第32話
戦場の迷子





試合前のグラウンド、そこに二人の選手が立っていた。片方は“皇帝”と呼ばれ、もう片方は“エリートヒッター”と呼ばれる選手だ。

「使われたか、あの“龍”を・・・」

「俺の力不足だ。俺の力が足りなかったから」

目の前のバッティングケージでは友沢が快音を飛ばしている。

「そうだな、お前は弱い。むしろ高校時代の方が強かった。友沢、今日の先発投手を考えるとそこはもう少し溜めて打て」

相手の話を聞きながらも打撃練習をするチームメイトへの指示も的確だ。伊達に入団当初から“皇帝”ではない。

「何もない現在より、想いがあった昔の方が今よりは遥かにマシだ。今のお前は歩むべき道の足元が見えなくなったただのガキだ」

「だとすれば俺はどうすればいい?」

打撃練習を終えて引き上げる友沢を見ながら河内は自分のバットを持つ。

「知らんな。それは自分で見つけ出せ。第一、俺は“傍観者”だ」

「その存在を盾に取って放って置く気なのか?お前が俺の立場だったらどうするんだ?」

河内は黙ってバッティングケージに入った。

「そんな事ありえる訳がない。の財産を受け継げるのはお前と友光だけだ。

だからこそ戦わなければならないし、答えを出さなければならない。他人である俺たちには立ち入る事は許されんよ」

湊のかつての同級生は冷酷に突き放すのみだった。無念そうに三塁ベンチに戻る湊を見ながら河内は呟く。

が作り出した悪戯にしては余りにも酷過ぎる。一体、師匠と貴女は彼らを如何したいんだ!

いつまであの二人を見えない鎖で縛り続けるつもりなんだ!

それは湊の運命を手も足も出せない傍観者と言う立場にしかいられない河内の悲痛な本音だったのかもしれない。









頑張市民球場


4月の開幕直後に経営不振により黒字転換できなければ球団消滅と言う事態に見舞われたパワフルズ。

チーム一丸で必死に優勝を目指そうとするが、六月に入っても首位をキープし続けるカイザースの背中は遠い。

諦めたらそこで終わるぞ!交流戦が終わって通常の日程になれば直接叩き落せる。

それまでカイザースの勝った試合は絶対落とすな!負けた試合は尚更落とすな!!

一段と激しい声だ。パワフルズが試合前に組む円陣は最早定番となりつつある。中心にいる選手が更に叫ぶ。

行くぞ、今日も勝つ!一つ勝てばチーム解散の危機から一歩救える。このパワフルズを絶対に守るんだ!!

