朱雀とは東西南北のうち南に棲むとされる神の一つであり、炎を司る聖獣である。
“あかつきの紅き英雄、朱雀砲”
それが秋山紅一郎に与えられた異名だ。あかつきのショートを守り、甲子園で数々の記録と記憶を残した彼は迷う事無くプロを熱望した。
指名したのはパワフルズ。しかも他の球団が岩井や猪狩の獲得に動く中での単独指名だった。
パワフルズに入団以後は福家のミスターパワフルズを継いだ。その彼の後姿を必死に追いかける選手がいる。
進藤駿である。
3年前、カイザースの桜井やウイングスの池田と同じドラフトで入団した選手だった。
年を重ねる事に彼は成長し、その姿は常に一軍にいる秋山の耳にも届いていた。
彼が一軍に定着し始めた去年の秋季キャンプで秋山はとんでもない事を橋森監督に告げた。
「このままだと進藤とポジションが被ります。俺を外野にコンバートして下さい」
橋森は驚いた。志願してのコンバート、しかもレギュラーの秋山の方がだ。こう言った場合、コンバートされるのは実績の無い進藤だ。
「進藤は不器用な奴ですからショートしか出来ません。アイツの才能を俺がショートのレギュラーって言う理由だけで埋もれさせたくないんです」
まるでかつての自分を見るかのように・・・。と、付け加えた。
確かにポジションが被るならどうしても優先されるのは秋山、だが進藤の才能も代打だけの存在では惜しんで余りあった。
それを避ける為のコンバート。当初はマスコミも騒ぎ立てたが、あるアナウンサーとのインタビューを切っ掛けに静まるのだがそれはまた別の話。
橋森は秋山の意見を容れ、コンバートさせた。その事は進藤をより成長させた。自分の為にポジションを譲った秋山のようになる為に。
『これも大きい〜〜。入った〜〜、ホームラン!ホームランです。進藤も八木からツーランを叩き出しました』
点数はこれで7−3とパワフルズが突き放す。その光景を見ながらサザンクローサーの監督はベンチを出てマウンドに行く。
「いくら我々の主がこの試合は負けても良いと言ってはいるが、こんな詰まらない試合を客に見せる訳には行かないぞ?」
内野の一人、流星が反論する。
「客の事なんか知りませんよ。こっちは仕事でやってるんですから」
毒を吐くと他の選手も同意する。
「客に見せたい野球をしたかったら監督がすればいいじゃないですか。切り札は持ってる訳なんでしょ?」
「それは・・・持っている事は持っているが」
歯に物が挟まったように言う監督を尻目に選手はポジションに散る。
「僕達は客の為じゃなくて僕達の主の為に野球をしてるんですからね」
その言葉はサザンクローサーの一致した気持ちだった。
西武ドーム
『また三振だ!西武先発の朝比奈、これでプロ初登板初先発だったカイザース戦から6試合続けての二桁奪三振を達成しました』
朝比奈が颯爽とマウンドを降りて行く。試合は8回表が終わっているにも拘らずドラゴンズのスコアボードには0の列、三振数も10と増え続ける一方だ。
対するライオンズもスコアボードは0、三振数はドラゴンズより酷い15個。ヒット数に至っては両チームあわせて5本と言う投手戦の様相だった。
「あのフォークは間違いなく桜花フォークだ。既に投げる者はいないと聞いていたが、猪狩の言ってた事は本当だったって訳か・・・」
マウンドに登るので岩井の顔が無表情に変わる。指名打者制と言う束縛さえなければ打てる自信が岩井にはあった。
「そう言えばあかつきの翠き魔王と呼ばれ始めたのも桜花と投げ合った試合からだったな」
清水のサインはスライダー、それに頷くとアウトコースギリギリに決める。その姿をベンチで久遠が見つめていた。
ウイングスとの一戦を岩井とテレビで観戦した久遠はあの後、友沢との関係を正直に告白した。それに対する岩井の答えはハッキリしていた。
「信じて待つのも友情」
友沢にも何かしら事情がある、だから久遠に何も言わずエースを譲ったのだと岩井は諭した。
この時、岩井の脳裏には久遠がある人物の姿が重なって見えた。今はほとんど顔を会わせる事もない人物と久遠の性格が殆どと言って良い位に同じなのだ。
