いつからだ?いつからおかしくなった。クソ野郎が俺を捨てた時からか?奴が俺から大切な物を奪った時からか?
―――否、おかしいのは・・・初めからだ。
11月上旬、東京ドームで秋山がアジアのチーム相手にホームランを情け容赦なく放っている頃、ウイングスは春に張ったキャンプ地である島原市に来ていた。
一からチームを作ってシーズンを4位で終えた事は何よりの収穫であった。
来年はプレーオフ出場を目指し、選手の能力底上げをこの秋季キャンプで行っている。
中でもチーム唯一のタイトル、首位打者と最多安打を獲得した湊の打撃練習にはかなりの熱が入っていた。
「今年はイチローさんの持っていた年間最多安打記録を215に塗り替えた。来期は4割、そして・・・リーグ優勝だ!」
湊の打球がレフトフェンスに直撃したのを見計らってバッティングケージを隔てて、監督の龍堂が手招きをした。
「湊、少し休んでこっちに来てみろ」
「別に構いませんが・・・何ですか?」
龍堂はコーチにも声を掛けて練習を中断させた。全員がベンチに集まったのを確認すると奥からテレビを引っ張ってきてスイッチを押した。
都内のホテル
ちょうど一年目のここではウイングスが星野と都の移籍会見、チームの結団式を行っていた場所でもある。
皮肉にもここで大物選手は会見の為にありとあらゆるマスコミを呼んでいた。
「それにしても局に『三日後に移籍会見をするからスクープ撮りたいなら来い』と言う内容のFAXを送り付けたのは一体誰なんでしょうか?」
パワフルスポーツの名物アナウンサーである希保田響子は隣の同僚アナウンサーに訊ねた。
「FAしたソフトバンクの城島、ポスティングを行使したカイザースの猪狩進は今更する必要はない。
球団にメジャー移籍を反古にされたライオンズの松坂、原の監督復帰で残留の腹を決めた巨人の上原の可能性は極めて少ない。
それに、阪神の井川は論外だ。だが、心当たりはある」
そう言って瀬良白馬は言葉を返した。かつてのあかつき四神の白虎砲、純白の狙撃手と呼ばれていた人物だ。
「では、誰ですか?」
「すぐに分かるよ。彼はこう言った事で焦らすのは嫌いなタイプだからね」
勿体つけた様に瀬良はそれ以上言わなかった。
一方、島原に居る湊は龍堂の意図を測りかねていた。たかだか一選手の移籍会見程度で練習を中止する事は無いと思っていたし、
見るだけ時間の無駄とも思っていた。それこそ球界を揺るがす程の選手で無い限りは。
「監督、打撃練習の再開を・・・」
「それは許さん。事の次第によっては我々ウイングスは大打撃を受けるかも知れん」
湊は納得いかないものの、黙ってベンチに腰掛けた。
ホテルではいよいよ定刻となり噂の選手が姿を現す。重たいドアが音を立てて開くと、スモークが一気に焚かれBGMには有名なダースベーダーを流している。
「誰だ!この選曲をした奴は!この曲は俺様のガラじゃねぇからさっさと止めろ!!」
ドアの方を振り向いたマスコミは一同に絶句した。移籍と言う言葉にはおよそ程遠い人物がいたからだ。唯一、瀬良だけが察していたかのように頷いていた。
島原にいたウイングスの選手も驚いている。その中で湊がポツリと彼の名を呼んだ。
「友・・・光!」
龍堂は腕を組んだまま一言も発さずにブラウン管の中にいる友光の一語一句を聞き漏らすまいと集中していた。
会見場のイスに腰掛けた友光は黙ったままで記者からの質問を待っていた。
とは言え、記者も何を質問して良いか分からない。それ程に友光が意外な人物だった事を窺わせる。
業を煮やした友光は適当に記者を指名して強制的に質問をさせた。
