1月2日、部屋で目覚ましが鳴る。その音で陣は目を覚ました。
「ん・・・朝か」
欠伸もそこそこに起き上がると目覚ましを止める。その後で日課のストレッチで身体をほぐす。
低速回転していた脳が正常に動き始めてから階段を下りると騒音のような笑い声がした。
「やっぱり俺的にはやすきよが最強な訳よ」
「いやいや、野球選手足るもの青空球児・好児こそが一番だよ」
声がする部屋を覗くと、赤毛のツンツン頭と青毛の三つ編みがお笑いコンビについて語っていた。
「なぁ、お前はどう思う?」
赤毛のツンツン頭は陣と同じ緑色の髪をした人物に話を振る。少し考えてから彼は答えを出した。
「・・・スマン。お笑いは吉本と笑点しか知らん」
岩井の答えに秋山と柚木はガックリとうなだれる。話が途切れた所で秋山が陣の存在に気付く。
「朝飯ゴチになってるぞ」
朝ご飯をかき込みつつ、秋山が言う。
「兄ちゃん・・・。何でいるんですか?」
「お前がウイングスの寮に入るからその手伝いをしようと思っていたら、どこから聞きつけたのか知らんが、いきなり二人ともやって来た」
「あれ、そうだったの?僕はタダ飯を食いに来ただけだけど」
適当に具をパンに挟むと柚木はトースターにぶち込んだ。
「・・・少し顔洗ってきます」
秋山と柚木に付いて行けなくなって陣は部屋から出る。中では相変わらず二人だけが笑っていた。
食事が済むと、部外者二人の内、柚木は用事があると言って帰った。
陣が入寮に必要な最低限の荷造りをしている横で秋山は、プロ野球チップスカードに自分のカードがないか探している。
「お、猪狩のキラカードだ。要らね」
「秋山さん、誰もやるとは言ってません」
「あ、俺のホームラン王を取ったタイトルカードだ。ブッフバルトと交換してくれ」
聞く耳持たない所か無理なトレードまで要求している始末である。その様子を見受けた岩井が陣の部屋から秋山を叩き出す。
「邪魔するなら帰ってくれ」
そう言って自らも秋山に続いてを出た。
「しまった!寝過ごした!!」
慌てて電車から降りて、相羽はホームを転がる。手には野球用具一式の入ったバッグと一杯にノートを詰めたバッグを持っている。
「静岡まで時間あるから思わずウトウトしてたけど・・・危なく乗り過ごす所だった」
胸をなで下ろしつつ看板を見ると、「浜松」と書いてあった。因みに西から向かっているなら、静岡まではまだ距離がある。
「・・・もしかしてとちった?」
もしかしなくても早とちりであった。
「うおーい、準備出来たかー?」
家の外で秋山が叫んでいた。出発の準備は出来てたのだが、肝心の陣がなかなか家から出て来ない。
「ゴメン、母さん。結局僕もこの家を・・・」
陣はひたすら母に謝っていた。岩井家には交通事故で父がいなかった。岩井大輔がプロに行くまでは母が、行ってからは兄も半分父親役を務めていた。
「兄ちゃんが名古屋に行ったからせめて僕は関東に残ろうと・・・」
話を聞いていた岩井母は突然笑いだした。
「あなたも大輔と同じ事を言うのね」
「え・・・?」
「あの子も私と陣を置いてままじゃ名古屋には行き辛いって言ってたわ」
どうやら、八年前に兄が言ったセリフと同じらしいと言う事を陣は悟った。
「あの子にも言ったけど、後の事は心配しなくて良いわ。あなた達はあなた達の好きなようにしなさい」
母の言葉は陣の胸に刺さった。うっすらと浮かべた涙を堪えながら、陣は家を出る。
「それじゃ、言って来ます!!」
深々と頭を下げると、兄の運転する車の助手席のドアを開けた。
「子供はいつか巣立つ。親はそれを見届けるだけ。・・・あなたならこう言いそうですね」
空を見上げながら岩井母はそう呟いた。
「静岡到着っと・・・!」
相羽は浜松からバスを使って静岡に到着していた。が、肝心のウイングス寮がどこにあるか把握してなかった。
「しょうがない。タクシーを拾おう」
タクシーを止めようを手を挙げるものの、なかなか捕まらない。そこに一台の明らかにタクシーではない車が止まった。
