第31話
龍は兵の皮を剥ぎ、死を奏でながら己が道を突き進む可く存在なり





「もしもし、湊だが・・・」

「この・・・バッカヤロー」

いきなり響く大声。キーンと言う音が聞こえながらも相手が誰なのかを悟る。

「航、いきなり何だ?俺は試合中だし、他球団の選手が電話なんて・・・」

「電話してるのは横浜の波城じゃない。電話を掛けたのは流光学園OBのミスターNだ」

明らかに同一人物である。電話の向こうにいる同級生の言ってる意味が湊には分からない。

「さっきからテレビで見てるんだけど・・・たいっちゃん、まさかとは思うけどあの10年前の事を・・・」

「お前には関係ない。これは俺と友光の問題だ」

強引に電話を切ろうとすると電話口の向こうから別の声が聞こえた。

「先輩、先輩の気持ちも分かります。ですけど・・・!」

電話を掛けていた波城は驚いた。いつのまにか碧海が自分の後ろにいたのだから。バット二本を松葉杖の代わりにして追いかけてきたのだ。

バカッ!何やってんだよお前。こんなんでケガが悪化したらシャレなんないっつの!

「私の事なんてどうでも良いんです。今は先輩の事が・・・」

どう聞いても痴話ゲンカにしか聞こえないのか、湊は相手が引くくらいに冷ややかな声で言葉を投げかける。

「病院で高校時代の同級と後輩がイチャイチャするな。そんでもってそれを他人に聞かせるな」

そのセリフを言った直後、大きな殴打音が聞こえた。次に聞こえたのは碧海の声だった。

「今、お電話代わりました」

心なしか息が乱れているように喋っている。

「・・・航は?」

「大丈夫です。バットは木製なので死にはしないと思いますし、明日の試合にも影響ないと思います」

本人が言うのだから間違いないだろう。(パワーEだし)もし、明日の横浜のスタメンに波城がいなかったら8割は碧海のせいだろう。

残り2割は電話をかけていた波城自身のせいだが。そう結論付けた湊は電話を切らずに会話を続けた。

「私は・・・恐いんです。先輩が先輩じゃなくなるんじゃないかって、瀧本先輩みたいに壊れるんじゃないかって。これ以上、私は失いたくないんです」

「あいつの壊れっぷりは元からだって。ってかさぁ、電話してたの俺・・・」

また殴打音が聞こえた。今度はさっきより大きい。携帯を片手に持ちながら碧海は波城を簀巻きにする。ケガをしているはずなのにかなり器用だ。

「どうか、瀧本先輩みたいにならないで・・・そしてあの人を救ってあげて下さい・・・」

背後で何やら呻いてる波城を一瞥しただけで看護士を呼ぶ事もせずに碧海は電話を切った。

「これでよし!」

「よし!じゃない、勝手な真似をするな。俺達は傍観者だと言ったはずだ」

簀巻きにされた波城が言うが碧海は相手にしない。

「でもその存在に意味は無い。だから先輩に電話して強引に終わらせようと思ったんですか?」

碧海の言葉はいつになくトゲを含んでいた。波城はそれに圧倒される。

「勝手な事をしてるのは波城先輩の方でしょ?師匠とあの人を裏切りたいんですか?」

「だが、お前が言っていた言葉のように明らかにたいっちゃんに肩入れするのは傍観者の存在を有りとするお前の立場を壊しかねない」

冷たい風が病院の屋上に吹く。5月だと言うのに冷気を帯びる風は二人の肌に冷たく当たる。

「堂々巡りですね。これ以上は止めにしましょう」

「そうだな。今はあの二人の対決を見守るしかないか」

碧海は結末を見届けるべく急いで病室に戻る。波城は簀巻きにされたままだったが、解くのが面倒だし碧海自身がケガしてるので放って置く事にした。

二人が電話を切った後に口論をしているとはつゆ知らず、湊はそっと受話器を置く。

「救ってあげて下さい、か・・・。何年振りだろうか?そんな事を言われたのは・・・」

記憶を手繰るが該当する項目は見つからない。いや、同じようにそのセリフを言われた事が遥か記憶の底に眠っていたのを思い出した。


―――貴方には救える力がある。だから救ってあげられる。


それは湊を“神の子”と呼び、“救済者”と呼んだ人物。とある組織を抜け、自分に伝えるべき話があると言ってやってきた人物。

一度、二人きりで話した事のある緑色の髪を靡かせた年齢の割には落ち着いた言動の人間だった。

「俺に救える訳がない。俺はそんな大した存在じゃ・・・」

むしろ、友光が言ったように自分は人殺しである。それは自覚しているし、今更変わる事実でもなかった。