「この移籍はまず国内ですか?それとも国外ですか?」
「答えは前者、国内チームだ。因みに言えば既に交渉も済んでいる」
場内がどよめく。水面下でそこまで進んでいたとは予想していなかったらしい。
「パワフルスポーツの瀬良だ。友光、今回このような会見を開いた真意を聞かせて欲しい」
「何だ、ウマか。まぁ、良い。折角だから聞かせてやろう」
この振りは長めの話になるな。そう思いながら瀬良は質問した事は失敗だったと直感した。
「監督・・・。もしかしてこの事、知ってましたね?」
「確証は無かったがな。瀬良アナからそれっぽい話は聞いていた」
湊は龍堂に掴み掛からんばかりの勢いで迫った。
「知っていたのなら何故見せようと!」
「お前と奴の関係を考えると無視させる訳にいかなかったからだ」
湊がバッティングケージに戻ろうと立ち上がると龍堂は釘を刺した。
「会見を開いていると言う事実を鑑みると、奴は・・・ブチ撒けるぞ。お前の罪もその他全てをひっくるめてな」
それを聞いた湊はコブシをイスの背もたれに叩き付けた。
「移籍については結構前から考えていた。最終的に腹を決めたのは10月5日だ」
「成る程、その日はドラゴンズ対パワフルズの最終戦。結果的に優勝決定戦になった試合か」
付いていけなくなった他のマスコミの代わりに質問等は瀬良が一手に引き受けていた。
「あの試合・・・。つまりは岩井と赤毛のツンツン頭の勝負が俺にとっても全てだった」
あの日の試合はドラゴンズ対パワフルズと言うより岩井対秋山の死闘と言った方が差し支えなかった。
岩井の変化球と投球術の前にパワフルス打線は秋山以外にランナーを出す事はほとんど無く、ドラゴンズ打線も完全に沈黙。
完全に試合は秋山が岩井からホームランを打てるか否かになっていた。
(補足としてこの試合までに首位のドラゴンズは2位のパワフルズに1ゲームを付けていたので引き分けでも優勝できていた)
両者の対決も岩井がスピンカーブで秋山を三振に取れば、秋山も岩井のミラージュスピンを打ってツーベースにすると言ったように互角であった。
そして運命の9回裏、秋山の第4打席で岩井は最後の勝負に出た。
それまで封印していた最後の魔球、ドライブ・スパイラルを解き放ったのだ。たちまち2−0に秋山が追い込まれる。
「あの場面まで取って置きを隠していた岩井も流石だが、その情報すら知らなかった赤毛のツンツン頭はそれに対応して来た」
事実、秋山はたった2球見ただけでドライブ・スパイラルをバットに当てて見せたのだ。
3球目、4球目とドライブ・スパイラルで勝負する岩井に秋山はファールで粘る。
そして両者の分水嶺の5球目、岩井は全力を込めたドライブ・スパイラルを投じ、秋山もまた渾身の力でスイングした。
結果はスイングアウトの三振に終わった。
だが、この打席に己の全力を注ぎ込んでいた岩井に延長戦を投げる力は残っておらず、ベンチに戻るのとほぼ同じタイミングで倒れそうになる。
崩れ落ちかけた岩井を受け止めたのもまた、友光であった。友光に受け止められた事を寸前で知った岩井は一言、
「君になら中日の優勝を任せられる・・・」
と、言い残して気を失うと医務室に運ばれて行った。その意志を汲んで友光は延長戦のマウンドに登り、そして敗れた。
岩井が全力を掛けて抑えた秋山に友光も全力で挑み、ホームランを打たれた。あの決め球“龍”を打たれて・・・。
「優勝を決めるサヨナラホームランを打たれたのは岩井に対して済まない事だと思っている。だが、俺はあの試合で肝心な事を思い出した」
「肝心な事?」