「そこの兄さん、お困りのようやな。何だったら手伝うてもええんやで?」
変な関西弁の男が窓を開けて声を掛けた。
「え〜、それじゃ、お言葉に甘えましてウイングス寮って所まで」
「そんなんお安い御用や!」
相羽を後部座席に乗せて車は走り出した。
多分、秦野辺り
「そう言えば兄ちゃん。普通に運転してるけど、右手はもう大丈夫な訳?」
高速を飛ばすエスクードの中で陣は岩井に訊ねる。
「6割程度の力で投げれる位には回復してるし、日常生活を送る分には支障はない」
「そうそう、イザとなりゃあおいちゃんに介抱・・・って、痛ぇ!」
後ろから茶々を入れた秋山にモヤットボールを岩井は投げつけた。
「今すぐ降りたいか?」
横から見ていた陣は兄の目が本気なのに気付く。
「あ、あの・・・兄ちゃん?」
「大体、お前だって栗原にまだプロポーズしてな・・・」
今度は秋山がモヤットボールをぶつけ返す。
「大輔、喧嘩なら買うぞ?」
「煩いな。先に言って来たのはそっちだ。第一、ケガした遠因はお前だよ」
口喧嘩しないで前を見て運転して欲しいと願う陣だった。
小田原近くのサービスエリアで用事を済ませた柚木と合流する手筈になっていたが、車を停車させて柚木の姿を探すがどこにもいない。
代わりに場違いな雰囲気をプンプン出してるジャビットの着ぐるみを着た人がいた。
「さっきからジャビットがこっちを見てるんですけど・・・」
視線を感じる三人。すると岩井がおもむろにカーラジオのスイッチを入れる。
『え〜、今年の箱根駅伝ですが、平塚―小田原間に突如現れたジャビットがトップを走る大学に常に併走すると言うハプニングがありました』
すぐにスイッチを消す。三人には中に入ってる人間に察しが付いた。
「触らぬ神に祟り無し」
急発進すると慌てたようにサービスエリアを離れた。
余談として、柚木は以前に「箱根駅伝で走りたい」と岩井や秋山らに洩らしていた。
「あんさんは仕事は何してるんでっか?」
「ええっと・・・一応は野球選手を」
「さよか。んならサインでも貰とこか」
そんな会話をしてる内にウイングス選手寮に到着した。
「どうもありがとうございました」
車を降りて挨拶する。そこにドリフト走行で門を通過して来たエスクードが突っ込んで来る。
「俺の前には何人足りとも走らせねぇー!」
途中で運転を無理矢理変わった秋山がハンドルを切ってアクセルを踏む。
「あ、あかん!」
「ぶつかる!」
慌てて避難しようとする相羽と関西弁。
「陣!紅一郎からハンドル奪って左に切れ!!」
岩井は助手席の陣に向かって言うと後ろから秋山を引き剥がしにかかる。
「ブレーキを目一杯踏め!」
三人の乗る車は大きな弧を描いて相羽の寸前で止まった。
「し、死ぬかと思った・・・」
陣が溜め息を吐く。
「これだからコイツに運転させるのは嫌だったんだ」
岩井も胃の辺りを押さえつつ引き剥がした秋山をシートベルトを使ってグルグル巻きにする。
「何やねん、彼奴等・・・」
「俺にもちょっと・・・」
相羽と関西弁も驚いている風だ。
「取り合えず、おサラバするけど何や困った事あったらまた頼ってや」
「そうさせて貰います」
一方、陣達の方も
「それじゃ、俺と紅一郎はこのまま名古屋で自主トレに入る。ウイングスと言っても先発枠に入るのは楽じゃない。まずは中継ぎとかで監督の信頼を・・・」
「んな事しなくても交流戦でボコボコに打ちまくってやるよ」
本日二度目のモヤッとボールが飛ぶ。
「いい加減にしろ」
陣に「バカの言う事だから気にするな」とフォローして関西弁の車と共に門から出て行った。
寮内
自分達の部屋に向かい最中に相羽が口を開く。
「そっちも色々あったみたいだな」
「ああ、色んな意味で凄い兄ちゃんと先輩だよ・・・っと、ここか」
ドアに鍵が掛かっていた為、借りてきたマスターキーで開ける。
「DVDとビデオテープの山だ・・・」
「オマケに変な機械もある」
