第39話
新たなる翼





ウイングス入団トライアウト


非ドラフト指名野球選手を対象にした極秘テストで、今年も行う事になっているはずなのだが、

流石に今年は極秘と言う訳には行かず、マスコミがかなり取材に来ている。

「確か去年このテストで入団したのは不破・山崎両投手に森坂・小金井・荻原野手、その中で不破投手は87試合に登板、山崎投手は二桁11勝、

森坂野手はセカンド、小金井野手はライトのレギュラー。このトライアウトに合格すれば僕がプロ野球チームのレギュラーになるのも不可能じゃない」

その会場であるウイングスホームグラウンドの草薙球場に相羽悠はいた。

「大丈夫、僕は合格出来る。それだけの実力は持ってるはずだ」

自分に言い聞かせるように言って相羽は会場に向かった。

ちょうどその頃、球団事務所では一騒動起きていた。

「どんな条件を出されても僕はウイングスには行きません」

目の前に座るスカウト部長を見据えて、ドラフト1位指名の岩井陣が言い放つ。あかつき大附属のエースとして6年振りの選抜優勝を果たした左腕である。

そして、“岩井”の名字が示す通りに彼は中日のエースにして今年の沢村賞投手、岩井大輔の実弟でもあった。

「最初に言った通り、あかつき大か帝王大に進学します」

話を強引に打ち切ると陣は球団事務所を後にした。

彼が頑なに入団を拒否するのには理由があった。それはドラフト会議当日に遡る。

彼は志望球団のカイザースに指名されるものだと思っていた。また、カイザースもそのはずだった。

だが、猪狩進のポスティング移籍がそれを一変させた。

この件で正捕手を失ったカイザースは慌てて、高校球界ナンバーワン捕手の帝王実業の猫神を獲得する方向に変更したのだ。

これによって本命であるカイザースが陣争奪戦から最初に抜け、カイザースとの指名重複覚悟で陣を強行指名したウイングスを含む数球団に運が向く。

結果として交渉権は監督の龍堂が引き当て、現在に至る。

陣の説得には龍堂自身も乗り出してはいたが、聞く耳持たずの焼け石に水だった。

最終手段の実兄、岩井大輔による説得も試みられたが、

岩井(兄)がリーグ優勝決定戦のパワフルズ戦での秋山に対して投げたドライブ・スパイラルの後遺症で入院してる状態だったので不可能であった。

「兄さんが出てきても僕は大学に行く。そして4年後に希望枠でカイザースに入る!」

心にそう決めて陣は拾ったタクシーに乗り込む。

「ついでだ。草薙球場に龍堂監督がトライアウトで来てるって言う話だからこの際はっきり断りを入れるか」

陣は運転手に草薙球場に向かうように指示をした。









草薙球場


断る気満々の陣が向かっているとは露知らず、龍堂はトライアウト生を見ながら唸っていた。

「4位で終われた事すら行幸と言っても良い。だが、それだけでは駄目だ」

もっと上を目指す為にはかなりの部分を直さなくてはならない。

「ウチの弱点。それは主砲がいない事だ。チームの最多本塁打者がリーグ首位打者の湊、5番を任せている斉藤ですら21本。

これでは主軸にチャンスで廻った時に点が入り難い」

確かに湊だけでは取れる点は限られる。そして、もう一つ弱点があった。

「次に投手陣。先発はコマが揃っているものの、二番手以降が徹底的に少ない・・・」

その証拠に不破が87試合、池田が54試合、クローザーの都が48試合とかなり負担を掛けている。

(不破の試合数に関しては本人の希望が80試合以上だった為)