微妙に猫を被ってたり、人付き合いが悪い所や結構頑固な所、特定の人間を恨んでいる所がソックリだった。
だからこそ岩井は自分を友沢に当てはめて考えてみた。大なり小なりの違いは有るが、おそらく事情があって友沢は言えないのだろうと結論付けた。
自分がある人物に対して言えないのと同じように・・・。久遠が友沢を信じて待つのなら自らも覚悟を決めた。
もし、自分に恨みを持つ彼が自分と同じ土俵に上がってきたら、その時は全てを打ち明けよう。岩井はそう決心した。
『岩井も8回の裏を無失点に抑えました。残すは9回のみですが、点が入る可能性は両チームとも期待薄です』
西武のクリーンアップを三者凡退に終わらせて岩井がベンチに戻る。そしてワザと久遠の隣に座ると小さく呟いた。
「これでまた中日を離れられなく理由が増えたな」
「岩井さん、何か言いましたか?」
「いや、早くその背番号に見合う選手になってくれと思ったんだよ」
苦笑する岩井の前で先頭バッターが空振り三振に倒れていた。
センターからの檄が一段と大きくなる。マウンドに集まっている内野陣は少し迷惑だった。
「あの熱血フーケ者が。騒音公害でいつか訴えるけんね」
「言った所で無駄だろう。熱血もいいが程々にしないと周りに迷惑をかけるからな」
先発投手の山野辺の言葉に釘を刺して、福家は進藤を見た。秋山が良い意味で反面教師なってくれれば問題は無いだろう。
「そんな事より、あれをどう見るか・・・ですね?」
正捕手の柏原がバッターボックスにいる選手に視線を合わせる。
彼もまた猪狩世代であり、無敵のあかつき大付属に3年間抗い続けたパワフル高校のキャッチャーだった男だ。
「全く・・・。“顔無し”とはサザンクローサーも何を考えているんだか・・・」
福家が溜め息を混じらせながらその姿を見るが、すぐにそむける。
「向こうのオーナーがコミッショナーに半ば無理やりに捻じ込んでオーケーさせたらしいですね・・・」
柏原はどうにでもなれと言う気持ちが強かった。常識外れのチームとは聞いていたが、目の前のバッターはそれ以上に常識を逸脱していた。
「相談しても無駄だと言う事をすぐに理解させて差し上げますよ。私は“顔無し”であり、我らの主に仕える最大にして最高最強の切り札。
全ては偉大なる主の目的を達成させる為・・・」
不敵に笑う選手の周りには異様な雰囲気が放たれていた。
『行った〜〜!遂に均衡が破れた〜。破ったのはレフトにコンバートされた立浪の後を受けてサードに入っている鈴村だ〜〜』
喚起と悲鳴が交差する西武ドームに白球が突き刺さった。
9回表、ツーアウトからのホームランで先制点、つまり決勝点を入れると言う去年までの中日に相応しくない展開だ。
彼にとって4月中旬に立浪がレフトにコンバートしたのは僥倖だった。
本来、立浪に何かあった時の為にサードを守れるように指導されていたのだが、本人が外野に行ってる隙にポジションを奪うとは思ってもいなかった。
小技と頼れる時に打てる、それが今の鈴村が7番サードで起用されている理由だ。最早、友光専用の捕手では収まらない立場になりつつある。
「さて、と・・・。この1点、ライオンズに渡す訳には行かないな。落合さん、裏も行きますよ?」
森コーチを通して意志を伝えるとベンチを出る。視線の先にいるのは今まで投げていた先発ピッチャーだ。
「・・・・」
朝比奈は打球の方向を見ていた。打たれた瞬間、何が起こったのか把握出来ずに今もマウンドで立ち尽くしている。
プロ野球新記録樹立でデビューした新人投手としては今日の登板は良くやった方だ。ただ、相手が悪すぎた。
相手は翠緑の魔王、岩井大輔。猪狩と肩を並べる日本プロ最強投手の一人、今シーズンの防御率は現時点ですら1点台を切っている。
「先に点を取られたら終わり」
この無言のプレッシャーが初回からこの9回まで朝比奈を襲い続けていた。
そのプレッシャーをまともに感じながらも良く投げ、抑えた。最後の一人がホームランを打つまでは。