薄暗い部屋の中にはピッチングマシーンらしき物と大量に積まれたテープがあった。
「ルーキーコンビ、そこはミスター空閑の研究室ネ」
二人が振り返ると後ろの部屋からクロードが顔を出す。
「「研究室?」」
「イエス。去年出来た時点では入寮者より部屋数が多かったデス。だから荷物の多い人達は余分に部屋を持っている訳デス」
「そんなの良く寮長とか許してますね」
「ここ、結構アバウトヨ。ミーも隣に持っているネ」
そう言われて隣の部屋を開けると一面に広がる忍者グッズの数々。
「これが日光で買った忍装束、こっちは伊賀上野で買った・・・」
忍者グッズを披露するクロードを尻目に二人は別の空き部屋を探し始めた。
「よし、次はここにしよう」
相羽がドアを開くと今度はプロティンの山が現れる。
「あー、そこは斉藤さんのプロティン保存部屋」
通りすがりの今井が答える。
「逆に体壊すと思う・・・」
しばらくするとまた空き部屋があったので陣が開けてみる。
「プラモが整然と並べられてる・・・」
壁にはポスター、床には雑誌。テレビは二台、パソコンも三つ程備えてある。
「部屋がアキバと化してる」
こんな部屋を持つのは一人しかいない。無類のガンダムマニア、池田のマニア部屋だ。
持ち主である当の池田は、1/144HGストライクフリーダムガンダムを鋭意制作中だった。
二人の顔に諦めの色が出始める。最後の希望を託してドアに手を掛けると開く前に呼び止められた。
「そこは不破の資料部屋だから開けない方が良いぞ」
その不破と同室の森坂が右向かいの部屋から出て来た。
「でも、僕らの部屋が無いんですよ。森坂先輩」
相羽がこれまでの事情を説明する。流石に不憫に思ったか、携帯を取り出して部屋の持ち主に電話する。
「もしもし、不破か?お前の部屋の事で相談が・・・」
「雪の所為で飛行機が飛ばなくて静岡に戻れん。ずっと空港にいる訳いかないから実家で待機しておく。話は後にしてくれ」
一方的に話して一方的に切った。リダイヤルしても反応がないので、森坂は諦めた。
「不破には俺から話をしておくからそこ使え。但し、部屋の中の物はこっちに移してくれ」
部屋に戻る森坂を見て、二人はハイタッチを交わす。喜んで部屋に入ると、中は配球をメモしてある紙が散乱していた。
「これはまた・・・。一段と凄いね」
「確かに。それにこれは打者別、状況別それぞれに分けられてる」
そう言って陣が拾った紙を相羽が覗き込む。
「この配球は8月19日の対日本ハム戦、八回表にノーアウト二塁で4番小笠原を迎えた場面で登板した時の不破先輩の奴だ」
思わず陣は相羽の顔を見た。裏面に書かれている日付と対戦打者の名前が一致していたからである。
「配球を見ただけで分かるの?」
「まぁ、ね。不破先輩は昨年87試合に登板したとは言え、その八割近くがランナーを背負った状態。そんな状況で変化球、特に落ちる球は投げ難い。
不破先輩の初球にボール球や直球、カット系が多いのはその為だね。しかし、この日は珍しくアウトローのスローカーブで初球を入ってる。
このパターンは87試合でも8月19日の試合の他は3試合しかない。
そして相手が左バッターだったのはこの日のみ。後は日本ハムのヒット数から廻ってくる打者が誰かは予測出来る」
息継ぎ無しでそれらを語った点に陣は驚いた。
それぞれ紙を拾って森坂の元に届ける。ふと、時計を見ると五時を指していた。部屋でグッタリと倒れ込む二人。
「何か今日はかなり疲れた」
「僕も同感」
それでも陣はゆっくりと体を起こすとカバンからグローブとボールを取り出す。
「ねぇ、キャッチボールする?」
「いいね。付き合うよ」
相羽もグローブを出して部屋から寮の外に向かう。既に照明が点いていたが、二人はその光の下でキャッチボールを続けた。
その所為で夜ご飯に間に合わなかったのは言うまでもない。
翌日、日本橋の箱根駅伝ゴール地点にジャビットが乱入した事が騒ぎになったのも言うまでもない。