「主軸は兎も角、中継ぎに関しては策がある。だが、その為には今の打撃力を更に減らす事になるが・・・」

龍堂の策とはショートレギュラー、クロードを投手に専念させる事で、その代わりにトップバッターを失う事になる。

打撃力を減らしてまで投手陣の整備が最優先と考えた結果の策だった。

「だからこそ今年のトライアウトは長距離打者、それもコンスタントに打てる選手ともう一枚の中継ぎ投手が欲しいな」

しかし、ハードルを高く設定してまったが為に、トライアウト自体の合格者はいても龍堂の目に留まりそうな選手はいなかった。

テストも最後の実践形式の打撃テストに移る。そこにタイミング良く陣が球場に現れ、龍堂のいる一塁側のベンチにやって来た。

「龍堂さん、指名してもらったのは光栄ですが、僕はウイングスに入るつもりは有りません!」

龍堂は二,三度同じ言葉を聞いたが今回は様子が違っているのを感じた。

「そう邪険に言うな。折角だからこのテストぐらいは見て行け」

龍堂は無理矢理に陣をベンチに座らせると最後のテストを開始させた。

数十分後、陣は見ているだけのテストに厭きた。

「龍堂さん、キャッチボールで肩を暖めてきます」

そう言うとベンチから出て、適当な選手を見つけるとキャッチボールを始めた。

「流石に甲子園優勝投手、見ていれば投げたくなる・・・か」

龍堂が視線を陣に向けている時に背後からオーナーの政明が姿を現した。

「どう、龍堂センセ?めぼしい選手はいるかい?」

陽気に答えて記者にも挨拶をする。

「今の所はいませんね。それよりも問題は・・・」

「ドラフト1位の岩井の弟君か。未だに拒否な訳?」

我関せずと言った雰囲気で政明は訊ねた。

「今も来てるのですが、はっきりと拒否されましてね」

頭を掻きながら答える龍堂に政明は意味深な笑みを浮かべた。

「僕が聞いた話だと布石は既に打ってるみたいだ。それに・・・」

「それに?」

「ここにいるトライアウト生の誰かが何とかする。そんな気が僕はするんだよ」

キャッチボールを終えてベンチに戻って来た陣が二人を見る。

「オーナーに龍堂さん、一つ賭をしませんか?」

「それは興味深い。聞かせて貰えるかな?岩井の弟君」

龍堂そっちのけで政明が話を聞く。

「あそこのトライアウト生を全員打ち取ったら諦めて貰えますか?」

「ふむ、こっちが圧倒的に分の悪い賭だが・・・いいだろう乗った!その代わり一人でもヒットを打ったら入団してもらうよ」

「分かりました。ヒットを打たれたら・・・ですけどね」

そう言って陣はマウンドに向かう。

「オーナー、よろしいんですか?」

「負けてもこっちには布石がある訳だし、ドラフト1位生がトライアウト生に2年連続で立ちはだかるんだ。最早伝統だね」

嬉しそうに政明は言って、見守る事にした。









「さっきまで向こう側のベンチが騒がしかったけど、何かあったのかな?」

自分の出番も今か今かと待っているゼッケン番号74の相羽はボンヤリとそんな事を考えていた。

「まぁ、良いか。僕は僕のバッティングをするだけだ」

実はここまで相羽の成績はあまり良いとは言えなかった。故にこの最終テストで心証を良くしておく必要があった。しかし、そこには陣が立ちはだかっていた。

「相手がトライアウト生でも関係ない。勝つのは僕だ!

最初のバッターと対峙する。陣はストレートのみで三振に仕留めて見せた。

その後も直球や変化球を織り交ぜながら凡打に打ち取って行く。その光景を見ながら政明と龍堂は会話を交わす。

「プロから見て弟君はどう?」

「腕がしなやかなのが第一印象ですね。体格も恵まれてるし、高校の先輩でもある兄の岩井大輔の変化球と猪狩守の直球の両方を投げれると言った感じですか」

「確かにそうみたいだね。ただ、中途半端に纏まってる気がしないでもないけど」

中途半端に纏まるのは結構危険である。良く言えば伸び代がある、悪く言えば直球・変化球どっちつかず。そう、不破みたいになる可能性があるのだ。

「当然、先発で使うんでしょ?」

「ええ、その場合は星野・空閑・葉山・山崎に続く5番手になりますね」

「どうせなら開幕投手にしなよ。面白そうだし」

既に陣の入団を確信してるかの如く政明は龍堂に話す。目の前で当の本人がバッターをピッチャーゴロに片付ける。

次はゼッケン番号74番!

相羽が呼ばれてバッターボックスに立つ。そこは左投手である陣が有利と言われる左打席だった。

「ゼッケン番号74、相羽悠・・・。このデータ表には書いてないけど、何者?」

政明は龍堂に振ったが、その龍堂も歯切れが悪い。

「私も全てのトライアウト生を把握している訳ではないので・・・」

「ふーん、未知の選手って訳か。面白いな」

指を鳴らして部下を呼ぶと、政明は打席に立っている相羽が何者なのかを調べるように命じた。

「見た感じは湊君と同じタイプに見えるけどねぇ・・・」

経営者として不確定要素がどう影響を及ぼすのか政明は知りたかった。

「甲子園での投球を見る限り、陣は左打者が相手だった時はアウトコースの高速スライダーで様子を見る事が多い。それも初対戦なら特にだ」

陣の足が上がる。上手から放たれたボールがミットに突き刺さる。


ボール!


一個分だけボールに外れる。相羽の予想通りにアウトコースの高速スライダーだった。

「今のに反応しなかった場合、次はインハイにストレートでストライクを取りに来る」


ストライク!


これも予想通りにインハイのストレート。2球続けての見逃しに陣は違和感を感じた。

「そこら辺の打者とは何かが違うな・・」

「ここまで振らなかった場合、陣は真ん中から低めに落ちる球を選択する」

そして3球目、相羽の予想通りにスクリューが真ん中から落ちてカウントは1―2になる。

「1球も振らないとは・・・。組み立てが読まれてるのか?」

「さて、エサは撒いた。後は・・・」

陣が振り被る。投げるのはアウトコース逃げ、ゾーン一杯に決まるドロップカーブだ。

記憶通りだ!振り抜く!!

相羽は思い切り踏み込み、バットを振る。明らかにそこに来ると分かっていないと打てないスイングだ。


カキーン!