当時の湊に言ってたはずの言葉は今も尚、彼に語りかける。


―――いずれ今と同じような時が来る。その時に貴方は再び選択しなければならない。過去を守るか未来へ歩みを進めるか。

それによって、取る武器も違えば“神”を継ぐのか、“救済者”になるのかも違う。そして選択した時に隣に・・・。


そこで言葉が途切れる。自分の記憶がその先を覚えてはいないようだった。

「そろそろ戻らないとチームに迷惑をかけるな」

現実世界に引き戻されると湊は再び戦場に戻って行く。









危なっ!ってか、あんた野球で人殺す気か!

「ランディージョンソンは試合中に鳩を撃ち殺した」

事も無げに友光は返した。カウントは0−3と不破の有利。

と、言うのも友光はしきりに不破の頭を狙っているのだが、相手が小さ過ぎてなかなか狙いがつけられずにボールカウントだけが増えて行く。

人を鳩と一緒にするな!

「俺様にとったらお前らも鳩も変わらん。多すぎて逆に害になるだけだ」

この球も大きく外れてストレートのフォアボール。そして、この日4度目の選手コールが一際大きな声でされる。

「4番、サード湊 背番号1」

その後、お役御免となった不破に対して代走が告げられる。同点のランナーを鈍足の不破にさせたままにしておくのはかなり無謀だからだ。

「まだ俺様にやられ足りないようだなァ。この偽善者!

「もう、お前の手前勝手な前口上は聞き飽きた。御託にも耳を貸さないし、ケリを就けたいと言うのならこの場で就けても良い」

言い切った湊の瞳には力がこもっていた。それを友光は敏感に感じ取る。

「なるほど・・・。ちったァやる気になったって訳だ!」

不敵に高笑いしながら友光は湊を見据えていた。









病室


二人の対決に無事間に合った碧海は黙ってテレビで状況を見守っていた。しかし、湊の瞳を見てワナワナと震え出す。

「先輩、それは違います!それだと瀧本先輩と同じなってしまいます!あれほど念を押したのに・・・」

叫んでも遅かった。そしてその間違った答えを出した切っ掛けを作ってしまった自分を激しく後悔した。

「私は・・・私はそんなつもりで言ったんじゃ・・・。私はただ・・・」

どうしようもない慙愧の念が碧海を支配していた。









名古屋市内に一軒の家が建っている。そこでもこの二人の対決を見守っている人物が二人いた。

テレビの前で見つめているのが新人の久遠、冷蔵庫から麦茶を取り出して二つのコップに注いでいるのは家の持ち主でもある岩井だった。

二人は交流戦突入前の3連戦の1戦目と3戦目に先発し、このウイングスとの試合には帯同していなかった。

「岩井さん、この二人ってどう言った関係なんですか?ただの高校時代の同級生ってだけじゃこんなに憎しみ合わないでしょう?」

出された麦茶を一口含みながら久遠が尋ねた。

「まぁ、奴自身も他の4人も語ろうとしないから俺も詳しくは知らないが・・・」

岩井はそう言って久遠の方を見る。

「言ってみればお前と友沢の関係みたいなものか」

「えっ?」

久遠はドキッとした。この先輩はひょっとして勘付いてるのだろうか?と、言う思考が頭をよぎる。

「・・・聞かないんですか?」

思い切って勝負に出てみた。だが、相手はその上を行く。

「別に・・・。お前が言いたくないから言わないのだろうし、それでも良いさ。話したくなるまで待っててやる」

久遠は心の中で頭を下げた。ああ、この人は完全に勘付いてる。さすがはあかつき黄金時代のキャプテンだと納得してしまう。

「それに・・・俺もお前と友沢の関係に似たようなのがあるしな」

最後のその言葉が気になったが、久遠はテレビ画面に集中する事にした。









結局はどう足掻いても俺様に勝てないんだよ!お前はなァ

160キロと言う今日最速記録が電光掲示板に表示される。(友光は開幕3戦目の今季初登板で日本最速記録の162キロをマークしている)

ど真ん中に投げたボールが掠った音を出して鈴村のミットに突き刺さる。

「覚悟を決めてその程度か。話にならねェよ」

「それでも構わない。お前を倒せるならな!」

友光の顔が一瞬だけ歪んだ。ランナーがいても大きく振りかぶる動作はいつもと変わらない。変わらないが、何かが決定的に違っていた。

「くたばれ、このボールでな!!

