第34話
飛べない燕





猪狩ドームでのカイザース対ウイングスの試合は2−0のまま進展せずに7回まで終了していた。

猪狩進のリードもあるが、吉良のピッチングが良かった。アウトコースを中心にした配球で内野ゴロを築く。中でも・・・

『斜めに曲がるスライダーがアウトコースに決まって三振!ウイングス打線に付け入る隙を与えません』

吉良の決め球とも言うべき横に滑るスライダーと同様の威力があるカーブとの中間の

ようなスライダーを基本球にする事で本来のスライダーとの区別を付き難くさせていた。

星野の代わりに出した代打が三振してワンアウトになる。打席に向かうクロードを亮太郎が呼ぶ。

「今日の奴から点を取るんははっきり言ーて難しい。あんさんとワイでチャンス作って主軸に回すんや。その為には・・・」

耳打ちされたクロードが打席で素振りをする。吉良の投げた初球をクロードはセーフティバントで三塁に転がす。

サードの河内が必死にダッシュして捕ろうとするがその前にボールはファールゾーンに切れた。

2球目は横スライダーだったが、これもクロードはセーフティバントを狙って三塁線上に転がす。


ファール!


三塁塁審の両手が上がる。再びのファールの判定で追い込まれましたが、亮太郎の計算通りだった。

「秀はある事情でダッシュ力はそんなにあらへん。それを狙ろうてセーフティバントを続けりゃ・・・」

猪狩進が河内とドリトンをやや前進させる。スリーバントもクロードなら考えられると思ったのだろう。

3球目のボールは斜スライダーだったが、クロードはこれをバントの構えからバットを引き、バスターで打ちに行く。

打球は三度、サードは河内の所に飛んだ。ジャンプしてグラブを伸ばすが届かなかい。

「2番、センター亮太郎 背番号4」

2種類のスライダーは区別が付き難い。しかし、亮太郎が狙うのは今日一番のキレがある斜スライダーだ。

3球見送った間のカウントは1−2。ストライクが欲しいこの場面はおそらく待っている斜スライダーを投げてくる可能性が高いと亮太郎は読んだ。

亮太郎もセーフティバントだ!バッテリー、1−2からのバントを警戒してませんでした』

転がるボールを河内が拾ってファーストへ投げる間に亮太郎が駆け抜ける。次打者の今井も亮太郎からアドバイスを受けていた。

「チャンスは初球のみか・・・」

吉良がセットポジションから投げた瞬間、クロードと亮太郎がそれぞれの先の塁へ走り出した。

『ウイングス、ここでダブルスチールを選択してきた!』

だが、捕手である進は意外に強肩だ。余程の事がない限りは2塁ランナーのクロードは刺されるだろう。しかし、今井がとった行動はその意外の一言に尽きた。

今井がなんと送りバント?しかも三塁側だ!サードベースについていた河内は前に出る事が出来ない、内野安打だ!!

サードの河内を徹底的に狙っての内野安打3本で満塁のチャンスを作り出しました』

セカンドランナーが三盗を試みればサードはベースに入らざるを得ない。そこを狙って絶妙なバントを三塁側に転がせば内野安打になる確率が高い。

しかも3番に入っている今井が初球からバントをしてくると言う発想が無かったバッテリーの裏を完全に突いた。

流石にワンアウト満塁のピンチで内野陣と神下がマウンドに集まる。

「中継ぎは既に準備が出来てる。どうする?交代するか」

「いえ、やります。湊さんを抑えて見せます!