打球はライト方向に飛んだ。陣は自分が左打者のアウトコースに投げた球がライト方向に飛ばされるとは思っても見なかった。そして、そんな経験もなかった。


ファール!


相羽は打球を引っ張り過ぎて、ファールにしてしまった。陣は九死に一生を得、ベンチでは記者も含めてどよめきが起こる。

「今の見ましたか?オーナー」

「いや、打った瞬間にファールになると思ってたから見てない。それより、これ」

政明は一枚の紙を龍堂に見せた。

「何ですか?」

「この短時間で調べた相羽悠のデータだ。おかげで面白い事が分かった」

政明はニヤリとしてマウンドとバッターボックスの両者を見た。

「相羽悠・・・高校球界では全くの無名。だが、彼には一般人の常識を超える能力を持っていた」

「ま、まさか・・・。こんな奴が存在するとは・・・」

龍堂も驚きを隠せない。

「彼は驚異的な記憶力の持ち主だ。プロアマ問わず、全ての投手のそれまで投げた配球パターンを覚えているんだ。信じられない事にね」

その場にいた人々は絶句した。

「成る程。それならばあの余裕を持った見逃し方も説明がつく」

龍堂も納得するしかなかった。

「さあ、一転して追い込まれた弟君はどう出るやら」

「しまった。あまりにも予想通りだったからスイングが速かった。だが、もう相手は打つ手が無いはずだ」

「まさかあそこのドロップカーブを運ばれるなんて・・・。こうなったら・・・」

遂に陣は覚悟を決めた。

投げるとしたらストレートだ!

できればには投げたくなかったが、使うしかない!このライトニングショットを!!

陣が投げたのはど真ん中のストレート、相羽にはそう見えた。

しかし、ボールはそこから予想外に伸びた。まるで猪狩守のライジングショットのように・・・。

バシッ!と言う音が球場に響いてボールがミットに収まった。


ストライク!バッターアウト!!


三振のコールがされたと同時に陣は天を仰いで長い息を吐き、相羽は地面に膝を付いて肩を震わせた。

「ボールの伸びが記憶以上だった。彼を精神的に追い詰めたのが逆に仇になってしまった・・・」

「甲子園でしか投げてない球だったが、あれ程伸びたのは初めてだ。それに・・・」

相羽のバットを見つめる。その理由は、ほんの僅かにバットが欠けていた。と言っても木っ端が飛んだ程度だ。

「掠られたのも初めてだ」

おそらくそれに気付いてるのも陣自身だけだろう。

マウンドを降りると真っ直ぐベンチに戻った。

「オーナー、球団事務所に行って契約して来る」

戻るなりそう言うと制服を着直す。

「へぇ・・・。どう言う心境の変化だい?」

「最後のあの球を投げて決めた。アマである大学に行くよりプロに行った方がまたあの球を投げられるかも知れないからだ」

「君がいいならそれでも良いさ。龍堂センセ、確かピッチャーの背番号は16が空いてたよね?」

我に返った龍堂がオウムのように頷いた。細かい契約をする為、陣はその場を後にした。記者がそれを追いかけ、ベンチには政明と龍堂が残った。

「話が上手く纏まったから良いとして・・・。布石って何だったんです?」

「ああ、あれ?実の所、弟君は指名の翌日には入団する腹を決めていたのさ」

いきなりそんな話を聞かされて龍堂は驚く。

「ホラ、病院のベッドからでも説得は出来るでしょ?兄貴の方に何とか出来ないか中日球団を経由して聞いてみた訳よ」

「それで?」

「そしたら岩井兄貴は言う訳よ。『入団拒否のコメント聞いた秋山と柚木、そして守が俺の見舞いついでに携帯に電話して説得した』ってさ。

そう言えば弟君は兄貴じゃなくて猪狩の方のファンだったらしいよ」

饒舌に語る政明に龍堂は訊ねた。

「・・・と、言う事は今まで入団拒否の演技をしてたと言う事ですか?」

「まぁ、そうなるかな?どこかで入団する理由が欲しかったんだよ。それが今回だった訳」

あっさりと政明は言う。

「それじゃオーナーは初めからそれを知ってて?」

「そうじゃなかったらあんな賭はしないよ。こっちが勝てばそれで良し、負けても弟君の意思が翻ればそれでも良し。

経営者足るもの勝負は確実に勝てないのを選ばないとね」

ゆっくりと腰を上げると、向こう側である三塁ベンチを見た。

「あの相羽悠の記憶力は色々と使い手がある。採っておいて損は無いと思うよ?一応は野球選手として使えるみたいだし」

そそくさと退席する政明を後ろに、龍堂は呟く。

「確かに大抵の投手の配球を知ってるのは大きい。

それにオーナーは見てないから言わなかったようだが、あのアウトコースの変化球を引っ張ったのは注目すべき点だ。

幾ら来る球が分かっていたとしても引っ張るのは難しい球・・・。それが出来ると言う事はひょっとして・・・」

望んでいた長距離砲かも知れない。同じホームランバッター出身の龍堂は直感した。




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