インコースのベルトラインにボールが飛ぶ。見逃せば間違いなくストライクだ。湊は渾身の力で打ち返そうとする。

だが、ボールはそこからありえない動きを開始した。何と回転をし始めたのだ。

リリース時にボールに回転をかけたと言う意味ではない、ボール自体が螺旋を描きながら湊のバットに迫ってくるのだ。

「かつて、あのあかつき四神砲の一人にして筆頭、朱雀砲の秋山を倒す為だけに作った球だ。

本来ならその秋山にしか使わないが・・・お前を完全に壊す為に特別に投げてやったぜェ」

高校時代、この球の完成に立ち会った湊も一応は知っている。当てに行こうとしたが、ミートの瞬間にボールの螺旋はバットに巻き付いたのだ。

バットの根元から先端までバットを這いまわるように進んでいく。龍と言うよりは蛇に近い動きをしている。

そして、湊は見た。

キャッチャーである鈴村も見た。

投げた友光は幾度となく目にした光景だった。

ボールが龍の姿に見えたのだ。龍の牙が噛み砕くように湊のバットが先端から破壊された。

その跡は先端が15センチほど消失し、まさしく龍が噛み砕いたかのような傷を残す。

これこそが友光の投げる唯一の変化球と言ってもいい、“龍”(ドラゴン)の正体だった。

ボールが螺旋を描きながら高速に変化しバットに巻きつき、最後にはバットごと相手のそれまで持っていた常識やら何やらを精神諸共に破壊する。

更にその一連の軌道に龍を見るから友光はそう名付けた。

そう言う球なのだ、この“龍”は。

愉快ィ!痛快ィィ!も一つおまけに壮快ィィィ!

友光が吼えながら左腕でガッツポーズを作った。

そう、それだ!俺様が見たかったのはお前のその顔だよ!!全てを否定されて今にも駿河湾に身を投げて死にそうなお前の姿だ!!

いつものように高笑いをしながらベンチに帰るとさっさと帰る準備をする。ヒーローインタビューの要請もあっさり断った。

「んだよ。今の俺様は機嫌が良いんだ。そんな気分を邪魔されたくねェからインタビューはあの黒いのだけにしとけ!」

ジルベルトを指差すとダッグアウトに消える。用意されてるバスには乗らず、運転してきた自分の車に乗り込むとエンジンを掛けて球場を去った。

運転中も友光の笑いが絶える事は無かった。

「後は俺様に唯一の負けと言う名の傷をつけた男達、秋山紅一郎に猪狩守も二人だけだ!

あいつらさえ殺っちまえば俺の・・・俺様が望んだ事は終わるんだ。そうだろう?伊澄・・・。フ、フハハハハッ

笑っていながらも目だけがどこか虚空を見ている感じがする友光は更にアクセルを踏み込み、車のスピードを上げて行った。

一方の球場ではまだ湊がバッターボックスに立ち尽くしている。

「負けた・・・完全に友光に負けた・・・。過去を捨ててでも倒そうとした男に・・・。俺は・・・俺は・・・」

得体の知れない物が体の奥底から込み上げてくる。湊は遥か彼方の神戸を見ていた。

「俺は間違っているのか?ここではなく、オリックスにいるべき人間だったと言うなのか・・・。教えてくれ・・・沙希!」

その光景をチームが負けた為に出番が無かった都が見つめていた。それともう一人・・・


―――今の貴方では彼を倒す事も救う事も出来ません。答えが見つからずに“神”を継ぐのか“救済者”になるのかを選べない今のままではね。


湊の姿をかつては確かに存在し、今はこの世に存在すらしない“神”の姿に重ねつつ見つめていた。

呟きながら緑色の髪にフチ取りが三角のメガネを掛けた謎の男は踵を返す。


―――答えを見つけ、選べ湊太一。“神”を選ぶのも“救済者”になるのも貴方の自由だ。だが、貴方は知らないだろう・・・。

もう一人の“神の子”、彼には選択肢は無い。彼は“神”になるか、もしくは・・・


謎の男はそれ以上言うのを止めた。その先は彼と呼んだ男にとって人生で最高であり、最悪の結末なのだから。









交流戦初日の主な試合結果

横浜対ロッテ      9−10
カイザース対ライオンズ 1−0 (西武の朝比奈が一試合21奪三振の日本新記録樹立)
サザンクローサー対巨人 13−1
ドラゴンズ対ウイングス 2−0









そして6月は梅雨の真っ盛り。だが、このドームに雨は関係なかった。

セリーグの首位チームの本拠地と雨が上がったばかりの頑張市民球場で注目される試合が行われようとしていた。




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