気合を入れた選手たちが守備に散って行く。それを見ていた監督の橋森は中心となってる選手を心強く思った。

「チームを支える炎の闘将、秋山紅一郎・・・。あいつがパワフルズにいなかったらと思うとゾッとするな」

パワフルズの円陣は三塁側からでも見て取れた。

「あんなの今時古いじゃん。気合だけってのはさぁ〜〜」

「北斗、相手を見下すのは悪い癖だといつも言ってるだろ」

「はいはい、分かってるじゃん。ただ、あんなのが“あかつき真紅の英雄”なのかって思ってさ」

試合前にスコアブックを確認している選手と円陣を物珍しく見ていた北斗と言う選手が最前列で会話をしていたらそこに獅童が割って入った。

「英雄を甘く見ない方が言い。プロに入ってからは“天才”と“魔王”、“自然児”とは敵同士だが、その実力は折り紙付きだ」

かつてあかつき大付属には “翠緑の魔王”、“誇高の天才”、“蒼藍の自然児”、“真紅の英雄”と呼ばれた選手がいた。

魔王はドラゴンズにいる岩井、天才はカイザースにいる猪狩守、自然児はライオンズにいる柚木、英雄は目の前で守備に就こうとしている秋山の事だ。

獅童もかつて甲子園で彼らと相対した事がある。

「正直言って日本球界最強打者はあの秋山で決まりだ。3年連続50本以上でホームラン王。

去年は55本の日本記録に後1本と迫った男だし、何よりプロ6年間での通算本塁打数が既に277本も達しているからな」

今季は前日までの時点で22本打っており、次のホームランはプロ最速の300号ホームランになる計算だ。

だが、その言葉にも北斗は詰まらなそうな顔をする。

「結局は打たれるピッチャーが悪いんじゃん?俺だったら打たせないけどね」

「お前は秋山の凄さを知らない。幾多の投手が甲子園で、またはプロの舞台で沈められたと思っている。

秋山の打撃を見れば松坂や川上や上原は消し飛び、清原や松中やカブレラと言ったスラッガーも遥かに霞む。反則的なまでに強いのが秋山紅一郎と言う男だ」

「所詮それは高校時代に負けたしがない男の遠吠えに過ぎませんね」

流星はパタンとスコアブックを閉じ、メガネをクイッと上げて獅童の方を見た。

「おい・・・流星?人生の先輩に対してそれは幾らなんでも言い過ぎ・・・」

「獅童さん、あなたに秋山と言う選手は想像上の化け物か冷酷無比なロボットに見えるんですか?その程度じゃ我らの主の期待には応えられないみたいですね」

流星の口を北斗が慌てて塞いだ。

「獅童さん、スイマセン。こいつちょっと黒い部分があって少々毒舌家みたいで・・・」

獅童に怒られないうちに流星をベンチの奥へ引き摺っていく北斗だった。









猪狩ドーム


ここでは既に試合は始まっていた。現時点でパリーグの3位にいるウイングス。4月こそ首位だったものの、徐々に順位が下がり始めている。

5月の勝率にいたっては4割を切る有様だった。その原因は湊の不振にある。あの中日戦以来、湊の打撃がおかしくなっていた。

打率こそ3割を維持しているが、肝心な場面でヒットが出ない。特に左投手相手に極端に弱くなっていた。

チームメイトが理由を聞いても答えないし、龍堂も湊の個人的な問題なのでアドバイスが出来ない。この日の第一打席も平凡なショートゴロに終わっている。


静岡ウイングスオーダー

1番 ショート   クロード
2番 センター   亮太郎
3番 キャッチャー 今井
4番 サード    湊
5番 ファースト  斎藤
6番 セカンド   森坂
7番 レフト    真坂
8番 ライト    遠藤
9番 ピッチャー  星野


見ての通り、この打順は小金井が抜けている。友光の頭部への死球が影響して未だに戦線復帰できていない。

そんな事を説明している間に斎藤が打ち取られて初回の攻撃が無得点に終わる。

「一番、ショート友沢 背番号7」

コールとともに友沢が打席に入る。昨年の新人王を獲得した友沢は今季、トップバッターとして起用される事が多くなっていた。


猪狩カイザース先発オーダー

1番 ショート   友沢
2番 キャッチャー 猪狩進
3番 セカンド   桜井
4番 サード    河内
5番 ファースト  ドリトン
6番 センター   大竹
7番 レフト    有田
8番 ライト    三村
9番 ピッチャー  吉良