吉良は力強く言い放った。

「ここまでお膳立てしたんやからいくら打撃不振でも打たなあかんで?」

セカンドベース上では亮太郎が呟く。

「引っ掛けて内野ゴロになるまでインコースへのスライダーを多投します」

進はサインを出すと共に河内とドリトンに前進守備を引かせる。友沢と桜井にはセンター返しを警戒してセカンドベース寄りに守るように指示を出す。

せめて同点だけは避けたいらしく、外野も心なしか前に出て来ていた。

初球と3球目は横スライダー、2球目は斜スライダーを吉良が投げてカウントは2−1。

「亮太郎達がここまでしてくれたんだ。俺が打たないと・・・」

精神的に問題を抱えているとは言え、友光との事はカイザースとは無関係だ。引き摺るのは良くない、気分を落ち着かせる為に一度間合いを外す。

「スライダーだけの投手ならいくらでもいた。打てない訳じゃない!」

再び打席に入ると今度は進の方がタイムを要求した。審判と一言二言言葉を交わしてからボールを受け取るとそのままマウンドに行く。

「吉良くん、こっちが縫い目に指が掛かりやすいから使って下さい。それと、次の球ですが・・・」

吉良が持っていた方のボールを審判に投げ返す。打ち合わせを終えて戻ると湊を見る。

「湊先輩、スイマセンが次に来るのはあなたの狙い球じゃありません。おとなしく三振してもらいます」

そう言えば猪狩コンツェルンにカイザースが買収され、猪狩兄弟が金銭トレードで入団して来るまで進と湊は同じブルーウェーブに在籍していた。

なので、狙っている球の大方は予想がつく。それは湊も進のリードが分かると言う事にもなっているが。

吉良が投げた4球目はそれまでのインコースと違ってアウトコースに迫る。それもスライダーではなく低めギリギリのストレートだ。

「やっぱりインのスライダー狙いでしたね。それならアウトローにストレートを投げれば反応は出来ません」

ワンアウト満塁での理想形は三振かもしくは内野フライである。

ゲッツーが理想と言う人もいるかもしれないが、バッターランナーの足が速かった場合はゲッツー崩れになって3塁ランナーを迎えてしまう危険性があった。

一点差でランナーが残ると何があるか分からない。それよりは確実に点が入らずにアウトカウントが増える三振と内野フライが一番良い。


ボール!


審判の右手は高く上がらなかった。判定を聞いた瞬間、進はいつも冷静な部分を忘れて審判に食い下がった。

「今のがストライクじゃなくてボールですか?前の回までここのコースは取ってたじゃないですか!」

ここでのストライクボールは天地の差がある。アウトカウントが増えるのとまだ湊が打席に立つのでは意味合いが大きく違う。

今の球でバットが出なかったからと言って次の球にもバットが出ないと言う保障はどこにも無い。それ以前に・・・

「そこまで食い下がると言う事はあの球で決める為。おそらく次の球と言う考えは無かったな」

湊が冷静に分析していた。なおも詰め寄ろうとする進を河内が止める。

審判の判定は絶対だ!文句を言うな

流石は皇帝と呼ばれる河内だ。一発で進を黙らせてしまうと湊に視線を移す。

「太一、俺の所に打って来い」

湊からはそう言わんばかりの目に見えた。苦笑を浮かべるとバットを構える。

「今の球で決まらないとなるとインハイのスライダーで体を起こさせた上での再度のストレート勝負しかありません。

フルカウントになりますが当てないように細心の注意を払って投げてください」

冷静モードに戻った進がサインを出し、吉良が言われた通りのコースに言われた通りのボールを投げようとしたが、

デッドボールを意識しすぎたのかストライクゾーンに甘く入ってきた。

しまっ・・・

バッテリーが同時に思ったが遅かった。湊はこの球を逃さずにミートする。それもサードではない方向に引っ張る形だ。

「俺一人ならサードに打ったかもしれないがチームが負けてる。悪いが次の機会にしてくれ」

ファーストに走りながら湊は河内を一瞥する。打球は桜井がセカンドベース寄り、ドリトンが浅めに守っていた為に広く開いている一二塁間を突破する。

内野から外野に転がる間にクロードがホームインして1点返す。更に亮太郎も3塁を蹴った。

それが視界に入ったのか、ボールを捕球しようとしたライトの三村の意識がそっちに言ってしまい手元が疎かになる。

速い打球は三村のグラブをあざ笑うかのように横を通過して行った。

ライトの三村、痛恨の捕球ミス!亮太郎がホームに還って同点!

しかも猪狩ドームは広い。浅く守っていた外野手が転々と右中間を転がる打球に追いつくまで時間がある。

その間にファーストランナーだった今井まで3塁を蹴ってしまった。

ようやくセンターがフォローに入って打球を捕った時には逆転スリーベースヒットになっていた。

よっしゃ、それでこそウチの4番や!

ベンチの声に湊もガッツポーズで答えた。一方のマウンドには吉良がいなくなっていた。

代わりにいるのは西条ピッチングコーチ、やっているのは足場を慣らす行為だ。つまりは投手交代。

「カイザース、ピッチャーの交替をお知らせします。吉良に代わりましてピッチャー上田、背番号15」









斎藤が打ち取られてチェンジになると今度は龍堂が動く。星野に代打を送った事も有り、ピッチャーに池田を送り込んだ。

トリコロールカラーに塗装されたリリーフカーに乗り込んで池田がマウンドに登る。登板時の音楽もT.M.Rから高橋瞳に変わっている。

「ウィンダムカラーの連中め、ザクとは違う事を分からせてやる!

そんな事を言ってもウイングスの帽子のカラーが思い切り緑なのでザクとしか言いようが無いのだが。

その池田が8回裏を、吉良から受け継いだ上田が9回表を抑える。そして最終回のマウンドにはリリーフエースの都がいた。カイザースは1番からの好打順だ。

「じゃけんど、五条もよくカイザース相手に投げる気になったのぉ・・・」

先発した星野が呟く。耳年増の不破はそれを聞き逃さない。

「星野さん、どう言う事ですか?」

「ん?これ見たら分かるじゃろ」

星野はそう言ってスコアラーからノートを借りる。

「えっと・・・。都さんの対戦チーム別成績表ですか?」

「そうじゃ。それのカイザースのトコ、見てみぃ」

不破はそれを見て驚いた。そこには何も書いてない真っ白な状態だったのだ。

「5年前からじゃの、五条がカイザース相手に投げなくなったんは・・・。それとあの球も・・・」

星野の言ってる事がイマイチ理解できない不破だった。

『猪狩進の打球はショートゴロ。クロード捌いてファースト転送してツーアウト!