「今日はここまでが限界かな・・・」
朝比奈は右手首に巻いていた赤色のリボンを外した。それは自らの限界を示し、監督である伊東に交代を促す為の作業だった。
「残念ですね〜〜。完投出来なかったのはリードするボクに責任が・・・」
「一文字さん、そんな事ないですって。岩井くんのプレッシャーを感じつつも平然と投げれるのはうちのチームで言ったら松坂くんだけだから」
降板していく朝比奈を見つめながら柚木と一文字はそんな会話をしていた。
「それにまだ裏の攻撃が残ってるしね」
9回裏のライオンズの攻撃は1番の柚木に確実に回ってくる打順だった。
「絶対、朝比奈を負け投手にする訳には行かないからさ。和田さん、僕が出たら逆転サヨナラホームランお願いしますよ?」
「もちろんだ。昨年の日本シリーズでは先発した2試合を完封されると言う手段で痛い目にあったが、今年は一味違う所を見せてやる」
そう言って和田と会話を交わしてバッターボックスに立つ柚木に回ってくるまでにアウトのランプが二つ点ってしまった。
柚木はヘルメットを被ると左バッターボックスに入って岩井と対峙する。
『かつてはあかつき大付属4季連続優勝を引っ張った右のエースと核弾頭がチームの命運をかけてこの打席に集中します』
岩井にはどうしても苦手な人間が3人ある。1人は熱血系で、竹を鉈で真っ二つに割ったような性格をしているパワフルズの秋山紅一郎。
もう1人は遠距離恋愛中の彼女だが、それは試合中であるで今は関係ない。
そして最後の1人は目の前にいる柚木藍。あかつきの蒼き自然児であり、青龍砲と呼ばれる男だ。苦手な理由はただの1点、男らしくないからだ。
秋山のように熱くて男らし過ぎるのも苦手だが、柚木のようにナヨナヨし過ぎも苦手だった。顔も女顔、名前も男か女か判断しにくい。
「まぁ、女と勘違いしたのは守の方だったが・・・」
昔語りに浸る間も無く清水からサインが出る。サインはカーブ、外角低めに外れたボールを柚木はジッと見ていた。
「清水さん、波城くんや河内くん、紅一郎くんを手玉に取ったミラージュスピンって言うのを投げさせて下さいよ」
柚木は打ちたくて堪らない顔をしていた。他の猪狩世代すら牛耳る変化球を体験するのが楽しみなのだろう。
「岩井・・・どうするか?」
「誘いに乗らないで下さい。打たれないとは思いますが、本当に打たれたらシャレになりません」
バッテリーは他の変化球で攻める事にした。2球目はフォークを内角に落として揺さぶる腹積りだった。
『柚木、岩井の投げたインローのフォークをバントした。ボールは一塁線の近くを転がっている〜〜』
岩井はズッコケルと言う吉本新喜劇的リアクションを思わず取りそうになった。あれほどミラージュスピンを打ちたがってたし、
自分たちが投げてくると予測して打席に立っていたバッターが2球目の狙い球でもないフォークでセーフティバントを敢行してくるとは思わなかった。
「藍〜〜、打つなら打つでハッキリしろ〜。行き当たりばったりでヒットを重ねるな!」
相変わらずの予測不能な柚木の行動に岩井はすっかりあかつき大付属キャプテン時代の顔になっていた。
「ひぇっくしょん!」
岩井が新喜劇リアクションなら秋山はドリフ的クシャミをしていた。
「フーケ者、早くも夏風邪かい。情けないやっちゃの」
隣には山野辺がいる。この二人は既に終わった試合のヒーローインタビューに呼ばれていた。
「大丈夫だって。誰か噂してるんだろ」
試合自体は9−4でパワフルズが勝っている。代打ホームランを打ったのを最後にサザンクローサーは無得点で抑えられた。
『まずは1試合2ホーマー、300号と言うメモリアルホームランを打った試合を勝利で花を添えた秋山選手です。今の気分はどうですか?』
「ファンのみんなの為に打ちました!パワフルズは今年絶対優勝しますんで応援、今以上にお願いします!」
秋山のインタビューが終わる頃には岩井も完封勝利を収めていた。
ドラゴンズとパワフルズ、両チームが追いかける首位のカイザースは未だにウイングスとの試合中だった。