これが今日のカイザースの打順である。打撃力も投手力もいいが、特に内野守備に関しては磐石を誇っている。

その証拠にここまでのチームの総エラー数は僅かに8と言う驚異的な数字だ。

しかも8つのエラーは殆どドリトンが犯していた。つまり、ファースト以外は鉄壁なのである。

3年前にたんぽぽカイザースを買収し、猪狩兄弟や大リーガーのドリトンを補強、初参加のドラフトでも

当時高校ナンバーワン野手と言われた友沢を獲得して最強球団を目指そうとしたが初年度4位、昨年は2位と言う不本意な成績に終わっている。

しかし、今年は違う。

買収前のカイザース最後のドラフトで入団した二人が急成長を遂げ、レギュラーとなっている。

一人は今日先発している吉良。彼は猪狩に次ぐ2番手投手、右のエースとしてここまでで既に6勝を挙げている。

もう一人はセカンドのレギュラーにして3番を打つ桜井。移籍してきた猪狩守が紅白戦で目を付けただけあり、

入団3年目でカイザースのクリーンアップを任されるまでになった。こうなるとルーキーイヤーは3番だった友沢をトップに回し、

2番にはトップだった猪狩進を置く事が出来る。更に4番にはたんぽぽ時代からの生え抜き、猪狩世代で“皇帝”の異名を持つ河内、

その後にバリバリの大リーガーのドリトンが控える豪華な打線が完成した。

その破壊力は凄まじく、上位5人だけで得点を挙げて勝つのがカイザースお決まりのパターンと言えた。

今日もそのスタイルは変わらない。友沢が出ると猪狩進がキッチリ送りバント、桜井が繋いで4番の河内を迎えた。

「太一、お前には悪いがいつもの先行逃げ切りで勝たせてもらう。俺達も後ろから猛追してくるパワフルズとドラゴンズを早く突き放したいからな」

状況はワンアウトで一塁三塁。今井は落ちる球であるフォークを嫌い、シュートをアウトローに外して様子を見た。

「そんな弱気な配球でいいのか?遠慮無しに打ってしまっても構わないようだな」

これで頭に血が上って配球が単調になると儲けモノだが、そうは上手く行かない。苦笑しながら河内は次の球を待った。

「引っ掛けさせて内野ゴロを狙うつもりだろうがそうはいかん。踊ってもらう・・・皇帝の手の上でな!

星野のカーブがインコースに食い込んでくる。河内は思い切り右足をファースト方向に向けると的確に弾き飛ばす。打球は右中間に飛んで行った。

『フェンスにダイレクトで当たりました。打球を見てから3塁ランナーの友沢が悠々とホームイン。カイザース、いつもの形で先制点を挙げました』

「河内を見ていると本当に安心できる。あいつを打ち取れるのは超一流の投手と超一流の捕手が揃った時だけだからな」

神下が生還した友沢を出迎えるとそう呟いた。河内が“皇帝”と称されるのは何もカイザースの4番だからだけではない。

相手の配球を完全に読んでしまうのだ。三流や二流は当然として、一流捕手のリードですら彼の打撃の前には通用しない。

“皇帝の演舞”と言われるようにただひたすら彼の手の平で踊らされているような感覚に相手バッテリーが陥る。

それが彼の“皇帝”たる所以でもあった。超一流の投手と捕手、それが揃った時に初めて彼と対等な勝負が出来る。

それこそチームメイトである猪狩兄弟が相手の時ぐらいだ。続くドリトンも外野を抜けるタイムリーを飛ばし2塁から桜井が生還して追加点を挙げる。

カイザースが先取点を挙げている頃、頑張市民球場でも試合が始まっていた。









『サザンクローサー先発の八木ですが、早くもピンチを迎えてしまいました。無死満塁で打席にはミスターパワフルズの秋山!』

バットを中村紀洋のようにブンブンと振る秋山。彼は福家からミスターパワフルズの称号を継いでいる。

これで5番に福家がいるとなると、とてもじゃないがピッチャーは生きた心地がしない。

「初球は様子見でボール球。狙い球を知りたいからな」

八木は慎重にボールをコントロールして外角高めに投げた。しかし、秋山はこれに反応すると大きく足を踏み込んで打ちに行く。


カキーン!


ボールは凄まじい打球速度で夜空に吸い込まれるように消えて行った。

外野手は反応する事すら出来ず、バッテリーはその瞬間に何が起こったのか分からない。ただ、打球音が聞えただけである。

『だ、打球が消えました。秋山の放った打球は一体どこに飛んで行ったのでしょうか?』

全員に知らせるかのように秋山は指差した。方向はレフトスタンド、観客席が広い頑張市民球場の奥深くにあった看板にホームランを突き刺していた。

先制ホームランはグランドスラム!秋山紅一郎、300号のメモリアルアーチは王貞治現ソフトバンク監督の達成した

現役通算15本の満塁ホームランの日本記録にこれまた後1本と迫るホームランになりました!流石は紅き英雄の面目躍如と言った所でしょうか』

ゆっくりとダイヤモンドを回り始める秋山に釣られてランナーも走り出す。最後にホームベースを踏むと福家が花束を渡す。

「史上最速での300号到達だな」

「福家さんも今季中には400号は行けるでしょ?そしたら俺が花束渡しますよ」

秋山はベンチに一旦戻ったが、カーテンコールが凄かったのでもう一度出てきて観客に向かって手を振った。

「まぁ、今のは八木さんが悪い訳だし・・・」

サザンクローサーのベンチで北斗が呟く。それを監督が聞き逃す訳が無かった。

「ならお前は抑える自信が有るんだな?」

「当然ですよ。だって俺には相手バッターが絶対反応できないボールを投げれますし」

それを聞いて監督が無気味に笑った。秋山の第二打席でマウンドにいたのは八木ではなく、自信満々に抑えると豪語した北斗であった。

ともかく、絶対に優勝するためには交流戦での取りこぼしが許されないパワフルズにとっては嬉しい先制点が入ったのだった。




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