけでも良しとしなくてはな」

打球が柚木のグラブに収まるのを確認すると河内は三塁側のベンチに戻って行った。









横浜にある病院の一室


「なぁ、碧海・・・」

「何ですか?あっ、このマスクメロンの最後の一切れは私のですよ。私がもらったんですから」

切り分けられたメロンを必死に守ろうとする碧海に嘆息し、波城は言葉を続ける。

「そうじゃなくて、携帯持ってないか?」

「先輩は持ってないんですか?」

死守したメロンを頬張りながら碧海が尋ねる。

「今思い出したんだが、車の中に置き忘れた」

じゃあ取りに行って下さい、と言わんばかりの視線を波城は送られる。少し間を置いてから碧海が答えた。

「私が持ってる訳無いじゃないですか。ここは病室ですよ?携帯から発生する電波が病院の計器とか狂わせるから使用禁止のはずでしょ」

「でもお前の枕の下からチラッと見える長方形の物体は何だ?」

その物体を指されて碧海は慌てる。

「これはですねぇ・・・。無線機です!実は私アマチュア無線の資格を・・・」

「持ってる訳無いだろ」

強引に枕をどかして長方形の物体を取る。それは見まがう事無く携帯電話だった。

「ちょっと借りるぞ」

「見つかったし、別に良いですけど・・・。でも、電話するなら屋上でして下さいね。念のために」

「分かってるよ」

そう言って病室を出て行く。そのフォルムを見て波城は溜め息を吐く。

「いくら女だからってピンクは悪趣味だろ。それにストラップがモリゾーは無いだろモリゾーは。せめてキッコロにしろよ」

どっちでもよさそうな感じがしないでもない。ともかく波城は屋上へ急いだ。









草薙球場は既に9回裏を迎えていた。点差こそ2−0のまま変わらないがマウンドには友光がまだ立っていた。

ちっ!21個には程遠いな。楽しようと思って下位打線を打たせすぎたか」

西武ドームで朝比奈が奪三振の新記録、しかも前記録を2つ上回る21個で達成していた。友光の奪三振数は15個と少しと言うか全然足りない。

「ちゃっちゃっとやって終わらせるか」

9番の遠藤を16個目の三振に終わらせると亮太郎もキャッチャーゴロに仕留めてあっさりツーアウトまで追い込む。

打席には2番でノーヒットのクロード。簡単に終わらせるつもりだったが、1−1からの3球目をピッチャー前に転がした。

「フン、苦し紛れのセーフティバントか。拾う価値も無いな」

いやいやいや!友光さん、取って下さい。ファーストアウトで完封勝利ですよ!?」

鈴村が代わりに拾いに行くが間に合う訳も無い。ここに来てランナーを許す形となった。

「セーフティバントは打った内には入らん。やりたいようにやらせておけ」

反論しても無意味なので諦めてポジションに就く。結局は次のハヤテを抑えれば勝ちなのだ。

「まともな奴が言っても返り討ちだな。ここは奇手と行くか」

龍堂はそう考えてベンチを振り返る。既に出番の可能性がほとんど無いので都以外の中継ぎ陣も戻ってきていた。

「不破、高校時代にダルビッシュを打つ練習はしていたか?」

いきなり問われた不破はしどろもどろになりながらも答える。

「はい、してました。けど・・・それが何か?」

龍堂はそれが聞きたかったらしく、聞くや否やベンチから立ち上がって審判を呼び、ヒソヒソと何かを告げる。

「よし、不破代打だ。ダルビッシュも友光もそう変わらん。小さいからフォアボールになるかも知れんぞ」

いや、無理ですって!160キロと150キロはぜんぜん違いますよ。それにボクの高校時代の打撃力はチームでも中の下だったし・・・」

反論してもウグイス嬢がコールしてしまった。された以上は打席に立たなければならない。

『ウイングスはヤケッパチになったのでしょうか?ピッチャーを代打に送ってきました』

これに激怒したのは友光だ。よりにもよってピッチャーを送られて彼の神経は逆さに撫でられる。

「手前ェはどこまで俺様をおちょくる気なんだ・・・。そんなら望み通りにこの代打を殺してやろうか?」

ネクストバッターズサークルに湊が向かおうとすると、それを奥から走ってきた球団職員が止めた。

「湊選手、電話が入ってます。何でも知り合いのミスターNと言う人からですが・・・」

湊は出るべきか悩んだが不破が友光を打てるとは思えないので出る事にした。

「分かった、すぐ行く」

そう言うと湊もベンチからロッカーへ続く道を歩いて行った。

死ぬ!死ぬって!あの人絶対、僕を狙ってるって!!160キロが脳天にブチ当たったら砕け散るって!!

その間、往生際の悪い不破が無理やり打席に立たされていた。




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