瀬良が訊ねる。友光は少し頷いて言葉を継いだ。
「俺がプロに入った理由だ。最終戦の岩井と赤毛のツンツン頭の対決のように俺も奴とのケリを就ける為にこの世界を選んだ」
「そうか・・・。奴とは彼の事か」
「ああ、その為に俺が選ぶチームは・・・オイ!入れ」
再びドアが開き、視線が集中する。そこにいたのは・・・。
「西武・・・ライオンズ監督、伊東勤!」
記者の誰かがそう叫んだ。伊東は歩き出すと友光の隣のイスに座った。
「月並みだが、友光。その決着を就けるべき相手とは?」
瀬良は知っていても一応訊ねた。
「静岡ウイングスの湊太一!」
当然の答えが返ってきた。その後は伊東も含めた会見になる。契約内容等も公表され、
背番号は涌井が付けていた16を友光が強奪する形になった。最後に友光から一言貰って会見が終了するはずなのだが、
友光は伊東の手から背番号16の入ったライオンズユニフォームを右手で奪うと肩に掛け、左手でマイクを握った。
「なぁ・・・。どうせあんたも今見てるんだろ?この会見をさぁ!」
おもむろに切り出すと険しい表情でテレビカメラを睨み付ける。
「愛弟子の調子はどうだ?交流戦で俺様が完膚無きまで叩き潰してやったからなぁ!壊れた状態を治すの大変だろ」
伊東が制止しようとするがその手を振り解く。
「あんたにとっちゃあ、弟子の方が大切だもんな。でもなぁ・・・でもなぁ!」
「その先は言うな!俺を罵りたいなら好きに罵れば良い!だが、その先だけは絶対に言うな!」
ブラウン管の向こうで湊が叫ぶ。しかし、遠く離れた長崎ではその声も届かない。
「思い上がった貴様の所為でどれだけ俺達が迷惑を被ったと思う!」
友光は辺りを見回すと更に大声を張り上げる。
「いいか!お前達もよく聞け!俺の名は・・・俺の名は!!」
実に澄み切った声で迷い無く彼ははっきりと言い切った。
「俺の名は龍堂!龍堂友光!!
俺とお袋を捨てたウイングス監督の龍堂友影の息子、龍堂友光だ!!」
次の瞬間、テレビ画面からは『しばらくお待ちください』の表示が流れた。
「ま、そう言う事だ」
龍堂は苦笑しながらその場にいた湊以外のウイングスメンバーに言うと監督室の方へ歩き出す。後を追うように湊も走り出す。
宮崎市、フェニックスリーグ会場
ここはペナント終了後に各球団の若手が集まるリーグである。この場所にウイングスの不破・森坂・クロードがいた。
「おい、ミスターカイト。例のニュースは聞いたカ?」
「ああ。中日・・・いや、西武の友光投手の事だろ?さっきロッテの箕輪やカイザースの桜井が話してるのを聞いた」
「それにしても驚きデス。まさかボスにミスターリュードーと言う息子がいるなんて・・・」
二人は話し込む内に不破がいない事に気づいた。
「大助は?」
「ブルペンでミスダテとイチャついてました」
森坂は不破に軽い殺意を覚えた。
「監督!・・・いえ、龍堂さん!!」
外に通じる通路の所で湊は龍堂に追いついた。
「湊もどこかに隠れた方がいいぞ。あのテレビを見た記者達がすぐにでも来るはずだ」
「そんな事じゃなく!」
詰め寄ろうとした湊を龍堂は手で制した。
「アイツが言った事は本当だ。そしてアイツをあんな風にしてしまったのも俺だからな」
淡々とした口調で龍堂は言った。
「でもあれは・・・」
「気にするな。少なくともお前に非は無い」
手を振りつつ通路を外に向かって進む龍堂。後ろを向いたまま湊に思い出したように言う。
「それから明日から静岡に少し戻る。球団のトライアウト見に行くから」
その場に残された湊の気分だけがいつまでも晴れなかった。