ウイングス、セリーグ首位のカイザースに勝利するまでのアウトカウントは後一つです!』

都は何としても3人で抑えたかった。一人でも塁に出すとあのバッターに回ってしまう。

そう、皇帝河内にだ。回さない為にも目の前の桜井を全力で打ち取らなければならない。

スローカーブ、スクリューと言う変化球一辺倒のピッチングで2−0と追い込むが桜井もそこから粘りを見せ、3球ファールで食らい付く。

遂に8球目にして打球が前に飛んだ。

レフト前ヒーット!カイザース、ただでは終わりません。ここでカイザースの中で一番頼れる河内に打席が回りました』

河内が打席に入る。その打法は自らが尊敬する立浪和義だ。一方の都は恐怖から来る汗が止まらないでいた。

「本来のグライドスワローはムービングファストじゃない。それも知らんじゃろ?」

星野は予感している。おそらく都は打たれる、と・・・。

「ムービングファストじゃないってどう言う事ですか?」

「本来のグライドスワローとはアンダースローのフォームから繰り出される低い球道のボールがホップし、

左打者のアウトハイからインローまで沈んで行く文字通りの左キラーの変化球じゃ」

不破がその光景を想像してみる。確かに右打者には急激に逃げ、左打者は膝元を襲う球は打ちにくそうだ。

「じゃが、今の五条はそいが投げられない。河内が“不死鳥皇帝”とも言われるんも、全ては5年前の事件からじゃ」









5年前の神宮球場


『さあ、8回表のマウンドには一ノ瀬の後を受け継いだ2年目の五条。対するたんぽぽカイザースは2番の坂上、3番の萩本、4番の河内と続く打順です』

都は古田のリードもあってかあっさりとツーアウトを取る。そして打席には河内の姿。その初球、真のグライドスワローを古田は要求した。

そして事件が起こった。

河内起き上がれません!スイングに行ったボールがまさかの変化、そして踏み込んだ右の膝を直撃しました

そのまま河内は退場していく。ぶつけた都はコントロールがいいはずの自分がデッドボールを与えてしまったショックを隠しきれない。

その精神状態を察した若松監督はピッチャーを山部に代えた。









「結果は右膝半月版損傷。翌日の一面を飾ったのぉ・・・“皇帝二度目の死亡”って記事がの」

「二度目って事は・・・?」

「一度目は高校3年の夏、あかつきとの決勝戦で勝ち越しのホームを踏んだ際に右のアキレス腱をブチっとやっての。

再起不能から復活して入団、そして2年目であの大怪我じゃ。さすがに誰もが今度こそ再起不能って思ったんじゃが、そこから河内は復活してきおった。

往時のスピードと全力疾走が出来なくなった事を代償にしての」

河内の歴史は再起不能と復活の歴史でもある。最初のアキレス腱断裂が元で怪我しやすい体質になった河内の再起不能から復活、

復帰戦となった巨人戦で猪狩守から放った代打逆転サヨナラホームランは今では猪狩世代の伝説の一つになっている。

故に河内は“不死鳥”であり、カイザースの4番“皇帝”であるのだ。

「逆に五条は真のグライドスワローを封印しおった。使えばまたいつか左バッターに怪我をさせてしまうかもしれんからのぉ。

それで新しくムービングファストに目を付け、それをグライドスワローにしたんじゃ」

つくづく甘いと不破は思った。プロである以上そんな事は日常茶飯事であり、不可抗力である。

約一名、ドラゴンズのあのピッチャーだけは故意にやってるが・・・。

「じゃからグライドスワローを使えば必ず打たれるわい。何せニセモノなんじゃからのぅ」

そう言って星野は引き上げる。あそこまで好投して勝利投手の権利を得ているが、今日はとても白星を望めそうに無い。

何せ都と河内の対決になってしまったからだ。後に続く不破の後ろで打球音が響く。都の投げた球が真芯に当たり、バックスクリーンに直撃する。

呆然とするウイングスのベンチとフィールドプレーヤーを放ったらかしにしてホームベースでは河内を迎え入れる用意が万端になっていた。

手洗い祝福を受けながらホームインする河内の心は5年前の悪夢を完全に振り払った安堵感があった。

「やっぱり私はカイザース・・・いや、河内くんには投げられないのかなぁ・・・」

ここにも過去の事で悩み続ける選手がいた。湊と都の苦悩はおそらくまだ続く事だろう。

上位3チームが揃って勝利を収め、セリーグはより混沌の度合いを深める。パリーグもマリーンズとホークスの二強状態なりつつあった。




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